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愛するということ
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2006年3月30日  The Rolling Stones    mixi日記 スタート

僕は、昼間仕事をしているときには、だいたいStonesの音楽をかけている。
気分によって、サティスファクションであったり、悪魔を憐れむ詩であったり、
最近のRough Justiceであったり、かける曲は異なるが、
基本的にアドレナリンを満タンにしていないと僕の仕事はもたないので、
40代の老体に鞭をうって、強気に攻めるときには、僕にはStonesの曲が必要なのだ。
僕は、Stonesを十代の時から聞いているが、Stonesは実に奥が深く、
10代の時のStonesの楽しみ方、20代の時の楽しみ方、30代の楽しみ方、
そして40代の楽しみ方と、年代ごとに異なったフレーバーで僕を楽しませてくれる。
一番、懐かしいのは、僕がNYに移り住んで暫くして、
ちょうど94年のアメリカでのワールドカップサッカーの時に、
久しぶりにStonesがワールドツアーをした時だ。
当時、僕は、アイルランド人の移民が多い地区に住んでおり、
アイルランド系の友達がたくさんいた頃だった。彼らと、酒を飲みながら、
車のステレオの音をマックスにしてボストンまで車を飛ばしてStonesを観に行った。
今でも、そのことを思い出すと、一人でいても妙に頬が緩んでしまう楽しい思い出だ。
でも、その時、一緒にボストンに行った仲間の何人かは、
2001年9月11日の同時テロで死んでしまった。
Stonesには、語りきれない思い出が、僕にはある。


2006年04月01日 日本へとんぼ返り

先週日本に行ったばかりだが、仕事でまた、日本に行く事になった。
流石に、隔週でニューヨーク/日本を行き来するのは、きつい。
前は、あまり気にならなかったけど、
今、僕は、彼女との付き合い方で悩んでいるので(40過ぎて悩むなよ!)
あんまり家を空けたくないんだけど、しょうがない。


2006年04月01日  ニューヨークの空港  飛行場ってすごく孤独

今、飛行場のラウンジでこれを書いているところ。
今日は、すごく良い天気だ。こんな天気の良い週末だったら、
色々やりたいこともあるのに、僕は一人で、ここにいて自分の飛行機を待っている。
飛行場ってすごく孤独を感じるよね。 
一人でいると特に。もともと僕は、同じ会社とか仕事場に毎日行くのが嫌で今の仕事を選んだんだけど、
最近は、少し、一箇所に落ち着きたいなと思っている。だけど、
40過ぎて今更、他の道は選べないし、このまま行くしかないんだけどね。(失笑)


2006年04月11日  恋心は奥が深い

夜まで働き、オフィスの近くのモンキーバーと言うカフェで彼女と待ち合わせをし、
一緒に軽く食事をした。昨日は彼女があまり元気がなかったのでちょっと心配したのだが、
自分でも悪いと思ったのか、今朝電話があり、今日会った時には、
いつもの明るい彼女に戻っていた。何年か前に死んだSoul Singerで、
僕の好きな人にルーサーバンドロスという歌手がいたが、彼の唄に、
I'd Ratherという唄がある。楽しい時間を他の人と過ごすよりも、
つらい時間でも貴方と過ごす方がよいと言う、ありきたりのラブソングなのだけれど、
僕はこの唄が好きだ。誰にでも色々な過去があるように、
僕の彼女にも色々つらい過去があり、その過去を引きずって今でもつらい思いをしている。
僕は、単なるボーイフレンドだけど、時間をかけて僕のできる事をしたり、
僕が邪魔だったら遠くで見つめていたいと思う。
40過ぎてからの純愛をしているような気がする。。 

