2006年12月01日  ポインセチア

彼女の入院が決まって、その前に、
数日だけでも二人で時間を過ごしたいと彼女が言った。

僕らは今日から今週末まで、昔のように僅かな時間を二人で過ごす事にした。

今朝の仕事は、全てキャンセルして、朝の9時半に彼女を実家に迎えに行った。 
僕が彼女の実家についたのは、9時半よりちょっと前だったが、
既に彼女は、ビルの前に立っていて、僕が来るのを待っていた。。

車を横付けし、彼女の荷物を後部座席に放り込み助手席に彼女を座らせた。 
車に乗ると、彼女は、”おはよう。”と言って
満面の笑みを浮かべ、僕にキスをしてくれた。

僕も、笑顔を浮かべ、彼女に”おはよう。”と言った。
僕は、久しぶりに彼女を助手席に乗せて、彼女と数え切れないほど
ドライブをした道を、彼女のアパートを目指して走った。

車の中では、何事もなかったかのように、僕は、右手で彼女の手を握り、
左手でハンドルを握り、1st Avenueを北に向かった。 

彼女は、実家にいる間に、起こったいろいろな事について、
僕に細かく話をしてくれた。 
僕も、彼女がいない間に起こったことについて、説明をした。

家に帰り、彼女をおろし、荷物を持って、
久しぶりに二人でアパートのドアを開けた。彼女は、
暫くぶりに帰ってきたかのように、小さいアパートの中を見回し、
振り返って、僕に大きなハグをしてくれた。

"思ったよりも綺麗にしていたのね。”と憎まれ口をひとつきいて、
悪戯っぽく笑った。 彼女は、ダイニングテーブルの真ん中に置かれた、
大きなバラの花束を見つけた。 ”おかえり。”と僕は、言った。

彼女は、花束を見て、ニッコリと微笑み、”どうもありがとう。”と答えた。
僕は、午後からの仕事があったので、彼女をベッドに寝かせて、
食事をさせてから、仕事場に戻ることにした。

僕は、もうひとつ彼女にサプライズを準備していた。 
実は裏庭に沢山のポインセチアの鉢を買い込み、裏庭に敷き詰めて、
庭中をポインセチアで埋め尽くした。 彼女は、どうせベッドに入ってから、
カーテンを少し開けて庭をみるだろうから、その時に、びっくりさせたいと思い、
ポインセチアを敷き詰める事を考えた。

僕は彼女にその事は触れずに、昼食を一緒に取った後、仕事場に戻った。

1時からのMeetingがあったが、
Meeting場所に12時59分に滑り込み、午後の仕事を始めた。

暫くして、彼女から携帯メールが来た。 会議中だったが、
携帯メールを開いてみると、予想したとおり、ベッドから庭を見て、
ポインセチアに驚いた彼女からのメールだった。

僕は、彼女からのメールを見て、ちょっと笑い、
何事もなかったかのように会議に戻った。。 
彼女が喜んでくれたのが、素直に嬉しかった。。

今日は、仕事をできるだけ早く終わらせて、アパートへ帰ろう。 
今日から、日曜日までは、ほんの数日しかないけれど、
二人に残された僅かな時間の一瞬、一瞬を彼女と一緒に、
悔いなく過ごしたい。。。



2006年12月02日  男の手料理  日常

昨日の夜は、彼女が久しぶりに帰ってきたこともあり、
アパートでゆっくり時間を過ごした。

外で長い時間食事をするのも、心配だったので久しぶりに僕が料理をした。
別にたいしたものを作ったわけではないけれど、
マッシュルームのソテーと、ラムチョップ、
小さなポテトをガーリックで炒めたものと、温野菜の4品を用意した。

彼女のアパートでまともな料理をしたのは、初めてだったけれど、
料理をしているうちに段々自分でも調子が出てきたようで、
自分でも可笑しかった。 料理をはじめ、キッチンでワインを開けてからは、
絶好調で、ほろ酔い気分で料理を続けた。。

彼女は、それが面白かったようで、何度も用もなくキッチンに来ては、
僕の料理を楽しそうに見ていてくれた。。 
キッチンとダイニングを別ける壁には、大きな穴が開けられているので、
料理をしながらも、僕は、ダイニングにいる彼女と話をする事もできるし、
テレビを見る事もできる。。

僕らは、借りてきたDVDを見ながら、ゆっくりと時間を過ごした。。

料理がようやく出来上がり、彼女は、Sparkling Waterで、僕は、
キッチンから飲み続けていたワインで、乾杯をして、料理を食べた。

彼女が、”ワインで一緒に乾杯できないけど、我慢してね。”と言って笑った。。 
僕は、"一緒に水で乾杯しろって言われたら困るけどね。”と言って、
おどけて見せた。

暖かい夜ではあったが、せっかくだったので、暖炉に火を入れた。 
ろうそくの灯と暖炉の灯が、やわらかく揺れたお陰で、
僕の見栄えの悪い料理も、ちょっとは、美味しそうに見えたかもしれない。(笑)

カーテンが開けてあったので、ろうそくと暖炉の灯に照らされて、
窓越しに昨日置いたポインセチアが見え隠れした。。。

食事が終わり、二人でソファにもたれて横になっていると、
裏庭を見ながら、彼女が、”もう12月だね。。”と小さな声で、ボソっと言った。。 
”本当だったら、ロンドンに行くはずだったのに、ゴメンネ。。”と彼女が言った。

僕は、”ロンドンは、君が元気になったらいつでも行けるから。。”と答えた。
彼女は、ソファの上の僕に背を向けて寄りかかっているので、
僕からは、彼女の顔を見る事はできなかった。。 

暗い話をしないように、僕は、頭の中をフル回転させた。。 
楽しい話、くだらない映画、テレビドラマ、音楽、、、
話を変えてくれるものだったらなんでも良かった。。

でも、こういう時には、なかなか良いアイディアが、すっとは浮かばず、
僕は、ただ黙ったまま、彼女を後ろから抱きしめる事しかできなかった。。

彼女は、彼女を抱きしめる僕の手をさすって、僕の腕にキスをしてくれた。。 
そして二人は暫く黙ったまま、ろうそくの灯かりで見え隠れするポインセチアを眺めていた。

暫くして、彼女は、そのまま手足を猫のように伸ばして、
大きなあくびをしながら、僕を振り返り、”もうそろそろ寝ようか?”と言って微笑んだ。

僕も微笑んで、ソファから立ち上がり、
ソファに座っていた彼女を抱き上げ、ベッドに連れて行った。

彼女は、抱き上げられながら、”一番会いたかったのは、
抱き上げられてベッドに連れて行ってもらうことだったかもしれない。”と言って、笑った。

彼女をベッドに寝かせ、片付け物を簡単にすませ、僕もベッドに入った。。 
彼女が、猫のように僕に寄って来た。 彼女のぬくもりを感じながら、
彼女が寝付くまで、彼女の髪の毛を撫で続けた。。。  

彼女が眠りに落ちたのを確認して、そっと彼女の腕を離し、僕は、ベッドから出た。

夜になって少し雨が降ったようだが、気温は余り下がらず、
生暖かい夜になった。。 僕は、ウイスキーのボトルを持って、裏庭に出た。。 
椅子についた雨の露を取り払い、椅子に腰を下ろしてウイスキーをラッパ飲みした。。

中年オヤジが、よれよれの黒いコートを羽織り、
ポインセチアの花畑の中で、一人壊れかけの椅子に座ってウイスキーを飲んでいる。。
全く、絵にならない風景だが、僕はそうやって、酒を飲み続けた。 
窓越しに彼女の寝顔が見えた。。

花を眺め、彼女の寝顔を眺め、夜空を眺めて、
たまに目に溜まった涙をぬぐい、僕は、一人でウイスキーを飲み続けた。。



2006年12月03日  天気の良い週末  

今日は、朝から素晴らしい天気になった。

昨日の夜もあまりよく眠れなかったので、朝方、うつらうつらしていると、
彼女も早く目を醒ましたようで、僕の上に覆いかぶさりおはようのキスをしてくれた。。

”もうおきるの?”と僕が聞くと、”折角天気が良いから、早くおきたいけど、
もう少しだけベッドの中でゆっくりしたい。”と彼女は、言って笑った。

カーテンをあけ、外の光を室内に入れながら、
僕らは、まだベッドの中に潜ったままで、色々と話をした。

”今日は、何をしたい?”と僕が聞くと、彼女は、”髪の毛を切って、
それからあなたと街を一緒に歩きたい。”と言った。 天気も良く、
気温もそれほど寒くないので、僕らは彼女の言う通りに土曜日を過ごす事にした。

明日の午後には、僕は、またLAにいかなければならないので、
二人で一緒にいられるのは、今日が最後だ。 
日曜日に飛行場に行く前に、僕は、また彼女を実家に戻さなければならない。

何で、髪を切りに行きたいのかな?と思って、それとなく聞いてみたら、
彼女は、笑いながら、”折角大好きな人と一緒にいるんだから、
綺麗に見せたいと思うのは、女として当然でしょ。”と言った。

馬鹿な事を聞いちゃったなと思って、ちょっと照れてしまったけれども、
綺麗な所を僕に見せたいっていう彼女の気持も、嬉しかった。。。

結局10時近くまで、ベッドの中でテレビを見たりゆっくりと過ごし、
彼女に簡単な朝食を食べさせて、僕は、彼女を美容院まで車で送って行った。。

美容院の前で、彼女は、振り返り、
”綺麗になって来るから待っていてね、”と言って、微笑み、
キスをしてビルの中に消えて行った。
僕は、彼女を待つ為に一度家に帰って来た所だ。。。

もう少ししたら、彼女を迎えに行き、まだ疲れていないようだったら、
ちょっと街を散歩しようと思っている。



2006年12月04日  クリスマスツリー

土曜日は、彼女と一緒の最後の週末だった。

髪の毛を切った、彼女を2時半に迎えに行った。
59丁目とMadison Avenueの交差点で彼女と待ち合わせをした。

彼女は、カーキ色のカーゴパンツに、白いタートルネックを着て、
カーキ色のジャケットに茶色のバックスキンのブーツを履き、マフラーを巻いて、
大き目のサングラスをかけ、交差点で僕の事を待っていた。

僕を見つけると、彼女は、僕に向かって微笑んで小走りに駆け寄り、
交差点の近くで大きなハグをしてくれた。

彼女の具合も良さそうだったので、二人で手をつないで公園を少し散歩した。
もうセントラルパークの木々もかなり葉を落としてしまったが、
冬の訪れを見せる公園の中を、二人で手を繋いでゆっくりと散策をした。。

その後、二人で少し買い物をした。 立ち寄った店のひとつで、
何気なく彼女の指輪のサイズを測った。 薬指が6号で小指が3号だった。。 
これで、バレンタインのサプライズの情報がかなり集まってきた。。

サイズがわかったので、後は、彼女の好みを研究しながら、
彼女の好きそうな指輪をデザインするだけだ。。

買い物を終え、二人でアパートに戻った。 
途中で、デリにより、チーズとサラミとクラッカーを買った。
家に帰って、ソファに横になりながら、チーズとサラミをつまみ、二人で映画を見た。
予想通り、彼女は、途中で寝てしまい、結局二人がおきたときには、
夜の10時を回ったところだった。

どうしようか迷ったけれど、彼女が、外食がしたいというので、
アパートの近くの行きつけのイタリア料理屋に出かけた。
レストランに着いた時には、11時近かったけれど、オーナーは、
嫌な顔をせずに、僕と彼女のためだけに料理を出してくれた。

僕らは、最後の晩餐をゆっくりと楽しんだ。 
彼女は、お酒が飲めなくなってしまったので、ミネラル水を飲み、
僕は、ワインで乾杯をした。 

レストランのオーナーは、事情は全く知らないが、僕らのテーブルに腰をおろし、
色々と話をしてくれ、帰るときには、”神のご加護がありますように。”と言ってくれ、
僕らに大きなハグをしてくれた。

レストランを後にして、僕と彼女は、手を繋いで一緒にアパートまで歩いて戻った。 
僕が、エンジェルをコートに包んで帰った、歩きなれた街角を、
二人でかみ締めるようにして歩いた。。
次に二人を待ち受けるものを見る事が怖くて、
このまま二人で永遠と街を歩き続けたい気持ちがした。 
覚悟はしているけれどやはり怖い。 どうしようもない恐怖が僕を支配した。

アパートに帰り、二人で、クリスマスプレゼントのラッピングを少しした。 
日本の子供たちに、彼女も一言づつメッセージを書き込んでいった。 
彼女は、まるでマリアのような優しさで、自分が会った事もなく、
おそらく会うこともないであろう子供たちに慈愛に
満ちたメッセージを一言大事に書きとめていった。。


夜もかなり更けたので、彼女に寝るように諭した。 
彼女は、最後の夜だったので、眠りたくないといったが、
具合が悪くなるといけないので、二人でベッドに入った。

僕は、彼女を抱きかかえたまま、結局一睡もせずに夜を明かした。 
彼女も寝付かれないようだった。。 色々辛い事も多いけど、
僕は、彼女の体温を感じながら、
彼女と一緒に時間を過ごせる事を神様に感謝した。。

このまま朝が来なければ良いと思ったが、
そんな願いがかなうはずもなく、いつものように朝が来た。

僕が目を醒ました時には、彼女も目を醒ましていた。
僕は彼女にキスをしてベッドを出て、シャワーを浴び、
服を着て飛行場に行く準備をした。

彼女は、まだ裸のままベッドの中で休んでいた。。 
服を着替え、旅行の準備を済ませた僕に、彼女が、またベッドに手招きをした。。

僕は、彼女に招かれるまま、服を着たままで、ベッドに横になり、
彼女と一緒にテレビを30分ほど見た。 テレビの内容は、
どうでもよいものだったが、隣に横たわる彼女と手を繋いだまま、
話もせず、そのまま僕は、彼女の横でテレビをみながら色々な事を考えた。

10時半過ぎになって、彼女が、
”私もシャワーを浴びて用意をしないといけないから。"と言い、
やっとその言葉をきっかけにして、僕も飛行場に出かける決心がついた。

彼女に見送られ、僕はアパートを出て車に乗り飛行場に向かった。

途中、街角でモミの木の生木をクリスマスツリー用に売っているのを見かけた。 
クリスマスが近づいているので、モミの木の値段が、
もう一本25ドルまで値下がりしていた。。。

それを見ながら、今年は僕も彼女もクリスマスツリーを
出す余裕がなかったなあと思い出した。

こんな時だからこそ、
クリスマスツリーを出せばよかったなと車の中で少し後悔をした。。。

彼女との楽しい4日間は、あっという間に終わってしまい、
僕は、仕事の為にロスアンジェルスに向かう事になった。



2006年12月05日   LA

彼女と別れて、僕は、一人
ニュージャージのプライベートジェット専用の飛行場に向かった。

ハドソン川をまたぐ海底トンネルを抜けると、そこまもうニュージャージーだ。 
トンネルを抜けると、すぐにらせん状のループを走り、高速に入るのだが、
らせんのループをあがる時に、エンパイアステートビルをはじめとした
ニューヨークのスカイラインが、一望できる。

天気が良かったので、久しぶりに
美しいマンハッタンのスカイラインを眺める事ができた。

僕は、そのまま車を北西に走らせ、飛行場に向かった。 

バンカーに入ると、顔なじみの整備士が、コーヒーを入れてくれた。 
コーヒーを飲みながら、冬のやわらかい太陽の光が降り注ぐガラス張りの部屋で、
仕事の資料をみたりして時間を潰した。

暫くして、飛行機の準備が出来、僕は、飛行機の脇につけられた
小さなタラップをあがり、飛行機に乗り込んだ。 
ニューヨークからロスまでは、5時間半のフライトだ。
僕以外の乗客は、いなかったので、5時間半、僕は孤独な時間を過ごした。

スチュワーデスが、一人客室に乗り込んでいるが、
彼女も僕を知っているので僕が黙っている時には、決して話しかけてこない。 
お陰で、窓からの景色をみながら、色々な事を考えた。 
仕事の事、彼女のこと、自分のこと、日本のこと、これからのこと、、 

昨日、寝ていなかったので、少し仮眠を取った。
2時間ほど寝て、飛行機は、ロスの空港の片隅の小さなバンカーに止まった。

ロスに着いたのは、5時過ぎだったが、既に回りは暗くなっていた。
飛行機に降りて携帯のスイッチを入れると、彼女からの留守電が入っていた。 
”ちゃんと無事についた?”と言うなんでもないメッセージだったが、
それでも僕の心を暖かくするには、十分だった。。

迎えの車に乗り込み、ホテルに向かう途中で、彼女に電話をかけ、
少し話をした。”ロスの天気はどう?”とか、
"暖かいの?”とか”あんまり飲みすぎないでね。”とか、
平凡な会話を僕達は、続けた。。

僕は、窓から見える、綺麗なイルミネーションの話を彼女に伝えた。
”そのうちロスにも遊びに行きたいわね。”と彼女が言った。

前に彼女とロスに出かけたのは、グラミー賞の会場に行ったときだったが、
あれはもう何年も前の話だ。 真田博之とホテルが一緒だったので、
ラストサムライで、渡辺謙が、グラミーの助演男優賞の候補になった年だ。。

”元気になったら、またロスに行こう。 その時は、
新しいカクテルドレスを作らないとね。”と言って、僕は笑った。

彼女も笑った。。

ホテルに車が着いたので、彼女との電話を切り、チェックインを済ませ、
すぐ、着替えをしてDinner Meetingの場所に向かった。。

僕は、ニューヨークに住む前は、LAに住んでいた。 
ハリウッドの曲がりくねった道を走りながら、
まだLAに住んでいた頃の事を思い出した。。 もっと、彼女に早くあっていたら、
僕は、自分の人生の大事な時間を無駄にしなくて
良かったのになとちょっと悔やまれた。。

彼女を思い、携帯メールを送ってみた。ただ、
”I Love U."とだけメッセージを入れた。 暫くして、僕の携帯が光、彼女から、
"Love U Too"と言う返事が来た。。 
僕は、暗い車の中で、その3文字が光り続けるのを、見つめていた。。


  ビバリーヒルズは、綺麗な所ですよ。
  何年か前には、映画と音楽の仕事がかなり重なったので、
  彼女を連れて、アカデミー賞とかグラミー賞に行きました。 
  其の都度、黒や赤のカクテルドレスを作って、彼女には、その度に惚れ直しました。(笑)



2006年12月06日  .. and alone

西海岸に来ると、いつも時差の関係で、早朝から仕事を始めないといけない。

東海岸との時差が3時間あるので、ニューヨークのオフィスが開く、
西海岸時間の朝の6時には、もう仕事が始まる。

そのため、僕も朝の5時に起きて用意をし、
今日は、朝の6時から最初の電話会議が始まった。

電話会議を終え、少し外の空気を吸いにホテルの外に出た。
別にどこに行くと言う当てがあるわけではなかったが、
カリフォルニアの清々しい朝の空気を吸いながら、ホテルの周りを歩いた。。

ちょうどニューヨークの10時過ぎだったので、彼女に電話をして、
歩きながら少し話をした。 毎日の電話なので、
別にたいした話があるわけではない。 ただいつものように、
お互いを気遣い、それぞれの一日について話をした。

彼女に、カリフォルニアの気候は、素晴らしく、
今、一緒に散歩をする事ができれば、どんなに楽しいだろうと、言った。
彼女は、"自分だけで楽しんでないで、
早く仕事を終わらせて帰ってらっしゃい。”と悪戯っぽく冗談を言って笑った。。

僕も、笑った。。

次の仕事の時間が迫ってきたので、僕は、彼女との電話を切り、
ホテルに戻って、僕に会いに来た仕事の関係者と、
朝食を兼ねたミーティングをした。

その人は、つい最近まで映画会社で働いていたが、
最近退職し、Venture Fundから、当座の活動費として8億円を調達して、
まさに活動を始めたばかりの若者だ。

以前日記で書いたが、僕は、2001年にレバノン人の友達の会社を買収し、
2004年に大当たりをさせた事から、西海岸の起業家の中では、
それなりに名前が知れ、この手の企業家から、相談を持ちかけられることが多い。

今日会った、若者もそういった起業家の一人だ。 
彼のビジネスがうまくいくかどうかは、僕にはわからないが、
彼と朝食を取りながら、色々話を聞いて、僕のわかる範囲でアドバイスをした。 

この手の相談事は、全くの善意でやっているので、
全く金にはならないが、この業界は、結局人間関係だし、
誰が大当たりするかわからないので、誰にでも出来るだけ、
時間を割いて真摯に対応をするように心がけている。

彼とのミーティングが終わり、ホテルの部屋に戻り、
また別の電話会議を行い、西海岸の11時半に、ホテルをチェックアウトし、
迎えの車に乗り込んで、太平洋を見渡すベニスと言う街に出向いた。

そこで、また別の人とランチを食べながら話をする事になっていた。 

ベニスは、イタリアのベニスをまねて、町をデザインし、
ベニスのように水路をめぐらせようとしたが結局計画が挫折し、
町の名前だけが残ったと言う奇妙な歴史を持つ海沿いの街だ。

一時は、ヒッピーブームの頃に、若者の町になり、その後、
ドラッグや色々な犯罪問題で、スラム化したが、
最近は、再計画ですっかり綺麗になった。 シュワルツネッガーが、
大きなレストランを出店していたり、最近は、むしろお洒落な街という印象だ。

僕は、海沿いの中華料理屋で、別の人と待ち合わせをした。 
その店は、ビーチの方向に大きなデッキがあり、
サンデッキで海を見ながら食事ができる。

僕は、そこの一番奥のテーブルを予約し、海を眺めながら、
Sparkling Waterを注文して、その人が来るのを待った。

暫く遅れて、彼らは現れた。 今度は、映画会社の人で、
新しい映画の資金集めと配給についてのMeetingだった。 
ハリウッドの場合、映画の製作には、
大体1年半から2年の月日がかかるのが一般的だ。 
最近は、撮影の他にCGがふんだんに導入されている事もあり、
費用は更にかかるようになってしまった。

最近は、僕はEntertainmentの仕事からは、遠ざかっていたので、
彼らの話を聞きながら、ちょっと金額の桁が違うのではないかと思いながら、
彼らの話を半分聞き流しながら、海を見つめていた。 

彼らが帰った後も、僕はその場所に暫く座っていた。 
彼女とこの前、海に来たのはいつだったろう?と考えた。。 
何ヶ月か前に、夜眠れずに、彼女と一緒にコニーアイランドまでドライブし、
そこで朝日を一緒に見た事を思い出した。。。

色々な事があったなあと、思いをめぐらした。 
僕の思い出には、いつも彼女が関わっていた。。 
彼女との思いでは、楽しいものでも、哀しいものでも、僕にとっては、
かけがえのない宝物だ。。 僕は、今、その儚い、壊れてしまいそうな、
思い出をなんとか両手でかき集め、自分の胸の中で守ろうとしている。。

そんな気がした。。。

海を見ていて、ちょっとセンチメンタルな気分になったが、
僕は、その後、サンフランシスコで別の仕事があったので、
車をLAXのバンカーに向かわせ、そこに待たせておいた飛行機に乗り、
サンフランシスコに向かった。。

小さな飛行機の中には、14人乗りの小型ジェットだが、1番後ろの席にすわり
コーヒーを片手に、また物思いにふけった。
僕はなんとなくand aloneを口ずさみ眼下に広がる茶色い山肌をぼんやりと見ていた。

今日の夜から、今度はヨーロッパに移動する。
ヨーロッパでは彼女のクリスマスツリーのためのオーナメントを買って帰ろうかな?等と
楽しい事を考えるように努めた。

両手からこぼれてしまう、大切な思いでが、なくならない様に。。。
一生懸命、楽しい事を考えようとした。。。



2006年12月07日  北欧紀行

前日のよる遅くにニューヨークを発ち、朝には、フランクフルトに着いた。
 ドイツに来るのは、久しぶりだ。

生憎、今朝は、曇り空で、灰色の低い空の下に、
ドイツの田園地帯が静かに広がっていた。

迎えの車に乗り、フランクフルトでの最初の仕事に向かった。 
途中で彼女に電話をした。 ニューヨーク時間は、まだ早かったので、
彼女は、まだベッドに入っていたが、僕の電話を待っていたようで、
少しの間だったが、話をした。

彼女は、若い頃ドイツに住んでいた事があるので、
ドイツ語がはなせる。 僕は、ドイツ語があまり得意ではないので、
”君が、一緒だったら、もっと仕事も楽なのにね。”と言うと、
彼女は、”アタシは、高いわよ。”と言って、少し笑った。。

午後には、フランクフルトの仕事を終え、
空港で待たせておいたジェットにのり、コペンハーゲンに向かった。。

コペンハーゲンは、あの人魚姫で有名な、ヨーロッパの港町だ。。
ここでの仕事は、簡単だったので、数時間で仕事を終え、
街に出る事もなく、僕は、そのまま今日の最終地のストックホルムに向かった。。

僕は、仕事の関係で、ノルウェーや、スウェーデンと言った北欧諸国に
来る事が多いが、北欧は、他のヨーロッパの国と違った、独特の雰囲気がある。。

まずは、さすが森林の国なので、空港からして綺麗な檜ばりの床で、
まるで飛行場が、サウナのような感じだ。

でも、僕は、ドイツの無機的な感じの建物よりも、
北欧の木を多用した暖かい感じの建物の方が好きだ。

空港を出て、迎えの車に乗り込み、ハイウェイを目的地に向かって走った。 
まだ4時頃だったが、既に日は、沈み、まるで夜のように暗くなった。
これも北欧の特徴だ。。

何とも言えない、切なさを胸に抱えたまま、
僕は、大きな車の後部座席に深く腰をかけ、北極海の黒い海を眺めていた。。

暫くして、携帯が鳴った。。 彼女からの電話だった。

僕は、彼女に、今日最後の仕事でストックホルムに来た事を告げ、
彼女にあいたいという気持で一杯だと素直に告げた。

彼女は、小さく笑って、
”アタシも今、全く同じ事を考えていたから貴方にメールしたところ。”と言った。

僕も、”今は、メールをチェックできないから、
君のメールは、後の楽しみに取っておくね。”と彼女に言って、笑った。。

彼女との電話を切り、少し、北極海の風にあたりたいと思い、
車の窓を少し開けてみた。 冷たい海風が僕の顔を撫でた。。。 

暗い空と、暗い海の間を走る一本の高速道路。。 
僕は、窓を開けたまま、暫く北極海の風に自分をさらしてみた。。

やっと、Meeting場所につき、仕事を始めた。 
僕が持っている会社の一つの取締役会で、全世界から役員が集まった。

議事進行を聞きながら、僕は、PCを立ち上げた。 
彼女からのメールが入っていた。。

I just wanted to say hi. And tell you that
i miss you. this tirp, I really miss you. i love you.

と彼女独特の短いメッセージが、入っていた。

僕は他の取締役の手前、難しい顔をしながら、指で彼女のメールをなぞってみた。
彼女に触れているような気がしたかったから。。



2006年12月08日   彼女が倒れた!!  I will meet you in New York

朝、まだ北欧独特の暗い中を、
僕は、ストックホルムを発った。 目的地は、パリ。。

パリとストックホルムの間は、飛行時間にして2時間ちょっとだが、
時差が1時間あるので、殆ど移動の時間を感じずに、移動することが出来る。

朝まだ早いうちに、ドゴール空港に到着し、迎えの車に乗り、
パリの市内を目指した。 車の中から、彼女に電話をしたが、
繋がらなかったので、簡単なメッセージを入れた。

市内に入り、凱旋門を回って、近くのホテルに到着し、ここでの仕事を始めた。

空は、相変わらず、灰色で、冬の雲がはっていて、
何か寂しい気持ちを掻き立てるものだった。。

ホテルのMeeting Roomには、既に人が集まっており、
僕が到着すると同時に議論が始まった。 僕は、話を聞きながら、
ホテルの窓から外を眺め、灰色の低い空の下を、群れからはぐれたのか、
一人で飛んでいく鳥を見ていた。。

ここでの仕事が終われば、ヨーロッパは、一段落で、その結果を持って東京に行く。 
ストックホルムでのMeetingの結果が、予想よりも良かったので、
今度は、上手く行くかもしれない。。 そんな事を考えていた。

午前中のMeetingが終わった。 感触は、それなりに良いと思ったが、
午後にもう少し、議論を集中させる必要を感じた。。

丁度、昼食が終わり、エスプレッソを飲んでいるときに、
僕の携帯がなった。。 
てっきり彼女だと思って、電話に出たら、
それは、彼女の姉だった。

僕が、LAに行く前に、彼女にお姉さんとその娘の分の
飛行機のチケットを渡したが、早速そのチケットを使って、
彼女のお姉さんが、ニューヨークに遊びに来ているようだった。

彼女の両親は、僕を認めていないので、僕が彼らと話をする事はない。
そういった意味で、彼女の家族の中で、僕が唯一話をするのは、
彼女の腹違いの弟と、このお姉さんの二人だけだ。 
彼女は、いつも口癖のように、”もしもアタシに万一のことがあったら、
その知らせは、私のお姉さんに頼んであるから。”と言っていた。 
でも、実際に、僕がお姉さんと話をしたのは、一回か二回だけだった。。。

そのお姉さんから、電話があった。。

お姉さんは、彼女の様態が急変し、病院に緊急入院をした事を教えてくれた。 
病状は、あまり良くないようだった。。 お姉さんに、お礼を言い、
動揺しているようだったので、元気づけの言葉をかけ、電話を切った。。

目の前が、真っ暗になった。

午後の会議が、始まるところだった。 僕は、そのまま会議室に戻り、議論を続けた。
しかし、頭の中は、彼女のことしか考えていなかった。

このままニューヨークに帰るべきか、パリでの仕事を完結させるべきかと考えていた。

僕は、同業者には、いつも甘い奴だと馬鹿にされている。 
最後の詰めが、甘い。情に流されて最後の判断を誤りやすい。。
そういう批判をいつも聞いてきた。

だから、今度のヨーロッパの仕事には、細心の注意を払い、
常人離れしたスケジュールで、ここまで話を進めてきた。。 
そして、このパリの午後のMeetingで全てが決まる。。。

彼女が、これを聞いたら、きっと、
パリに残って最後まで仕事をまとめるべきだと言うだろう。。
 きっとそういうに違いないと思った。。

考えあぐねて、僕は、またホテルの窓から外の景色を眺めた。。
あの群れから離れてしまった鳥が、まだ凱旋門の周りを回っていた。。

”やっぱり帰ろう。”と僕は、思った。

僕は、自分の部下の一人を呼び、
午後のMeetingを取り仕切るように指示をして、車に乗り、空港に向かわせた。

僕は、夕方のフライトで、ニューヨークに帰ることにした。 
彼女の病状を聞くと、帰らないわけにはいかなかった。。

また、周りの皆は、甘いとか無責任だとか言うだろうが、
これは、僕の人生だ。。 僕の人生は、彼女のためにある。。

そう考えると、迷いもなくなった。
今日の夜には、ニューヨークに帰れるだろう。 
それまで彼女には、頑張ってもらわないと。。。 

誰も受話器を取るはずのない彼女の携帯に電話をして、
"I will meet you in New York tonight."とメッセージを入れた。。

僕は、君のもとに、今帰るところです。。



2006年12月09日 The Show Must Go On.


僕の飛行機がニューヨークに降り立った時にはもう辺りは暗くなっていた。 

氷点下の寒風が吹き抜ける滑走路を横切り、僕は迎えの車に乗り込んだ。
彼女のお姉さんの電話では、僕の飛行機がニューヨークに降り立つ直前に、
彼女は、意識を取り戻したらしい。 

彼女が意識を取り戻し、一段落した事もあり、姉さんは、
僕と彼女をあわせる為に、気を利かせて、
彼女の両親を暫く連れ出してくれる事になった。
夜の8時過ぎに病院に来るように言われた。

僕は、姉さんの計らいに感謝をし、夜の8時に病院に行く事にした。
時間的には、一度家に帰る時間はあったのだが、そんな事は頭に浮かばず、
僕は、車を病院の近くでおり、病院の近くの寂れたダイナーで
紅茶をすすりながら、8時になるのを待っていた。

僕が入った寂れたダイナーには、客はまばらで、病院に近いせいもあり、
客は、病院関係者か、看病に来ている人達のように思えた。。 
皆、一応に疲れた表情で、ある者は、テレビを呆然と見つめていたり、
ある者は、小さな声で話し合っていたり、
ある者は、新聞を読んでいたり、思い思いに疲れた表情で過ごしていた。。

僕も、その中の一人らしく、疲れた表情で、映りの悪いテレビを眺めていた。。 
ふと我に返り、時間を見ると、8時を回っていた。。
僕は、紅茶の代金をテーブルに置き、そのダイナーを後にして、病院に向かった。。

姉さんの言った通り、彼女の病室には、誰もいなかった。。
僕の最愛の人は、一人ベッドに横たわっていた。 
彼女の鼻には、チューブが入れられ、腕には、何本ものチューブが、
刺されていた。彼女は、目を閉じており疲れ果てて眠っているように見えた。

その姿を見た途端に、僕は、哀しくて、ただただ涙が止まらなかった。。 
彼女を起こさないように、音を立てずに、彼女のベッドの
脇のパイプ椅子に腰を下ろし、ただただ涙が止まらなかった。。

小一時間ほどして、彼女は、静かに目を開けた。。 
そして、僕を見つけると、静かに小さく、疲れた笑みを浮かべた。

彼女が、僕の方に手を伸ばしたので、僕は、彼女の手を両手で握り、
自分の胸の上に置いた。。 
そして、彼女に向かって微笑んで、”ただいま。”と言った。

彼女は、もう一度微笑んで、暫く僕を見つめ、
それからまた静かに目を閉じた。。 閉じられた彼女の目から涙があふれだし、
筋になって顔を濡らした。 彼女は、ただ、”ごめんなさい。”と言った。

僕は、もう一度、彼女の手を強く握り、彼女の手に口づけをした。 
そして、”大丈夫だから。”とだけ答えた。

暫くして、彼女も落ち着いて来たので、ヨーロッパの話を少ししたり、
北欧で探したクリスマスのオーナメントを彼女に見せたりした。 

忙しかったので、時間を見つけるのが大変だったが、
仕事の合間に、僕は、ストックホルムで、クリスマスショップを見つけ、
幾つかのオーナメントを、彼女と、彼女の姪っ子の分の2つづつ探して来た。。

彼女は、それが気に入ったらしく、明日、姪っ子が見舞いに来たら、
早速オーナメントを分けてあげると言って、小さく笑った。

僕は、彼女の前で、つとめて平静を装い、何度ともなかったかのように、
彼女に色々とおもしろ可笑しく話をした。。

彼女は、微笑みながら僕の話を聞き、たまに、小さく笑った。。 
力のない、消え入りそうな笑い声だったけれども、
僕には、笑っているように聞こえた。。

暫くして、彼女は、両手で僕の頭を撫でながら、
”アタシは、闘っている時の強い貴方を見ているのが好き。”と言った。

最初は、何を言っているのか判らなかったので、彼女に聞き返した。 
彼女は、小さい声のまま、
”アタシは、闘っている時の強い貴方を見ているのが好き。”と
繰り返して微笑んだ。
そして、”アタシは、貴方が帰って来るまで死なないで、
ここで待っているから、日本に行って仕事を済ませて来て。”と言った。。

僕は、微笑んで、”仕事は、またいつでもやり直しができるから、
気にしなくて良いんだよ。”と言った。

彼女は、かぶりを振って、
”アタシは、貴方の仕事が上手く行くのを自分の目でみたいの。 
だから、仕事を済ませて来て。”と小さな声で言った。 
そして、”そんなに簡単には、死なないから。”と言って、
また小さく微笑んで、見せた。

そして、Show Must Go Onと呟いた。。 (ショーは先へ進まなければなりません)

彼女の前では、泣くまいとして、平静を装っていたが、
彼女の其の言葉を聞いて、急に涙が溢れ出してしまった。

それを見て、彼女の目も急に赤くなった。 
そして真っ赤になった目で僕を見つめ、
Show Must Go Onともう一度呟いて、頷いてみせた。。 

そして、”これが終わったら、もうどこにも行かないで、アタシのそばにいて。
でも、ここまで二人で頑張って来たんだから、アタシの為にも、
この仕事は最後までやって、一緒にちゃんと幕をひかせて。”と言った。

こんなに強い意思を持った彼女の表情を見たのは、
初めてだった。彼女の強い決意を感じた。

僕は、ただ頷いて、彼女の両手を握りしめた。 
彼女を抱きしめたかったが、体中にチューブがあったので、
そうもできず、ただただ彼女の両手を握りしめた。 
僕は、彼女の両手を握りしめたまま、”必ず帰って来るから。”とだけ伝えた。

彼女は、それを聞くと、微笑んで、”必ずここで待っているから。”と言った。。

僕は、最後に彼女の口にそっとキスをして、彼女の病室を後にした。。 
振り返ると、また帰れなくなってしまうし、その場で泣き出してしまいそうだったので、
彼女を振り返る事なく、後ろ向きに手を振ったまま、彼女の病室を出た。。

病院の外にでると、零下の寒風が吹き、僕のコートを裾を揺らした。 
僕は、こぼれ落ちる涙を拭く事もせず、そのまま夜の街を歩いた。

僕は、彼女の為に明日、日本に行く。 
そして彼女と一緒に頑張って来た何年かの生活に区切りをつける。 

これで最後だ。



2006年12月13日  東京にて

覚悟はしていたけれど、やはり、メールも電話もできないで、
6,000マイルも彼方にいるという事は、大変辛いものだ。

なるべく考えないようにして、仕事に集中するようにしているけれど、
やはり、色々と考えてしまう。。

お姉さんのところに電話をして、色々聞こうかなとも思うけれども、
やはり迷惑をかけたくないので、そういう事も出来ない。。。

ただ今の僕にできることは、自分のやるべき事に集中する事と、
たまに、空を見たり、花を見たり、街を行き交う人を見たりしながら、
遠くにいる彼女の事を思う事だけだ。

あれほど、メールや電話でやりとりをしていると、急に、
そう言ったものから遠ざかってしまうと、どれだけ寂しいのかという事が、
痛いほどわかった気がする。。

常に携帯で話ができるようになったのは、ここ十何年の事で、
メールが普及するようになったのは、もっと最近の事だ。 
だから、僕が、若かった頃は、まさに今の僕の状況のように、
メールも携帯もなかったわけで、そう考えると、
いかに生活様式が変わってしまったかと言う事が、良くわかる。。

そういった機器に依存できない今の状況では、
僕は、昔の人々が遠くはなれてお互いを思いあったように、
空や花等の森羅万象に目をやりながら、彼女のことを心の中で深く考え、
思う事しかできない。。

僕の気持ちが、彼女に届くと良いな。。



2006年12月14日  Going Home

東京での怒涛の5日間の後、今日、ニューヨークに帰ることにした。

日本にいる間は、殆ど、満足な食事もしていないし、睡眠もできなかった。。
兎に角、取り付かれたように仕事をし今は心身ともに憔悴しきってしまった。 

もうこれ以上歩けないほど、努力をしたので、
ここで一応区切りをつけてニューヨークに帰ることにした。

今は、空港のラウンジで飛行機が来るのを待っている。。
僕のニューヨークの携帯に彼女のお姉さんから留守電が一つ入っていた。
彼女は、相変わらず病院におり、容態はすぐれないが、
一応小康状態を、保っているようだった。。

ニューヨークについたら、お姉さんに電話をしてみて、
僕が病院に行ってもよいようだったら、彼女に会いに行きたい。
でも、このままで会うと彼女も、消耗しきった僕をみて驚くだろうから、
せめて飛行機の中で眠って、少し元気を取り戻さないといけない。。
彼女は、今、何を思っているのだろう。。



2006年12月15日  瞳の中に貴方が見える。。

ニューヨーク時間の14日の夕方に、僕の乗った飛行機は、
滑るようにニューヨークの空港に降り立った。

フライトは、ほぼ満席だった。 ニューヨークに帰る日取りを突然決めたので、
僕のアシスタント達は、東京サイドもアメリカサイドも
かなりてんてこまいだったようで、全ての飛行機会社に
予約を入れてもキャンセル待ちのところがほとんどだったようだ。

最後に、幸運にもそのうちの一つのキャンセル待ちが取れたので、
そのフライトに乗って帰る事ができた。

日本にいる間は、殆ど寝ていなかったので、成田に着き、
飛行機に乗り込むと、まだ飛行機がゲートを離れる前から、
僕は、そのまま寝てしまい、結局、食事もとらずに、
11時間半、そのまま眠り続けたようだ。

眠っている間、色々な夢を見た。。 
目を醒ますと、ちょうど飛行機は、既に着陸準備の為に
高度を落としている所で、着陸10分前だった。 

窓の下には、見慣れたマンハッタンの風景が、広がっていた。 
僕は、その中に、彼女のアパートを思わず探していた。。 
彼女は、今、病院に入院しているのに、思わず、
アパートを探していた自分に苦笑をした。

飛行機を降り、税関を抜け、迎えの車に乗り込んだ。。
携帯のメールをチェックすると、彼女のお姉さんから、
今日の夜は、両親が彼女を見舞っているので、彼らが帰ったら、
僕に連絡をするとメッセージが入っていた。

今、すぐにでも彼女の病室に飛んで行きたい気持は、一杯だが、
彼女の病室で、また彼らと喧嘩をする訳にもいかず、
どうしようもない気持を抱えながら、僕は、取り敢えず家に帰って、
お姉さんからの連絡を待つ事にした。

いつもだったら、彼女と電話で話をしている車の中で、
僕は、ならない携帯を弄びながら、ニューヨークの灰色の空を見ていた。 

家に戻った頃には、もうあたりは暗くなっていた。
誰もいない家に戻り、荷物を置き、冷蔵庫から水を出して、
取り敢えず水を飲んだ。。 そういえば昨日から何も口に入れていなかったので、
水が、胃袋の底に流れ込むのを感じ取る事ができた。。。

こうなっては、僕は、待つ事しかできない。
街は、買い物客や観光客で賑わっている。。 
街並は、既にクリスマス一色で、様々なイルミネーションで飾られている。。 

そんな中で、僕は、一人、電話を待っている。。。 
こんなに近くにいても、まだ彼女に会う事ができない。。 
ただ、待っているものは、一本の電話。。 

かなり遅くなってから、お姉さんからメールがあった。
ようやく両親が帰ったので、もう面会時間は、とっくに過ぎてしまったけれど、
今からだった、病室に来ても大丈夫というメールだった。。

僕は、取るものもとりあえず病院に向かった。。 
病院に着いた時には、もう夜の11時に近かった。。

街は、相変わらず、クリスマス一色で、タイムズスクウェアの店は、
かなりの所が遅くまで営業をしており、観光客でまだ賑わっていた。。

僕は、そんな楽しそうな喧噪を抜け、一人病院に向かった。。 
彼女に会う事だけを考えて。。 彼女の事だけを考えて。。

彼女の病室のドアを開けると、そこに僕が、
ここずっと夢に見続けた天使が横たわっていた。。 
前よりも、体にささっているチューブの数が増えてしまったけれど。。。 
前よりも周りの恐ろしげな機械の数が増えてしまったけれど。。 
でも、彼女は、そこにいた。。

僕を見つけると、彼女は、疲れた微笑みを浮かべ、
”こんな姿になっちゃったけど、ちゃんと死なないで待っていたでしょ。”
と消えそうな声で言った。。

僕も微笑んで、”僕に取っては、君は、誰よりも美しいよ。”と言って、
彼女の手を取った。 そして、もう一度、微笑んで、”ただいま”と言った。。

彼女も、”お帰りなさい。”と言って微笑んでくれた。。

その姿は、さらにやせ細り、体中にさされたチューブや、
青ざめた顔色が、病気の進行を物語っていたけれど、
彼女は、僕との約束を守って、僕を待っていてくれた。。

僕は、”僕を待っていてくれてありがとう。もうどこにも行かないから。”と言った。

彼女は、”急いで帰って来てくれてありがとう。 
こんな格好を貴方に見せたくはなかったけれど、
でも貴方に会いたかった。”と言った。。

僕は、彼女の隣にすわり、彼女の手を取ったまま、
ヨーロッパでの仕事や、東京の仕事の話をした。。 

彼女に会う前に、僕は、会社の乗っ取り屋のような仕事をしていた。 
経営陣の無策で潰れる直前になった会社を安値で買い、
不要な部分は容赦なく切り落とし、望みのある所だけを高値で売り飛ばしていた。
人に胸を張って言えるような仕事ではない。。

彼女と会って、彼女から色々な事を学んで、
僕は、会社を乗っ取って切り売りするのではなく、
買い取った会社を何とかそのまま再生させることができないかと考えるのが、
僕の仕事に変わった。そのお陰で、僕の収入は、がた落ちしたけれど、
僕は、彼女の信頼と人としての自信を持ち直す事ができた。

ここ何年かやっていた仕事は、彼女から学び取った切り捨てるのではなく、
再生をするという精神で取り組んだプロジェクトだった。 僕の同業者は、
皆、僕をお人好しの馬鹿者だと嘲った。それでも良かった。。 
僕は、彼女のように、人としてその生き方に自信を持てる人間になりたかった。

そのプロジェクトをここ何年か続け、今回のヨーロッパと日本での仕事で、
倒産寸前で買い取った会社を、切り売りや従業員を解雇する事なく、
なんとか事業再生をさせ、黒字復活させ、
もっと安定した会社に合併させる事になんとか成功した。

僕は、彼女にプロジェクトが、うまくまとまった事を報告して、
彼女にお礼を言った。 僕が、自分に自信を持てる真っ当な人間になれたのは、
他ならぬ彼女のお陰だった。

彼女は、ただ微笑んだままそれを聞いて、”アタシも嬉しい。”と言ってくれた。

僕と仕事で絡んだ人達は、僕が、このままいなくなってしまう事が、
容認できないようで、どうかそのまま仕事を続けて欲しい、
いなくならないで欲しいと言ってくれる。。 ありがたい事だ。。 
それもこれも、彼女のお陰で、彼女に会う前の僕だったら、
人に恐れられる事はあっても、求められる事はなかった。。

人の気持は、ありがたい。。 
ただ、僕は、もう自分のミッションを成し遂げた気がする。。

”これから、どうしようか?”と彼女に聞いてみた。

彼女は、力なく笑って、”アタシの近くにいて、
アタシの面倒を見なさいよ。”と言った。。 僕も、笑った。。

”その為には、元気になって、パリに行けるようにならないと。。 
その前に、このチューブを取り去って、僕が、
君を抱きしめる事ができるようにしてくれないと。。”と言って、笑った。。

彼女も笑った。。

もう夜中をまわり、かなり夜も更けて来た。。 
このまま彼女を起こし続けるのも良くないと思い、僕は帰る事にした。

帰り際に彼女は、僕の頭を両手で掴み、自分の胸に抱きかかえるようにして、
”貴方は、アタシに何があっても死んじゃ駄目よ。”と言った。 
僕は、一瞬言葉を失ったけれど、何か答えなといけないと思い、
”君は、そんなに簡単に死なないよ。”と答えた。。

彼女は、ただ僕の頭を自分の胸に抱えたまま母親のように笑った。。

そして、”今、アタシの瞳の中に、貴方が見える。。 それがとっても嬉しい。 
貴方がいない間、ずっと貴方の事を考えていたけれど、
やっぱり、自分の目で貴方を見たかった。。。”と言って、小さく笑った。。。 

”瞳の中に、貴方が見える。。”
僕は、彼女のフレーズを繰り返して呟いてみた。。。



2006年12月16日  子守唄

昨日から、ユダヤのお祭りのハニカが、始まった。

今週は、ハニカ、来週は、クリスマスと、もうニューヨークは、
年末ムード一色だ。 僕は、時差ボケでだるい体を起こす為に、
ジムに行き、久しぶりに汗を流した。 
ここ暫く、ジムにも行っていなかったので、随分痩せたなと思いつつ、
せめてジムにいる時は、色々な事を考えないですむので、
ただ無心にマシンに向かった。

ジムが終わって、たまった洗濯物を片付け、彼女のかわりに約束した、
ボランティアのカウンセリングに出かけた。 
犯罪を犯して服役中の子供達の更生施設でのカウンセリングだ。

彼らの目を見ていると、昔の自分を思い出すような気がする。。 
簡単に結論めいた事を言うのは、良くないけれど、やはり、
周囲の愛に飢えているのかな?という気がしたのは、僕だけなのだろうか。。 

カウンセリングをしながらも、心は常に、彼女の事を考えていた。 
僕は、これをあくまでも彼女のかわりにしているに過ぎない。。 
だから、彼女のボランティアをしようと思った気持が、
妥協されないように、彼女だったら何がしたかったのだろうと考え、
今日のボランティアをこなした。

ボランティアの後は、仕事場に行き、色々と雑務をこなした。 
気がついたら、夜の8時を回っていた。。 
お姉さんから、メールを貰ったので、彼女の病室に少しだけ彼女を見舞いに行った。

その日に、彼女は、いつも通りの彼女だったけれど、
すこし疲れて、気が立っていた。。 僕は、だから両親も早く帰ったのだな?と
勝手に想像をしながら、彼女の隣の椅子に座り、彼女の話を聞き続けた。

彼女のそういった話を聞くのは辛いけれど、何もできない自分自身は、もっと辛かった。
ただ、僕にできる事は、話を聞くだけ。。 
だから、僕は、彼女の話を聞き続けた。 ただ、彼女の話を聞く。。 
それが、今の僕にできる唯一の事。。 悲しいけれど、それが現実だ。

一通り、彼女の話を聞き、彼女も話し疲れたのか、僕の手を取って、
目を閉じ、暫く黙っていた。 小さい病室に、静寂が訪れ、
彼女の周りに並べられた機械の不気味な電気音だけが部屋に響いた。。 

その音だけが部屋中に響くのに耐えかねて、僕が、話を始めた。。 
どうでも良い僕の一日についてだった。 
独り言とも、彼女に話しているともつかない小さな声で、
ボランティアに行った時にあった子供達の事、その時に僕が話した事、
感じた事、そんな事を話し続けた。。

僕の手を握る彼女の手に、少し力が入ったような気がした。 
彼女を見ると、目を閉じたまま、涙を流していた。

僕は、そのまま、独り言とも、彼女に話しかけているとも、
はたまた子守唄を唄っているともつかない小さな声で、彼女が眠りに落ちるまで、
そうやって話を続けた。。 話す事が、見つからなくなると、
自分の知っている昔話までした。。

自分の子供を寝かしつけるように。。。 ずっと話を続けた。。。

彼女の寝息が聞こえるまで。。。

彼女を寝かしつけ、僕は、そっと彼女の手を離し、病室の窓から外を見た。 
病院の周りは、アパートが建ち並んでいる住宅街だが、
そのアパートの窓にもクリスマスの飾り付けやイルミネーションが思い思いに飾られていた。。

僕は、窓から見える外の景色と、窓に反射して見える彼女の姿を重ねて、
暫く外を眺め続け、彼女の事を考えた。。

いい加減に帰ってくれと病院の人に言われたので、
僕は、病室を出、病院を後にした。。

風に吹かれながら暫く夜の街を彷徨い、目に留まったバーに入り、
止まり木にとまって、ウイスキーを注文した。 
僕自身を飲み込むように、ウイスキーを飲み込んだ。。



2006年12月17日  朝の散歩

今日は、ニューヨークに帰って来て初めての週末だった。

旅に出る前には、彼女と色々予定を立てていたのだが、
今となっては、そんな事は、どうでも良い事だ。。

僕は、早く目が覚めたので、久しぶりに朝の街を散歩してみる事にした。

ニューヨークの人は、米国の他の地域の人よりも沢山歩くと聞いているが、
それでも東京の人に比べると歩く量が違う気がする。 
特に僕の場合は、どうしても車を使ってしまうので、おかしな話、
日本に住んでいた時と、外国に住んでいる時では、
靴のへりが違うのが、それを物語っていると思う。

そんな事で、久しぶりにゆっくりとあてもなく歩いてみようと思い、
僕は、ジャケットをはおり、朝の街を歩いた。

ジャケットのポケットに手を突っ込み、朝の冷気に顔を赤くさせながら、
人気の少ないストリートから、公園をいくつか抜け、歩き続けた。 
普段は、見落としている風景に立ち止まりながら、
たまにすれ違う人達と声をかけ、歩き続けた。

暫く歩いて、ある教会の前で足を止めた。 
丁度、そこでは、朝のサービスが行われている所だった。 
僕は、どこの宗教にも属していないけれど、なんとなく、
開け放たれたままのドアから中に入り、遠巻きにサービスを眺めていた。 

別にそれに参加する訳でもなく、ただ遠くから眺めているだけだったが、
何となく気持が落ち着いたのでサービスが終わるまでそこに立ち止まっていた。

サービスが終わり、そろそろ外に出ようと思っていると、
暗い中から一人の年配の男性に声をかけられた。
”アンタもここに来ていたのか。 私は、アンタを良く見かけるからね。”と言われたので、
どこの誰かと思っていると、彼女の病院の掃除夫の一人だった。

いつも僕が、面会時間を過ぎた後に、忍び込むように彼女の病室に行くのを見ていたようだ。 
ちょっと恥ずかしくなって、照れ笑いをしていると、その老人は、
象のような窪んだ目を僕の方に向け、

”神のご加護がありますように。”と言って、外に出て行った。。

サービスが終わって、教会の外に出ると、もう街には、かなりの人通りが、あった。 
僕は、その人混みの中をまた歩き出した。
少し暖かくなった心をそのまま大事に両手で包み込むように。。



2006年12月18日  クリスマスの匂い

今日も、また暖かく、天気のよい週末になった。

僕は、相変わらず良く眠れなかったので、朝早いうちにベッドを出て、
ジムで2時間程汗を流した。 僕のパーソナルトレーナーは、
今日が今年最後で、今週、家族とクリスマスをフロリダで過ごすそうだ。
僕は、彼女に早めのクリスマスプレゼントを渡した。

彼女は、愛くるしい目をくりくりさせながら、”どうもありがとう。 
ちゃんと休みの間もストレッチを忘れないでね。”と言って、去って行った。。
僕は、実は、ジムの運動は好きなのだが、ストレッチは、大嫌いなのだ。 
どうも、あのストレッチというのは、運動をやっている気がしない。

僕は、貧乏性なので、重いウェイトとかを大汗をかいてあげたりしていないと
運動をしている気がしないのだ。 ただ、トレーナーによると、僕のような人間が、
歳を取った時に、畳の縁に躓いて骨折をしたりするらしい。。。 
”そんな歳になるまで、生きているつもりはないから、
余計な心配をしないでくれ。”と僕は、トレーナーに言って笑った。

ジムでの運動が終わり、シャワーを浴びて、着替えをし、彼女の見舞いに出かけた。 
彼女のお姉さんから、12時くらいに来て欲しいと言われたので、
その通りに病院に行った。 昨日、教会で会った掃除夫は、今日はいなかった。

天気の良い日だったので、彼女の病室の中にも柔らかな冬の光が差し込んでいた。 
僕は、彼女の隣に座り、彼女の手を取って、求められるままに色々な話をした。

日本の里子から気の早いクリスマスカードが来ていたので、彼女にそれを見せた。 
最近の日本では、小学校でも英語の授業があるらしい。
今年のクリスマスカードには、子供達が一生懸命英語で書いてきたものが幾つかあった。

彼女は、嬉しそうにそれを眺め、鉛筆で書かれた下手くそだが、
一生懸命書かれた文字を、細い指でなぞっていた。。

僕達は、日本の里子の話をし、彼女の姪っ子の話をし、
彼女の代わりに僕が行っているボランティアの子供達の話をした。。

暫くして、彼女は、眩しそうに目を細めて、外からさす冬の光を見た。。 
そして、”貴方ともう一度、手を繋いで外を歩いてみたい。”と言った。 
僕は、黙ったまま、握っていた彼女の手を僕に近づけて、手に口づけをした。。 

”直ぐに良くなって歩けるようになるから。”なんていい加減な事を言う事はできなかった。 
だから僕の思いを一杯込めて、彼女の手に口づけをした。。 
彼女は、ただ笑みを浮かべて僕を見つめた。。

3時には、彼女の両親が見舞いに来るので、僕は、彼らが来る前に彼女の病室を出た。 
この期におよんで、彼女の両親と議論をしたりするのは、意味がない。。 
僕が、我慢をすれば良いのだ。。


  彼女が、クリスマスまでに退院するって言うのは、
  現実的でないので、どうしようかな?って今思案中です。 
  何か、彼女を元気づけられるようなプレゼントと言うか、サプライズを考えています。



2006年12月19日   I Love You More Than You Know..

今日もまた暖かい日だった。 
もう12月の下旬なのに、この暖かさは、本当に気持が悪いくらいだ。。

僕は、午前中は、彼女の代わりに、更生施設でカウンセリングのボランティアをした。 
強姦で服役中の男の子と、麻薬と傷害で服役中の女の子とそれぞれ話をした。 


☆犯罪予防の話をここにいれる☆


彼らと話をすると、本当にスポンジに水分を取られてしまうような疲労感を感じる。
それだけ、色々と貪欲なコニュニケーションが、要求されるという事だ。。 
やはり、彼らは、人とのつながり、コミュニケーションに飢えているという事なのだろうか。。

彼らと2時間も話していると、こちらは、疲弊してヘロヘロになってしまう。 
癌を患っていながらこんなことまでしようとしていた彼女の心意気には、
今更ながら驚かされた。

また、彼女に対する愛情から、発作的にこんな事を引き受けてしまったが、
本当に、僕のような人間が話し相手になって彼らの為になるのか?
等と色々悩みは、尽きない。。

ボランティアを終え、僕は、自分の仕事に戻る前に、
彼女の病室にちょっと顔を出した。 彼女には、訪問を告げていなかったので、
彼女は、ドアを開けた僕を見つけると、予想以上に喜んでくれた。。 
僕は、素直にそれが嬉しかった。

今日は、夜に彼女を見舞う事になっていたので、
ほんの15分位立ち寄っただけだったが、わざわざ15分の為に、
時間をかけて来た事が、彼女は、なりより嬉しかったようだ。。

僕は、いつものように彼女のベッドの隣に腰をかけ、
彼女の手を握って、今朝の出来事を色々と報告をした。

僕は、彼女に正直に、更生施設の子供達とどう接していいかわからなくて、
いつも帰る時には、自分自身が空っぽになってしまうと伝えた。。 

彼女は、ただ微笑んで、僕の顔を撫で、
”それは、貴方がそれだけ真面目に取り組んでいるって言う事。”と言った。 
そして、また微笑んだ。

最近、彼女と話す時には、彼女がまるで悟りを開いた行者のように見える事が多い。
彼女の言葉とその全てを悟ったような微笑みに、僕は、ただ
”そんなものかな?” と半ば感心しながら、彼女の顔を見た。 
そんな僕の考えにおかまいなしに、彼女は、優しい微笑みを僕に投げかけている。。

”もう行かなくちゃ。”と、僕は、彼女に告げ、彼女の手にキスをして、立ち上がった。
”また、後でね。”彼女は、微笑んで手を振った。

彼女の病室を出て、僕は自分の仕事場に戻った。 
もう何処にも行かないと決めた後でも、色々と残務整理はあるので、
色々と忙しく午後を過ごした。

仕事の合間に、今度のクリスマスの、
彼女へのサプライズも準備をしなければならない。 
今年のクリスマスプレゼントは、物ではない。色々とその準備に時間がかかった。。
でも、今週中に片付けないと間に合わないので、ちょっと焦り気味に作業を続けた。

仕事を片付け、夜の8時過ぎに、また彼女の病室に戻った。
先ほどと同じように、彼女のベッドの隣に腰を下ろして、
彼女の手を握ると、
”外も寒くなって来たんだね。貴方の手が冷たくなっている。”と言って、
僕の手を自分の口に持っていき、自分の息で手を温めてくれた。。

僕は、彼女が眠りに落ちるまで、色々な話をした。 
彼女が眠ったのを確認して、僕は彼女の手をほどき病室を後にした。

彼女が言ったように、外の気温は、下がり始めており、
僕はジャケットの襟をたてて、冬のニューヨークの街を歩いた。
ストリートでは、まだ生木のクリスマスツリーがいたる所で売られており、
並べられたツリーの脇で、大きなサンタの人形が、揺れていた。。

僕は、寒空にゆれるサンタの人形を見ながら、ストリートを渡り、
彼女のアパートの近くの行きつけのイタリアレストランに一人で向かった。

中に入ると、いつもの通り、店の中は、がらがらで僕と彼女を良く知っているオーナーが、
いつものとおり、僕を一番奥のテーブルに案内してくれた。

まるで彼女が僕の隣にいるかのような錯覚をした。。 
テーブルにならべられた2組のテーブルセッティングが、僕には哀しく見えた。。 
僕は、いつものようにVeal Chopを頼み、まるで彼女が隣にいるかのように、
パントマイムでもするかのように、一人で食事をした。。

食事をしながら、僕は、自分が思った以上に、
自分が彼女の事を愛している事を感じた。。 きっと、僕の最愛の人は、
今この瞬間、病院のベッドの中で夢を見ている事だろう。。

”君が考えている以上に、僕は、君の事を、愛しているんだよ。”と、
僕は、彼女を思い浮かべ、小さく独り言を言った。。
レストランのオーナーは、何も聞こえないかのように、
バーカウンターで、葉巻を吹かしていた。。。


  実はねえ、このタイトルは、彼女が誕生日に
  僕の携帯に送って来たメールをパクったの。
  この前の11月1日に彼女の誕生日だった時に、夜中に
  誕生日おめでとうメールを彼女に送ったら、
  I love you more than you know.っていうメールをもらったんだ。



2006年12月20日  Saving All My Love for You

天気予報通り、今日は、一転して肌寒い日になった。
僕は、ここの所、夜なかなか眠れないので、
日が昇る前にベッドを抜け出てジムに行き1時間程みっちり汗を流した。

ジムから部屋に戻り、朝日を眺めながら、キッチンで簡単な食事を作り、
料理をしながら朝食を取った。。 

まだ静かなうちにアパートを出て、彼女の病室に向かった。 
まだ寝ているかなと思ったが、静かにドアを開けると彼女は
、目を開いたまま、病室の窓を見つめていた。。

僕がドアをあけると、彼女はその視線を僕に映して、にっこりと微笑んだ。 
”貴方が来ると思っていた。 そんな感じがしたから。”と言って彼女はまた微笑んだ。

最近の彼女に隠し事はできない。 なんでもお見通しのようだ。。

僕は、15分程だったが、彼女のベッドの隣に腰を下ろし、
彼女の手を取って、いつものように昨日起こった事や、
今日する事に着いて色々と話をした。 彼女は、僕の手の上で軽くリズムを取りながら、
”貴方の話を聞いていると、アタシがここで寝ている間も地球は、
何の変わりもなく一日、一日動いているっていう感じがするね。”と言ってかすかに笑った。

確かに世界に取っては、彼女一人の問題など取るに足らない問題だけれども、
僕に取っては、この世で一番大事な問題だ。。 
彼女が笑えば、僕の世界は、明るくなるし、彼女が泣けば、僕の世界は、闇で包まれる。

僕が、彼女に、”僕に取っては、君が世の中の全てだから。”というと、
彼女は、笑って、”貴方は、いつも優しいね。 
アタシにとっても貴方が世の中の全てだから。”と言ってくれた。

僕らは、二人で顔を見合わせて笑った。 
冬の柔らかい日差しが病室の窓に差し込んでいた。。

僕は、用事があったので彼女にまた夜に見舞いに来ると告げて彼女の病室を後にした。

病院を出た後、僕は、更生施設に行き、何人かの子供の話を聞いた。 
2−3時間施設でボランティアをした後で、自分の仕事場に戻った。

元々は、彼女のクリスマスプレゼントに色々な物を準備していた。 
それはそれで、彼女にプレゼントするのだが、退院の目処がつかない入院中の彼女に、
そんな物だけをプレゼントしてもしょうがないと思い、僕は、何か他のアイディアを探し始めた。

病室で寝たきりでも、貰って嬉しいプレゼント。。。
病気と闘って、頑張って生きようと思ってくれるようなプレゼント。。 
彼女が、この世の中で生きて来た証を確認できるようなプレゼント。。
彼女が死んでも、皆が彼女の事を思い出すようなプレゼント。。

花束とか、装飾品とか、車とか、家とか、結婚指輪とかじゃなくて、
彼女の生き様を伝えるようなプレゼント。。 僕は、このところそれだけを考えている。

夜も昼も、時間があれば、その事だけを考えている。。 
これが、最後のクリスマスかもしれない。。 二人に取って悔いのないクリスマス。。 

何となくアイディアが、浮かんで来た。 問題は、25日までに間に合うかどうか。。。
頑張らないと。。
僕がこの世の中で一番大切にしている彼女の為に。。



2006年12月21日  Party

今日は、仕事関係の昼食会があったので、
久しぶりにスーツにネクタイで出かけた。

そんな格好をするのは、一年に何度もない。 
昨日から、気温が落ちているので、コートを引っ張りだし、
黒いスーツに真っ白のコートと言う、ちょっと昔のやくざみたいな格好だけれども、
他に着るものがないので、それで良しという事にして、出かけた。