こに年になって思うのは、やはり男の恋心は奥が深いという事だ。
きっと、”俺は、生活が忙しくて、仕事が忙しくて、恋愛なんていうのは、
暇人か、ガキが拘る事だ。”と思う人も一杯いると思うが、僕はやっぱり、
男には永遠に恋心があり、恋心に悩まされると思う。僕は、ブルースを唄っているから、
あの、なんとも情けない男の恋心が痛いようにわかる年頃になった。
若い頃は、あーいった女々しい恋心は理解できなかったし、
若い恋愛はもっと力強いものだったが、この歳になると、なんとも情けない事で、
うじうじする自分に気づく今日この頃だ。 こういった恋を続けると、
人生は辛くなっても、ブルースはうまくなっていく気がする。。。

昔から僕はブルースを歌い続けているけど、
昔、僕はあまりなよなよしたブルースは、好きではなかった。
エルモア ジェームスとかのスライド3連一発で、”女のケツなんか蹴っ飛ばしてオイラは、
男一匹生きてくぜ”みたいなものばっかり唄っていたんだけれど、
40を過ぎるとそういう強気の唄だけでなくて、
男のさびしいラブソングにも惹かれる今日この頃だ。あんまり人気はないけれども、
StonesのStreets Of Loveなんて最近大好きで良く聴いている。
あの唄の中で、女にふられた男が、一人バーで女を思いながら酒を飲んでいて、
店を出て外を歩き出すと、店の中に楽しそうにしているカップルが
男に視線を向けるところが、なんとも切ない。。。


2006年04月13日 メモリーズ 昔の写真 音信普通

来週、ロスでスピーチをしなければいけないので、その原稿を準備していたら、
原稿をセーブする為に使った古いフラッシュメモリーから昔の写真が出てきた。
昔の友達の誕生日パーティの写真だ。多分8年位前に取ったもので、
その写真に写っている友達との連絡はもう何年もない。
パーティの場所だった、友達のアパートも今はそこには無く、
友達の電話番号ももう変わってしまった。あの時はあんなに楽しそうに皆笑っていたのに、
あの時には、その後全く皆と音信不通になってしまっている今日を予想する事も無かった。
一期一会と言うけれど、数え切れないほどのさよならを乗り越えて、今日の僕がいる。。


2006年04月15日 星条旗 Show the Flag

イラク戦争の前に、
日本はアメリカの要人に、イラク戦争での直接的な参加を要求され、
その時に、Show the Flag(お前の旗を見せろ)と言われたらしい。
直接的な参加という意味の表現として、Show the Flagの他にも
Boots om the Groundと言う表現もアメリカ人は、よく使う。
現地に踏み入れろと言う意味だ。
アメリカ人は、本当に旗が好きだなと思う。
どこかの街に立って、360度見回した時に、全く星条旗がない場所を探すのは、
逆に難しいと思う程、どこかしらに旗があるものだ。
また、一般家庭も家の窓に星条旗があったり、自家用車のバンパーやリア
ウインドウに星条旗のステッカーが貼ってあったりする。
映画の中でも、星条旗は色々な場面で使われるが、ニューヨークに因んだ映画で、
印象に残っているのが、イヤー オブ ザ ドラゴンの冒頭で、
主役のミッキー ロークが相手の話を聞きながら、
高層ビルの部屋のブラインド越しに下界を見下ろし、星条旗がたなびいているのを見て、
自分の背広についている星条旗のバッチの位置を整えるシーンがある。
その後の中国マフィアとの凄惨な闘いのプロローグとして、
また主人公のバックグラウンドや性格を強烈に伝える、
大変うまいシーンだと昔、感心したのを思い出した。