昼食会をこなして、そのまま彼女の病室に見舞いに出かけた。 
途中で花屋に立ち寄り、花束を買って、それを担いで、
僕は冬のマンハッタンの街を歩いた。

病室に入ると彼女は寝ていたので、彼女を起こさないように注意をしながら、
花を花瓶に移した。 暫く彼女のベッドの隣に座っていたが、
彼女は目を醒まさなかったので、彼女にメモを残して、僕はその場を去り、仕事に戻った。

仕事場に戻った僕は、片付け仕事と、彼女のクリスマスプレゼントの準備に明け暮れた。
今晩は、僕のニューヨークの会社のHoliday Partyで、
会社の近くのホテルのルーフトップ ボールルームを借り切ってパーティをやる事になっていた。

7時過ぎに会場に行くと、もうかなりの社員とその家族が集まっていた。
バイキングの料理を入れ、生バンドを入れて、皆が食事をしたり、
酒を飲んだり、ダンスをしたり、寒いけれども、ルーフトップに出て、
屋上からマンハッタンの夜景を眺めたり、思い思いにパーティを楽しんでいた。

僕は、社員の一人一人に声をかけて、彼らを労い、彼らの家族に、
いかに彼らが優秀な社員であるかを説明し、
求められれば、彼らと一緒に写真を撮った。。

こんな事をするのもこれが最後かな?と思うと、少し寂しくもあるが、
これまで自分の力でここまで頑張って来たのだし、僕は、
仕事ではなく彼女を選んだのだから、もうこれで良いのだと言う
ある種の達成感も感じられ、複雑な気持がした。。

バンドは、陽気なダンスナンバーを演奏し、社員とその家族達が、
楽しそうにダンスをしているのを、僕はウイスキーを片手に眺め、彼女を思った。。。

パーティも盛り上がって来た所で、社員全員でラッフル(日本のビンゴ?)をやって
色々なプレゼントを社員に配った。。 ラッフルが終わり、
またバンドがダンスナンバーを演奏し始めた頃に、僕はそっとパーティ会場を後にした。

寒かったけれど、屋上に出て、眼下のマンハッタンの街並に目をやった。
綺麗な白や赤、青のイルミネーション、車のヘッドライト、
そして沢山の観光客のカラフルな洋服を眺めた。。

それを見ながら、思わず、自分の人生を振り返っていた。。 
思えば、本当に遠くまでやって来たものだ。。

僕は、社員達に見つからないようにその場を抜け出し、彼女の病院にまた向かった。。 
タクシーの中で、彼女が、起きていれば良いなと素直に思った。 



2006年12月22日  宴の後  (心が優しくなるクリスマス)

昨日の会社のPartyは、かなり盛況だったので、
今日は、二日酔いで休んでいる人も何人かいた。

まあ、皆一年頑張ったのだし、殆ど一年は終わっているので、
硬い事は言わない事にしている。

ちゃっかりしている従業員は、早めの休みを取り、
フロリダやその他に旅行に出かけた人達もいる。

心なしか、朝の通勤ラッシュも少なくなったようで、
タイムズスクエアを抜けても今朝は、渋滞にぶつからなかった。

今年は、なかなか厳しい一年だったけれど、皆頑張ったので、感謝をしている。
来年の事を考えると鬼が笑うけど、僕としては、この人達を路頭に迷わさない為に、
どう道筋をつけるかを真剣に考えないといけない。。

今は、まだ夜の7時半過ぎだけれども、仕事場には、僕以外は、もう誰もいない。
ビルの掃除の人達が、入ってきてフロアの掃除をしていたので、
彼らに一足早いクリスマスプレゼントをあげた。 プレゼントと言っても、
お金を包んで渡すだけだけれども、彼らは、一応にニッコリと笑い、
グラシアスと言ってくれる。

僕は、どうしてもこういった人達のことが気になってしまう。
色々な環境で真面目に頑張っている人達。。 
陽気にスペイン語の唄を歌いながら、誰もいなくなったビルで掃除をする人達。。

彼らにも彼らの家庭があり、その人達の為に、
こうやって一生懸命働いているのだろう。。

一方では、僕の仕事関係では、お金をお金とも思わない人も一杯いる。
今年のゴールドマン サックスのTop Executiveのボーナスは、55億円だったそうだ。

55億円なんて、何に使うんだろう?
僕だって、彼女の入院費用や保険の効かない色々な薬等の費用は結構高いし、
お金は欲しいけれど、どうも僕の周りにいるお金持ちは、幸せそうに見えない。

今日、僕の仕事関係のパートナーが、休暇で家族をつれてフランスに発った。 
彼もボーナスは、10億円ほど貰っているけれど、いくらはなしを聞いても、
決して幸せそうには、思えない。 

僕のやっかみもあるのだと思うが、最近は、人間の幸せは、
絶対量が決まっていて、どこかで恵まれすぎている人は、
他の部分で辛い事があり、相対的には、全ての人間の幸せの総量は、
あまり差がないのではないかと思うようになってきた。。

そんな中で、僕は、ビルを掃除に来ているような人達と5-10分でも、
話をして、ホリデイを互いに祝う方が、よっぽど楽しく、気持ちが癒される気がする。

掃除の人達も帰ってしまったので、僕は、仕事場で大音量で、
Jellyfishをかけている。 あまりPop Musicは、聞かないのだけれども、
ビルの窓から見える、下界の美しいイルミネーションを見ていると、
何となく僕は、Pop Musicを聞きたくなった。

Jellyfishは、僕のアメリカ人の友達が、Produceをした隠れた名盤だ。 
その友達は、Bee Geesのサタデイ ナイト フィーバーでグラミー賞を取った後、
この実験的な匂いがするPop BandのProduceをした。 
商業的には、成功しなかったけれど、僕は、このCDが好きだ。

そういえば、最近彼と話をしていないなと思い、受話器をとり、
LAに住んでいる彼に電話をしてみた。 受話器の向こうから、
聞きなれた彼の声が聞こえた。

決して裏切る事のない昔からの友達との会話は、
僕の心を優しく癒してくれる。優しい気持ちになり、
彼にクリスマスの挨拶をして電話を切った。

今日は、10時頃までここで働いて、彼女の病室に見舞いに行く。 
今日の昼ごろに彼女のところに行き、1時間半ほど、彼女と話をしたけれど、
最近、一日に二回見舞いをするのが、習慣になってきてしまった。

流石に40を過ぎるとサンタクロースも来てくれなくなるけれど、
もしもプレゼントをくれるんだったら、彼女に元気な体をあげて下さい。。 
僕の寿命を半分にしても、彼女がもう一度元気になってくれれば、
僕は、サンタクロースの為に、ニューヨーク中の煙突掃除をしても良いと思う。。

皆さんも心の優しくなるクリスマスが来ますように。。

世界中の人にも心の優しくなるクリスマスがきますように。。


  そうだよね。 昔、ある仕事をしている時に、
  ある従業員から言われたのは、何かを手に入れるためには、
  その時に手に掴んでいるものを離さないと、新しいものはつかめない。 
  だから、本当に手に入れたいものが、それだけの価値があるかどうかを
  確かめないと、手放したものの価値に後で気づくことになるって言われたんだ。
  僕が投資をしようとしていたものに彼は反対だったんだけど、
  その時の言葉は、名言だったなと思いました。


  結局、自分の身にしみないとわからないっていう事は、沢山あるからね。
  僕も、この歳になって色々過去に失敗は多いけど、
  やっぱり遅すぎてもそういった失敗から色々学んでよかったなって素直に思えます。
  もう手遅れの事もあるけれど、それでも後になって、
  それを理解するって大事だと思うんだよね。



2006年12月23日 People Get Ready  当たり前のことに感謝しよう。

昨日は、色々あって、病院に泊まった。 
病院の堅いベンチで横になり、まだ外が薄暗いうちに目をさました。 

朝の6時過ぎ頃だったと思う。 彼女の病室に戻ると、
彼女はもう目を醒ましており、僕を見つけると、ほっとしたように小さく笑った。。

僕も彼女に笑いかけ、彼女の頬にキスをした。 
病室の窓のカーテンをあけると、まだ外は、薄暗かった。 
花瓶の水を取り替えて、僕は、また彼女のベッドのとなりに置かれた
パイプ椅子に腰を下ろし、彼女の手を握って、彼女をもう一度見て笑った。

彼女は、小さな声で、”おはよう。 また新しい朝を迎える事ができて、
目を開けるとあなたがいて、幸せだね。”と呟いた。 
僕は、黙ったまま、彼女の手を握っていたその手に力を入れた。
彼女は、それを感じ取って微笑んだ。

二人で手を繋いだまま、話をするでもしないでもなく、
そのまま夜があけるのを見ていた。 静かでゆっくりとして、
少し神々しい時間が、二人を包んだ。

今日は、曇りだ。。 午後からは、雨になるらしい。。
ホワイトクリスマスならぬ、雨のクリスマスになるらしい。。

彼女の手を握りながら、パイプ椅子にもたれかかり、
完全に夜があけたニューヨークの曇りそらを眺めていた。。 
何となく、Curtis MayfieldのPeople Get Readyを口ずさんでいた。

People get ready, there is a train coming.
You need no baggage, you just get on board.
All you need is faith to hear the diesels humming.
You need no tichket you just thank the lord.

”用意は、いいかい。 列車がやって来る。
荷物なんかいらないよ。 ただ列車に飛び乗れば良いんだ。
ディーゼルの音を聞いて、ただ信じる気持さえあれば良い。
切符なんていらないよ。 ただ感謝する気持があれば良い。
用意は、いいかい。 このヨルダン行きの列車に乗ろう。

街から街へ、人々を乗せながら。
信じる事が全てだよ。 ドアを開けて、人々を乗せてあげよう。
神を信じる全ての人々に望みがありますように。
誰でも乗れるけど、自分の事しか考えないで、
その為に他人を傷つけてしまうような人は、乗れないよ。

用意はいいかい。 ほら、お迎えが来たようだ。”

オリジナルは、Curtis Mayfieldだけれども、
Ziggy Marleyのレゲエバージョンなんかは、個人的には、最高に好きだ。 
呟くでもなく、唄うでもなく、People Get Readyを口ずさみながら、
彼女と昔行った、ジャマイカの海を思い出した。

ワイゼンボーンを一本もって、浜辺でデッキチェアに腰掛けて、
色んな唄を唄ったっけ。。 People Get Readyも唄った。
彼女は、僕のまわりで子供みたいに走り回って、波と遊んでいた。。 
僕もワイザンボーンを投げ出して、彼女を捕まえて海に放り込んで驚かしたりした。。

色々な楽しい思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消えた。 

彼女の言うように、新しい朝を二人でまた迎えられた事を、心から感謝した。
今まで当たり前だと思っていたが、実は、大変な事で、
当たり前だと思っていた事に、心から感謝ができるのは、
僕の心が少し大人になったからかな?などと思った。

本当は、全て彼女のお陰で、僕自身は、ちっとも成長していない。 
どんどん先に大人になってしまう彼女を僕は、後から懸命に追いかけているだけだ。

僕ら二人に、迎えの列車がくるまで、汽笛が聞こえるようになるまで、
僕は、自分の荷物をがつがつトランクに入れて列車を待つのではなく、
全てを手放して体一つで列車に乗れるような、
心の綺麗な人間になるように努力をしないと。。 

彼女が乗れて、僕が乗れないなんて事になると、困るから。



2006年12月24日  ターンパイク  風に舞う100ドル札

最近は、本当に異常気象で、今日のニューヨークは、
また最高気温が16度前後まで上がった。

僕は、半袖のTシャツに革ジャンを羽織っただけの格好で
一日外にいても全く寒さを感じなかった。 

今朝目が覚めた時には、雨が降っていたけれど、昼前には、
雲の切れ間から日の光が射し、午後には、素晴らしい日になった。

僕は、朝早いうちにジムに行き、1時間程汗を流した後、車に乗り、
ニュージャージーのCOSTCOまで買い出しに出かけた。
これは、僕の年末の行事のようなもので、
毎年年末に一度に必要な物を買い出しに出かける。 

いつもは、彼女と二人で出かけるけれど、今年は一人だ。

助手席が空いているのが、ちょっと気になるけれど、それを忘れさせる為に、
いつもより大きめにカーステレオをかけた。 

天気が良かったので、車の幌を降ろして、濃い色のサングラスをかけ、
僕は、リンカーントンネルをとおり、ハイウェイを西に向かった。

買い物カート一杯に色々なものを買い、それを車のバックシートに放り込み、
ターンパイクをニューヨークまで、車をぶっ飛ばした。

エンパイアステイトビルを右手にターンパイクを北上しながら、
僕は、彼女とアトランティックシティに出かけた時の事を思い出した。。。

僕と彼女は、アトランティックシティに誰かのパーティーに行き、
そのついでに、カジノでギャンブルをした。 

クラップというサイコロ賭博で、長方形のギャンブルテーブルの上でダイスをなげて、
その目をかけるというもので、比較的長い時間遊べるというのと、
周りにいる観衆とコミュニケーションをしながら遊べるので面白いという二つの理由で、
僕は、カジノでは、だいたいクラップをする事が多い。

結構二人ともパーティーでいい気分になっていたので、
僕は、カクテルドレスの彼女の腰に片手を回しながら、
もう片方の手でダイスに願いをかけ、好調にギャンブルを続けた。。 

どうやら彼女は、幸運の女神だったようで、夜中を過ぎてから絶好調になり、
結局2万ドル(200万円ちょっと)を儲けた。

僕らは、チップを現金化し、沢山の100ドル札を車のグローブボックスに押し込んで、
夜中のターンパイクをニューヨークに向けて、車を飛ばした。

夜中の3時過ぎ。。 ターンパイクは、空っぽで、
まるで夜の滑走路を滑るように、僕のオープンカーは、走って行った。 
その時も今日のように幌を降ろし、僕は、タキシードのまま、
彼女は、カクテルドレスにマフラーを巻き、マフラーが、風に煽られて舞っていた。。

料金所の近くになったので、EZパス(日本の高速の非接触型の
料金支払いカードのようなもの)をグローブボックスから取り出そうとして、
僕は、身を乗り出してグローブボックスを開けた。

その途端に、社内に風が吹き、グローブボックスに詰め込んでいた、
100ドル札が、空に一斉に舞い上がった。 ブレーキを踏んだけれども、
時既に遅く、大半のお金が、高速道路にばらまかれてしまった。。

”あぶく銭は、どうせ身に付かないから。”と、彼女が年寄りのような事を言って、
笑い出した。 僕も笑った。 結局、僕らは、飛び散ったお金を拾いに行く事なく、
そのまま笑いながら、その場を走り去った。。。

飛び散ったお金は、もったいなかったけど、きっと高速道路の清掃車の人達が、
拾っただろう。 空を舞い踊る100ドル札を見送りながら、僕は、
彼女の肩を抱いて笑い続けた。 この無欲で無垢の女性と一緒にいられるだけで、
僕は、幸せだった。。 他には、何もいらなかった。。

丁度、僕は、今日、全く同じその場所を、全く同じ車で走っていた。
違っているのは、隣に彼女がいないのと、グローブボックスの現金の代わりに、
バックシートにたくさんの買い物が押し込んである事だ。。。

僕は、料金所を通りながら、その事を思い出して、一人笑い出した。。 
可笑しかったけれども、ちょっと切なかった。。

まだ一人の生活には、慣れていないようだ。。。 

僕は、来た時と同じように、カーステレオの音量を上げて、
左手で車のドアを叩いて派手にリズムを取りながら、
自分の気持をふるい落とそうと必死になっていた。。。 

幸運の女神に見放されたギャンブラーが、必死に自分を奮い立たせようとするように。。



2006年12月25日  I'll Play the Blues for You

今日は、昨日同様、暖かく晴れ渡り素晴らしい日曜日になった。

僕は、いつも通り早く起きて、ジムで1時間程トレーニングをした後、
街に出て、早朝の街を散歩した。

途中で少し、教会に立ち寄った。 
丁度、日曜日のモーニングサービスをしている所で、僕は、
後ろの壁に寄りかかり、その光景をただ見つめていた。。
彼女の事を考えながら。。

今年の7月に彼女の病気がわかってから、僅か、半年の事だ。。
この半年で起きた色々な事を思い浮かべ、
その前の幸せだった日々を色々思い浮かべた。。

今が、不幸せだとは、決して言わない。 
ただ、運命に翻弄されている事は、確かだと思う。 

少なくとも、僕には、自分の命を捧げる大事な人がいるし、
自分が生きる目的もわかっているつもりなので、
自分が何をしたら良いのかわからない人よりは、恵まれていると思う。。。 

だけど、一方では、自分ではどうにもならない運命に
振り回されているわけで、そういった意味では、自分の力以上の
大きなものにすがりたいと思うのは、きっと人情なのだろう。。

そんな複雑な気持を抱えたまま、僕は、ただただ彼女の事を思った。 
サービスが終わる前に、僕は、教会の外に出て、
通りに面した石段に腰を下ろした。日差しが強かったので、
サングラスをかけ、僕は、日曜日の5番街の人通りを眺めていた。

ここは、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーにも近い事から、
朝から沢山の観光客で賑わっていた。 たくさんの嬉しそうな顔が、
僕の前を通り過ぎて行った。。 たまに、僕が腰を下ろしている
大聖堂の前で写真を撮る観光客が、僕にシャッターを押してくれるよう頼んだ。

僕は、その都度、微笑んで立ち上がり、彼らからカメラを受け取り、
写真を撮ってあげた。 ”メリークリスマス。”と、カメラを返しながら、
彼らに微笑んだ。 彼らも微笑んで、”メリークリスマス。”と言ってくれた。。

僕は、大聖堂の前に、一時間程座っていたようだ。。 


僕は、思い出したように腰を上げ、また歩き始めた。

明日は、クリスマスだ。。



2006年12月26日   Christmas Present

クリスマスの日は、生憎曇り空だった。 
空が低く、手を伸ばせば、雲に手が届くような感じがした。

いつものように朝早く起きてジムに行き、身支度をして、
既に家に届けられていた、沢山の友達や、
日本の里子達からのクリスマスカードの束をバッグに入れた。

彼女が戻って来る訳ではないけれど、
僕は、部屋をピカピカになるまで綺麗に掃除をし、
誰も見る訳ではないけど、クリスマスの飾り付けをした。

綺麗になった部屋の真ん中に腰を下ろし、一人でゆっくりと紅茶を飲んだ。
Al GreenのCDをかけ、部屋でゆっくりとそれを聞いた。

窓を開け、空気を入れ替え、裏庭に出て、ポインセチアの世話をした。
これだけ綺麗にすれば、もしも僕に何かあったとしても
恥ずかしないなと一人で悦に入り、僕は、綺麗になった部屋を眺めた。

約束の時間になったので、僕は、荷物を持ち、彼女の病院に向かった。 
タクシーで行っても良かったのだが、僕は、何となく歩きたいと思い、
街をゆっくりと眺めながら、周りの景色を自分の目に焼き付けるようにして、
ゆっくりと歩いて病院に向かった。

曇ってはいたけれど、いつも見慣れた景色が、
僕には、透き通ったように美しく見えた。

いつもより時間をかけ、僕はゆっくりと歩いて病院に向かった。

病室のドアを開けると、いつものように彼女は、僕を見つけて微笑んだ。
どこで手に入れたのか、彼女は、赤いサンタクロースの帽子を被って、
笑いながら僕の事を待っていた。

”メリークリスマス”と僕は言って、彼女の頬にキスをした。 
彼女も”メリークリスマス”と言って、僕に微笑んでくれた。

”どこでその帽子を手に入れたの?”と聞くと、
彼女は、”姪っ子から貰った。”と言った。
”これじゃあ、ドレスも着る訳にはいかないし、せめて帽子だけでもと思ってね。”と
彼女は、言って、悪戯っぽく笑った。

僕も笑った。 白いベッドに、白いシーツ、彼女のまわりは、
白一色だったので、彼女の頭に乗っていた小さなサンタクロースの帽子の赤が、
目に刺さるように鮮やかだった。

僕は、いつものように彼女のベッドのとなりのパイプ椅子に座り、
彼女の手を取って、昨日の出来事と今朝の出来事を一通り彼女に話をした。 
彼女は、窓の方に目をやって、僕の話を聞きながら、
”そろそろ外に出てみたい。病院にいてもつまらないから。”と呟いた。 

僕は、ただ彼女の手を取って、強く握りしめ、
彼女を見てただ微笑んだ。彼女は、一瞬哀しげな表情をしたが、
すぐ思い直したように、僕をみて同じように微笑んでくれた。。

僕は、家に届いた、たくさんのクリスマスカードを彼女に渡し、
そのひとつひとつを彼女とあけてみた。 古い友達からのカード、
最近の友達からのカード、日本の里子からのカード、
様々な人達から心のこもったカードを貰った。 
そのひとつひとつを読みながら、彼女と色々話しをした。

彼女は、嬉しそうに、そして懐かしそうに、
そのひとつひとつに書かれた言葉を指でなぞり、声を上げてそれを読んだ。

そして、それらを全て読み終わって、僕の方を向いてにっこりと笑い、
キスをしてくれた。 そしてもう一度、”メリークリスマス”と言った。

一段落して、僕は、彼女に持って来たクリスマスプレゼントを渡した。 
彼女は、子供のように喜んで、そのひとつひとつの包装を破って開けた。 
彼女が入院している間に読みたがっていた本が殆どだったが、
僕は、それ以外に二つのサプライズプレゼントを用意しておいた。

彼女は、まず小さい方のプレゼントの包みを開けた。 
そこには、パリ行きの飛行機チケットが二人分入っていた。
彼女は、包みの中から飛行機のチケットが出て来ると、”パリ?”と言って微笑んだ。
僕は、だまったまま微笑んで頷いた。 チケットの下には、
フランスのCDを何枚か入れておいた。
”パリに行くまでは、雰囲気だけでもパリを味わっていて。”と、僕は言って笑った。

彼女は、暫くパリ行きの飛行機のチケットを灯りに透かして見るように、
見つめた後、”ありがとう。”と言って、笑った。

暫くして、彼女は、最後のプレゼントを開けた。 
包みを開けると、そこには、額に入れられた書類と、それとは別に分厚い契約書が、
出て来た。彼女はそれを暫く見つめて怪訝な顔をして、”これは、なに?”と聞いた。

僕は、微笑んで、その書類の説明を始めた。。

僕は、彼女が病気になってから、彼女がやろうとしていた
更生施設のボランティアを代わりにやり始めて、
彼女が自分の人生でやろうとしていた事が、なになのかを理解しようと一生懸命考えた。
人に尽くすという事。子供達の面倒を見るという事。ボランティアをする事。

僕なりに、彼女が、彼女の人生のなかでやりたい事は、なんだったのだろう?と考え、
あの彼女の純真さ、無垢な心、慈愛の心は、
全て弱いものに尽くすという一点にあるのだろうと思った。

昔、彼女と話をしている時に、彼女が、大学院に戻って弁護士の資格を取り、
子供のチャリティ基金の仕事に関わりたいと言っていたのを思い出した。

僕は、彼女に会うまでに散々の人生を送り、彼女と巡り会って、
彼女と時間をともに過ごす事で、全うな人間として、
本来の優し自分を取り戻す事ができた。 そういった意味では、
僕も、彼女に救われた子供達と同様に、彼女に魂を救われた一人だ。

彼女に巡り会わなければ、今の、僕はいない。。 
彼女への恩返しの意味も含めて、僕は、
彼女の生きる証を目に見える形で残して彼女にプレゼントをしたいと思った。

僕は、別に金持ちでも何でもないけれど、彼女へのクリスマスプレゼントの為に、
僕の財産の半分を処分して、それを子供達を救う基金として寄付をし、
その寄付金をベースに、彼女の名前がついた慈善事業財団を設立し、
彼女を初代の理事長にした。

額に入れた書類はその財団の設立趣意書を額にいれたものだった。

”これは、なに?”と言う彼女に、僕は、”これは、君が理事長に就任する、
子供の為の教育基金運営の財団の設立趣意書だよ。 
君が理事長で、僕は理事だから。 これで、君の名前と、君と僕の夢は、
僕達がいなくなった後でも永遠に残るから。”と言って、彼女に微笑んだ。

額を握りしめていた彼女の手が、震え始めた。 
彼女は、言葉を発する事ができず、ただ額縁を握りしめて泣いていた。。。
僕も、言葉が続かず、彼女の肩をただ抱いていた。 

暫くして、彼女は、涙を一杯溜めた目を僕に向け、
一言、”I love you."と言ってくれた。。 僕は、彼女の肩を抱いたまま、
”そういうことだから、理事長さんは、早く元気になって
子供達を幸せにしてください。”と言って、彼女の涙を指で拭い、彼女に笑いかけた。。。

かなり長い間、彼女の病室にいたので、病室を出た時には、
既に夜になっており、雨がかなり降っていた。。 
僕は、傘を持っていなかったので、そのまま雨に濡れながら、
クリスマスの夜の街を一人で歩いた。

結構思い切った事をしたので、
僕の財布も僕自身も身軽になってしまったけれど、
お金は、墓には持って行けないし、これで良いと思った。 
彼女に生きたい、生きなければいけないと思う気持がふえて、
彼女の名前が基金が存在する限り永遠に残り、彼女の夢が、
彼女がいなくなった後も誰かに受け継がれるのだとすれば、
それが一番良い事だと思った。

雨は、ますます強く降っていた。。 僕は、ずぶ濡れになりながら、
クリスマスのライトアップのされた街を歩き続け、雨のクリスマスも悪くないなと思った。。


  彼女の病状が悪くなって、彼女の気持ちになって色々考えてみたんだけれど、
  やっぱり、僕だったら、
  ”やりたい事が思い切って出来ない。”、
  ”やり残した事を道半ばで放り投げたくない。”、
  ”自分が生きていると言う証を残したい。”とか思うんじゃないかな?と考えて、
  それだったら、彼女の名前をつけた財団を作って、
  その財団が、彼女の夢を叶えるようにすればいいんじゃないかと思ったんです。
  まあ、たいした金額じゃないから、たいしたことは出来ないんだけど、
  少なくとも、彼女の名前は残って、彼女の志は、彼女がいなくなった後も、
  誰かに受け継がれるわけだから、金額の大小ではないと思っています。



2006年12月27日  願い事

クリスマスから一夜明け、僕らの生活もまたいつも通りのものに戻った。

今日も比較的暖かかったので、長袖のTシャツに革ジャンを羽織っただけで、
十分だった。 仕事場は、殆どの人が既に休みを取っているので、
僕は、そんな格好で出かけて、人目を気にせず音楽をがんがんかけながら仕事をした。

仕事を6時頃に終え、僕は、彼女の病院に向かった。 
彼女の病室のドアを開けると、彼女は、僕がプレゼントした本を読んでいるところだった。 
彼女は、僕を見つけると、読んでいた本を閉じ、”おかえり。”と言って微笑んだ。

”おかえり。”と言うのには、ちょっと面食らったが、彼女は、
ここにもう長い間住んでいるのだから、彼女的には、”おかえり。”なんだろうと思い、
僕も、”ただいま。”と言って微笑んだ。

いつもの通り、彼女にキスをして、パイプ椅子を彼女の枕元に持って行き、
そこに腰を下ろした。 手を繋いで、お互いの一日についてそれぞれ報告をした。 
これは、もう二人の日課になっている。。 

もう当たり前になった事を、当たり前に、毎日行い、
当たり前に、平凡な二人の毎日について話をした。
こんな当たり前な事をできる事を感謝しながら。。 
こんな当たり前な事を、明日も明後日もする事ができますようにと祈りながら。。

暫く話をした後に、二人で、テレビのニュースをつけた。

色々なニュースの中で、タイで起こったTsunamiから
丁度2年が経ったニュースが流れていた。 あれから、もう2年も経ったのかと思った。 
あれだけの惨事でありながら、人の記憶からどんどん遠ざかって行ってしまう。 
特に被害の大きかった地域のレポートがあり、仮設住宅等はかなり建てられ、
仮設の学校も建てられたが、多くの子供がTsunamiの直接の被害で死んでしまったらしい。

彼女は、そのニュースを見ながら、ただただ涙を流していた。 

そして、”人は、他人事だと思うと、すぐに色々な事を忘れ去ってしまう。”と言った。 
そして、”何かあった時に、他人事としてニュースを見ているか、
何が自分にできるのか?と考え行動を起こすのか、人間は、
常にその二者択一を迫られていると思う。 
そんな時に、アタシは、後者を選びたい。”と言った。 
小さい声だったけれども、力強い声だった。

こんな体になってまで、まだ人の為に、自分にできる事がないか、
考えている彼女には、本当に頭が下がった。 

なんでそこまでして、人の為に尽くそうとするのだろう。
もう十分やったから、そろそろ自分の事を考えてゆっくりした方が良いよ。。 
喉元までその言葉が出そうになったけど、
僕は、何も言わずに、ただ彼女の手を握ったまま、彼女の手にキスをした。 

きっとこの人は、そんな事は百も承知の上で、自分の身を削りながら、
自分の目標の為にただひたすら前を向いて歩いて行く人なのだろうと知っているから。。

Tsunamiのニュースが終わり、フセインの死刑が確定したニュースが次に流れたので、
僕は、TVのチャンネルをかえた。 こんなに傷ついてしまった僕の最愛の天使に、
これ以上、この地上で起こっている何も生産しない殺し合いのニュースを見せるのは、
忍びなかった。

コメディのTVを流しながら、僕は、彼女が眠りにつくまで、色々と話を続けた。 
彼女が寝入ったのを確かめ、彼女の手を離してシーツの中に入れ、TVを消した。

彼女の病室を後にして、僕は、夜の街を歩いてアパートに戻った。 
夜の街を歩きながら、僕は、色々な事を考えた。 

彼女には、なんとしても良くなってもらって、
いつまでも一緒にいたいと思うけれども、一方で、
彼女にこれ以上辛い思いをさせるのではなく、場合によっては、
近い将来、僕の天使が元々いた場所に、彼女を返してあげる事も、
僕としては受け入れざるをえないのではないか?とか、色々と考えつづけた。

僕は、自分の命も含めて他のものは全て投げ出す用意はあるけれど、
まだひとつだけ僕にできないことは、今、彼女を手放す事だ。。 
それだけは、今の僕にはできない。

他のものは全て諦めますから、せめて彼女だけは、
僕から取り上げないでください。。と、ポインセチアの中で神様にお願いしてみた。。 

ひとつぐらい、お願いを聞いてもらえないかな。。


  本当は、この状況は、僕にも耐えられません。
  毎日、何度も気が狂いそうな気がします。
  でも、この状況からどうしても逃れる事はできないので、
  ただただ立ち向かうしかないのです。
  彼女の前では、決してそんな顔は見せられないし、
  彼女以外にも、僕には、生活を保障してあげないといけない人達が沢山いるので、
  その人達の前で、決して迷っているところを見せる事は、できません。
  だから、決して実際に会うことのなく、僕と実生活で関わりを
  持たないMIXIの友達の前では、弱音を吐きたいと思います。
  ネットの関わり方って人によって色々違うと思うけど、
  僕の場合は、非現実世界での逃げ場なのかな?



2006年12月28日   Livin' for You

結局、昨日の夜も眠れずに夜を明かした。最近どうも色々な事を考えすぎるようだ。 
少し、何も考えない方がよいというのは、
わかっているけれど、どうしても色々と考えてしまう。

そのかわり、僕は今朝、久しぶりに美しい朝焼けと日の出を見る事ができた。

ベッドルームのカーテンを閉めていなかったので、
じきに東の空が赤くなってくるに連れて、ベッドルームもだんだんと
オレンジ色に染まり、太陽の光の中に包まれていった。

僕は、ベッドから出て、バスローブを引っ掛け、ちょっと寒かったけれど
ベランダに出て、太陽が昇るのを見ていた。
冬の太陽が、ゆっくりと優しく東の空に上がっていった。

僕の周りのちっぽけな事などは、お構いなしに、また日は昇る。 
丁度今朝の日の出のように。。 僕の存在も含めて、僕の抱える問題など、
自然の営みの大きさに比べれば、塵のようなものだ。

こうして日が昇り、僕が、絶望していようが、希望に満ちていようが、
そんな事は関係なく、また今日と言う一日を生きていく。
どうしようもない気持ちに押しつぶされそうになるけれども、僕には、
そうして毎日を生きるしかチョイスがない。

世界には、65億人の人間が生きていて、
毎年6千万人が死に、1億4千万人が生まれている。

65億分の1の僕としては、ただただ運命に弄ばれながら、流れていくしかない。
65億人の人間に平等に与えられているのは、時の流れだけだ。
誰に対しても時間は、平等に過ぎていき、朝が来て、夜になる。。

自分の小ささを感じながら、それでも自分に割り与えられた時間を、
自分が納得できるように使うという事なのだろう。 
それが、生きていくと言う事なのかもしれないなと思った。

僕は、太陽を見ながら、太陽を飲み込むように大きく深呼吸をした。 
昨日よりも若干気温は低かったので、(それでも例年よりは、暖かいけれど、)
僕は、革ジャンの下に、薄手のセーターを着込み、仕事場に向かった。

午前中は、仕事場で働き、昼過ぎに彼女の病院に行って、
1時間ほど彼女を見舞った。 昨日に比べると、少し元気そうで、
気のせいかもしれないけれど、若干、顔色も良いような感じがした。
”今日は、気分がいい。”と彼女も自分で言っていたので、きっとそうなのだろう。

病院を出て、一段落したらパリに行こうと言う話をした。 
彼女は、気が早いので、”この分で気分も良くなっていったら、
2月くらいには、パリに行きたい。”と言った。 僕は、ただ笑って頷いた。

65億分の1の僕が、65億分の1の彼女とめぐり合い、
色々な目にあいながら、今、マンハッタンの小さい病室で、同じ時間を共有していた。 
僕は、何か不思議な気持ちを感じながら、彼女の話を聞いていた。

日記を読んでいる人は、良くわかっているように、僕は、世界一弱虫な男だ。 
小さい事に一喜一憂し、この世の中を生き抜こうとする力もないどうしようもない弱虫だ。

だけど、人前では、何にも動じない強い意志を持った男のように振る舞っている。 
きっと、彼女には全てお見通しだとは思うけれども、彼女も何も言わないので、
彼女の前でも僕は、常に強がって見せている。

そんな見た目だけ強がっている僕は、
彼女に、”じゃあ、2月に行くから、早く良くなってね。”などとPositiveな返事をしている。 
本当は、心臓が口から飛び出そうなくらい、心配しているのに。。

65億分の1の存在でも、僕にとっては、この世界が全てなのだ。 
だからどうにもならないとわかっていても精一杯の強がりをしているのだ。

彼女は、それを知ってか知らずか、
クリスマスにあげたチケットを眺めながら、”2月ね。”と言って、僕に微笑んだ。。






2007年01月01日  Sunny  2006 年末

2006年が、もうすぐ、ここニューヨークでも幕を閉じる。
今年は、本当に色々な事が、世の中にも、僕の周りにも起きた。 
変動、混乱の年だった。 良い事もあったけれども、辛い事も色々あった。

今年一年、自分を振り返ってみたけれども、
一体僕は、何を残したのだろうと疑問が残る。 
結局、僕は、自分の独りよがりの思いに振り回されて、つまらない事に一喜一憂し、
他人の事を考えているようでも、結局は自分の事を考えていたような気がする。

まだまだ人間としての修行が足りないなと反省し、
自嘲気味に、髭を撫でながら笑ってみた。

でも、こんな情けない僕だけれども、一応2006年を生き残ったのだから、
その部分は、褒めてやっても良いのだろう。 ちょっと、自分には、点数が甘いけれども、
まあ良いかと言う事で、酔いどれは、酔いどれらしく、
2006年を酔っぱらって送り出そうとしている。

一人で場末のバーに行き、止まり木にとまって、自分に乾杯でもしながら、
ウィスキーのロックを飲みながら新年を迎えるつもりでいる。 
それが、一番今の僕らしい年の越し方のような気がする。

僕は、寂しがりやのくせに、いざという時に独りが嫌いではない。 
今日も、街の喧噪を横目で見ながら、場末のバーで、孤独に2006年を送り出してやろう。

James Brownを偲びながら、Sunnyでも聞きながら。。

2007年は、どんな年になるのだろう。

一体僕には、どんな運命が待っているのだろう。

酒に飲まれながら、2007年の自分の時間の使い方を酔った頭の中で考えている。

やはり、今年の反省もこめて、僕は自分自身のエゴや気持ちを、
もうここから去って行ってしまう2006年の中に葬り去ってしまおう。 
自分自身は、2006年に置いて行って、2007年は自分の事を考えずに、
他人の為だけに生きようと思った。

自分を捨ててしまえば、かなり気持も楽になるだろう。 
僕は、今までにも多くのものを捨てて来たので、
ここで自分を捨てる事も何と言う事はないような気がする。

今日は、ここで酔いつぶれ、明日目覚めた時には、新しい自分として、
他人の事だけを考えて生きていければ嬉しいと思う。
そうすれば、もっと強く生きて行けるだろう。 

僕は、もっと強くなりたい。 最近思い出したのは、本当に強い人は、
他人の為に生きて行くということなのかなと思い出した。

何杯目かのウイスキーのグラスを空けていると、
バーテンダーが、グラスにまたウイスキーを満たしながら、
”テレビでカウントダウンを見るかい?”と聞いて来た。 
僕は、”テレビよりもジュークボックスに入れる小銭をくれないか?”と言って彼に微笑んだ。

彼は、微笑んで、キャッシャーからコインを何枚かくれた。
僕は、それを笑って受け取り、酔った足取りで、
古いジュークボックスに辿り着き、コインを入れ、気に入った曲をかけた。。

ジュークボックスから流れて来たのは、当然、Sunnyだ。。。 
バーテンは、SunnyのJazzyなBeatを聞くなり、僕にウインクをして、
”良い曲だよな。”と言った。 ”ああ、良い曲だ。 
2006年を送り出すには、最高な曲だ。”と呟いた。

僕は、止まり木にとまって、ならない携帯電話を見つめながら、
彼女に向かって、”I Love You."と独り言を言ってみた。。

"Sunny. Thank you for the sunshine.
Sunny. Thank you for the truth you let me see.
Sunny. Thank you for the love you brought my way."



2007年01月02日  元旦

昨日は、結局場末のバーで、一人静かに2006年を見送った。 

今朝、新しい年に目をさますと、街は、深い霧の中に眠っていた。
ベランダに出ても、いつも見える橋は、深い霧の仲に沈んでしまって形も見えなかった。

霧雨の中で、僕は深呼吸をして、2007年の最初の朝の空気を深く吸い込んだ。 
霧雨の元旦というのも悪くない。。 なんとなく、ハードボイルドな感じがする。 
これで、猫が台所から出て来たりしたら、きっとLong Good Byeの世界だろう。(笑)

暫くベランダの手すりにもたれかかり、霧を眺めていた。 
今日は、3時過ぎに病院に行く事になっている。 どこかで花束を買って行こう。 
そして彼女に、新年の挨拶と今年最初のハグをしに行くのだ。

たまに、僕のビルに面した坂道を、ヘッドライトを灯した車が降りて来る。 
霧に包まれ、濡れた路面を白い帯のように照らすヘッドライト。。 どこまでも静かだ。 

きっと、昨日の夜パーティで新年を祝った人達は、まだ深い眠りの中なのだろう。
日本とちがって、こちらには、初詣のような習慣がないので、
元旦は、パーティの翌日という感じだ。

友達で遅めのランチをしたり、一緒に映画を見に行ったり、
静かに元旦を過ごす人が多いと思う。僕も彼女を病院に見舞い、
それで静かに一日を過ごすつもりだ。そろそろ身支度をして彼女に会いにでかけよう。  



2007年01月03日  Weeping In The Rain

昨日の日記に書いたけれど、2007年1月1日のニューヨークは、
深い霧が立ち込め、雨に包まれた一日だった。

3時過ぎに僕は、彼女の病院に出かけた。 ちゃんとした花屋さんは、
閉まっていたので、開いていた新聞スタンドで、ヤマユリの花束を選んだ。
きっと良い香りがしているのだろうが、
僕には嗅覚がないので、それは、わからなった。

僕は、ヤマユリの花を肩に担いで、
深い霧に包まれたマンハッタンの街並みを雨に濡れながら歩いた。 
僕は、よっぱどの雨でない限り、傘は、ささない。

彼女の病室に入り、雨に濡れたコートを脱ぎ、ヤマユリの花束を脇において、
彼女に新年の挨拶をして、彼女に今年最初のハグをした。

彼女も微笑んで新年の挨拶をして、まるでそうやって
僕から栄養を摂取するかのように、長い間僕にハグをしてくれた。
もしも病室にスローな曲でも流れていたら、
そのままスローダンスにでもなってしまうような長いハグだった。

でもこれが、一番お互いの体温を感じあい、血流を感じあい、
お互いが生きているのだと再確認できる一番の方法だ。
僕達は、長い時間ハグをして、お互いの暖かさを感じあい、互いに今、
生きていて時間をともに過ごしている事を感謝した。

彼女も同じような事を考えていたようで、”こうしていると暖かいね。”と言って、
僕に向かって微笑んだ。 僕も微笑んで、彼女の鼻の頭にキスをした。

僕は、いつものようにパイプ椅子を彼女のベッドの近くにもっていき、
彼女の手を握って、彼女の横に腰を下ろした。 
僕らは、いつものように、ありきたりの話をした。 
当たり前な時間が、当たり前のように、当たり前な二人の間を通り過ぎていった。

彼女と手を繋ぎ、彼女の温もりを感じながら話をしていて、
最近の若者や子供達は、自分以外の周りの人間が、
生身の人間であると言う事を忘れているのではないか?と、僕は思い始めた。

前に日記で書いたが、僕は、病気でボランティア活動ができない彼女に代わって、
彼女のボランティア活動に参加している。

それは、犯罪を犯した子供や若者の更正施設のカウンセリングだが、
やはりそういう子供達と話をして感じるのは、社会を構成している周りの人間が、
同じ生身の人間であると言う事を再確認できる環境にないのではなか?という事だ。


ゲーム感覚でサイバーワールドと現実世界の区別がつかないような生活をしてきた若者達に、
人間がいかにか弱い存在で、生身の人間なのだと言う事を理解させるには、
やはり体の温もりを感じさせながら一緒に生きていくと言う姿勢を
見せる事が大事なのかな?と思うようになってきた。

殺すのは簡単だけれども、生かすのは非常に難しい。 
そして周りの人を生かさないと、自分も生きていく事はできない。 
自分も含めて人間は、か弱く、たった一人では生きていく事はできない。 
なぜならば、人間は、社会生活の中で共生していく生き物だから。。

そんな事を彼女に話をすると、彼女は、微笑んで、
”アタシの体が元に戻るまで、貴方がかわりにボランティアをしてくれて嬉しい。
貴方の話を聞いているだけで、アタシは、自分が自分のしたいことをしているような
気持ちになれるから。”と言って、最後に、”ありがとう。”と言ってくれた。

僕は、ただ黙ったまま、握っていた彼女の手をより強く握ってみせ、彼女に微笑んだ。

自分を中心にして世の中を見るのではなく、世の中にいる自分を俯瞰する。
そして、自分が生かされている世の中にたいして一体どのような貢献ができるのかを考える。。。

僕が、10歳も年下の彼女とつきあって、彼女から学んだ事だ。

その日は、色々あり、僕は、また病院で夜をあかした。 
待合室の長いすで仮眠を取るのも、もう慣れてしまった。

ただ自分の最愛の人と少しでも一緒に時間を共有する為に。
彼女の温もりを身近に感じる為に。

夜遅くなってようやく雨は止んだ。 既に彼女は、眠っていたが、
僕は病室に戻り、病室の窓から下界を見下ろした。 
窓ガラスが夜の闇で鏡のようになり、彼女の寝顔が僕が見下ろす下界の姿に重なった。

僕は、彼女のためだけに生きている。 
彼女の存在が、僕を生かしてくれている。窓に映った彼女の顔を見ながら、そう思った。



2007年01月04日  No Reason To Cry 20年ぶりの友達 生きると言うこと

結局、1月1日は、病院に泊まり、
僕は、また病院の長椅子で仮眠を取って2日の朝を迎えた。

僕は、朝もやの中を、外のドラッグストアまで歩いていき、
そこで新聞を買った。 病室に戻り、コーヒーを飲みながら、
買ってきたNew York Postに目を通した。

僕は、仕事柄、New York TimesやWallstreet Journalのような
新聞も読むけれど、何故か自分で新聞を買うときには、
Postのようなローカル紙を買ってしまう。 
未だに一部25セント(約30円)と言う値段も、気に入っている。

表紙は、依然としてフセインで、彼の処刑が断行された事に関する続報だ。
戦争、汚職、殺人事件、ゴシップ、と暗いニュースが続く。 
一通り、記事に目を通した後、僕は、
Entertainment Sectionのライブ音楽の欄を何気なく読んでいた。

最近、僕は、どうも老眼になってきたようで、どうも小さい字が、苦手になってきた。 
苦労しながら、新聞を眺めていると、
ウエストビレッジの小さなBlues Barに懐かしい名前を見つけた。 
僕の古い友達の一人が、ニューヨークに戻ってきて、
そこでBluesを弾いているらしかった。

彼と最後に会ったのは、僕が、まだミュージシャンを夢見ていた頃だから、
何十年前の話だ。 もうとっくに死んでしまったと思っていたのに、
彼の名前をローカル紙に見つけて、僕は、ちょっと嬉しくなった。

新聞を見ながら、微笑んでいると、隣で寝ていた彼女が目を醒ましたようで、
僕の方を向いて、”何をそんなに嬉しそうにしているの?”と聞いた。

僕は、彼女に朝の挨拶をして彼女の手をとりながら、
ローカル紙で、20年以上前の友達の名前を偶然見つけた話をした。
すると、彼女は、僕の髪の毛を撫でながら、
”折角だから、そのお友達に会ってきたら?”と言った。

最初は、あまりにも昔の話なので、ちょっと僕の方にためらいがあったのだが、
彼女に言われるうちに、僕もすっかりその気になり、20年ぶりに彼に会いに行く事にした。

午前中は、彼女と病院で過ごし、
午後に少し仕事をして夕方に一度家に帰って、着替えをした。 
家の郵便ポストを開けると、日本の里子たちからの手紙が幾つか入っていた。
手紙の中を開けてみると、
彼女が選んだクリスマスプレゼントを来た子供達の写真が幾つか入っていた。

皆、彼女が選んだ服を着て、にこやかに笑っている写真だった。 
彼女に見せたら喜ぶだろうなと思い、僕はその手紙を革ジャンのポケットに押し込んだ。

僕は、結構図々しいようで、20年+ぶりに会う友達なのに、
ちゃっかり物置から自分のギターケースを取り出して、どれを持っていくか考えていた。 
まだ彼が昔と同じ音楽をやっているとすれば、
シカゴスタイルのエレクトリック ブルースなので、
僕は、古いファイアーバードを持っていく事に決めた。

ギターケースを抱え、僕は、ウエストビレッジのバーに向かった。
丁度ステージの最中だったので、邪魔にならないようにカウンターの端に座り、
彼の演奏を20年ぶりに聞いた。

相変わらずエッジの効いたご機嫌のブルースギターで、
僕が思ったとおり、シカゴスタイルのエレクトリック ブルースをやっていた。
彼も年をとった分、腕を上げたなと言う感じがした。前から上手い奴だったけれど、
やはり継続は力と言う感じで、全てがどうにいった素晴らしい演奏だった。

ステージが終わり、彼が舞台を降りて、バーカウンタで酒を飲みだしたので、
僕は、彼のところに行き、彼の肩を叩いて、”久しぶりだな。”と声をかけた。

彼は、僕の方を見て、暫くきょとんとしていたが、僕が誰だかわかったようで、
飛び上がって、”ああ、神様。 ずっと連絡が取れなかったし、
お前は死んだって何人かに言われたから、死んでしまったのかと思っていたよ。”と言って、
僕を力いっぱい抱きしめた。

”何回か死に損なったけれど、まだ何とか生きているよ。”と答えて、
僕も彼を抱きしめて、20年ぶりの再会をふたりで喜び合った。 
そのままカウンターで、二人で色々な話をした。 
20年も会っていないと、本当に積もる話が山ほどあった。

あっという間にウイスキーのビンが空になった。 客はあまり入っていなかったが、
2回目のステージがあったので、僕は、自分のギターケースを指差して、
”邪魔しても良いかな?”と彼に聞いた。

彼は、僕の肩を力いっぱい叩き、
”ギャラはやらないけど、それでも良いならいいよ。”と言って笑った。僕も笑った。

お客さんには、迷惑をかけてしまったと思うけど、どうせ客の入りも悪かったし、
二人で酔っ払ったまま、気ままに昔のブルースなんかをかなり弾かせてもらった。 
僕が、ファイアーバードをそのまま直接アンプに繋ぐと、
彼は、それを笑って見て、”お前は、20年たっても全然変わらないな。”と言ってまた笑った。

確かに僕は、ステージでもエフェクタを使わずに、ギターをアンプに直結して演奏をする。 
ぶっきらぼうと言えば、ぶっきらぼうだけど、音に細かく味付けをするよりも、
カッティングと音圧で、自己主張をしたいと言うのが僕の当時のポリシーで、
20年たっても同じ弾き方しかできない僕が、可笑しかったのだろう。

2回目のステージも無事に終わり、その後、そのバーで彼としこたま飲んだ。
あまり遅くならないうちに、彼女のところに顔を出したかったので、
彼に、そのバーで待っていてもらう事にして、僕は、タクシーを飛ばして彼女の病院に戻った。

病室の扉を開けると、彼女は目を瞑っていたが、ドアの音で目を開け、
僕を見つけると、優しく微笑んでくれた。

僕は、彼女の横に座り、彼にあった話をし、ポケットから日本の里子からの手紙を取り出し、
彼女に写真を見せた。 彼女は、自分が選んだ服を、
喜んで着て満面の笑みを浮かべている子友達の写真を眺めながら、
目を細めて、”やっぱり、アタシの趣味がいいからね。”と得意げに僕を見た。

暫く彼女と色々な話をした。彼女は、僕の髪の毛を撫でながら、
僕の話を嬉しそうに聞いていた。 
そして、”わざわざアタシの為に帰ってこなくても良かったのに。”と言って微笑んだ。 
僕が、”でも子供達の写真を見せたかったから。”と言うと、
彼女は、ただ笑って、僕を自分の子供のように包み込んだ。

そして、”アタシは、もう眠るから、その友達のところに戻りなさい。
でもあんまり飲み過ぎないようにね。”と言って、笑った。

僕も微笑んで彼女を寝かしつけ病室を後にし、友達の待つダウンタウンのバーに戻った。 
僕の古い友達は、まだバンドの仲間達とカウンターで酒を飲んでいた。 
彼は僕を見つけると、
”このファイアーバードを人質に持って行っちまおうかと思っていたよ。”と
大きな声で言って、また大きな声で笑った。

20年間の空白がまるで存在しなかったのように、
僕らの間で自然に時間が流れた。まるで全てが昔のようだった。

ただひとつ違うのは、お互い、まだ若いつもりでも、
やっぱりそれなりに年輪を重ねたところかもしれない。。 
彼にその話をすると、大きな声で笑って、”それが、生きるっていう事なんだよ。
でも、お前は死んだって聞いてたから、こうやって生きていてくれて、
こうやってまた酒がのめるんだから、これ以上嬉しいことはないよ。”と言ってくれた。

確かに、それが生きるという事なのかもしれないと思った。。



2007年01月06日   My Lucky Day?

今日は、気温が、20度近くまで上がり、湿度も高く、妙に生暖かい一日だった。 
真冬なのに、僕は、長袖のシャツ一枚で、
一応革のジャケットは持っていたけれど、結局それを着る事は、なかった。

ここ何年かのニューヨークの冬を思い起こしてみると、
やはり、着実に地球の温暖化は、進んでいるという気がする。 
それを考えると、あまり気持のいいものではない。

今日は、彼女の親達が、彼女を見舞う事になっていたので、
会えないと諦めていた。 前にも書いたが、彼らは、僕の事が大嫌いで、
今の彼女のまわりに起こっている全ての問題は、僕に起因していると思っている。 
彼らにとっては、僕は、疫病神の外人だろう。

全ては、彼らの言いがかりで、まったくの誤解なのだが、
今となっては、反論したり、説明をしたり、理解を求めようとは、思わない。 
彼らにしてみれば、彼女は、僕なんかにたぶらかされずに、
育ちの良いあの白人の婚約者と結婚をしていれば、
今頃、幸せな家庭を築いていたかもしれない。

だから、今日は、会えないなと諦めていたのだが、
彼女の親の都合がかわり、結局今日は見舞いに来ない事がわかった。
これ幸いと、僕は、夜の予定を全てキャンセルして、
仕事を速く切り上げ、急遽、彼女を見舞う事にしていた。

何か得をしたような気分だった。 
僕は、もういい年なのにもかかわらず、まるで子供のようにウキウキとして
病院まで歩いて行った。 途中で花屋に立ち寄り、花束を買い、
それを肩に担いで、まるで春になってしまったような街を歩いた。

病室につき、ドアをあけると、彼女は、ベッドの中で本を読んでいたが、
僕に気づくと、本を置き、”随分、うれしそうね。 
何か、良い事があったの?”と微笑んだ。

僕は、パイプ椅子をいつもの場所に動かしながら、
”今日は、僕のラッキーデイだから。”とだけ言って微笑んだ。

彼女は、それを聞いて、目配せをしてまた微笑んだ。 
そして、”今日は、アタシも何か、気分が良いきがする。”と言った。 
確かに、顔色も良さそうに見えた。

僕らはいつもの通り、手をつなぎ、色々な話をした。 
日本の里子達から来た写真の事、アパートの事、ボランティアの事、そしてパリの事。。。

話をしながら、彼女の顔を見て、彼女の手の温かさを感じて、
”やっぱり、今日は、僕のラッキーデイだな。”と思った。
彼女と一緒にいられるという事だけで、彼女の具合が良さそうなだけで、
僕は、これだけ幸せな気分になれるのだ。

彼女は、僕の気持も知らずに、パリの事を語っていた。。 
その横顔を見て、思わず僕は、微笑んだ。 
彼女がそれに気づいて、”なんで、微笑んでいるの?”と聞いた。

僕は、笑って、”いや、一緒にいると幸せだなあと思って。”と言って、彼女の鼻にキスをした。
彼女は、それを聞いて、"今日は、貴方のラッキーデイ。”と小声で呟いて、子供のように笑った。



2007年01月07日   I'm in the Mood Again  誕生日

今日もまた暖かい一日だった。

僕は、久しぶりに家に帰り、少し休んだ後、ジムに行き、2時間程汗を流した。 
フロリダに休暇に行っていた僕のトレーナーがニューヨークに帰って来たので、
久しぶりにトレーナーと一緒に汗をかいた。

毎日一人で運動はしていたけれど、やはりトレーナーと一緒だと、キツい。 
2時間運動をして、ヘロヘロになりながら、久しぶりに家の掃除をして
綺麗にした後に、暑いシャワーを浴びて着替えをした。

今日は、僕の誕生日だ。 この年になると自分の誕生日などは、
関係なくなるのだけれども、彼女から、
8時半に病院に来て欲しいと言われたので、これから彼女に会いに行く所だ。

病室で誕生日を祝ってもらうというのも初めてだけれども、
それでも彼女の気持は、嬉しい。

これから出かけてきます。。



2007年01月09日  Since you've come into my life. 誕生日

6日の夜8時半に病院に来てくれと言われ、彼女に言われたとおり、
病院に出かけていった。

彼女からは、
”病室で誕生日なんて祝って貰った事ないだろうから、楽しみでしょ?”などと、
訳のわからないことを言われたが、本当にその通りなので、
昨日の夜には、”楽しみです。”と答えたら、彼女は、僕の返事に満足したように、
何度も頷いて悪戯っぽく笑っていた。

彼女の病室に入ると、びっくりした事に、彼女は、ベッドにこそ横たわっていたものの、
病院の寝巻きではなく、目も覚めるような真っ赤なドレスを着て、ちゃんと化粧をしていた。

”誕生日おめでとう。”と彼女は、言って微笑んだ。 
そして、”貴方の誕生日くらいは、ちゃんとした格好をしないと、
嫌われちゃいそうだから。”と言って笑って見せた。

そのドレスは、前に何かのカクテルパーティーに呼ばれた時に、
着ていった僕のお気に入りのドレスで、パリに行くときには、
またどこかのカクテルパーティーに行こうと二人で話をしていた。

”思っていたよりも入院が長引いちゃったから、パリに行く前に、
もう一度、このドレスを見てもらおうと思ったんだけれど、やっぱり、
痩せたからちょっと着られないかもしれないね。”と彼女は、言った。

僕は、”パリに行ける頃には、また体重も戻っているから大丈夫だよ。
また新しいドレスを作ったって良いし。”と言い、”
とても綺麗な誕生日プレゼントを見せてくれてどうも有難う。”と彼女に微笑んだ。

自分の体も思うように動かせず、体中にチューブを突き刺されているのに、
無理してこんなドレスなんか着て見せなくても良いのに、
自分のできる範囲でなんとか僕を喜ばせようとしている彼女の健気さが、
何とも切なかった。

隣に彼女と親しい看護婦がいた。 きっと、その看護婦が、
彼女にこのドレスを着せてくれたのだろう。

僕は、彼女にもう一度、”綺麗だね。”と言い、看護婦の方に目配せをして、
”有難う。”と言った。 看護婦は、彼女に、”先生が帰ってくるまでに、
もとの格好に着替えてくれないと困りますからね。”と
困ったような顔をして彼女に言い、僕の横をすり抜けて病室から出て行った。

僕は、ここまでしてドレスに着替えてくれた彼女の気持ちに答えたいと思い、
いつものパイプ椅子ではなく、彼女を正面から見る事ができるように、
ベッドに腰を下ろし、彼女と向き合うような形で、話をした。

”ケーキもプレゼントもないけれどゴメンネ。病院を出られたら、
もう一度、誕生日してあげるから、それまで待っていてね。”と、
彼女は申し訳なさそうな顔をして言った。

僕は、ただ”OK。”と言って陽気に頷いて見せた。

”せめて誕生日のカードだけでも作ったから、貰ってください。”と彼女は言い、
自分で作ったカードを僕にくれた。

和紙のような紙を素材にして、上に貼り絵を施したカードだった。 
下には、青い光沢のある素材で、川の流れがデザインされ、
上には、金色の光る素材で、枯れ枝が配置され、
そこからまさに落ちた一枚の落ち葉が、川の流れに乗っている貼り絵だった。

そこには、こう書いてあった。

"Since you've come into my life, you've been my best friend and the man I love.

You give me everything I need without me asking for it.

I hope I give you everyting you give me.

I wish you a very happy birthday.

I love you."

貴方が、私の人生に登場してから、貴方は、

ずっと私の親友であり、私が愛した男の人でした。

貴方は、私が何も言わないのに、私が必要とするものを全て与えてくれました。

私も、貴方に全てを与える事ができればと思います。

誕生日おめでとう。”

カードを読み、また彼女の貼り絵を眺め、またカードを読み返した。 
そして、彼女を見て、僕は、"I love you."と言った。

シンプルだけど、彼女らしいカードだった。 
彼女は、もう一度、”誕生日おめでとう。 そしていつもどうも有り難う。
貴方がしてくれた全ての事を感謝しています。”と言って、優しく微笑んだ。

何よりの誕生日プレゼントだった。。


  正直言って、彼女が女だっていう事を、病気が重くなってから
  ずっと忘れていたんで、彼女には、申し訳ないことをしたなあと思っています。 
  女の子は、どんな状況でも女の子だものね。


  結構、彼女としては勇気が要った事だと思います。 
  だって、ドレスを着ることによっていかに自分が変わってしまったかって事を
  目の当たりにしてしまうわけだから。
  それでも、僕の為に、女である事をアピールしてくれた彼女の優しさに涙が出ました。



2007年01月10日  I have a picute of you.