2006年04月16日 ニューヨークアピール  'Til Money Runs Out

今日は、天気も良く気温も20度以上にあがり、最高の土曜日になった。
イースターホリデーという事もあり、街は静かだった。だんだん暖かくなってくると、
週末には、たくさんの観光客がマンハッタンにやってくるが、
ちょっと裏通りに入ると、観光客とは無縁のLocalの生活があるのが、
ニューヨークの面白いところだと思う。僕の彼女は、
彼女の家族とイースターを一緒に過ごしているので、
僕は、久しぶりに一人で一日、こまごまと普段できない事をして過ごした。
夕方に、ガーメント地区(エンパイアステートビルの裏側の韓国人街)に出かけた。 
この地区には、洋服の生地問屋や、ちょっと安めの洋服屋が立ち並んでおり、
東京で言えば、ちょうど日本橋の馬喰町のような感じだ。
僕は、あまりブランドものの高い洋服は買わない。買えないと言うのが正直なところなのだが、
安い服でもそれを高く見せるのが、着る人間の風格だと思っている。 
月曜日から、またカリフォルニアに仕事にいく。
彼女は、水曜日からフロリダに彼女の姉の家を手伝いに行くので、また暫く会う事ができない。

僕は、明日からまた仕事で1週間カリフォルニアにいく。また、頑張るつもり。

今日は、サンノゼのシリコンバレーで、朝から晩まで会議漬けの一日だった。 
人と食事をするのも、僕の仕事の一部のようなものなので、
忙しいときには、一日に何度も食事をしなければいけない破目になる。 
昨日も、そういった日で、仕事上の晩飯が二つ重なってしまい、2回の夕食を取った。
1回目はイタリアンで、2回目は中華。。流石に中華は、殆ど食べなかったけれども、
ホテルに住んで、そんな不規則な食事をして、運動の機会がないこの生活は、
とっても体に悪いと思う。夜遅く、ホテルに帰ってきて、一人パソコンに向かっていると、
まるで旅芸人になったような気がしてくる。

一日サンノゼで仕事をした後で、夜中の飛行機でロスアンゼルスに移動をした。
レンタルカー会社を新しいところに変えたので、散々迷ってしまったが、
なんとか無事にホテルに到着した。今日は、昨日と違って、夕食抜きになった。
飛行機の時間が中途半端だったので、食事の時間が上手く取れなかったのだ。
まあ、昨日食べ過ぎたからよしとしよう。LAは、映画会社がホテルの手配をしてくれたので、
余計な気を使われて、必要以上に華美な部屋に案内された。
ホテルは、20世紀センチュリーフォックスの隣なので、
ここからスタジオが良く見える。Foxの本社は、例のダイハードのPart1で舞台になった、
日系企業のビルだ。実は、金がなくて、本社のビルをそのまま映画で使ったらしい。

今日は、一日スタジオで働いた。サンフランシスコからLAに来ると、
気候があまりにも違って南国の感じがして気持ちが良い。
やはり、僕にとってのカリフォルニアのイメージは、南カリフォルニアのLAのイメージだ。
カリフォルニア州だけで、日本の大きさとほぼ同じだから、州内でもちょっと移動すると、
気候が変わるというのは、不思議なことではない。今日、一日LAで働いて、
夜中の便でニューヨークに帰るつもりだ。彼女がフロリダに行ってるので、
無理してニューヨークに帰る必要はないのだが、最近自分のアパートですごす時間が少ないので、
早く家に帰ってゆっくりしたい。
スタジオは、ロットと呼ばれ、おのおのの建物は、ステージと呼ばれているが、
これはあるステージの壁に書かれた落書きの写真。詳しくは言えないけど、
ニコラス ケイジ主演のアクションものと、
キャメロンディアス主演のコメディものセットを作っていたところ。。

今日も、朝から一日スタジオに缶詰だったが、時折休憩の為に、
建物の外に出ると、雲一つないよい天気だった。
スタジオの中には、ヤシの木が多いので、その木陰のベンチに腰を下ろして、
コーヒーを飲んだ。僕は、タバコを吸うが、流石にカリフォルニアでは、
タバコは吸わない。ここでは、タバコを吸わないのは、常識なので、
僕としても不本意ではあるが、主張を譲らざるをえない。。。