1月6日、7日と病院に2泊した。 本当は、見舞い客が、
病院で夜を明かすのは認められていないので、病院側も嫌がるのだが、
いつの間にか、病院側もしょうがないと思うようになったようだ。

そんな事もあり、週末は、ずっと彼女と一緒に過ごした。 
彼女とずっと週末を過ごすなんていうのは、
彼女が、まだ入院する前の事だったので、ずっと昔の事のような気がした。

6日は、彼女にドレスで誕生日を祝ってもらい、7日は
、いつものように病室で二人でゆっくりとしていた。 
穏やかな週末だったので、DVDを何本か借りてきて二人で見たり、
僕が病室の掃除をしたり、新しい花を買ってきて飾ったり、
そんな当たり前の事をして過ごした。

静かで平和な時間が、ゆっくりと過ぎて行った。 ただ二人でいるだけで、
こんなにも心穏やかに時間を過ごす事が出来るという事を、すっかり忘れていた。 

二人で過ごす大事な時間。。
二人でともの時間を過ごせると言う幸せ。。

後どの位、二人にこんな時間が残されているのかなどと心配するのは、
野暮な事だ。

どんな健康な人にも必ず終わりはある。 
その終わりを気にして、今の幸せを満喫できないのは、不幸だと思う。 

ただ桜の花のように、その瞬間を満喫し、感謝し、潔く、凛としていたい。 
そんな事を考えさせられた週末だった。

僕は、急の頼まれ仕事があり、古い友達からの頼まれごとだったこともあり、
断りきれず、一日だけラスベガスに行く事にした。

急の事だったし、午前中は、彼女の病院での処置に立ち会いたかったので、
彼女の処置に立ち会った後に、テータボロの飛行場に車を飛ばし、
そこから自分の飛行機でラスベガスまで飛んでいくことにした。 

”水曜日の朝には、帰ってくるから。”と彼女に告げた。
彼女は、微笑んで、”アタシは、大丈夫だから心配しないで。”と言った。 
そして、”出かけている間に、貴方が寂しいと可哀想だから。”と言って、
僕に自分の写真を2枚くれた。

何年か前に、誰かの誕生日パーティで撮った彼女の写真だった。 
僕は、笑って写真を受け取った。

飛行機に乗り、いつものように一番後ろの席に座った。 
僕一人だったので、何ともいえない孤独感が、僕を包んだ。

10,000メートルの上空で、たった一人で、窓から下界を見下ろした。 
そして思い出したように、彼女の写真を取り出し、飛行機の窓に貼ってみた。。

まるで、雲の上で、彼女が微笑んでいるように見えた。

現地時間の夜の8時過ぎにラスベガスの空港に着陸をした。 
バンカーに向かい、待っていた車に乗って会食の約束をしたベラージオホテルに向かった。

僕は、ラスベガスと言う街が、余り好きではないが、
既に夜の帳が下りた高速を走る車の後部座席で、
僕は、ホテルの派手なネオンサインを眺めていた。。

約束の会食の時間に少し遅れてしまったけれど、
友達の為に頼まれた仕事をこなして、夜遅くに、ホテルにチェックインをした。 
一応、友達も気を使ってスイートルームを用意してくれたらしいのだが、
僕は、一人だし、身軽な格好で来たので、
大きなスイートルームにぽつんと一人だけ取り残され、
またかえって孤独感を掻き立てられた。

かえって、小さい部屋に泊めてくれたほうが、良かったのになあと思いながら、
ベッドルームほどの大きさのある中央に置かれたバスルームを眺めていた。

僕の荷物と言えば、着替えの入った小さいバックと、
彼女の写真が2枚だけだった。。



2007年01月11日  天敬愛人

彼女会いたさに、無理をして、ラスベガスでの仕事を詰め込み、
夜中にラスベガスの空港を発ち、今朝、ニューヨークに戻って来た。

飛行場の営業時間すれすれに飛ぶ飛び方で、夜行飛行なので、
乗客は、眠れずに飛行機を降りるとウサギの目のように
目を赤くする事から、レッドアイフライトと言われている。

僕は、まさにその通り、目を真っ赤にさせ、夜間飛行をして、
朝一番にニューヨークの空港に降り立った。 飛行機のタラップを降りたのが、
朝の5時31分、空港が開いてから1分後の着陸になった。

全ては、最愛の人に少しでも早く会いたいため、
最愛の人の顔を少しでも早く見たいためだった。。

バンカーに戻される自分の飛行機を見届け、
僕は、駐車場に停められていた僕の車に乗り、自分の家を目指した。 
先週は、気温が20度近くまで上がったくせに、今朝は気温が零度近くまで落ちていた。

まだ暗い中を、僕は一路自分の家を目指し車を走らせた。 
空が明るくなる前に家に着き、髭をそり、眠気覚ましに熱いシャワーを浴びた。 
ジムに行こうかと思ったが、それは流石に諦め、
服を着替えてまた車に乗り、僕は、仕事場を目指した。

結局、昨日は一睡もできなかった。。

車に乗る為に、駐車場を歩いていると、僅かながら雪が舞っていた。 
多分、この冬初めての雪ではないかと思う。 
直ぐに雪はやんでしまったが、風に舞う雪の中を僕は、
足早に車に向かい、イグニッションを入れ、車を目覚めさせた。

本当は、直ぐにでも彼女に会いに行きたかったのだけれども、
彼女の両親が病室にいたので、僕は、病院に行く事ができず、
取り敢えず、仕事場に向かった。

何の為に、無理をして早く帰って来たのだろうと思ってしまうが、
ここで彼女の両親と喧嘩をしても仕方がない。 
兎に角、自分の気持は、できるだけ殺して、彼女の事だけを考えて行動をすべきだ。
その為には、僕の我慢などは、取るに足りないものなのだ。

彼女の両親が、ニューヨークを訪れ、10日程滞在し、彼女の世話をするらしい。。
という事は、僕は、彼女に10日程会えない事になる。 
これだけ近くにいても、会えない時は、会えないのだ。

何とも言えない気持を抱えて、僕は、仕事を続けた。

自分の運命を受け入れ、天を、天命を受け入れ、それを敬う。 
天を敬うという事は、天と同じように、自分の事はさておいて他人を敬う。 
それが、天敬愛人(天を敬い、人を愛する)という事だ。

僕の大好きな西郷南州の言葉だ。 僕は、西郷南州翁のように、
国を背負うような器の人間でもないし、ちっぽけな存在に過ぎないが、
僕の小さいなりの世界の中で、彼女を通じて学んだ事に、
南州翁の言葉は、共通するものがあるような気がする。

自分にどんな運命が迫って来ても、それを嘆いたり、人のせいにしたり、
恨んだりせず、天命として受け入れる。 天命を敬い、天命の指示に従うように、
まるで天が平等に人を愛するように、自分も他人を愛する。

僕は、彼女の為に生きている。 そして、彼女を通じて知る事ができた、
数々の助けを必要とする人達の為に生きている。 
そんな中で、僕が、自分の為に、彼女の両親と喧嘩をして、
彼女との時間を勝ち取ろうとするのは、
天敬愛人の精神からは、反しているような気がする。

僕は、その分、人の為に尽くせば良い。 彼女に僕の気持もきっと伝わるはずだ。 
そんな事は言っていても、、頭ではわかっていても、
僕も生身の人間だから、流石に彼女に会えないのは正直辛い。。

僕は、自分の気持を鎮める為に、更生施設の子供達と話をして、
自分自身を忙しくさせた。 でも、常に彼女の事を考えている。 
たまに、上着のポケットに忍ばせた彼女の写真を引っ張りだして、
それを見ながら彼女に話しかけてみたりする自分がいた。。

夜になり、病院の看護婦から電話があった。 
看護婦が言うには、彼女から僕に電話をするように頼まれたそうだ。 
言われた通りに、夜の9時過ぎに彼女の病室に出かけて行った。

丁度、彼女の両親は、家に、荷物を取りに帰った所だった。。 

15分程の時間だったけれども、僕は、彼女と一緒に時間を過ごした。
まるで泥棒猫みたいでちょっと気持が萎えたけれども、
でも、15分でも彼女に会えるのは、嬉しい。

病室に入ると、彼女は僕を笑顔で迎えてくれたけれども、
じきに涙を一杯目に浮かべ、そして泣き出してしまった。

あれだけ強い彼女でも、やはり挫ける時はある。。 
僕は、ただ彼女の話を聞き、彼女を抱きしめてあげる以外できる事はない。
生半可に彼女の言う事にコメントをする程、僕は無責任ではない。

いい加減な慰めほど、人を傷つけるものはない。 
僕は、ただ正直に、真摯に、同じ痛みを感じる事で、
彼女の気持を和らげる事ができればと、ただただそれだけ祈りながら、
彼女を抱きしめ、話を聞く事しかできなかった。 
それが僕の愛し方だ。不器用だけれども、そんな愛し方しか、僕にはできない。

僕の胸の中で、彼女は、色々な不安をぶちまけた。 
僕は、それを聞き、最後に、彼女に、僕は、最後まで彼女の傍にいる事、
そして何が起ころうとも彼女の味方でいる事だけを伝えた。

僕は、逃げない。。 そして彼女を陰から支え続ける。。
今の僕にできることは、それだけだ。

彼女は、ひとしきり泣いた後に、”どうもありがとう。”と言って、
涙で真っ赤になった目を僕に向け、無理に笑ってみせた。 
そして、”もうすぐ両親が、帰って来ちゃうから。。”と言った。

僕は、彼女にそっと口づけをして、病室を出た。 
帰り際に、いつもの看護婦と目があったので、
彼女におやすみとありがとうを伝えた。 看護婦も少し、涙ぐんでいるように見えた。。

僕は、夜の街に出て、ただ歩き続けた。 
先週とうってことなり、刺すような寒気が、容赦なく僕の体を突き刺した。 
独りで夜の街を歩きながら、どうしようもなく涙が出て来た。 
頭ではわかっていても、泥棒猫同様の自分が、情けなかった。。

天敬愛人と独りで呟きながら、たまたま通りがかったバーに入り、
止まり木に腰を下ろして、寒気を感じる事がなくなるまでウイスキーを飲み続けた。

彼女の両親がいる間は、お互いがかえって辛くなるので、
来週から僕は、暫く日本に行く事にした。 
再生をさせその後を託した日本人の経営者が、
かなり苦労をしているのは聞いていたので、彼が無事に再生後の
会社を軌道に乗せられる事ができるように、手助けをしてやるべきだろうと思った。

これも天敬愛人だと、一人呟いてみた。。



2007年01月12日  Daybreak

昨日は色々あって彼女もかなり精神的に参っていたので正直心配した。

心配したからと言って、僕ができる事など何もないのだけれども、
せめて彼女の気持ちを支えてあげたいと思った。

昨日の夜は、彼女の両親が帰ってきたので、僕は、泥棒猫さながら病室を退散して、
どうにもならない気持ちを飲み込むために、久しぶりに一人で深酒をした。

かなり飲んで帰ったのだけれども、それでも眠る事はできず、結局、そのまま夜を明かした。
冬独特の下から赤い炎がメラメラと燃え上がるような幻想的な夜明けを見ながら、
僕は、古いギターでブルースを爪弾いていた。

夜があけるのを待ち、僕は、ジムに行き、一人汗を流した後、
久しぶりにボクシングのスパーリングを3ラウンド程こなした。 
すっかり汗だくになり酒を抜いて、熱いシャワーを浴びた。

今朝も、氷点下で先週とはうって変わって寒い朝になった。
これでも例年よりは暖かいが、先週が異常に暖かかったので、
その反動でかなり寒く感じた。

マフラーに顔を埋め、駐車場に停めてある車に乗り込んだ。 
エンジンをかけようとした途端に、携帯がなった。

例の病院の看護婦だった。 
"彼女が、貴方に会いたいと泣いているのだけれども、今から病院に来られますか?”と
看護婦は言った。 僕は、そのまま病院に向かう事にした。

病室のドアを開けると、彼女は、目に一杯涙をためたまま窓の外を眺めていた。 
ドアを開けた僕を見つけると、彼女は、ベッドに寝たまま、
大きく両手を開いて僕を受け止める仕草をしたので、
僕は、そのままベッドに向かい、彼女を抱きしめた。

彼女は、小さな声で、”ただ、会いたかったから。。”とだけ呟いた。
僕は、彼女を抱きしめたまま、
”君が必要な時には、いつでもここにいるから。”とだけ答えた。

最近は色々あったので、彼女も不安になっているのは良くわかっていたし、
その為に、彼女の両親もニューヨークに戻ってきたわけで、
そう言った事が、益々彼女を不安にさせているようだった。

僕は、彼女が落ち着くまで、彼女を抱きしめたまま、
言葉をかけたり、彼女の話を聞いたりした。

暫くして彼女も落ち着いてきたようで、何度か咳払いをして、
息を整え、僕の方を向いて無理に笑顔を作ってみせ、
”ごめんね。 もう大丈夫だから。”と言った。

僕は、近くの花屋に出かけ、新しい花を買って病室に戻り、
気分を変えるために、新しい花を飾り、病室の掃除をして、
簡単に模様替えをした。 片づけをしながら、彼女と色々な話をした。

片づけをする僕を目で追いながら、彼女は、”本当に貴方は、優しいね。”と言って、
今度は、本当に微笑んだ。 
僕は、照れ隠しに、”好きな人にだけね。”と答えて悪戯っぽく笑った。 
二人で、見つめあい、そして小さな声で笑いあった。

本当は、ずっとそこにいたかったのだが、
そろそろ彼女の両親がやってくる時間になったので、
僕は、”いつでも寂しくなったらすぐ来るから。”と伝えて、病室を後にした。

彼女は、微笑みながら手を振り、病室のベッドから僕を見送ってくれた。。

彼女に見送られ病室を出た僕は、病院の前に停めた車に乗り、
仕事場に向けて車を走らせた。 車を走らせながら、彼女のことを色々考えた。
彼女と出会ってからの事が、走馬灯のように思い出された。

何となく仕事をする気がなくなり、僕は、車をそのまま南に向け、
バッテリーパークに車を走らせた。 バッテリパークで車を停め、
ニューヨーク湾を見渡すベンチに腰を下ろし、
近くのスタンドで買ったチャイティーを飲みながら、ぼうっとしていた。

このニューヨークには、僕と彼女の楽しい思い出が多すぎる。
何処に行っても、僕は、彼女とのその場所にまつわる楽しい思いでを思い出す事ができた。
こんなこともあったな、あんなこともあったな、と考えていると、
一人でニヤニヤしている自分に気が付いた。

このままでは変質者だと思われてしまうと反省し、
僕は、さめてしまったチャイティーを飲み干し、クズカゴに投げ入れ、バッテリーパークを後にした。。



2007年01月13日  Anything Can Happen

僕の彼女は、近日中にまた手術をする。
その為に、彼女の両親は、ニューヨークに帰って来て、
彼女の手術と術後の経過を見守る事になった。

部外者の僕は、それに立ち会う事もできなければ、
彼女の両親がいる間は、見舞いに行く事もできない。

この日記を読んでいる人の中には、僕と彼女は恋人同士なのだから、
彼女の親なんかの事は気にせずに、
一緒にいるべきだと思っている人も沢山いると思う。あるいは、
彼女の親とちゃんと話し合って理解を求めるべきだと思っている人もいると思う。

実は彼女に呼ばれて、僕はまた病院に行った。 
彼女は、涙ながらに、僕と離ればなれになりたくないと言った。 
そして、一緒に親に会って、許しを乞うように僕に哀願した。 
僕も彼女の一途な心に感激して、もう一度彼女の親に会う事にした。

暫くして、彼女の親が病室にやって来た。 
僕を見るなり、彼らの表情は変わり、父親は、声を荒げて怒鳴り散らし始めた。 
彼女は泣きながら、両親に許しを乞い、僕も同じようにしたが全ては逆効果だったようだ。

彼女は、この騒ぎのおかげで具合が悪くなってしまった。 
僕は、病室を追い出され、病室の外で、この騒ぎで彼女の具合が悪くなったのは、
僕のせいだと言われ、本当に彼女の事を愛しているのであれば、
彼女の前から消えてくれと言われた。

彼女が、こんな病気でなければ、彼女をさらって、
何処か二人で遠い所に行く事もできたろうが、
彼女は、今は、自分で歩く事もできない病人だ。 
ドラマのような奇跡が起こる訳もなく、僕は、冷静になって
何が一番現実的かを考えなければいけなかった。

僕は、我ながら大人げない事をしたなと少し後悔をしたけれど、
これをやらなければ、彼女も僕が揉め事を嫌がって逃げたと誤解するだろうし、
タイミングは、悪かったけれども、やらなければならない事だったのだと思う。

夜に病院の看護婦から電話を貰って、病院の近くのダイナーで待ち合わせをした。
看護婦は、彼女が書いた手紙を僕に私に来てくれた。

僕は、看護婦さんに”ありがとう。”と言った。 
彼女は、だまったまま、僕を優しくハグしてくれた。 
そして、”彼女の為にも挫けないでね。”と言って、去って行った。

僕は、独りでダイナーのカウンターに腰を下ろし
コーヒーを飲みながら彼女の手紙を読んだ。

”今日は、ごめんなさい。 アタシもどうしても我慢できなくて気持をぶつけてしまいました。 
貴方にも嫌な思いをさせてごめんなさい。 
でも、貴方がアタシと一緒にあそこまでお願いしてくれているのを見て、嬉しかった。

アタシも自分の両親が好きだし、両親は、両親で、
私の為を思って色々言っているのだし、こんな時にアタシの我侭で、
貴方と両親をあんな形で喧嘩させてしまって申し訳ないと思っています。

アタシが、元気になれば、いつかは、みんなわかってくれるんだから、
アタシが、元気になれば良いんだよね。 

アタシは、貴方を誰よりも愛しているから、貴方の為に病気と闘って、
必ず元気になってみせます。 今日は、本当にありがとう。”

と、彼女の手紙には記されていた。。 彼女らしい手紙だった。

僕は、カウンターでコーヒーを飲みながら、
見覚えのある可愛らしい筆跡をいつまでも指でなぞっていた。

彼女も頑張るのだから、僕も頑張らないと。

兎に角、今度の手術は、彼女に頑張ってもらって、
その経過が一段落したら、ちゃんと一つ一つ両親に説明をして行こう。 
もう泥棒猫みたいにこそこそするのはやめて、
時間がかかってもちゃんと正面から、真摯に話をしよう。

彼女の病気が重くなり、もう残された時間が少ないと思い、
回り道をしたくないと思っていたのかもしれない。。 
でも、それは、僕の独りよがりな思いだったのかもしれない。。 
彼女の両親だって、彼女の事を僕と同じくらいに愛しているのだ。

コーヒーを飲み干し、僕は、ダイナーの外に出て、夜の街を独り歩いた。
まだ店は開いていたので、僕は、宝石店に入り、
色々品定めをして、彼女に渡す婚約指輪を買った。 
ダイアとピンクサファイアの可愛い指輪だ。 

この指輪を堂々と渡す事ができるように、
何度でも、少しずつでも、彼女の両親の理解を求められるように努力をしよう。 

彼女が、病気を克服して元気になろうとしているのだから、
このぐらいの事は、僕にもできるはずだ。


  やっぱり、彼らが一番ショックだったのは、前の婚約者と上手く行かなくなって、
  その後に病気になった事だと思う。でも、兎に角頑張るよ。



2007年01月14日  名こそ惜しけれ  トシさんの過去

明日、僕は久しぶりに日本に行く。

何度も仕事でニューヨークを離れた事はあるけれども、
今回程、感傷的になったのは、初めてかも知れない。

日本を離れて20年以上の年月が経った。。

日本を離れる時には、もう二度と、祖国の土を踏む事はないだろうと思った。 
二度と自分の親族にも会う事はないだろうと思った。 
その後、長い間、日本に帰る事はなかったが、バブルの後に、
外国の禿鷹ファンドと一緒になって、日本に舞い戻った。

その時には、昔の日本での色々な悲惨な思い出がトラウマになって、
復讐をするような気持だった。 金は儲けたけれども、心が満たされる事はなかった。。

色々な目にあって、色々自分でも考えて、彼女と一緒になって、
生まれ変わって、今までの自分の人生の許しを乞うように、
心を入れ替えて、人の為に生きる事にした。

しかし、今、僕の過去の生活の報いか、
自分が一番愛してやまない人を病気で失おうとしている。

12月に、彼女のクリスマスプレゼントの為に、自分の財産の半分を処分した。
日本で持っていた会社も全て経営権を売り払ってしまった。 
僕は、その時点で、もう生きて日本に帰る事は、ないだろうと思っていた。

でも、譲った日本の会社が、僕がいなくなった事で、
おかしくなっていると聞いてしまった。 昔の僕だったら、
売った後の話は、買った人間の問題で、僕が、のこのこ出て行くような事はなかった。

だけど、僕は、今は、日本に行って、この人達が、
僕なしで独り立ちできるようにしなければいけないと心から思う。 
その為だけに日本に行く。 なぜならば、彼らが払った金が、
彼女の慈善団体の資金の大きな部分を占めているからだ。

万が一、誰かが、彼女の慈善団体の資金を、僕が日本から騙しとったなどと言われたら、
死んでも死にきれない。 だから、僕は、日本の会社を助けに行く。
自分の全てを失っても、彼らを成功させ、彼らの生活を守り、
彼らが僕から会社を引き継いで良かったと心から思ってもらわないといけない。

これは、僕が祖国を離れて20年以上たって、初めて感じる大和魂だ。

僕はどうなってもよいけれども、彼女の名誉に恥を塗る事はできない。
彼女は、一点の曇りもなく、全てを他人に尽くした人だ。 
僕が、彼女のその名誉を傷つける事はできない。

という事で、僕は、明日の飛行機で日本に行く。

全ては彼女の名誉の為に。。 何としても、僕がいなくとも彼らだけで、
利益をあげられるように、自分の全てをかけて闘うつもりだ。 
昔の日本人は、自分の名誉の為に、命をかけた。 

”名こそ惜しけれ”と言う事だ。 時代は変わったけれども、
僕は、昔の日本人のように、彼女の名誉と僕の誇りを守る為に日本に行ってきます。



2007年01月20日  Wish You Were Here  日本での仕事

色々あったけれども、日本での仕事を何とかこなして、
彼女の名誉を守る事ができたと思う。

彼女の財団を作る資金にするために、
僕は、自分の日本の会社の権利を売却したが、僕がいなくなったことで、
会社の価値が下がったと判断され、
ビジネスに色々の障害が出てきたのが、原因だった。

別にそういった事は、会社の売買では良くあることで、
それ自体、人に後ろ指をさされる事ではないのだが、
彼女の財団の設立にあたって、彼女の夢の実現にあたって、
不幸な人を一人でも作る事はその性格上、許されないと僕は思った。

ビジネス上頻繁に起こることであっても、
きっと、彼女が、知ったら、それを悲しむであろうと思った。

僕が手放した会社の従業員の笑顔、その家族の笑顔、供達の笑顔、 
彼女にとっては、それらは、皆等しく価値があり、守るべきものである気がした。

だから、僕は、このまま、素通りする事ができなかった。
彼女を置いて日本に来て、売却した会社の経営陣と話し合い、
僕は、結局、その会社の非常勤の顧問となり、引き続き経営に関与する事にした。 
それで、会社に不安を感じ始めていた主要な取引先も、安心をし始めたようだ。

それが決まった後に、僕は、主要な取引先を新しい経営者と一緒に回り、
引き続き経営に関与する事を告げ、関係の修復に努めた。

社員達が、僕が、顧問として戻ってきた事、
会社に顔を出したことを素直に喜んでくれた事が、何よりも嬉しかった。

人の笑顔は、僕の心を癒してくれた。 結局、僕が人に尽くすような体裁をとりながら、
人の笑顔に、人の心に、僕が救われた気がした。

僕は、自分にけじめをつけるために、顧問の仕事を無給で引き受けることにした。 
一度売った会社から、金を貰う事はできない。

アップルの社長のスティーブ ジョブスも、社長でありながら給料は、
年間一ドルしか貰っていない。 当然、沢山のストックオプションを持っているから、
彼の場合は、会社の業績があがれば、彼も儲かる仕組みになっているが、
会社の業績が下がれば、彼は損をするわけで、
最低保証金額としての給料は、一ドルしか貰っていない。

この業界で、体を張るという事は、そういうことなのだろう。 
だから、僕もジョブスを見習い、この仕事では、一切の対価を要求しない事にした。
それが、せめてもの、僕の社員達に対する気持ちであり、
彼女の夢に殉じたいという気持ちだ。

日本での仕事が一件落着したので、明日のフライトでニューヨークに帰る事にした。

日曜の夜には、彼女の会える。。 この1週間は、死ぬほど働いた。
そのあいだも彼女のことは、いつも考えていた。 
と言うか、気持ち的には、彼女と一緒にいたような気がした。

僕のテーブルの脇には、いつも彼女の写真があり、
僕に向かって微笑んでいてくれる。

僕は、その微笑を、直接見たくなった。。 
明日には、その微笑を見る事ができる。。

僕は、君の微笑を見る為に、明日、また飛行機に乗ります。



2007年01月22日  ただいま。。

日曜日の夜の便で、成田を発った。

6時半出発のフライトだったので、成田を旅発つ時には、夜になった。 
第2ターミナルのメインターミナルからサテライトに向かう途中のモノレールの窓から、
色とりどりの灯りにともされた滑走路を眺めてみた。 
窓ガラスにそれをぼーっと見つめる自分の年老いた顔も反射して見えた。

仕事が終わった今となっては、考える事は、彼女の事だけだ。 
それ以外は、全ての事が、僕には、虚ろに思えた。

ただただ望む事は、一刻も早くニューヨークに戻って、
最愛の人の顔を見る事だった。

サテライトのバーに入り、カウンターに無言で腰を下ろし、
ウイスキーを注文した。 ここ何日かは、寝ていないので、
飛行機に乗れば直ぐにでも眠りに落ちる事は、間違いなかったが、
それでも、眠れないと困るから、自然と酒の量が増えた。

僕は、独りになって、彼女の事を考え考え続けた。 

彼女としたい事が、沢山ある。 

彼女にしてあげたい事が沢山ある。 

彼女に話したい事が、沢山ある。

それなのに、時間は、あまりにも少ない。 僕は、途方に暮れながら、
それでも、色々と考え続けた。 彼女にどれから話をしようかとか、
彼女もきっと沢山僕に話したい事があるだろうから、まずそれを聞いてあげたいとか。。

やっと搭乗の時間になり、僕は、ゲートに向かい、
自分の席に腰を下ろすなり、いつものように深い眠りに落ちた。 

目を開けた時には、既に、ケネディ空港到着30分前だった。 

飛行機は、零下2度の空港に滑り降り、僕は、入管を抜け、税関を抜け、
自分を待っている運転手を見つけ、久しぶりの
ニューヨークの寒気を感じながら、車に乗り込んだ。

一度家に帰り、シャワーを浴びて、仕事を片付け、
僕は、彼女が待つ病院に向かった。 9日ぶりの彼女の笑顔を見るために。。

病室の扉を開けると、そこには、僕が待ちこがれた笑顔で彼女が、
待っていてくれた。 僕は、微笑んで、彼女に、”ただいま。”と言った。
嬉しかったし、全く悲しくなかったけれど、何故か、涙がボロボロと出て来た。 
涙を出しながら、僕は、ただ微笑んで、彼女に、”ただいま。”と言った。

彼女も、優しく微笑んで、”おかえり。”と言ってくれた。 
そして、”ただいま。って素敵な響きだよね。”と言って、また微笑んだ。 

僕は、いつものようにパイプ椅子を彼女のベッドの脇に置き、
二人は、昨日もこうしていたかのように、彼女の頭を撫でながら、話を始めた。
彼女は、病院の話、僕は、日本の話。。

”自分の思うようにできたの?”と彼女は、聞いた。 
僕は、笑って頷いた。 彼女は、決して、”上手く行ったの?”とは聞かない。
彼女にとって大切なのは、僕が、自分の思うようにできたか、
悔いは残らなかったか?ということでしかない。 だから、他の事は聞かない。

彼女は、今回の日本行きが、彼女の財団に関するものだとは知らない。 
でも、彼女の事だからもう知っているのかもしれない。

ただ、そんな彼女は、僕が、悔いを残さないように思いっきりやったという事を聞くと、
嬉しそうに微笑み、僕の頭を撫で、”よかったね。”と言って、後は、何も聞かなかった。

そして僕の頭を抱きかかえたまま、病院でできた新しい幼い子供の友達の話、
彼女が最近読んだ本の話などを、まるで母親が子供に寝物語をするように聞かせてくれた。

僕は、ただただ幸せな気持になり、もう一度、彼女の胸の中で、”ただいま。”と呟いた。
彼女は、それに答えるように、僕の方をポンポンと2度軽く叩いてくれた。

やっと、逢いたい人に会えた。。。



2007年01月23日   夢が消える前に

ニューヨークに帰ってきて一夜が明けた。

彼女の病室には、結局夜中の1時過ぎまでいて、
彼女が寝息をたてはじめたのを聞いて、僕は、家に帰った。

外は、死ぬほど寒かったけれど、僕の気持ちは、とても暖かかった。 
僕は、彼女に、人を愛する事を教えてもらった。 その気持ちは、
僕の心に根付いて、更に成長し、彼女を愛するだけでなく、
子供達や、友達や、仲間や、隣人、
この世界で僕と関わりのある全ての人に注がれる大きな愛に昇華していった。

One Love。 ボブ マーレイが唄にした、人間に対する、大きな愛情、慈悲。 
人を愛する事で、自分を愛し、自分も成長をして行く。

僕は、彼女から貰った溢れる様な愛を、更正施設の子供達や、
周りの人達とシェアをして行く。 それが彼女を命を受け継ぐ唯一の方法だと思う。 

彼女の名前のついた財団とか、そんな形だけのものでなくて、
彼女の命を僕の心の中に大事に受け継いで、その灯火を僕の心の中で燃やし続け、
周りの人に分け与えていく事の大事さが判るような気がした。

彼女の名前の財団なんか作ってちょっと自己満足していた自分が恥ずかしくなった。

命を受け継ぐという事は、そんな表面的なことではなく、
その人の命の灯火を心の中で受け継ぐ事なのだ。

財団は、彼女の名前を後世に残し、彼女の志を目に見える形で残すものだから、
それはそれで意味があるものだと思うけど、一番大事な事は、
彼女の命を、僕が精一杯受け継ぐ事だと思うようになった。

彼女は僕の天使なのだから、遅かれ早かれ、天使は、
天使のいる場所へ返してあげないといけない。 こんな事を言うと、
僕が、医者の言う事を聞いて彼女のことを諦めたと思うかもしれないけれど、
そんな事ではない。

僕もいつかは死ぬ。 誰もが死ぬように、彼女も死ぬ。 
だからもしも彼女が、天国に帰るのであれば、
僕は、彼女の命を、彼女と時間を過ごした証として受け継いで、
僕の心の中で燃やし続けていきたいと思う。

医者が、彼女の病気は、骨にまで達してしまったので、
もう医者としてできることは無いと、僕らに告げた。 
だから暫くしたら、彼女は、病院を退院する。

最後の日々を悔いなく過ごす為に。。

きっと、聡明な彼女のことだから、全て分かっているだろう。

僕は、彼女の両親と彼女抜きで話をしようと思う。
彼女の最後の時を、いがみ合っているのは、彼女にとってあんまり可哀想だ。 
彼女の親も、僕も、彼女を愛しているのであれば、
表面的であっても、彼女のためだけを思って、お互いのわだかまりを捨てたい。

奇跡を信じていないわけではない。 
きっと奇跡は、起こる人には、起こるだろう。 
だけど、神様は、時に気まぐれで、我々凡人には、わからないような悪戯をする。

だから、僕は、何があっても、神様をうらむような事はしない。 
全ての事には理由がある。 今は、その理由がわからなかったとしても、
悲しい事が起こったとしても、きっといつか時間が経てば全てがわかるはずだ。

僕が生きている間は、わからないかもしれない。 
死んだ後になって、やっと理解できるかもしれない。。。それでも良いんだ。

ただ、僕は、最後まで、彼女に教えられたように、
凛として清潔な人間であるように努力をしたい。

彼女に少しでも近づく為に。。 
僕の夢が、消えてしまう前に、やらなければいけないことが色々ある。

彼女を見舞い、いつものように何時間も話を続け、色々な事を話した。

僕は、彼女の手を握りながら、彼女に、
"僕は、君にもうひとつサプライズを持っているんだよ。”と言ってみた。

彼女は、悪戯っぽい目をキラキラさせて、”何? 何?”と興味津々だ。 
僕も、悪戯っぽく笑って、”もう少ししたら、教えるから、
それまでは、秘密。”と言ってもう一度笑って見せた。

今日、宝石屋さんから電話がかかり、僕が頼んだ指輪が完成したと言われた。 
後は、いつ彼女にそれを渡すか、そのタイミングを考えるだけだ。

神様、僕は、どんな苦労も受け入れる準備があるのだけれど、
あとちょっとだけ、僕に夢の続きを見させてください。。 あと少しだけ。。


  いろんな人に、彼女が死んだら、貴方も死ぬつもりでしょ?と良く言われます。 
  確かにそう思っていた時もありました。 つい最近までは、そう思っていたし、
  今でもそうしたいと思う事があります。
  でも、最近彼女と時間を過ごす事で、僕は、彼女が逝った後でも、
  その後に世の中に起こったことを見届けて、彼女の命の炎が
  僕のなかで燃えている限り、彼女がやろうとしていた子供達の更正を
  僕の命をかけてやるべきだと思うようになりました。
  そして、本当に僕がもう歩けないぐらいにぼろぼろになるまで
  頑張った時に、彼女に許してもらい、彼女のところに行って、
  彼女がいなくなった後に、僕が何を見て、何をしたのかを全て伝えるのが、
  僕の仕事だと思うようになりました。
  まだ一人になると、どうしようもなくなって気が狂いそうになるけれど、
  彼女を本当に愛しているのであれば、苦しみぬいて生きるのも
  彼女に対する愛の証かな?と最近考えています。
  でも、あと少しだけ時間が欲しいです。


  指輪を渡すときにどうしようかな?とまだ考え中です。 
  実は、婚約指輪と、小指につけるピンキーリングをセットで用意しています。
  婚約指輪は、定番のダイアなんだけど、ピンキーリングは、
  ダイアとピンクサファイアにして、二つはめると、
  別のデザインが浮かび上がるようになっています。
  一辺にあげるか、どっちを先にあげるか、色々悩みは尽きないです。


  うん。 できたんだ。 今日、電話がかかって来たの。
  薬指にはめる婚約指輪は、ダイアなんだけど、
  小指にピンクサファイアと小さいダイアを入れてピンキーリングをはめると、
  薬指のダイアと小指のピンクサファイアで、天使のデザインになるんだ。
  一度に渡した方が良いと思う? それともどっちから渡した方が良いと思う


  天使のデザインの指輪かぁ〜
  ほんとに素敵すぎる・・・
  toshさんの彼女に対する思い・・・絶対伝わりますね
  あぁぁ、その瞬間が世界で一番素敵な時間でありますよに!!


  ピンキーからあげて婚約指輪あげた方がィィ☆★
  2つそろったら天使になるって兄ちゃん考えたねぇー(≧∀≦)


  天使のデザインだなんて!!!
  素敵すぎます〜♪♪♪\(^O^)/
  Toshさんの天使さん、リングをはめたら輝きもひとしおですね(*´∇`*)
  Lunaもピンキーからさりげなく はめてもらって
  後からスペシャルサプライズもらうのが良いかなぁと思います(^-^)
  二つ揃った時のことを考えたら。。。


  これねえ、ピンキーリングだけ貰ったら、
  僕の細工に気づかないようになってるんだよ。(笑)


  ピンキーかぁと思わせて、婚約指輪も?!
  みたいな感じ?嬉しいな。(注 麻美の妄想)



2007年01月24日  ホットチョコレート

今日も彼女が眠りにつくまで、
病院のパイプ椅子に座って彼女の隣に座っていた。

彼女が眠りに落ちた事を確かめて、僕は、席を立ち、灯りを消して病室を後にした。
一人、夜中のニューヨークのストリートを歩いて家に帰った。
零下の寒気が、突き刺すように感じられたが、
そのお陰でいつもより空気は澄んでいる気がした。

僕は、立ち止まり、冷たい空気を胸に吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
交差点で、乞食が僕に歩み寄り物乞いをした。 
僕は、乞食に小銭を渡し、彼の肩をたたいて、
世の中の全ての人の幸せを祈ってくれるように頼んだ。 

乞食は、きょとんとして僕の顔を見た。僕は、真正面から乞食を見すえ、
”僕に物乞いをするのであれば、あなたも社会に貢献をすべきだ。 
社会への貢献の仕方がわからないのであれば、せめて世の中の人々の為に
祈るべきだ。貴方にも祈るくらいの時間は、あるだろう。”と言った。

世の中には、自分の事だけを考える人が、多すぎる。 
自分の事を考えるのは、仕方ないけれども、
そのちょっとの部分を人の事を考える時間に使えば、もっと世の中に対する考え方、
視野が広がるはずだ。 少なくとも、僕は、そういう人間でありたいと思う。

天敬愛人とは、そういう事を言うのだろう。 あるいは、日本の武士道、
西洋の騎士道とは、そういう事を言うのだと思う。 深く考える人には、
それだけの社会に対する義務を負うのだと思う。

乞食は、僕に恐れをなしたのか、あるいは、僕が気がふれていると思ったのか、
金を受け取る事なく、僕の前から消え去った。
僕は、手の中に残った小銭をポケットに押し込み、また夜の道を歩き出した。

僕は、明日の夜の飛行機でパリに行く。 
今回、パリには、4−5日いる事になるだろう。 
彼女の財団を設立するにあたり、僕の友達のフランスの政治家にも話をしたので、
その関係で、ファンド レイジング(募金集め)の集会に出かける事になった。

理由はともあれ、正直独りでパリに行くのは、辛い。 
彼女と余生を送るのであれば、パリと常々話しているので、
僕の気持の中では、パリは、彼女と行くものと決まっているからだと思う。

彼女にその話をすると、”貴方が独りでパリに行くのは、
悔しいけど、子供達を助ける為だから、アタシの分も頑張って来てね。”と言われた。 
そして、”浮気なんかしたらしょうちしないからね。”と言って悪戯っぽく笑った。

僕は、思わず吹き出してしまい、ただ、彼女を抱きしめて、
"I Love You."と言った。 どんなに病気が進行しても、どんなに体重が落ちてしまっても、
髪の毛がなくなってしまっても、彼女は、僕にとっては、
いつでも最愛の女性で、常に一番魅力的な女だ。

そんな事は、言わなくてもわかっているのだけれども、
彼女があえて女としての冗談を言った事が、なぜか嬉しくて、可笑しかった。 
だから、思わず、"I Love You."と言ってしまった。 
なぜならば、本当に彼女を心の底から愛しているし、
女性として愛おしいと思っているから。。

彼女は、”お土産は、ホットチョコレートが、欲しいの。 
帰って来たら、そのまま病院に来てね。 
そうしたら、アタシが、貴方にホットチョコレートを作ってあげるから。”と言った。 
だから、僕は、パリでホットチョコレードを探さないといけない。

僕は、黙って頷き、微笑んで彼女にキスをした。
僕は、彼女の手を握りながら、僕の一日を彼女に説明をした。 
仕事の話、財団の話、更生施設の子供達の話、日本の里子の話、、色々な話をした。

彼女は、それを聞きながら、目を細めて、僕の手を握った。 
そして、”いつか、また二人で、ふたりで手を繋ぎながら街を歩いて、
どこかでのんびりブランチができたら嬉しいね。”と言った。。

僕は、彼女を見つめて、ただ、"We will"と答え、微笑んだ。
僕は、明日の夜、彼女の心をつれてパリに旅立つ。。



2007年01月25日  夜間飛行

今日は、夜中のフライトでパリに行く。

朝早く、彼女を病院に見舞った。 冷たい空気の中を歩いてきたので、
彼女の手を握ると、”冷たいね。”と彼女は言って自分の息をかけ僕の手を温めてくれた。

彼女とパリの話を少しした。ベッドの脇にパリの本が置いてあった。 
僕がそれを見つけると、彼女は、ちょっと笑って、
”アタシもすっかりパリに行くつもりで、
気分だけでもそうしようと思って、本を読んでいるの。”と言った。

僕もそれを聞いて微笑んだ。 ただ、彼女の笑顔はちょっと寂しそうに見えた。

”セーヌ川にかかる第9の橋の上で愛を誓うと、
それは永遠の愛になるっていう言い伝え知ってる?”と彼女は、言った。
色々とパリの事を勉強している彼女を見て、
僕は、彼女を愛おしく思ったけれどちょっと哀しくも思った。

僕が、今回泊まるホテルは、セーヌ川の左岸の第6区にある静かなホテルだ。
アメリカ資本の入っていない、古いフランスのホテルで、
窓からセーヌ川やノートルダム寺院を眺める事ができる。

そこのホテルには良く泊まるので、僕が行く時には、
大体、ペントハウスのバルコニーのあるスイートルームを提供してくれる。 
そこで一人、景色を眺めながら、彼女の写真をバルコニーのテーブルにおいて、
シャンパンでも飲むことになるのだろう。

彼女と一緒だったら、どんなに楽しい事だろう。。 
僕は、昔、彼女をそこに連れて行ったことがある。 彼女は、赤いカクテルドレスを着て、
バルコニーでシャンパングラスを片手に僕に微笑んでくれた。 
その微笑のなんと美しかった事か。 きっと、今度僕は、
一人でそこに立ったときに、何度も彼女の幻影を見るに違いない。。

いっそのこと、別のホテルに泊まればよかったかもしれない。
そんな想いが、一瞬、頭をよぎった。

病室で彼女の隣にすわって、ぼんやりとそんな事を考えていた。
隣の彼女は、パリの本を広げ、Passyの街並みの写真を眺めていた。。



2007年01月27日  Anybody Has Seen My Baby?

パリに着いてから何日かがたった。

こちらに着てからもいつも彼女のことを考えている。 
日本の時は、彼女との思いでもないので、仕事に集中できたのだが、
思い出の沢山詰まったパリでは、どうも簡単には、いかないらしい。

どんな些細な事でも、彼女を思い出させる事が、たくさんありすぎて、
正直、ニューヨークにいるときよりも辛い気がする。

恥ずかしい話だけれど、何処に行っても彼女を思い出してしまい、
一人で目を赤くしている事が多い。。。 だらしない男だ。。

セーヌ川左岸の第5区の小さなフレンチのホテルに泊まっている。
アメリカの資本の入っていない昔ながらのフランスのホテルだ。
ちょっと寒いけれど、部屋のバルコニーに出て、
椅子に座り、パリの景色を眺めながら、エスプレッソをすすった。

裏通りの街並みから、ノートルダム寺院や、パリの右岸の街並みを眺めた。

彼女との思い出が沢山詰まったホテルなので、
気がつくと彼女の幻影を探してしまい、とても哀しい気持ちになった。

気晴らしに街にでて、フラフラと歩いてみる事にした。 
表通りから小さなアーチをくぐり裏通りに抜け、昔の石畳の道に足をとられながら、
小さなカフェに入り、ワインを飲んだ。 道を行き交う人を眺めていると、
知らないうちに、彼女を探していた。 ちょっと雰囲気の似ている人が、
歩いていると知らないうちに、彼女に見え、目で追うと全く違う人だったりで、
そんな事を繰り返していた。

5区には、大学や図書館が多い、ニューヨークで言えば、
ソーホーのようなところだ。

僕は、5区から歩いてセーヌ川をわたり、右岸にでた。
ルーブル美術館を抜け、シャンゼリゼを凱旋門の方向に歩いていった。
そこでも、本屋で、スタンドで、美術館の前で座っている人達、
公園で語らう人達、町を行き交う人々の中に、彼女を探していた。

Stonesの唄に、Anybody Has Seen My Baby?と言う歌がある。
別れてしまった恋人を思いながら、ニューヨークの下町を歩く男が、
すれ違う女に別れた彼女を思うと言う歌だ。最後に、もしかしたら、
もともと彼女との事は夢物語で、そんな女は存在しなかったのではないか?と
男が思うと言う切ない歌だ。

僕は、シャンゼリゼのカフェから出て、また通りを歩き出した。 
冷たい風にあたりながら、夜のネオンに彩られた街を、
一人歩きながら、知らない間に、一人、Stonesの唄を口ずさんでいた。



2007年01月28日  Passy

パリでの仕事も大体終わり、
今日の夜のフライトでニューヨークに帰ることになった。

彼女の財団の為の資金集めは、概ね上手くいき、
そろそろ財団としての具体的な活動が出来る段階になってきた。

昨日は、6-7年振りに某フランス人の友達に会った。 
昔、一緒にニューヨークで働いていたが、
彼は別の道に進む事になり、ニューヨークを離れた。

たまに新聞を賑わせる奴なので、記事を見るたびに、
”ああ、元気でやっているんだな。”と思っていたが、半ば彼の事は、忘れていた。

そんな時に、突然思い出したように、彼からメールを貰い、
新しい仕事の相談を受けた。 丁度、僕もパリに行くところだったので、
それでは、パリで会おうと言う事になり、昨日、6-7年振りに彼と会った。

彼と僕は、大体同年代だが、彼の方は、全くかわらない、
相変わらず御茶目なフランス人で、まるで時の流れを感じさせなかった。

彼は、僕のために、エッフェル塔の前にある、
自然博物館の中に2年ほど前にオープンした流行のレストランを予約してくれた。 
久しぶりだったので、話が進み、ワインが進んだ。

食事が終わり、エッフェル塔の灯かりを見ながら、ふと彼女を思い出した。

何年か前に、まだ彼女が元気の頃、二人でこの場所に来た事を思い出した。
夜中に、博物館から張り出したバルコニーの手するにもたれて
夜に輝くエッフェル塔を見つめた。

彼女の笑顔を浮かんでは消えた。。

食事の後に、遅かったが、彼の家にコーヒーを飲みに立ち寄った。 
彼の家は、最近流行の第16区のPassyにあった。パリには、珍しいClosed Gate
(門で一般人が立ち入り出来ないようになっている)小さな町で、
中は、ビバリーヒルズにあるような豪邸が立ち並び、彼の新しい家も、その一角にあった。

ルイビトンの社長の家も近くにあるようで、相変わらず彼の浪費振りとはったりには、
思わず笑ってしまったけれど、そんなヤンチャなところがどうしても憎めない面白い奴だ。

彼の家に行くと、新しい彼女が僕らを迎えてくれた。
元々11年生の時の同級生で、彼の初恋の人だったらしいが、
その後別々になり、彼女は別の人と結婚して女の子をもうけたが、
離婚し、彼と同棲し、4ヵ月後にまた子供ができるそうだ。

幸せそうな彼らの顔を見ていると、何となく僕の気持ちも、
やわらかくなり、嬉しくなった。 やはり、心からの笑顔や優しさは、
人の心を癒す力を持っているのだろう。

僕は、彼らの笑顔に癒されて、一人、Passyから自分のホテルに戻った。
丁度エッフェル塔の脇を抜け、第6区の自分のホテルまで、タクシーを走らせた。
エッフェル塔を抜ける時にもう一度、彼女の顔がタクシーの窓に浮かんだ気がした。



2007年01月29日  雪のニューヨーク

パリを7時の便で発ち、ニューヨークに同日の9時過ぎに帰ってきた。

空港の外に出ると、雪が降っており、
ニューヨークに帰ってきたなと言う気持ちで一杯になった。

僕は、自分の車を空港に置いて行ったので、
自分の車に乗り込み、雪の降るハイウェイをマンハッタンに急いだ。 
途中かなり雪が激しくなったが、
流石にマンハッタンに入ると都会の熱で、雪は、まばらになった。

もう夜の10時半を回っていたけれど、僕は、一路彼女の病院を目指した。
見慣れた街並みを走りぬけ、車を病院の前に停め、僕は急いで彼女の病室に向かった。

彼女の病室に着くと、まだ部屋の中から薄い明かりが漏れており、
彼女が起きている事がわかった。

病室のドアを開けると、彼女は、僕が帰ってくるのがわかっていたようで、
満面の笑顔で僕を迎えてくれた。

”おかえり。”と笑って、”雪を見ながら、
貴方が帰ってくるのだろうなと考えていた。”と彼女は、言った。

”ただいま”と僕も笑って、彼女を抱きしめた。パリで何度も彼女の幻を見たけれど、
やはり生身の彼女を抱きしめて、そのぬくもりを感じる事ができる事が、
なによりも幸せに思えた。

僕たちは、しばらくそうやって自分達の温もりを確かめ合った後に、
僕は、パイプ椅子を彼女の隣にもっていき、そこに腰を下ろして、
彼女にデジカメの写真を見せながら、パリでの仕事の話を全部説明をした。

彼女は、パリでの一瞬も逃さないかのように、色々と細かく質問をして、
楽しそうに写真を眺めていた。 そして、”本当に、また貴方とパリに出かけてみたい。。。 
本当は、パリでなくても構わない。。 何処でもいいから、もう一度、
元気になって貴方と一緒に時間を過ごしてみたい。”と言った。

きっと、彼女は、自分の病状を知っているに違いない。 
それでも、僕は、何も知らないかのように、”元気になったら、二人でパリに住もう。 
病院を出たら、二人でパリにいって、家を探そう。”と言った。

彼女は、全て知っているはずなのに、優しく僕を見つめて、
”そうだね。 ありがとう。”と言ってくれた。全てを悟りきった優しい目で。。

遅かったけど、彼女は、僕にホットチョコレートを振舞ってくれた。
チョコレートに、ホットミルクを混ぜ、病室で二人だけでホットチョコレートを飲んだ。

病室の窓から舞い落ちる雪を眺めながら、
二人で寄り添うようにしてホットチョコレートを飲んだ。 
彼女が僕の肩に、頭をもたれかけた。僕らはそのままの姿勢で雪が降るのを見ていた。

彼女がかすかに泣いているのがわかったけれど、
僕は、それに気づかないふりをして、
ただ僕の肩の上に乗せられた彼女の髪の毛を撫で続けた。。



2007年01月31日  We Will Grow Together

ホットチョコレートを飲んだ後に、彼女を寝かしつけ、
彼女の寝顔を見ながら色々と考え事を続け、結局、彼女の病室で一夜を明かした。
帰りの飛行機の中でも眠れなかったのだが、何故か眠る事ができず、
彼女の寝顔を見ながら夜を明かしてしまった。

夜のうちに雪は、止み、寒かったけれども久しぶりに眩しい朝日を見る事ができ、
美しい冬の朝が、訪れた。 僕は、パイプ椅子から立ち上がり、
大きく伸びをして、病室の窓から下界を暫く眺めた。

気温は、-7度と寒かったけれど、下界を眺めていると、
むしょうにチャイティが飲みたくなったので、凍りつくような寒気の中を、
僕は、清々しい気持ちで、スターバックスに一人チャイティを買いに出かけた。

チャイを多めに入れてもらい、熱めに作ってもらうのが、僕のチャイティの流儀だ。 
今日も、スターバックスの店員さんに、チャイを多め、熱めに作ってもらうように注文をした。

チャイティを受け取り、また凍てつく朝の空気の中を彼女の病室に戻った。
病室に帰ると、彼女は、もう目を覚ましており、僕を見つけると、
嬉しそうな顔をして、”おはよう。 寒い空気がして目が覚めたの。 
貴方が帰ってきたってわかったから。”と言って、笑って見せた。

僕が、一緒につれてきた朝の寒気で彼女は、目を覚ましたらしい。

僕は、笑って、冷たい手を彼女の頬にあてて彼女を驚かせてみせ、
パイプ椅子に座って、彼女と一緒にチャイティをすすりあった。

彼女は、僕と思いがけず朝をすごせたのが嬉しかったらしく、
”昔に戻ったみたいで、何か楽しいね。”と言って、一人上機嫌だった。 
僕も彼女との時間を楽しみ、朝から一緒にニュースを見たりして時間を過ごした。

暫く、彼女と一緒の朝を楽しんだ後、僕は、仕事があったので、
彼女に仕事が終わったら、また帰ってくることを伝え、病室から仕事に向かった。

パリから帰ってきたばかりと言う事もあり、色々と細かい用事で忙しい一日だった。 
夜まで丸一日仕事をして、また気温がかなり下がったなかを、
僕は、コートの襟を立てて小走りに駐車場に向かい、車に飛び乗り、
彼女の待つ病院へと車を走らせた。

途中のダイナーで簡単な食事を買い、
僕はそれを紙袋に入れて彼女の病室に入り、病室で夕食を食べた。 彼女と色々と話をした。 

暫くは、機嫌が良かった彼女だが、
”こんな事を言うとまた貴方は、怒るかもしれないけど。。”と切り出し、
”貴方は、アタシの為に色々やってくれるけれど、それを感謝しているけれど、
アタシと貴方は、違いすぎるし、それを見せつけられるとアタシは、
価値のないような人間に思えてちょっとショックの時があるの。”と言われた。

この話は、過去にも何度か言われた事なので、また始まったなと思って、
僕は、”お互い愛し合っていて、人として尊敬しあっているのならば、
たまたま今の状況でどっちがどっちなんて言う事は、関係ない事だよ。
僕は、君を人間として尊敬しているし、そんな君の夢を一緒に叶えたいと思っているから、
僕は、君を手伝える事が、何よりも幸せなのだから。”と答えた。

彼女は、珍しくそれに感情的に反応に、“貴方は、社会的にも成功しているし、
沢山の人が貴方のために働いているし、貴方と一緒に貴方の友達に会うと、
何でアタシなんかと一緒にいるのか?見たいな目で見られるし、
貴方の助けなしでは、アタシは、やっていけないのはわかるけれども、
アタシにもアタシのプライドがあるから、、”と言って、泣き出してしまった。

僕は、どうしてよいかわからず、彼女が落ち着くまで彼女の肩を抱きしめていた。
彼女の肩を抱きしめながら、僕は、彼女の言葉を噛み締めていた。。

僕は、彼女を尊敬しているし、そんな彼女の助けになりたいと言う一心で、
色々な事をしているけれど、それがたまに、かえって彼女にとって
負担になってしまう事があるのだろう。自分にそのつもりはなくても、
知らず知らずに、“助ける”と言う事が、前面に出ると、押し付けがましく、
上から見下げるように誤解されてしまうのかもしれない。

人と相対する時には、その人と同じ目線に立って、同じ立場で話をすると言うのは、
僕が、彼女から学んだ事だ。 犯罪者の更正施設や、
数々のボランティアで人々を接する時に、上から見下げたように誤解されてしまうと
彼らの人としての尊厳、プライドを傷つけてしまい、
そもそものボランティアとしての意味が、全く無くなってしまう。 
同じ目線で、同じ立場で助け合うと言うのが、基本中の基本なのに。。

そんな基本的なことなのに、僕は、知らず知らずに、
僕の一番大事な人の気持ちを傷つけていたのかもしれない。

彼女が、落ち着くのを待って、僕は、彼女に素直に、それを謝った。 
謝ってすむ問題ではないけれど、兎に角、彼女に悲しい想いをさせた事、僕の非礼を謝りたかった。 

彼女が眠りに着くまで、僕は、そのまま彼女の手を握りしめていた。
彼女も安心をしたようで、暫くして寝息を立て始めた。 
涙がこぼれた跡が、顔に筋になって残っていたので、申し訳ない気持ちになり、
僕は、それを手でぬぐい、暫く、彼女の寝顔を見つめ続けた。

彼女の寝顔を眺めながら、僕は、彼女に手紙を書くことにした。

“今日は、君を傷つけてしまってごめんなさい。

君もわかっている通り、君は、僕の人生の中でなくてはならない大事な人です。 

僕は、君に沢山の事を学んだし、まともな人間として生きていくうえで、
君にたくさん助けてもらいました。

これから先も、僕が強くあり続ける為に、
更に人間として成長していく為に、君の助けが必要です。

これからも二人で、支えあって、助け合いながら、
お互いに更に人として成長していければと心から願っています。“

と手紙をしたため、最後にI Love Youと書いて、
彼女の枕元において、病室を後にした。

僕は、家に帰って、パリの荷物を整理し、ベッドの中に入ったけれど、
やはり眠る事ができず、悶々としてまた一夜を明かした。
翌朝、気になって彼女の病室にまた行ってみた。

彼女は、丁度病院の検査を受けており、病室は、空っぽだった。 
ベッドの脇のテーブルをふと見ると、彼女から僕宛の手紙が置いてあった。

手紙を開けると、見慣れた彼女の文字で、

You are very important to me and we will grow together. I love you too.

“貴方は、私にとってとても大事な人で、私たちは、
これからも一緒に成長をしていきます。I love you too”

と書いてあった。

これからも二人で命の続く限り、同じ目線で助けありながら、
一緒に人として成長をしていきたいと思った。。





2007年02月01日  葉隠

今日も、底冷えのする寒い一日だった。
最近忙しくてジムに行く事も忘れていたので、
今日は、無理に時間を作ってトレーナーに来てもらい、2時間程汗を流した。

トレーナーは、僕を見ると、”痩せたね。”と言った。 痩せたのは、嬉しいけれど、
あんなに苦労しても痩せなかったのに、こんな事で急に痩せてしまうのだから、
人間なんて皮肉なものだと思った。

2時間みっちり汗を流した。途中で、意識が遠くなるような事があったけれども、
ドリンクを飲んで糖分を補給しながら、なんとか2時間続ける事ができた。 
年は、とりたくないものだ。。。

ジムの後で、熱いシャワーを浴びて体を覚醒し、仕事場に向かった。
仕事は、色々忙しく、一日中休む間もなく働いた。 
仕事が、終わったら彼女の病室に行こうと思っていたのだが、
実は、今日の夜には、東京の大手会社の経営陣とビデオ会議があるのをすっかり忘れていた。

忘れていたと言うか、日にちを一日間違えており、ビデオ会議は明日の晩だと思っていた。
明日は、ビデオ会議があるから、久しぶりに背広を着ないといけないなあなどと思っていたら、
実は、それが、今日だった。

僕と言えば、ジムに行った事もあり、ジーンズにエンジニア ブーツにラフなセータという出で立ちで、とっても日本の60代以上の旧世代の経営陣とビデオ会議ができるような出で立ちではなかった。

しょうがないので、寒い中を洋服を買いに出かけた。 
ビデオ会議は、どうせ上半身しか映らないので、下半身は、
そのままで良いとして、シャツとネクタイとジャケットだけを買う事にした。

ビデオ会議の直前に服を着替えた。上半身は、フォーマルなスーツ姿で、
下半身は、ジーンズにエンジニア ブーツという何とも言えないぶっかこうな
出で立ちになったけれども、まあ、誰に見られるという訳ではないので、
まあいいかという事で、ビデオ会議に臨んだ。

東京側は、全員がスーツだったので、
あーよかったと胸を撫で下ろし、なんとかビデオ会議をこなした。

ビデオ会議が終わり、買ったばかりのジャケット、シャツ、ネクタイを脱ぎ捨て、
いつもの格好に戻って、車に飛び乗り、彼女の病室に向かった。

昨日の今日だったので、彼女もまだ疲れており、
会話が弾むという感じではなかったけれど、
彼女は、僕を見るなり、両手を広げて僕を迎え入れ、暖かいハグをくれた。。

二人は、口数も少なく、ただ、お互いの手を繋いだまま、並んで座っていた。

僕は、頭の中で会話のネタを探していた。 それを見つけては、
二人でちょっと話をし、話が尽きると、二人で手を繋ぎ合ったまま、
小さな病室の壁を見ていた。。。 

話す事がなくなっても、僕にとって、彼女は、かけがえのない、
世の中で一番大事な愛おしい人だ。。。 
あと二週間頑張れば、バレンタインがやって来る。。

こんな事を考えてはいけないと思うのだが、もう残された時間が少ない気がして、
どうにもならない焦りが僕の気持を狂わせる。。 あと、もう少し時間があれば。。 
あと、もうちょっと時間があれば、僕は、この最愛の人と、
もっと沢山の思い出を事ができるのに。

焦ってもしょうがないのだけれども、兎に角、悔しい。。 
時間がなさ過ぎる。。 焦れば、焦る程、うまく話をすることができず、
結局、だまったまま、彼女の手を握り続ける事になる。。

わかってはいる事だし、覚悟はできているけれど、
いざとなると、どうにもならないのが、人間の弱さのようだ。。

今、僕にできる事は、彼女の手を握ったまま、
涙がこぼれないように天井を見つめる事だけ。。



2007年02月02日  St.John

昨日、一昨日と、落ち込み気味の彼女だったが、
今朝は、かなり気分も良くなったようで、明るい声が僕を安心させてくれた。

朝、仕事に行く前に彼女の病室を見舞うと、
彼女はベッドの中で、シーツに包まって顔だけを出していたが、
その大きな瞳をキョロキョロと動かし、僕に愛嬌を振りまいてくれた。

”昨日は、ゴメンネ。 昨日の夜、沢山寝たから、
今日は、元気になったよ。”と彼女は言って、また笑顔を見せた。

僕も、彼女に微笑んで見せた。そして、
”気分が良くなったって聞いて嬉しいよ。”と答え、彼女の額にキスをした。
新聞を読んで、チャイティを飲みながら、テレビのニュースを一緒に見た。

テレビを一緒に見ながら、彼女が急に、”パリも良いけど、
病院を出たら、カリブの島に貴方と行ってのんびりしてみたいな。
St.Johnとかどこか。”と言いだした。 

全く気まぐれだなと思ったけれど、それはそれで彼女の可愛いところなので、
僕は、テレビから目を離して、”St.Johnでも良いよ。 
君の好きなところに行って、暫くのんびりしようか?”と答えた。

すると、彼女は嬉しそうに笑って、”それじゃあ、早速、プランを練らなきゃ。 
いついけるか分からないけど、アタシは、貴方との旅行のプランをしてると、
何か、楽しくなっちゃうんだよね。”と言った。

僕らは、話をしながら、そのまま実現していないプランが、かなりある。
St.Johnもそうだし、彼女とアフリカに行く話、春になったら、
スペインのバルセロナに行く話、カンヌに行く話、ポルトガルに行く話、
ギリシャに行く話。。。

彼女と一緒だったら僕は、何処でもよい。 
彼女と、微笑みながら時間を過ごせる場所だったら、
何処に行っても、そこは、僕にとっては、天国だ。

そう思いながら、僕は、自分の最愛の天使の方を見た。 
彼女は、すっかりカリブの島にでも行く気で、鼻歌を歌いながら、
雑誌をめくっていた。

僕は、雑誌を見ていた彼女の顎を持ち上げ、彼女にキスをした。 
病室の窓の外は、相変わらずの冬の景色だ。 
今日の夕方から、天気が崩れ、また雪になるという予報だった。 
僕らは、少しだけ現実世界から離れ、空想の中で、
カリブの青い海と青い空を楽しんだ。


  バレンタインのプレゼントは、まだ隠してあるんだ。(笑)
  渡したくなる衝動を抑えながら、あと2週間我慢しないとね。(笑)



2007年02月03日  平凡な一日

ニューヨークは、寒い日が続いている。

まだ雪が積もらないだけましだけれども、今週になって何回か雪が降った。 
そんな季節になると、ニューヨークの道には、凍結剤がまかれるので、
そのおかげで、車は、真っ白になってしまう。

僕は、マフラーに顔を埋めてアパートの駐車場に行き、
真っ白になった僕のトラックに飛び乗ってエンジンをかけた。 
エンジンが温まり、暖房が効き始めるまで、僕は手を擦りながら白い息を吐いた。

朝の渋滞を縫いながら、仕事場に向かった。 
やりかけの仕事を一段落させ、僕は、いつものように
更正施設にボランティアに出かけた。 子供達といつものように話し合い、
彼女だったらどうするかを考えながら、注意深く言葉を選んで会話をした。 

そのせいで、2時間も話をしていると僕の脳みそは、カラカラになってしまう。
でも、言葉は、本当に注意をして選ばないといけない。 
不注意に使った言葉で、子供達の心を傷つけてしまうと、
彼らは、二度と心を開いてくれないからだ。

心を開いてもらうまで、どんなに時間がかかろうと、ただただ辛抱強く、
言葉を選んで会話をしていかなければいけない。 
心を開いてもらうのは、こんなに大変な事なのに、心を閉ざせるのは、
とても簡単だ。不用意な言葉一つで、簡単に、
今まで築き上げた関係を壊してしまう事ができる。

ボランティアを終え、車にのり、彼女が通っていた学校へ向かい
講義で使われた資料を受け取りに行った。 折角彼女が、心機一転決断をして、
学校に戻ったのに、病気のおかげで諦めないといけないのでは、
あんまりなので、せめて彼女がベッドの中で勉強を続ける事が
できるようにと言う想いで始めたものだ。

残念ながら単位は取れないけれども、少なくとも講義の内容を知る事はできる。
後は、元気になってから、また学校に戻ればよいと思う。

学校を出て、また車にのり、仕事場に戻り、残りの仕事をこなした。 
夜の8時半頃に、大体、仕事も一段落したので、
途中でメキシカンのテイクアウトを買って、彼女の病室に行った。

いつものとおり、彼女の隣にパイプ椅子を持っていって、
テレビを見たり、彼女と話をしながら、メキシコレストランで買った夕食を食べた。

僕もだんだん病室に住んでいるのではないか?と錯覚するくらい、
この小さな空間で過ごす時間が、最近多い。 ちょっと薬臭い、
殺風景な部屋ではあるけれども、彼女と一緒に時間を過ごす僕にとっては、
とても大事な空間だ。

場所すら病室だけれども、TVディナーを食べ、テレビを一緒に見て、
話をしてやっている事は、今までの二人の生活と変わらない。

食事を終え、ゴミを捨てに行き、彼女が眠りにつくまで、
彼女を見守り、彼女が眠りに落ちたのを確認して、回りを片付け病院を出た。

夜半には雪になると天気予報は言っていたが、幸い、雪には、ならなかった。 
僕は、朝と全く同じように、マフラーに顔を埋めて、
真っ白になった自分のトラックに乗り込んだ。 トラックのエンジンをかける前に、
病院を見上げ、彼女の病室のあたりに一瞬目をやった。。 
彼女がそこに見えるわけではないのだが、一瞬、彼女の存在を確かめるように、
彼女の病室がある辺りに目をやった。。

車の中では、ライ クーダーのスライドギターが、乾いた音とたてていた。
真冬の肌を切るような寒さと、乾いた心を切るようなライのギターが、
暗い夜を走るトラックの小さな空間の中で、渦巻いた。

家に帰り、部屋の灯かりもつけないままで、冷蔵庫からグラスを取り出し、
ウイスキーを注いで、一気にそれを喉に流した。

僕は、ウイスキーのボトルとグラスを持って、そのままベッドルームに行き、
ベッドの中に潜り込んだ。また次の一日が始まるまでの僅かの間、
ウイスキーの力を借りて目を閉じて、彼女の事を考えた。

そんな一日だった。。


  特に間違いを犯してしまった子供達に対して、放つ言葉は、凄く気を使います。
  僕は、いつも自分で言葉を発する前に、
  彼女だったら何て言うかな?って考える事にしている。


  言葉って、まるで刃物みたいに人の心を傷つけるからね。 
  だから、慎重にゆっくり喋るにこしたことは、ないと思う。


  若い時や、彼女が元気な時には、変わった事や特別な事を望んだけど、
  今となっては、ただただ好きな人と一緒にいたいです。 
  44歳になってこんな事を言うのは、恥ずかしいけど好きな人と一緒にいたいです。



2007年02月04日  Boogie Night

今年は暖冬だとたかをくくっていたら、このところ急に寒くなって来た。

来週は、最高気温が、いずれも氷点下になるようだ。
今日は、最高気温マイナス1度、最低気温マイナス10度という寒さだったが、
空は晴れ渡り、気温が低いだけに素晴らしい青空を見る事ができた。

午前中は、壊れたPowerBookの修理の為に、
Apple Storeに行き、Genius BarのGenius君に僕のPowerBookを診察してもらった。 

新しいPowerBook Proを買っても良いかなと思っていたが、
結局問題は、AirMacのカードが緩んで来てPowerBookの電池と
干渉して強制終了になっていた事がわかり、あっさり問題は解決してしまった。

僕は、すっかり新しいPowerBook Proを買うつもりでいたので、
ちょっと拍子抜けしてしまったが、1月は色々出費がかさんでしまったので、
思わぬところで節約ができて良かったのかもしれない。

午後は、髪の毛を切りに行こうと思っていたが、
その前に、彼女の病室に立ち寄る事にした。 結果として、
彼女の病室に長居をしてしまい、今日は、髪の毛を切る事ができなかった。

僕は、新しい花束と、CDとDVDをそれぞれ何枚か、
そして本屋で探した新しい小説を何冊か買って、彼女に差し入れをした。

病室のドアを開けると、彼女は、丁度、彼女のお婆さんの
誕生日カードにコメントを書いている所だった。 子供のような真剣な目つきで、
カードにコメントを書いている彼女を見て、僕は、ただただ微笑んでしまった。
なんと純真で無垢な人なのだろう。。

彼女は、ドアに佇み微笑んでいる僕にようやく気がついたようで、
”来てたんだったら、声をかけてよ。”とちょっとはにかんで笑った。 
僕も笑いながら、いつもように彼女の横に座って、
彼女の顎を持ち上げて、いつものようにキスをした。