水曜日の午後には、彼女がフロリダから戻ってくる。
今週末は、彼女のアパートの裏庭の手入れを手伝うつもりだ。 

まだ今週が始まったばかりだが、
来週は、僕はヨーロッパに仕事で行かなければいけない。
イギリスに行った後に、北欧を回って、そのまま日本に行き、
何日か日本で仕事をしてから、ニューヨークに帰る。
西海岸から帰って来たばかりだけれど、それも束の間、また旅に出かけなければいけない。
僕のこの生活は、いつまで続くのだろうかと、彼女との電話を切った後に、ふと考えてしまう。


2006年04月27日 You're Beautiful 最愛の恋人を事故で死なせた

今日、朝早くフロリダの飛行場にいる彼女からの電話で目が覚めた。
彼女のフライトは、朝の8時過ぎにフロリダを飛び立ち、
ニューヨークには11時過ぎに着く事になっていた。時間があれば、
空港まで迎えに行ってあげようと思っていたが、ちょうど仕事の真っ最中だったので、
それはできず、ニューヨークで彼女に会う事にした。
彼女は、飛行場から直接仕事場に向かい、夜の7時半に僕は、彼女を仕事場に迎えに行った。
たった10日会わなかっただけだけれど、彼女がビルから出て来た時に、
僕は、彼女を見て、なんて愛おしいんだろうと真面目に思った
。40を過ぎたいいオヤジが、こんな事を言っては冷笑されると思うが、
人を愛するという事は、なんてすばらしい事なんだろうと思う。
僕は、大昔に、自分のせいで、最愛の恋人を事故で死なせてしまい、
自分自身も精神異常になってしまった過去がある。それ以来、自殺未遂をした数は、
数えきれない程だし、僕の手首は傷だらけだ。でも、結局死にきれずに、死ぬ勇気がなくて、
40過ぎまで生きている。そこで、また新しい恋をして、新しい生き甲斐を見つけようとしている。
人間は、とても弱い生き物だ。狂ったように働くのも、
自分がなぜ生きるのかという大きな疑問に正面から向き合う事を避けるために、
自分をただ忙しくしているだけだと思う。僕は、過去の経験から、
決して僕と彼女の間にハッピーエンドがないことは、知っている。。
でも、先の事は考えず、僕は、いま、自分が夢中になるものに夢中になりたい。。。


2006年04月28日 ブルース始終  昔の黒人恋人の育ての親(シスター)の死

僕は、ブルースが何よりも大好きだが、
ブルースだけしか聞かないのではなく、ジャズを聴いたり、ロックを聴いたり、
クラシックを聴いたり、その日の気分によって聴く音楽が違う。
でも、一日の始まりと、一日の終わりは、ブルースで始まり、ブルースで終わる。 

僕の昔の彼女の育ての親が、最近亡くなった。
70歳を超えていたのは間違いないので、ある意味天寿を全うしたと言えると思う。
その女性は、旦那さんに先立たれてから、ニュージャージーの小さい街に住み、
その小さい街の教会でシスターとして余生を過ごした。僕の彼女は、
実際の親に家庭内暴力を受けた後、捨てられ、それを引き取ったのが、
その女性だった。全く血のつながりのない捨て子の彼女を施設から貰い受け、
自分の子供と同様に育て、名誉や欲とは無縁の、誇り高い黒人女性だった。
人を羨まず、人に媚びず、黒人であるが故に、
色々受けたであろう数々の理不尽な出来事にも屈せず、一生を教会に捧げた人だった。
僕は、無宗教だが、その女性の教会に行くのは、嫌いではなかった。
古いオルガンにあわせて、その女性は、静かにゴスペルを唄いだし、
皆がそれに続いて行く。何とも言えない光景だった。

僕は、その彼女と些細な事から行き違いになり、結局別れてしまった。
それから、僕は、彼女とは会っていないので、その女性が亡くなったのも、
ずっと後になってから、風の便りで聞いた。一日をブルースでしめくくる時に、
僕は、たまにその女性を思い出す。。。その女性のゴスペルに、
僕の罪に汚れた心と体が清めらるような気がしたのも、今となっては遠い記憶で、
汚れてしまった自分に途方に暮れる自分がいる。。。