僕といつものようにキスをすると、彼女は、またお婆さんに渡すカードに向かい、
色々と独り言を言いながら、適当なコメントを考えていた。 
たまに、独り言なのか、僕にコメントを求めているのか良くわからず、
彼女に話を聞いていないと言われる事があるので、
僕は、彼女の独り言にも返辞をするようにしている。

そんな奇妙な会話が二人の間で暫く続き、彼女は、
やっと自分が満足できるコメントを考えつき、
それをカードに丁寧に書いて、満足げに微笑んだ。

”お婆さんの誕生日は、いつも皆で中華料理に出かけたんだ。
アタシは、本当は、中華料が嫌いなの。”と言って、鼻に皺を寄せて笑った。
そう言えば、彼女との付き合いも長いけれど、中華料理を食べたのは、
数える程しかなかった事を思い出した。

最後に二人で中華を食べたのは、2年くらい前に、
僕の仕事のディナーに無理矢理付き合ってもらって、
52丁目の旧CBSレコードの本社のあったビルにあるChina Grillに行った時なので、
本当に彼女は、中華料理が嫌いなのかもしれないと思った。

僕は、彼女に、”君とはもう長いけど、まだまだ知らない事ってあるんだろうな。
 また新しい事を知って、なんか得した気分だな。”と言って笑った。 
彼女も笑った。そして、”長く一緒でも、毎日あたらしい発見があるよ。”と言った。

ひと月程前に偶然再会した友達が、
またダウンタウンのクラブでBuesを演奏する事になっており、
僕に遊びに来ないかと誘ってくれたので、今夜は久しぶりにギターを弾きに行く事にした。

僕は、昔の事故で左腕が殆ど効かないので、
昔のように弾く事はできないけれど、昔のブルースプレーヤーには、
事故やブランクはつきものだから、指が早く動かなくても
大した問題ではないと、その友達は、言ってくれた。

”お前は、チョーキングだけでも飯を喰っていけるよ。”と彼は、冗談を言って目配せをしてくれた。

彼は、きっと気休めを言ってくれたのだろうけれど、
僕は、それをすっかりその気にし、今夜、彼のショーに遊びに行く事にした。
彼女も、僕が、病院と仕事以外にも自分の時間を持った方が良いと言っていたので、
久しぶりにギターを弾きに行くのを喜んでくれた。

僕は、もう25年間連れ添っているレスポールを持って行く事にした。
彼とは、ブギーをやろうと話していたので、Boogieをやるには、音の太いレスポールしかない。

という事で、ちょっと夜遅くなったけれど、これからちょっとBoogieを演ってきます。。。

ギターケースを持って病室を出ようとすると、
彼女が、”楽しんで来てね。 でも、浮気は駄目よ。”と言って笑った。 
僕は、笑って、彼女の所まで戻り、額にもう一度キスをした。



2007年02月07日  Welcome Home

かなり前から、医者と話をしていて、彼女をちょっとの時間でも
病院の外に連れ出してあげたいと言っていたのだが、ようやく医者からOKが出た。

彼女が不意に倒れて入院をしてから、早いもので、もう2ヶ月がたっていた。
色々医者と相談をして、結局、日曜日の午後に遠くに行かない事を条件に、
彼女を外に連れ出す許可を貰った。

前日の土曜日に彼女を見舞い、
何気なく、”明日、外出していいってさ。”と言うと、彼女は、
最初キョトンとした顔をしていたが、僕の言った事を理解するなり、
”嘘でしょ? 嘘でしょ?”と何度も聞き、僕が、”本当だよ。”と言うと、
まるでプレゼントを貰った子供のように、大きな声で、叫び声をあげ、
僕を力いっぱい抱きしめてくれた。

よほど嬉しかったようだった。。

”早く寝ないと、明日外出できないよ。”と僕は
遠足の前日に興奮して眠れない子供をあやす様に、
彼女を諭して、彼女が眠りにつくまで、彼女の隣に座っていた。

かなり長い時間が、たってようやく彼女は、寝息を立て始めたので、
僕は、病室を片付け電気を消しアパートに帰った。

家に帰って、アパートの掃除をし、ベッドシーツを新しいものに変え、
食料品店に行って、明日の晩飯の食材を買い込んだ。
彼女を、遠くに連れて行くことは出来ないし、無理もさせられないので、
僕は、彼女をアパートに連れて行きそこで僕の手料理をご馳走することにした。

二人でゆっくり久しぶりに自分達のアパートで時間を過ごす事ができれば、
彼女も嬉しいかなと思ったからだ。

結局、掃除をしたりで、僕は一晩中おきていた。
遠足の前日に興奮して眠れない子供のようなのは、
彼女ではなく、僕のほうだったようだ。

日曜の朝になり、僕は、いつもどおり、午前中は、
ジムで汗を流した後、昼過ぎに彼女を病室に迎えに行った。

病室のドアをあけると、彼女はもう既に外出する準備を終えており、
ベッドに座って僕が来るのを、満面の笑みで待っていた。 
隣にいつもの看護婦が、困ったような顔をして彼女の身繕いを手伝っていた。

”おはよう。今日も寒そうだけど、天気が良くて良かった。 
雪とか雨だったら嫌だなと思っていたからね。”と彼女は、陽気に言った。

僕は、微笑んで、彼女と少し会話をし、病院で必要な手続きをした。 
夕方までに帰ってこないといけないのだが、どうせ、帰りが、夜になるのは、
看護婦も感ずいているようで、
”ちゃんと電話をして下さいね。”とぶっきらぼうに僕に念をおした。

この看護婦さんには、本当に御世話になっている。 
見た目は、とっつきにくいけれども、僕らのことを本当に心配してくれているのは、
分かっているし、何度か物陰で彼女に隠れて泣いているのを見た事がある。

僕は、看護婦に、”迷惑はかけないようにするから。”と言って笑って、
彼女の肩を叩いた。 

用意ができたので、僕は、彼女を抱き上げ、車椅子にのせ、
病院の前に止めてある車に向かった。 
あまりにも前日の彼女のはしゃぎぶりが可愛かったので、
意味はないが、何となく病院に来る前の店先で、
小さな白いテディベアを見つけて、それを買い車椅子にのった彼女にテディベアを渡した。

彼女は、それを素直に受け取り、自分の膝の上に置いた。 
彼女とテディベアを乗せた車椅子は、僕に押されて病院の玄関を抜け、
寒気の中を通って、車の前についた。

”思った以上に寒いんだね。”と彼女は、嬉しそうに呟いた。”ほら、
息がこんなに白い。”と、彼女は、まるではじめて北国に来た子供のように、
はしゃいでいた。

僕は、彼女を抱きかかえ、車に乗せ、車椅子をたたんでアパートに向かった。

本当は、まっすぐにアパートに行くつもりだったのだが、
彼女が海が見たいというので、ちょっと遠回りをして
マンハッタンの東側を走る高速に乗り、
イースト川を横に見ながらバッテリーパークを目指した。

車の中で、彼女は、あそこに二人で出かけて何をしたとか、
あそこのレストランに二人で出かけたとか、途中で、
二人で出かけた場所を見つけては、指をさし、
まるで僕たちの出会いから今日に至るまでの思い出を、
もう一度振り返っているかのようだった。 一つ一つ思い出を噛み締めるように。。。

バッテリーパークは、マンハッタンの南端に位置する公園で、
自由の女神が見守るニューヨークの港を一望できる場所だ。 

僕は、公園の近くに車をとめ、車の中から彼女と一緒に海を眺めた。
彼女は、車椅子にのって外に出たがったが、風が冷たかったので、
風邪をひかせないように、車の中から、景色を眺める事にした。

近くのスターバックスでチャイティを買い、彼女とそれを分け合いながら、
港を見ながら、色々な話をした。

”海は、いいよね。 前に、アタシが眠れないときに、
夜中に二人でコニーアイランドの海を見に行ったのを覚えている? 
あの時に、貴方が、アタシがおきているのに気がついて、
夜中なのに、二人で海を見に行こうかって言ってくれたのが、
凄く嬉しかった。”と彼女は、言った。

”こうやって考えると、アタシたちには、
本当に数え切れないくらいの沢山の思い出があるんだね。”と彼女はふと呟いた。

僕は、”そうだね。 思い出が沢山あるね。”と言って、彼女の肩を抱きよせた。
思い出は、人によって多かったり少なかったりするのではなく、
ちょっとした事でも、記憶の底に留める様な心の機微があるかどうかが、
思い出の数の多さ、少なさに繋がっているのだと思った。 
僕と、彼女の心の機微は、彼女の病気のこともあって、
より小さな事にも反応するようになっているのだろう。。 

夕方になり、更に気温も下がって来たので、
僕らは、バッテリーパークを離れ、アパートに向かった。

アパートに向かう車の中で、彼女は、
ずっと車の窓から外の景色を感慨深げに見つめ、一言、”懐かしいね。”と呟いた。

車をアパートに横付けし、僕は、彼女を抱きかかえて、アパートの中に入った。 
ドアを開け、彼女をベッドに寝かせ、僕は、彼女に”おかえり。”と言って、キスをした。

彼女は、笑って、”ただいま。”と言い、”家の匂いがするね。”と言って
周りを懐かしそうに見回した。

”やっぱり家が良いね。 たくさんの色があるし、貴方の匂いがするし、
大好きなものが沢山あるし、、やっぱり家が良いね。”と彼女は、呟いた。 
そして、”アタシを連れて帰ってくれてありがとう。”と言った時に、
彼女の頬に涙が流れた。。

僕は、もう一度彼女を抱きしめて、彼女の横に座り、彼女の手をとって、
彼女と一緒に小さなアパートの隅から隅を眺めて、改めて彼女が帰って来た事を実感した。

僕は、”僕の所に帰って来てくれてありがとう。”と言って、
もう一度彼女にキスをした。

コーヒーテーブルには、彼女を迎える為に、
大きな百合の花束を買って花瓶にいけておいた。 
僕には、匂いがわからないが、彼女は、百合を良い香りだと言って、
暫く目をつぶって、匂いを楽しんでいた。

僕は、暖炉に久しぶりに火を入れた。 
暖炉に焼べられたもみの木が、パチパチと音をたてて、
柔らかいオレンジ色の炎を放ち、僕と彼女は、暫く暖炉の暖かさと、
炎の色と、パチパチと言う音を楽しんだ。

暖炉の炎で、彼女の顔を赤く照らされた。 
彼女は、暖炉を見つめながら、”暖かいね。 そして良いにおい。”と言った。
僕は、彼女の瞳に映ったオレンジ色の炎を見つめていた。 
彼女は、それに気づき、僕に向かって微笑んでくれた。 
僕も彼女に微笑んだ。

車の中では、あれほど沢山話をしていたのに、
家に帰ったら、二人の会話が少なくなった。 会話はなくても、
二人は、暖かい気持に包まれた。 僕は、何よりも幸せな気持になり、
彼女がここに帰って来た事を、神様に感謝した。

会話をする必要がなかった。。 
二人で寄り添って、家の中の小さな事に、目をやり、耳を傾け、
匂いを感じるだけで、二人の気持は、通じ合った。

暫く、僕らは、その感覚を楽しんだ。 
そして、僕は、彼女の為に、夕飯の用意を始めた。 
食事は簡単なもので、マリネートされた骨付きの肉を
ソースにつけてグリスしたものと、サラダにパスタを用意した。

彼女は、ベッドから、僕が料理をするのを眺めていた。 
たまに料理や食材について質問をした。 さっきとはかわって、
僕らは、会話を楽しみながら、
まるで二人で料理をするかのようにして時間を過ごした。

料理ができ、僕は、料理をベッドに持って行った。 
お酒は飲めないので、クランベリー ジュースで乾杯をした。 
アパートの灯りを消して、ロウソクをたくさん灯し、
暖炉とロウソクの火の中で、ステレオからは、季節外れの
ジャネット ケイのレゲエをかけて、ゆっくりと食事を楽しんだ。

時間をかけて二人で食事を楽しみ、食事が済むと僕は、
簡単に洗いものをすませ、彼女の隣に腰をおろして、
また暖炉とロウソクの炎を眺めながら、二人で話をした。 

なんともロマンティックで幸せな時間がながれた。 
なんとも、静かで、優雅で、愛おしい時間だった。。

僕らは、このままずっと二人で一緒にいたかったけれど、
既に、病院に戻る時間を遥かに過ぎていたので、
僕は、彼女を諭して抱きかかえ、病院に戻る事にした。

彼女は、名残惜しそうに、部屋を見回し、
僕の腕の中で、”またつれて帰って来てね。”と言った。

僕は彼女に笑って頷き、アパートを後にし彼女を車に乗せて病院に戻った。

病院について、彼女を車いすに乗せようとすると、
彼女が珍しく、”車椅子じゃなくて、このまま抱きかかえて、
アタシを病室まで連れて行って。”と甘えてみせた。

僕は彼女に言われた通り彼女を抱きかかえたまま病室に戻った。 

例の看護婦が、呆れた顔で、僕らの事を出迎えた。 
僕は、看護婦にウインクをして、”遅くなってごめんね。”と謝った。 
看護婦さんは、それには答えずに、”早く着替えてくださいね。”とだけ言って、
彼女の着替えを手伝った。

僕らは、彼女を病院のベッドに戻し、病室の光景は、
今朝、僕がここを訪れた時と同じになった。。。

僕は、いつものように彼女を寝かしつけ、その後で病室を片付け病院を後にした。 
今日の一日を思い起こして、独りでニヤニヤと笑いながら、
病院の前に止めてある車に戻った。

寒さも感じない程、幸せな一日だった。。


  御姫様だっこって言うんだっけ? 彼女が元気な頃は、
  結構重労働だったのですが、病気でやせて簡単に
  抱き上げられるようになったのが、ちょっと切ないけどね。



2007年02月10日  残された時間

入院後、彼女に初めて外出許可が出て、
僕らは、久しぶりに二人で家に戻ることが出来た。

彼女を病院に戻して、またいつもの日々に戻ったが、
あれ以来彼女は機嫌が良くなり、気持ちがポジティブになってきたような気がする。

彼女の気持ちがポジティブになると、僕の気持ちも自然にポジティブになる。 
僕自身のためにやらなければいけないことに加えて、
彼女のためにやらないといけない事も沢山あるので、忙しい毎日を送っているが、
彼女に生きようという気持ちが強くなればなるほど、
僕の気持ちにもハリが出てきて何とか頑張ろうという気持ちになる。

自分の仕事をし、財団の仕事をし、更正施設のボランティアをし、大学に行き、
彼女の身の回りの世話をする。 ほんの何ヶ月の事だけれども、
もう何年もこういったサイクルで生活をしているような気がする。

一日の始まりや終わりに、彼女を病室に見舞い、僅かな時間、手を握りながら、
お互いの話をする。 週末はもう少し、二人の時間があるけれど、
限られた時間を惜しむように、僕らは、毎日、お互いの話をしている。

いつかこういった時間にも終わりが来る。終わりが近い事もお互いに分かっている。 
だけれども、最後の最後まで、
惜しむようにその残された時間を大切に使いたいと思っている。

また来週あたりには、外出許可を貰いたいと思っている。 バレンタインあたりに、
外出ができたら最高だけれども、別にバレンタインデイでなくても彼女と一緒にいられれば、構わない。

僕は、たまに思い出したように引き出しから、彼女に渡す指輪を眺めては、
一人、彼女のことを考えている。 あと少しで、僕は彼女に気持ちをうちあける事になる。

バレンタインデイまであと4日。


  今だから話すけど、去年の年末頃は、
  彼女は、バレンタインまで生きられないと思っていたんだ。
  だから、凄く嬉しいね。 彼女、喜んでくれるといいな。 


  そうなんですよ。 改めて緊張します。
  去年の夏からすべてが変わって、夏、秋、冬と二人で季節を駆け抜けて、
  ヨーロッパに行っている間に、彼女が倒れて、それから、
  日本に何度か行って、財団を作って、、と考えると、
  本当に色々な事があったので、改めて告白をするのは、凄く緊張します。(笑)



2007年02月11日  ありがとう

相変わらず、寒い日が続いている。

僕は、昔は寒い日が嫌いだったのだが、最近は寒い日に暖かい格好をして、
冬景色の公園や、街並を歩くのが結構好きになった。

今日も、コートを羽織り、マフラーで顔を隠して、ポケットに手を突っ込み、
ウエスト ビレッジの街並を一人散歩した。 
冬の凛とした太陽の光に包まれると、心も体も清められる気がする。

この街には、彼女との思い出が沢山詰め込まれている。 
どの街角にも、彼女との思い出がある、僕と彼女にとっては忘れる事のできない街だ。

今日も一人街を散歩しながら、ふと立ち止まり、周りを見渡すと、
僕は、昔そこを彼女と一緒に歩いた思い出をいくつも思い出す事ができる。

それは、夏の夜に、二人で通りに出されたオープンカフェのテーブルで、
手を繋ぎながら、コスモポリタンを飲んだ思い出だったり、
雨の日に、二人で身を寄せ合って一つの傘で雨をしのぎながら、
歩いた思い出だったり、春に二人で散歩をして、
通りのコンクリートの割れ目から元気よく生えて来た雑草を見つけた思い出だったり。。

ふと思い出から、我に返り、ひとり微笑んでいる自分に照れ笑いをして、また歩き出す。

後で、彼女をまた病院に見舞いに行こう。。

最近は、どんな小さな事にも、命を感じ、感謝の気持を感じる。 
小さなものにも命があり、自分は、周りによって生かされている。

全てのものに感謝をしながら、僕は、また冬の街を一人歩き始める。
”ありがとう。”という気持が、僕の心の中に満ちて来る。

僕の周りには、悲しい事や切ない事が沢山あるけれど、
それでも僕は、こうやって生きている。 しかし生かされているからこそ、
今日のこの日をこうやって過ごす事ができる。

この世から去るその日まで、残り少ない日々を全てのものに感謝しながら、
毎日噛み締めるように大切に生きて行く事にしよう。

彼女が、その翼を再び広げて天国に帰る時に、
僕も連れて行ってもらえれば嬉しいなと考えながら、
優しい気持で独り街を歩いて行く。

ありがとう。。



2007年02月12日 Tenessee Waltz

彼女が、初めて外出許可を貰ったのは、2月4日だった。

その後、経過も良く、それ以来、彼女も明るくなり、
僕らは、僕らなりに精一杯生き、二人の僅かな時間を悔いなく過ごそうとした。

この一週間は、本当に、僕らに久しぶりに訪れた楽しい愛に満ちた日々で、
若い頃の恋のように情熱的なものではないけれど、
僕らは僕らなりに、静かだけれども何とも心温まる一週間を送る事ができた。

だが、あれから一週間して彼女の容態が急変し、
ついに彼女は、僕の呼びかけにも答えなくなってしまった。

今日も夕方近くに彼女の病院に行き、彼女の隣に座り、手を握り、
彼女に話しかけても、彼女は、眠りについたままで、あの愛くるしい目を開けて、
僕に微笑みをくれる事もなければ、僕の手を握り返してくれる事もない。

ただ、僕の最愛の人は、ベッドで呼吸器の助けを借りながら目を閉じたままでいる。

明日の朝には、彼女の両親もフロリダからニューヨークに飛んで来る事だろう。 

僕は、ただ一人、彼女の隣に座り、目を閉じたままの彼女に静かに語り続けた。 
今日の出来事を語り、思い出話を語り、一日話を続けた。 
彼女の手を握ったままで、丸一日、話を続けた。。

話が尽きると、僕は、彼女の隣で鼻歌を歌い始めた。
昔の唄、僕らが好きだった唄、子守唄、、知ってる唄を全て唄った。
彼女の手を握ったまま、その握った手でリズムを取りながら、
まるで彼女を寝かしつけるように、いつまでも唄を唄った。。

最後に、僕は、テネシーワルツを唄い始めた。 
カントリーの名曲で、僕は若い頃にアメリカを彷徨った時に覚えた曲だ。 

日本では、江利チエミという歌手が、この唄を唄っていた。
そんなことを目をつむったままの彼女に語りかけながら、
テネシーワルツを何度唄っただろうか。。 

今日は、僕は、この病院にまた泊まる事になる。 
もう夜中の1時近くなので、周りに人はいない。。 
この日記を書き終わったら、また彼女の手を握り、唄をうたおう。。。 
彼女が、僕の唄でもう一度、目をさましてくれる事を、心から祈りながら。。

”私は、愛するあの人と、テネシーワルツを踊っていた。

私の幼友達が、たまたまそれを見かけたから、

私は、あの人に幼友達を紹介したの。

そして、彼女があの人と踊りを踊っている間に、

彼女は、私からあの人を奪って行ってしまった。

私は、あの夜とテネシーワルツを忘れない。

私は、失ったものの大きさを知ってしまった。 

そう、あの美しいテネシーワルツが流れていた夜、私はあの人を失ってしまった。”


   彼女の瞳の中にもう一度僕が映ったらどんなに素敵だろうと思います。



2007年02月13日  やせ我慢

本当は、心は張り裂け、気持ちは千切れてしまいそうなんだけれど、
こういう場面では、最後まで、男らしくカッコつけていたい。

別に誰かの視線を気にしているわけではないけれど、
あえて言うならば、最後まで彼女が自慢できる恋人になれるように
努力をしたいので、精一杯、やせ我慢をして強い男のふりをしている。

取り乱すことなく、泣き叫ぶことなく、ただただ最後の最後まで、
彼女の手をとって、静かに話を続けたい。。 
昔の日本人のように、天命に凛として向き合っていきたい。

昔の人は、天命を認めながら、冥加に尽きるまで、
凛として努力を続けた。 僕も、日本人の男の端くれであるならば、
最後は、日本人として、そのような男でありたい。

明日は、雪が降るらしい。 雪のバレンタインデイは、久しぶりの事だ。
僕は、今も彼女の手を取りながら、一人、静かに彼女と話をしている。

天気の話、施設の子供達の話、ボランティアの話、大学の話、
財団の話、グラミー賞の話、カンヌ映画祭の話、アフリカの話、
温暖化の話、彼女の好きな靴の話、、話題は、尽きない。。。

たまに話が途切れると、僕は、天井を向いて次の話題を探したり、
少し立ち上がって、窓の景色をみたりしている。 

いつもと変わらない風景だが、ただ病室は、静かで、
僕の声だけが響いている。。。 僕は、雰囲気を変えようと、
新しい花をいけてみた。 本当は、僕は、牡丹の花が、
欲しかったのだが、この季節にこの国で牡丹は、手に入らない。

別の花で代用をし、病室を綺麗に花で飾ってみた。 
テーブルの周りを掃除すると、引き出しの中から、
見慣れた筆跡が書かれた封筒を見つけた。 あて先は、僕だった。
彼女から僕宛の手紙を手にとって、暫く考えていたが、
僕は、その手紙を開けることなく、また引き出しの下に閉まった。

今は、僕は、彼女と話をしまければならない。。
まだ話したい事が沢山あるから。。



2007年02月14日  君が残した優しい思い出

彼女の両親が、ニューヨークにつき、彼女の看病を始めたので、
結果的に、僕は、彼女の病室を去らなければならなくなった。

理不尽だとは思うけれども、彼女の前で喧嘩をしてもしょうがないので、
僕は、不本意ながら病室から立ち去った。

手を離すと、彼女ともう二度と会えないような気がしたけれど、
僕は、彼女の手をもう一度硬く握り、話しかけ、手にキスをして立ち上がった。 

目を閉じたままで、何も言わない彼女の顔を暫く見つめ、
僕は、ドアを開けて病室から出た。

廊下であのぶっきらぼうな看護婦が、僕を見て泣いていた。。
僕は、彼女の肩を抱いて、”あとは、宜しく頼む。”と伝え、
彼女に何かあったら電話をするように頼んだ。

彼女は、赤くなった目を伏し目がちにして、
僕の顔を見ないで頷いた。

何日ぶりにか、僕は、病院の外に出た。 
もうかなり時間が経ったような気もするし、全てが起こったのが、
ほんの昨日だったような気もする。

肌を刺すような寒気の中、僕は、歩き始めた。 
今夜から雪になるという事で、刺すような寒気も若干湿っているように感じられた。
僕は、別に行くあてもなく、歩き始め、気がつくと、
彼女が通っていた大学の前に立っていた。

ベンチに腰を下ろし、行き交う学生達をぼうっと眺めていた。
その中に、彼女の幻を何度も見た。 この大学にも沢山の思い出がある。。
彼女は、夜学に通っていたので、いつも授業があるたびに、
僕は、彼女を車で迎えに出かけ、ここで彼女を待っていた。

春の夜、夏の夜、秋の夜、冬の夜と季節を越え、
その季節ごとに、大学の中から出てくる彼女を思い浮かべる事ができた。。

車に乗り込むや否や、その日の授業での出来事をまくし立てていた彼女。
試験の前に神経質になっていた彼女。。 
先生からの質問に見事に答えられたと得意げになる彼女。。

そんな事を思い浮かべながら、僕は行き交う学生達を眺めていた。
一人、ベンチに腰を下ろして。。

このまま雪が降り出すまで、ここに座っていようかなとふと思った。。



2007年02月15日  You Are So Beautiful

昨日の夜からニューヨークでも雪が降り続き、
今朝は、一面雪景色になった。

彼女の両親は、夜遅くまで彼女の病室にいたが、その後、
仮眠を取りに家に帰ったので、僕は、夜中過ぎに病院へ戻り、
彼女の病室で朝まで時間を過ごした。

病室の明かりを消したまま、彼女の手を取って、話を続けた。 
病室が暗いので、窓から雪が舞うのが良く見え、キラキラと光って見えた。

病室の中は、静まりかえっており、僕の声のほかには、
スチームヒーターの蒸気の音と、雪が降る音だけが聞こえた。 
雪のおかげで空が低く、明け方になると、通りで人が話をする声や、
遠くの電車の汽笛まで、様々な音が聞こえてきた。

僕は、そういった音を聞きながら、彼女の手を握り続け、話を続けた。

夜があけ、朝になり、そろそろ彼女の親が戻ってくる時間になったので、
僕は、もう一度彼女に話しかけ、キスをして、その場を立ち去った。

ひょっとして、バレンタインデーだから、
彼女が目を醒ましてくれるのではないかと淡い期待もしたが、
現実は、そんなには、甘くない。。

”また来るね。”と彼女につげ、僕は、病院を出て、車に乗り込んだ。
灰色の空の下を、僕は、仕事場まで車を走らせた。
空からは、無数の雪が舞い落ちてきた。 信号待ちをしている間に、
空を仰ぐと、本当に天使が下りてくるような感じがした。

僕の大事な天使も、低い灰色の空から、姿を現してくるような気がした。 
後ろの車のクラクションで我に帰り、僕は、また車を走らせた。

今日の夜遅くに、また彼女のところに帰るつもりだ。
バレンタインデーを彼女と一緒に過ごす為に。。



2007年02月16日  雪のバレンタイン デイ

今年のバレンタインデイは、前夜から引き続き、雪になった。

僕は、彼女の病室で、バレンタインの朝を迎えた後、仕事場に向かった。 
他の大都市同様、ニューヨークも雪に弱い。雪が降った途端に、
道路は混乱し、歩道もいたる所が、雪のために歩く事が困難になる。

僕は、そんな朝の混乱の中を車を走らせ、
いつもの通り自分のビルの駐車場に車を滑り込ませた。
駐車場から下界に出ると、いたる所、バレンタインの風景を見る事ができた。

雑貨屋の店先には、バレンタイン用の花束が並べられ、
チョコレートやキャンディのBoxが売られていた。
街のいたるところにバレンタインの文字や、ピンクや赤のリボンが飾られていた。

雪の中でも道を行き交う人々の中には、
花束を抱えて歩いている人をちらほら見かけた。

一人の若者が、雑居ビルの入り口の前に立ち、大きなバラの花束を抱えながら、
携帯電話で彼女に電話をしているのに出くわした。 
きっと、バレンタインの花束を渡す為に、雪の中を彼女の仕事先まで来て、
彼女を驚かそうとしているのだろう。。。

昔の自分を見ているような気がして、自然に僕は、微笑んでいた。 
僕と同じで、彼のそばを通り過ぎる通行人は、男女を問わず、
皆、優しく微笑んでいるように見えた。 通行人の一人の老婆が、
電話をかけ終わり、ビルの入り口で彼女が降りてくるのを待っていたその若者に、
笑みを浮かべながら、”Happy Valentaine's Day!”と言葉をかけた。
その若者も、照れ笑いをしながら通りすがりの老婆に
”Happy Valentaine's Day!”と返事をした。

僕も何となく、心が温かくなり、微笑みながら、彼の脇を通り過ぎた。
純粋な愛情には、それが誰であり、心が温められるもののようだ。。

僕の仕事場は、ビルの高層階にあるので、
仕事場の窓から見る下界の世界を、まるで天界から見下ろすように見えた。 
ビル風に煽られて雪が、横なぶりに、たまには、下から上に吹き上がっているように見えた。
夜になるとそれがビルのライトに照らされて夜光虫のように美しく光った。。

僕は、夜遅くまで仕事場で仕事を続けた。 
夜の8時過ぎには、ビルの清掃員がやって来て、いつものように僕の部屋を掃除してくれた。 
僕は、彼らにバレンタインの菓子箱をあげて、”Happy Valentine's Day!”と言って微笑んだ。

その年老いた清掃員は、人懐っこい顔をくしゃくしゃにして、
”グラシアス”と言って笑うと、菓子箱を受け取り、
スペイン語で鼻歌を歌いながら、別の部屋を掃除するために去っていった。。

僕は、彼の後姿を見送り、また仕事に戻った。 
ラジオからは、バレンタインに因んだ唄が流れ続けていた。 

たまに、仕事の山から目を離し、
僕の机の上で微笑み続ける彼女の写真を手にとって見た。

彼女は写真の中でいつもと変わらず、愛らしい微笑を僕に投げかけてくれていた。。
暫く仕事を続けたが、かなり遅くなってきたので、
日付が変わるまでに慌しく仕事場を後にし、僕は彼女の病室に戻った。

花屋さんに頼んで作ってもらった花束を持って、
彼女の病室の扉を開けた。昔読んだ子供の童話のように、
僕の眠れる美女は、今朝見た時と同じように、静かにベッドの上で目を閉じていた。

聞こえる音は、病室の暖房のスチームの音と、
彼女に取り付けられた生命維持装置の音が、聞こえるだけだった。 
僕は、まるでパントマイムでもしているかのように、
彼女の微笑んで、花束を飾り、椅子に腰を下ろして、
彼女の手を握り、”Happy Valentine's Day!”と語りかけ、
握っていた手にキスをした。

花束を花瓶に刺して、バレンタインカードを花瓶に貼った。 
彼女に宛てて書いた、カード。。 もう何回も、彼女にカードを渡したけれど、
今回ほど何を書こうか悩んだ事はなかった。

悩んだ挙句、僕は、カードにこう書いた。。

”Happy Valentine's Day!

いつも僕と一緒にいてくれてありがとう。

君が僕の人生に舞い降りてきてくれたその日から、
僕の人生は、愛の力によって大きく変わり始めました。

そして、何年かの月日がたった今でも、愛の力は、衰えるどころか、
どんどん強さを増し、君のおかげで、僕の人生は、
より意味深い、幸せなものになりました。

そんな君の優しさと深い愛情に、感謝します。 ありがとう。

君が眠ったままになってしまった今でも、
僕は、君の手を握っているだけで君の愛を感じ、それは僕に力をくれます。

いつか君とまた昔のように話が出来るようになった時には、
君の愛の力のおかげで、僕がどれだけ成長したかを見せられるのを楽しみにしています。

永遠の愛を誓って。。”

僕は、彼女にそれを読んで聞かせて、もう一度、”ありがとう。”と言い、
カードを入れた封筒の封を閉めた。

そして僕は、病室の明かりを消して、パイプ椅子に深く腰掛け、
彼女の手を握ったまま、目を閉じて、彼女に語り始めた。。

僕らのバレンタインデイは、そうやって終わって行った。。。



2007年02月17日   I Believe

バレンタインも終わり、また普通の日々が、戻って来た。

雪は、14日の夜には止んだが、それまで降り積もった雪が、
道端に集められ、いたる所に灰色の雪山ができあがっていた。

僕は、相変わらず、夜中に病院に行き、彼女のベッドの隣で、
彼女に語りかけながら夜を明かし、
朝になると仕事に出かけるという生活を繰り返している。

昼間、仕事をしながら、居眠りをしたりするのが、日課になってしまった。 
僕の仕事関係の人達は、彼女の病気の事を誰も知らないので、
僕が、また遊びほうけて昼間ついつい居眠りをしていると思っているらしい。
いつか彼女とまた話ができるようになった時に、二人の笑い話にしよう思います。


今日も仕事が暇になると、机の上に足を投げ出し、
目をつむって仮眠を取り、時間を見つけて更生施設のボランティアに出かける。
そして夜遅くまで働いて、また彼女の眠る病室に戻るという毎日だ。

全ては、彼女の為と、僕の為。。 彼女が目を醒ました時に、
恥ずかしい所は見せられないので、
少しでも成長した所を見せたいという一心だけだ。 
彼女とは、一緒に成長して行く(We shall grow together)と約束したから。。

病院で、昏睡状態になってから、1週間以内に覚醒しないと、
覚醒する可能性が非常に少なくなるという話を聞いた。 

彼女の親はどう思っている知らないが、
僕は、まだ彼女が帰って来ると信じている。 
そう信じているし、そう信じないと、
僕の存在も否定されてしまうようで、どうして良いのかわからない。

今日も彼女の手を取って、僕は、彼女に話しかける。

”僕は、君を信じているよ。”と、ふと彼女に話しかけた。 
気のせいか、彼女が僕の手を握り返したような気がした。。 
でも、それは、気のせいのようだった。

僕は、ちょっと微笑んで彼女の顔を眺め、彼女の手を取ってキスをした。

何を話そうかと考えたけれども、思い出したように、
僕は、ベッドの脇に置いてあった僕と同じ年のLG-0を手に取って、
Blessid Union of SoulsのI Believeを唄った。

唄声は、低く病室に響いた。 彼女は、目を閉じたままだけれども、
僕は、彼女に聞いて欲しくて、ただ一人唄を唄った。

”闇の中を光を求めて闇雲に歩き回った。

闇雲に歩いて、なんとか救いの手を見つけ、すがろうとした。

どうして?なんて聞いちゃいけないし、無理に理解しようなって思わない方が良い。

心を開いて、気持を自由にして。

そうすれば、僕と君は、そんなに離ればなれじゃないって気づくはずさ。

だって、僕は、愛が答えだって信じているから。

愛が、道を示してくれるって信じているから。。。”

Walk blindly to the light and reach out for his hand
Don't ask any questions and don't try to understand
Open up your mind and then open up your heart
And you will see that you and me aren't very far apart

Cause I believe that love is the answer
I believe that love will find the way

violence is spread worldwide and there are families on-thestreet
And we sell drugs to children now oh why can't we just see
That all we do is eliminate our future with the things we dotoday
Money is our incentive now so that makes it okay.

But I believe that love is the answer
I believe that love will find the way
I believe that love is the answer
I believe that love will find the way

I've been seeing Lisa now for a little over a year
She said she's never been so happy but Lisa lives in fear
That one day daddy's gonna find out she's in love
With a nigger from the streets
Oh how he would lose it then but she's still here with me
Cause she believes that love will see it through
And one day he'll understand
And he'll see me as a person and not just a black man
Cause I believe that love is the answer
I believe that love will find the way

I believe I believe I believe I believe that love is the answer
I believe that love will find the way Love will find the way

Love will find the way
Love will find the way
Please love find a way
Please love find a way



2007年02月19日  I Still Believe In Love

アメリカは、日本に比べて連休が少ないが、
今週は、President Dayの祝日で、3連休で月曜日が休みになる。

土曜日は、朝から晴れわたりとても美しい日になった。 
僕は、金曜日の夜中から彼女の病室にいて、
いつものように彼女に話かけ続け夜を明かし、
いつのまにかうたた寝をしてしまったようで、
冬独特の柔らかい朝日を感じて目を醒ました。

うたた寝をしても彼女と手を繋いだままだ。。 
目をこすりながら彼女の方を見て、”おはよう。”と声をかけた。 

朝日が昇りきるまで彼女の隣で時間を過ごし、
彼女の両親が来る前に、僕は、病室を出た。 
”夜になったら、また話をしに来るよ。”と彼女につたえ、
僕は、病院の外に出て、土曜の朝の道を歩いた。

僕は、週末早くのニューヨークを歩くのが好きだ。 
車も人も少なく、いつもとちがって、この広い通りに僕一人。。 
とても贅沢な気持がする。

息をするたびに、冷たい空気が気管の奥に入って来るのを感じながら、
僕は、雪のセントラルパークを少し歩いた。

そういえば、何年か前に、彼女と一緒に雪の後に、
セントラルパークを歩いた事がある。 

あの時も、周りに人がおらず、まるでセントラルパークが、
二人のもののように思えたっけ。。 
二人で雪に埋もれた林の中を手を繋いで歩き、
雪の中に足跡をつけて歩いたのを思い出した。 

”とてもロマンチックだね。”と彼女が言ったのを今でも覚えている。。 

僕は、彼女のその言葉を思い出すように、あのときと同じように、
雪のセントラルパークを歩いた。。 

あのときと違って、足跡は、一つだけだけど、
僕の心の中には、あのときの彼女がいた。 

何故か幸福な気持になり、暫く独りで歩き続け、
たまに立ち止まって空を見上げ、木々の間から見える抜けるような青い空を眺めた。

僕は、毎晩、彼女の病室に行き、彼女と手を繋ぎ、彼女に語りかける。 

それも重要な事だけれど、僕は、こうやって物理的に彼女と離れていても、
心を通い合わせて、彼女を感じる事ができるのかも知れないなとふと思った。

言葉で説明するのは難しいけれど、独りでいるような気がしなかった。
彼女の気持が、僕の心に通じているような感じがした。 

独りよがりかもしれないけれど、それでも構わない。 

僕は、彼女の愛の力を信じているから。 

全てを乗り越えて分かち合える心があると信じているから。 

だから、こうやって彼女と
心を通い合わせられる気持でいられる事を、思わず感謝した。

僕は、独りじゃない。。。



2007年02月22日  ある別れ 仕事のこと 人は挑戦できる

バレンタインデイの前日に雪が降り始めて以来、
ニューヨークは、寒い日が続いている。

僕の可愛がっていた後輩が、ニューヨークを捨て、
新天地を求めてヨーロッパに移住する事になった。

僕は、日本人会の付き合いをしていないので、
こちらで日本人の友達が余りいないのだが、その後輩とは、
ひょんな事から知り合いになり、何度かちょっと仕事で関係をした事があった。

僕より7-8歳年下の30代半ばの男の子で、日本で公認会計士の資格を持ち、
アメリカでも会計士(CPA)の資格を持っているなかなかの秀才だ。 
だけれども、それを鼻にかけることもなく、日本企業のニューヨーク支店で働いていた。

僕が、その日本企業と仕事で関わった時に、彼とはじめてあった。 
彼にとっては、僕は、型破りの日本人だったようで、
その後、親しくなり、一緒にのみに行ったり、お互いの相談にのったりするようになった。

彼は、こちらに来てから、離婚をしたり、
アメリカにいながら日本企業独特の壁にぶつかったり、色々荒波に揉まれていたが、
一度過去のしがらみを全て断ち切って、もう一度自分の力を試してみたいと思ったそうだ。

僕は、彼に、今の仕事をやめて、僕と一緒に働いてみないか?と誘ったけれど、
彼は、微笑んでやんわりとそれを断った。

人の助けを借りずに自分の力だけでやり遂げたいと言うのが、
彼の理由だった。 彼は、にっこりと笑って、
”ヨーロッパで一旗あげたら、ニューヨークに帰ってきて、
その時には、一緒に仕事をさせてください。”と言った。

久しぶりに清々しい気分になった。

”じゃあ、その日が、一日も早く来る事を待ってるから。”と僕も答えて、
彼に微笑んだ。。。

彼と、ミッドタウンのバーで少し酒を飲んだ。 バーを出て、彼に別れの握手をした。
彼は、また笑って、僕に背を向け、通りを歩き出した。 
僕は、そのまま彼を見送った。

ちょっと寂しい気持ちもしたが、彼が果敢に挑戦をしようとしているその後姿をみて、
ちょっと頼もしい気がした。

人は、幾つになっても挑戦をし続けることが出来る。。 
そんな当たり前な事を、彼の後姿を見ながら、ふと思い出した。

そんな夜だった。


  挑戦することを諦めた時点で人は老いるのではないか? と思います。
  年齢という事ではなく 精神という意味で・・・


  僕もそう思う。 きっと、いつか、僕は、また彼に会う事になると思う。
  きっとその時には、彼は、見違える程立派になっていると思う。 
  だから、僕も恥ずかしくないように、僕なりに成長できるように努力するつもり。
  それが、彼に対する礼儀だと思うから。


  彼女がこん睡状態になる直前に、彼女とちょっと喧嘩してさ。 
  そのときの事は、日記に書いたけど、仲直りする時に、
  彼女が、”アタシが人間として成長したいと思った時には、
  ちゃんとそれに理解を示して協力してね。”って言われたんだ。 
  それで、僕は、”二人で一緒に成長しようね。”って約束したんだ。
  彼女の言いたかった事って、自分が何か挑戦したいものがあったら、
  ちゃんとそれを理解して挑戦させてくれって言いたかったんだと思う。



2007年02月23日   別れの季節

昨日の日記に書いた僕の後輩は、
3月中には、ヨーロッパに引っ越しをすると言っていた。

その他に、僕は、二人の長い友達をニューヨークから見送る事になった。

ひとりは、僕の大先輩で、ニューヨークに通算20年いた強者だが、
日本の有名企業から役員待遇で迎えられ、そのオファを受けて、
日本に帰る事になった。

もうひとりは、僕と同じ年の友達で、彼もニューヨークに通算15年いたが、
やはりある日本企業の社長として迎えられ、日本に帰る事になった。

別れは、連鎖反応のように重なるようだ。。 

一期一会という言葉の通り、僕は、常に人と接する時に、
その人と会うのが、これで最後だと思って、誠心誠意、
人に尽くすよう心掛けているが、やはり何十年も苦労をともにしている人が、
いなくなるのは、寂しいものだ。

ただ、僕にとって嬉しいのは、それぞれの友達が、
みな新しい挑戦をしている事だ。

やはりニューヨークという生き馬の目をぬく街で生き残って来た
日本人だけはあり、皆、転んでもただでは起きないしぶとさを持っているようだ。

僕は、皆を見送って、まだここに独りで立っている。。 

僕には、ここしかないから。。 

僕は、それでもニューヨークが大好きだから。。

明日は、僕が顧問を務めるレバノン人の友達の会社の役員会がある。 
この会社も紆余曲折があったが、会社は、次の飛躍の為に色々と準備をしている。

このレバノン人の友達は、僕を義兄と決めつけ、まるで本当の弟のように慕ってくれている。 

僕が、まだこの会社の役員だった頃、僕とレバノン人の友達は、
世界最大の某OSメーカーを相手取って訴訟をし、何度も潰されそうになりながら、
3年間闘い続け、最後に同社を屈服させ、500億円以上の損害賠償を勝ち取った。

お前らなんか、虫けら同様にこの世から抹殺してやると、
見かけは温和な、世界一の資産家らしい、
その会社の経営者に呼びつけられて恫喝された。。

まるで僕らの闘いは、
巨大な戦艦にブリキの舟で闘いを挑むように無謀なものだった。 

でも、僕らは、死ななかった。 500億円の小切手をもらった時に、
35人の社員を全員集めて、レストランを貸し切り、どんちゃん騒ぎをしたっけ。。 
皆で、穴があく程小切手を見て、腹が千切れる程、笑ったっけ。。
僕らは、それで満足する事なく、
会社を次の段階に成長、変革させようとしている。。 
次の高みを目指して。。 次の歓喜を夢見て。。

別れは寂しいけれど、僕には干渉に浸る時間はないようだ。。 
やりたいこと、やらなければならない事は、まだ山ほどある。。
そして、僕には、何にも代え難い、★最愛の眠り姫★がいる。。
彼女の為に。。


  今の彼女も、ずっと好きだったんだけど、好きだって言えなくて、
  ずっと半年くらい、毎週食事を一緒にしていたの。 
  そうしたら、彼女の方が、煮え切らない奴だと思ったらしくて、
  車で家に送って行った時に、別れ際に、初めて彼女からキスをしてくれました。(笑) 


  恋愛関係に関しては、僕は、本当に引っ込み思案で、彼女は男勝りだから。
  後になって、彼女に、”どうして自分からキスしたの?”って聞いたら、
  ”半年も二人きりで食事していたら、アタシの事
  絶対好きに違いないと思ったから。”って言って笑ってました。


  春は、やっぱり出会いと別れの季節だよね。
  44年も生きていると、本当に沢山の人に会った。
  成し遂げた事もあるけれど、失敗した事も沢山あったし、
  裏切られた事も沢山あった。
  でも、僕が関わった全ての人々に出逢えて良かったと思ってる。 
  僕が、沢山の人と出会って学んだ事は、”許す”という事。 
  自分だって完全じゃないんだし、間違いも沢山した訳だし、
  人とのコミュニケーションって凄く難しいし、それを全て理解した上で、
  人と接する時には、基本的に、”尊敬する事と許す事。”なのかな?って思うようになった。


  そのレバノン人の友達は、本当に戦友って感じだね。 
  その某マイクロXXX社と裁判になった時に、70億円で和解の提案が、
  相手からあって、それを蹴っ飛ばして、裁判のある手続きを強行する賭けに出たんだ。
  その時に、こっちが潰されるリスクも十分あって、今から考えれば、
  よくそんな賭けにでたなと思うんだけど、当時は、兎に角賭けにでたの。
  でも、自分たちで、なんて馬鹿なばくちを打ったんだろうって、
  わかってて、結果が出るまでは、二人で死人のような顔をして毎晩呑みに行ってた。
  それで、結論が出る前の晩に、僕が、
  ”これで潰されて一文無しになったとしても男として本望だ。 
  こんな活き活きとした時間を過ごさせてくれた君と従業員に感謝します。
  そんな根性のすわった君たちと一緒に仕事をできた事を誇りに思います。”って
  全社員に手紙を書いたんだ。
  それを読んで、レバノン人の友達は、感じ入って僕の義弟になることにしたんだって。 
  今から考えるとおかしいけどね。(笑)



2007年02月24日   I'm in.

昨日は、僕の義弟のレバノン人の友達の会社の取締役会があり、
久しぶりに昔の仲間が、ニューヨークに集まった。

僕と義兄弟の杯を交わし、
僕に死ぬまでついてくると約束したレバノン人の社長。

湾岸戦争の頃まで米国の諜報機関で使われていた
セキュアシステムを開発した伝説的な数学者で、
骨が溶けいく奇病にかかり、ついに首から下を動かす事が
できなくなってしまった最愛の奥さんを看病しながら、
家族と自分の誇りの為に最後まで完全燃焼しようとしている、
技術担当副社長。

サンフランシスコで弁護士を雇う事ができない
貧しい人達を弁護する公選弁護士(パブリック ディフェンダー)の
経歴を持つ熱血弁護士だった、法務担当副社長。

アーカンソーの片田舎に住みながら、
ラスベガスで7割のシェアを持つ新聞社のオーナーであり、
僕らのようなベンチャーと転がり続ける事が大好きで、
数々のシリコンバレーのベンチャーに投資をしたことがある伝説の投資家。

僕の商売敵で、僕より倍以上の資金調達力を持つ、
この業界での大先輩で、厳しいけれども、
僕の事を気にかけてくれ共同事業に乗ってくれたベルギー人の取締役。

僕の商売敵だけれども、年齢が近い事もあり、
いつしか僕と無二の親友になったイギリス人の取締役。

去年の11月に最愛の奥さんを癌で失い、一人娘と、
一昨年養子にした息子を、男手ひとつで育てようと悪戦苦闘している、
僕の20年来の顧問弁護士。

そして、それに僕。。
久しぶりの当時のメンバーが、一同に顔を合わせた。

この半年程、僕が脳漿を絞り出す程、苦心をして考えた、
この会社の新しいプランを他のメンバーに説明した。 

実は、このプランには、彼女のアイディアもかなり入っている。
僕のプレゼンテーションを聞いた、他のメンバーは、暫く黙り込んでいたが、
一番最年長の新聞王のロバートが、急に笑い出して、"I am in." (一枚噛むぜ。)と言った。

皆もそれぞれ、"I am in." "I am in."と意思表示をした。

これで、新しい挑戦をする事が、決まった。
簡単な道のりじゃないけれど、僕らは、どこまでも転がり続ける。

最年長のロバートが、”俺は、お前らのように若くないのだから、
俺が死ぬ前に、結果を出してもらわないと困るぞ。”と言って、笑った。

僕は、笑いながら、指を二本突き出して、”2年だ。”と言った。
僕らの新しい旅が、始まった。。



2007年02月25日  to see my angel..  彼女が目を覚ました

今は、夜中の2時だけど、病院から電話があって、
彼女が意識を取り戻したようなので、これから病院に行ってきます。



2007年02月26日   Wild Horses  彼女との最後の会話

昨日の夜中の2時過ぎに僕の携帯がなった。

電話をとると、声の主は、あのぶっきらぼうな看護婦さんだった。 
看護婦さんが言うには、夜中過ぎに彼女の容態が急変し、
意識を取り戻したので、早く病院に来いというものだった。

僕は、たまたま前の晩が、友達の会社の取締役会で、
そのまま食事に出かけたので、取りあえず家に帰って着替えをしている所だった。

僕は、とるものも取り敢えず、病院に車を飛ばした。 
途中で赤信号を3つ程、すっ飛ばしたけれども、そんな事は、
僕にとってはどうでも良い事だった。

彼女の病室を開けると、あのぶっきらぼうな看護婦と
医者に看護をされている彼女がベッドに横たわっていた。

僕は、彼女の横にいつものように歩み寄り、彼女の手を取って、
久しぶりに彼女の瞳を見つめ、精一杯の微笑みを彼女に投げた。
彼女も僕を見つめて、疲れた表情だったが、精一杯の微笑みを僕にくれた。

小さな声で、なにか言ったが、僕には、聞き取れなかった。
彼女の髪の毛に手をやり、僕の耳を彼女の口元に近づけ、
”何を言ったの?”と聞いてみた。

彼女は、弱々しい手で、僕の頭を抱えるようにして、
”StonesのWild Horsesを唄っていたの。”とかすれる声で、呟いた。。
彼女は、僕が、彼女に毎晩話しかけたり、唄を唄っていたのが聞こえていたようだ。。

彼女は、夢の中で、Wild Horsesを唄いながら、
唄さながらに野生の馬と戯れていたらしい。

僕は、また彼女に微笑んで、”お帰り。”と言った。 
彼女は、”ただいま。”と言って、”もう一度逢いたかった。”と呟いて、
消えてしまいそうに儚いキスをくれた。

僕らは、それから30分程話をした。 
静かな夜に、静かな時間がたっていった。。

僕の手を握りながら、ふと思い立ったように、彼女が、僕の方を向き、
”今まで本当にどうもありがとう。貴方を大好きだし、私を愛してくれてありがとう。”と言って、
それから、”Let's do some living after we die. (死んだ後に、一緒に暮らそうね。)”と呟いた。。

Let's do some living after we dieは、
StonesのWild Horsesの有名な唄のくだりだ。 
僕は、彼女を見て、”Wild Horses?"と聞いた。。 
彼女は、頷いて、少し微笑んでみせた。

僕も彼女に微笑んでみせて、"I promise we will."と言って、"
then, we will ride thme some day.
(そして野生の馬に、いつの日か俺たちも乗ろう。)”と言った。

彼女は、それに満足そうに頷いて、また目を閉じた。。

それが、僕が、彼女と交わした最後の言葉になった。。。

彼女は、それからまた目を開く事は二度となく、
医者と看護婦の懸命の処置も虚しく、朝日が上がるまでに天国に帰って行った。

最後に一筋の涙を流したが、なぜか顔は、微笑んでいるように見えた。

彼女の両親が病室に入って来た時には、
彼女は、もう旅立った後だった。 
僕は、言葉もなく彼らをただ見つめていた。 
両親も全てを察し、継母は、その場に崩れ落ちた。 
彼女の父親は、僕に、”暫く私たちだけにしてくれ。”と言った。

僕は、頷き、彼女の隣の椅子から立ち上がり、病室を出て、
フラフラと玄関に向かい、そこに腰を下ろした。 

いつの間にか、朝になり、街は、静かな日曜の朝を迎えていた。 
今日の夜には、また雪が降るらしい。。
僕は、病院の玄関の石段に腰を下ろし、ただ静かな街を眺めていた。

StonesのWild Horsesを呟きながら。。。

”俺には、自由はあるけれど、もう時間がない。。
信頼は、裏切られてしまい、もう涙しか残っていない。。
死んだ後に、お前と一緒に暮らそうか。。
野生の馬は、俺を連れ去る事はできなかった。。
でも、その野生の馬に、いつの日か、ふたりで乗ろう。。”

I have my freedom but I dont have much time
Faith has been broken, tears must be cried
Lets do some living after we die

Wild horses couldnt drag me away
Wild, wild horses, well ride them some day

Wild horses couldnt drag me away
Wild, wild horses, well ride them some day

知らない間に、あのぶっきらぼうな看護婦が、僕の隣に座っていた。 

目に一杯の涙を溜めて。。

そして、”アタシは、貴方達カップルを見ていて、本当に素敵なカップルだと思った。
羨ましい程に、眩しいカップルだった。”と言ってくれた。

二人で、暫くそこに座って、曇った朝の空を眺めていた。。

僕は、看護婦の方を向き、”角のダイナーにコーヒーでも呑みに行くか?”と聞いた。

彼女は、黙って頷いた。。


  僕のポケットの中には、彼女に渡す事ができなかった
   天使の指輪が入っている。 
   僕は、それをみながら溢れる涙をそなままにニューヨークの空を眺めた。
  


  わたしが泣いても、どうなるものでもないのですが、
  深くて本当に真摯な愛にこころをうたれて
  涙が止まりません。
  Toshさんの歌声をきちんときいていて、
  しっかり最後に彼女さんが
  ことばにしてくださったこと
  素晴らしい奇跡だと感じています。


  時間がなかったから、十分話す事ができなかったし、
  指輪も渡せなかったし、プロポーズもできなかった。
  それは、全部、あっちで会ったときのお楽しみ。


  最後に話ができて本当に良かったです。 
  彼女には、ちょっとだけでも別れを言いに戻って来てくれて感謝しています。


  命には必ず限りがあるけど こんな素敵な恋愛ができたこと
  彼女は最後まで本当に幸せだったと思います
  Toshさんも幸せですね(^-^)
  日記を通して本当の愛情というものを勉強させて頂きました
  ありがとうございました
  これからもToshさんの生きざまを沢山見せて下さい


 世の中は、小説みたいに上手くはいかないときがあるよね。



2007年02月27日  Wish You Were Here

悲しすぎると涙が出ないという事を暫く忘れていた。

彼女が死んで、その事を思い出した。 あまり悲しいと涙は出ない。

僕はただ、放心状態で、何をしたら良いかわからず、
どうでも良い事に没頭して時間を潰したりしていた。 
昨日は、彼女に最後の別れをしてから、彼女の両親達が、
彼女と一緒にいたので、僕は、病院には戻ることはなかった。。

ただ彼女が、死んでしまったという事が、まだ事実として受け入れられないでいる。 
病状は悪化していたので、その覚悟はとうにできていたのだが、
実際に、彼女が去ってしまうと、その現実を受け入れる事ができなかった。

ただ、僕は、男だと言う強烈な意識が、人前で取り乱す事だけはすまい、
最後まで彼女の恋人として恥ずかしくない自分でありたいと言う気持だけで、
一日を乗り切った気がする。

だから僕は、泣かなかったし、取り乱す事もなかった。。 
心の中は、空虚だったけれど。

家に帰ると、あまりに沢山の思い出があり、
僕は、それらをどうしたら良いのか、戸惑ってしまった。 
僕と、彼女は、知り合ってから7年もたっていたし、
彼女が車の中で僕に初めてキスをしてくれてから2年以上がたっていた。

だから、ニューヨークの全ての場所に、
僕は、何らかの思い出を彼女と持っている。。 

それが、地下鉄の中だったり、タクシーの中だったり、ハレームだったり、
ダウンタウンだったり、レストランだったり、公園だったり、たんなるスタバだったり。。

全ては、いつもの通りなのに、そこに彼女だけがいない。。 
悲しいよりは、”どうして?”という感じで、
どう対処したら良いのかが全くわからないでいる。

僕は、彼女が死んだら、自分も死ぬつもりだった。 そう決めていた。 
自殺をしようと思った事は、昔から何度もあるし、手首も何度も切った。
だから死ぬ事は、全く怖くない。

でも、今は自分がどうしたら良いのかが良くわからない。

多分、もう人を好きになる事はないし、僕は、僕なりに十分世の中の為に頑張ったので、
早く彼女のもとに行きたい。 
だけれども、彼女に会う時に、自信を持って、
男としてのプライドを持って会いたい。 彼女に褒めて欲しい。。

だから、彼女に胸を張って会う為には、
最後の最後まで男として闘い続けないといけないのかもしれない。。 

どうやったら、自分の人生に逃げずに、胸を張って、彼女と早く会えるか、、、
そんな事ばかりを真剣に考えていた。。

自殺が罪だというのであれば、
僕は、きっとまた自分を極限まで危険な立場において、
神が僕の命を取るまで、自分の運命と闘い続けるのだろうか? 

人のやりたがらない事、リスクの高すぎる事、生命の危険に関わる事、自己犠牲、
またそういった非日常的なものと日常的に付き合うのが、
僕の残りの人生になるのだろうか? 神が十分だと思えば、僕の命を取り上げるだろうし、
僕は喜んで命を差し出そう。。 どうせ、この世に未練はないのだから。。 
むしろ、その日が、早く来てくれれば、僕は、彼女に会える。。

彼女が死んで、まだ一日しかたっていないのに、僕は、
もう羅針盤のない船のようだ。。

僕のポケットの中には、彼女に渡す事ができなかった指輪が二つ入っている。 
僕は、それをみながら自問自答する。

どうでも良い事だけれども、僕は、まだ両親に頼み込んで、
彼女を埋葬する時に、指輪も一緒に埋葬してもらうか?、
指輪に僕の思い出を詰め込んで、イースト川にそれを投げ捨てて、
ニューヨークの海の底に沈めてしまうか?、あるいは、
彼女が誰よりも愛していた彼女の姪っ子に彼女の形見としてあげるか?
まだ決めていない。

指輪なんて、最後に悩めば良いどうでも良いものだけれども、
僕と彼女には、あまりにも沢山の思い出があるので、それらをひとつひとつどうやって
処理して行けば良いのか、今の僕には、全く見当がつかない。。

まずは、自分の命をどうするか決めないといけないし。。。

これを読んでいる貴方は、なんて馬鹿な事を考えているの?と思うかもしれない。。 
きっと、僕は、馬鹿なのだと思う。

最愛の恋人に死なれてしまったのは、これで2回目だ。
それなのに、僕は、まったくすべもなく、混乱してしまっている。

ただ彼女の為に、恥ずかしくない身の処し方をしたいという一心なのだが
彼女がここにいてくれれば。。


  こんなことを言うのもなんですが、私は彼女の旅立ち方に
  彼女の優しさをとても感じました。
  だって、急に逝くのではなく
  何日もToshさんの心に準備の時間を与えてくれたこと、
  それから旅立ちの間際に帰ってきてくれたこと、
  それらが誠におふたりの愛に適っているもの。


  やっぱり頭では理解できても、心が理解してくれないことって
  ありますよね。。。

  Toshさんは今生きている。
  だから、選択肢がたくさんあります。
  どの道を選ぶのかは、焦らずにゆっくり決めてくださいね。

  でも、出来れば私は、Toshさんしか知らない彼女の意思を
  たくさんの人に伝え、Toshさんの中で彼女を生かして
  あげてほしいと思います。
  1回目の暗闇から天使に救われたのなら、その命を最期まで
  大切にしてほしいです。
  その時まで彼女は待っていてくれると思います。


  そうなんですよね。 彼女と関わりのあった色々なものが、
  まだそのまま散らかっているっていうのが、
  一際、彼女がいないことを際立たせているんですよね。
  それが辛いです。 彼女の身の回りのものは、親に返せば良いんだけど、
  僕と一緒に使っていたものとか、指輪とかは、どうしたらよいのか分かりません。


  彼女のこと、ユキの記憶の中でキレイなフレームに飾って
  大事に持ち続けたいと思います・・許してもらえますよね。


  僕もね、同じように、彼女の優しさを感じていました。 
  やっぱり、最後に挨拶をするために、目を開いてくれた時は、
  嬉しかったです。 あのままでさよならも言えないと諦めていたから。
  これからの自分については、ちょっと考えます。
  今は、アイディアが思い浮かばないんだけど。。


  本当に悲しいです。
  仕事しながら、泣きそうです。
  私、時々、今先、生きていていい事あるのかなぁ、
  死にたいって思うけど、
  でも、一日一日、一生懸命生きようと思いましたよ。
  Toshさんの日記をよんで。。。


  僕は、物心ついたころからずっと何かと闘ってきたから、
  闘う目標がないと調子が狂っちゃうっていうか、
  それを何にしたら良いのかが、良くわかりません。
  でも、彼女は、いつも闘っている僕が好きだと言ってくれたから、
  やっぱり闘う事が僕の本質なんだと思う。


  僕も悲しい。 
  全てを捨てて、自分の命をたって彼女の所に今すぐ行けたら、
  どんなに良いだろうと思う。
  でも、実際は、僕が面倒をみないといけない人達が、ここに沢山いる。 
  僕が、お金を送り続けないと、
  入国管理局から日本での滞在許可を剥奪されてしまう僕達の里子たち。
  彼女の財団で救うべき子供達。
  何かの理由で犯罪を犯してしまったけれど、
  その罪を背負ってこの先生きていかなければいけない子供達。
  僕を信じてついてきた会社の人達。。
  僕としては、彼らに対しても責任を負わないといけないわけだし。。
  だから、嫌でもこの世界から逃げる事はできない。



2007年02月28日  Goodbye My Lover

ようやく2日目の朝を迎えた。
あれから僕は寝ていない。 疲れきって、
目を開けていられない程なのだが、何故か眠る事ができない。

だから起きている。。

彼女が死んでも、朝になれば、日は昇り、人々は、仕事に出かける。
彼女が死んでも、世の中は、全く変わらない。。
まるで彼女など、もともと存在していなかったように。。
あるいは、彼女の死など、取るに足らないかのように。。

僕は、まだここに立っている。 
端から見れば、僕は、疲れきった亡霊のように見えるかもしれないけれど、
僕は、いまここに立って、世の中を睨み返している。

僕が、命を落として闘える場所、闘うものを探している。

僕は、悲しい。今すぐにでも、愛する人のもとに行きたい。。

でも、僕がお金を送り続けないと、
日本の入国管理局から日本滞在許可を取り上げられ、
路頭に迷う里子が沢山いる。。

遠い昔に過ちを犯し、刑務所に入り、
更生施設で精神的に立ち直ろうとしている子供達がいる。。

彼女の名前をつけた財団で、救えるはずの子供達が、
だれかの助けを待っている。。

僕を信じてついて来た、レバノン人の友達や、僕の会社の人間がいる。。

僕は、今まで人の為だけに生きてきた。
辛い事も沢山あったけれど、彼女に認めて欲しくて、
その一心で、ここまでやって来た。
君がいなくなったら、僕には、今までみたいに全ての荷物を背負って、
全ての人の為に歩いて行く事なんてできないよ。
僕は、君の前では、強がっていたけれど、本当は、そんなに強い人間じゃないから。
でも現実は、君がいなくても、僕は、ここに立ちはだかって、
襲って来るものに立ち向かわなければいけない。
僕の後ろにいる人達が、不安げな目で僕を見つめているから。。
そして、僕は、君の伴侶として、最後まで強くありたいから。。
だから、僕は今日も闘い続ける。。 
誰かが僕の首を落としてくれるのを密かに期待しながら。。


  Tosh さんにとって彼女と会うことは必然でもっと世の中の
  為にしなければならない事があってそれを教えてくれる為、
  Tosh さんを守ってくれる為に出会いがあったのだと思います。
  上手く言えなくてごめんなさい。
  Tosh さんがその使命を全うする事を
  彼女が一番望んでいる事なんだと思います。


  僕の妹分のMachaに、”鎧を脱いだ方が良いよ。”って
  言われた事があるんだけど、  その通りだと思うんだけど、
  僕は、ずっと片意地はって、闘いながら外国で何十年と生きて来たから、
  鎧の脱ぎ方がわからないというか。。。 
  もっと素直になれれば良いんだけどね。 どうもありがとう。

  NYに沢山舞い降りてくる天使達が鎧を脱がしてくれるんじゃないでしょうか?
  遠く日本からその鎧がほんの一瞬でも脱げるように祈ってます. 
  ほんの一瞬でも。。。



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