2006年04月29日 無償の愛

最近何日かブルーな日が続いている。
最愛の彼女と一緒にいてこのうえなく幸せなのだが、
僕の心の中に渦巻く不安と寂しさを取り除く事はできない。
僕は、また月曜日から10日間程、ヨーロッパと日本に仕事に行く。
僕の仕事は、一瞬の隙に大金持ちにもなれるし、
一つ判断を間違えれば簡単に破産もする。
仕事とはいえ、過去に僕はたくさんの人を結果的に不幸にして来たと思う。
でも、それは仕事だから仕方ない。 こんなに気持ちが揺らいでいても、
一歩、戦いの場に出れば、僕は近寄ってくる者を全て切り倒していく自信がある。
そうやって、一人で戦って、今まで生き残って来たから。。
でも、未だかってこんなに気持ちが揺らいでいのは、久しぶりかもしれない。。
今の彼女と付き合いだしてから、1年半になるが、ここ何ヶ月かは、
僕の気持ちも変化して来て、見返りを求めない無償の愛を実践できないかと思うようになって来た。
今までの自分の過去を正直に見つめ直した結果、自分の幸せや満足を基準にするのではなく、
相手の幸せの為にひたすら尽くしていく事に自分の基準を求めようとしているのがわかる。
こんな気持ちの変化の中で、来週再び修羅場に戻った時に、
躊躇なく相手を叩きのめす事ができるかどうかが、ちょっと不安になる。。。
きっと自分は大丈夫だと思うが、感覚が狂って自分が負けてしまったとしても、
それはそれで面白い人生の結末かもしれない。





2006年05月01日

その後で、彼女のアパートに向かう。部屋についた時には、
彼女がまだシャワーを終わったばかりだったので、彼女の支度ができるまで、
彼女の部屋で、テレビを見て時間をつぶした。
テレビは、ずーっと大規模な反戦デモに関するニュースばかりだ。
彼女の用意ができてから、二人で60丁目まで車で行き、
そこで彼女の買い物をつきあってから、
近くのイタリアレストランでおそい昼食を取った。



彼女とは毎日電話で連絡を取りあっているが、
やはり地球の反対側にいると思うと、なんとも言えず、さびしい気持ちだ。



2006年05月14日 Goodbye My Lover

今日も、朝はどんよりとしていたが、
午後から天気が良くなって久しぶりで太陽を見る事ができた。
約2週間ぶりに、ニューヨークのオフィスに戻って、たまった書類を片付けたり、
昼間は、仕事仲間と近くのレストランに出かけたりして、ゆっくりと時間を過ごした。
新規の仕事も難件か入っているが、それらは、来週にまわす事にした。
甘いと言っては、甘いのだけれど、ここ2週間は、世界中を駆けずり回って来たので、
金曜日くらいは、気分の切り替えをしたいと思ったからだ。 
街を歩きながら、空を見上げたり、街路樹の新緑を観察したり、
ウィンドウに並べられたあたらし商品を眺めたり、
とおりを行き交う人々を眺めたり。。。
自分だけが忙しく、自分の事だけで頭がいっぱいになってしまうけど、
この世の中には、たくさんの人や命が存在し、それぞれの生活があり、
それぞれの人生を送っているという当たり前の事を考えていた。
僕は、仕事柄たくさんの人と競争をしなければならないし、
時には、人の生活を踏みにじってしまう事もない訳ではない。。。
強くなければ生きていけないと割り切って生きているつもりだが、
大きな目で見れば、自分なんかとても小さい、たわい無ない存在で、
そんな片意地をはっていても、しょうがないんだけど。。



2006年05月17日 連日の雨

今日も、朝からひどい雨だった。
車のワイパーの速度を最大限にあげて、
フロントガラスに顔をつけるようにして運転をして、仕事場に向かった。
一日中オフィスの中で仕事をし、大学の講義を終えて
家に帰った彼女からの電話で仕事を片付け、彼女の家に向かった。
彼女の笑顔を見ると、僕のくだらない一日のくだらない問題は、
僕の頭から一時的になくなってしまう。僕は、この笑顔を見るために、
一日、一日を生きているような気がする。。。
彼女の家に、僕の荷物を置いた後、二人で、
5ブロック離れたレストランに歩いて行った。
イタリアレストランだと思ったところは、メキシコレストランで、
ワインは、サングリアに変わったが、そんな事は、
僕に取ってはどうでも良い事だった。
小さいテーブルを挟んで、食事をしながら、彼女の一日を聞き、
彼女の家族や友達の問題なんかに耳を傾ける。。。話によって、
彼女は笑ったり、表情を曇らせたり、鼻に皺をよせたりする。。
僕は、その話に相打ちをうちながら、
彼女の表情を見つめている。。。僕にとっては、一番癒される時間だ。
食事を楽しんだ後、二人で人気の少なくなった通りを、
夜風を楽しみながらゆっくりと歩いて帰った。
月は出ておらず、相変わらず空は、特有の赤紫色をしていた。。



2006年05月20日 夜間飛行

今日は、日帰りでサンフランシスコまで行って来た。
ニューヨークからは、ヨーロッパにも頑張れば日帰りができる。 
ヨーロッパに日帰りする場合には、夜10時にニューヨーク発の飛行機に乗ると、
朝の7時にロンドンに着くので、一日ロンドンで働いて、
夕方の飛行機でロンドンからニューヨークに帰る事が可能だ。。。
僕は、夜遅くの空港が嫌いではない。空港は、時間によって色々な顔を見せるが、
夜遅くの空港は、一番、人間の人間臭い表情を見せているような気がする。
疲れた表情で、飛行機待ちをする人、仮眠を取っているカップル、
既に寝てしまっている子供を抱えている片親。。。 
皆一応に生活の疲れを表情に浮かばせているが、
昼間の喧噪とは違い、なぜか僕の心に響く。



2006年05月23日 考え事

僕の彼女は、34歳だが、十年間会社勤めをした後で、退職をして大学に戻り、
今は、2つのバイトをしながら学校に通っている。
今日は、彼女のバイトの1つである投資銀行に夜の8時まで働いていたので、
僕は、8時に彼女のオフィスに迎えに行った。

週末は、彼女の兄弟と姪っ子がニューヨークに遊びに来ていたり、
僕が西海岸に行ったりで、毎日電話では話をしていたものの、
彼女とゆっくり時間を過ごしたのは、ほぼ1週間ぶりだった。

彼女は、30半ばになり、このまま会社で働き続けるのは
自分の人生に良くないと判断して会社をやめ、
将来の自分の人生設計のために大学に戻る事にした。しかし、一方において、
大学を出直しても、その時には40近くになっている訳で、
本当の自分の人生の目的について大いに悩んでいる。 

彼女の人生には、ここでは書けない色々な悲しい出来事が過去にあり、
僕は彼女を心から愛する人間として、自分にできるだけの事を、
見返りを求めずにしていきたいと心から思っている。
無償の愛を実践する事が、僕自身の魂の救済にもなるのではないかと思っている。

彼女と一緒の時間は、僕を何よりも幸せにするし、
僕は、彼女との時間を何よりも大事にしたいと思うが、一方において、
僕は、僕がありたいと思う精神的な境地にまだ至っていないので、
彼女との生活でのさ細な事が、僕を非常に不安にさせる。。。

人間とは不思議な生き物だ。でも、僕の大好きな映画である、
パリ テキサスもブレードランナーもその他の映画も、基本的には、
同じようなテーマが主題のように僕には思える。それは、僕にとって、
一番大事なテーマである、人を愛するという事、人を愛する意味、
そして人が生きる目的は、どういう事なのかと言う事だと思う。

そんな事を人前で話す事自体が、青臭いと言う人もたくさんいると思うし、
僕は、その考え方を否定しない。もしも、僕に今、彼女がいなかったら、
僕もきっと同じ事を言うと思う。。

でも、僕には彼女がいて、僕は彼女を心から愛しており、
実際に彼女がその問題で苦しんでいる時に、僕としては、
彼女の問題を僕の問題として捉えて、
青臭いと言われようとも一緒に悩むというチョイスしかない。。

彼女は僕の隣で静かに寝息をたてている。。本当に寝ているのか、
寝ようとしているのかは、ここからではわからない。。。 
ただ僕は、彼女の不安を取り除きたくて、彼女の役に立つには、
どうしたら良いのかを、ただただ考え続けている。


  僕は、信じてもらえる存在になりたくて、頑張っています。 
  僕を信じてって言ったって、その人が僕を信じてくれない限り、
  信じてもらえない訳で、それって、修行みたいなものだけど、
  彼女にそれを気づかれないように、こっそりとこっそりと、
  努力を続けている43歳です。



2006年05月24日 庭掃除

今日は、朝から一日快晴だった。
彼女は、午前中に庭の雑草取りをしたので、裏庭は見違えるようにきれいになった。
僕は、仕事を終えた後、彼女の家に行き、久しぶりに彼女の手料理を楽しんだ。

今度の週末には、少し植木を入れたりして、裏庭を奇麗にするつもりだ。
庭で食事ができるように、テーブルとベンチをおき、大きめのグリルも買ったので、
夏の間に、折角の庭を有効に使えるように計画をしている。

ニューヨークの夏は、暑くて長い。緯度的には、
北海道と同じくらいの緯度だと聞いた事があるが、真夏には、コンクリートの照り返しもあり、
40度近くに気温が上がる事もある。 冬には、体感気温がマイナス10度に落ち込む事もあり、
人に優しい環境ではないが、僕は、ここで十何回目の夏を迎えようとしている。

あと、何年ここで季節の移り変わりを見て行くのだろうか? 
彼女とは、僕は、後どの位季節の移り変わりを一緒に見る事ができるのだろうか?

僕は、過去に色々な事があり、自分が好きになるもの、自分が触れるものは、
全て壊れてしまうと思い込み、引っ込み思案になってしまった時期が長くある。

その昔に、知り合いになった女友達に、深い仲になり、
初めて自分の深層心理を打ち明けたとき、
その女の子は、母親のような大きさで僕を抱きしめ、”私は、決して壊れない。
だから安心して。”と微笑んでくれた事があった。しかし、
その女友達も、あちらの世界に旅立ってしまい、結局僕は、一人取り残された。。

そして、僕は、今彼女と一緒にいる。
だけど、僕もようやく大人になって来たようで、
彼女に自分の不安を打ち明けるような子供じみた事は、もうしない。
今この時間をいかに楽しいものにするか、
僕が彼女に何ができるのかという事だけを考えている。

明日の事は、誰にもわからない。車道の真ん中に
突然ガス抜きの煙突が突き出ているようなニューヨークでは、
本当に一寸先は、何が待っているのか全く予想がつかないから。。
そこがニューヨークの魅力でもあるんだけど。


  中年になったら、成就しなくてもともとと言う投げやりな気持ちで頑張るんだ。
  歳を取ってくると、やって後悔をするよりも、
やらないで後悔をする方が、辛いらしい。


  彼女とは仲良くしようと思っていますが、やはり僕が不器用なのと、
  あとやっぱり国境を越えた恋愛というのは、生活習慣も違うので、色々大変です。
  でも、もういいおっさんですので、
この恋愛が僕の最後の恋愛になるようにこれからも頑張ります(笑)



2006年05月25日  ロング グッドバイ 友達の背任行為

今週は、本当はカリフォルニアに仕事で行かなければいけなかったのだが、
何となく行く気がしなかったので、代わりの人にカリフォルニアに行ってもらい、
僕は、ニューヨークに残った。

お陰で彼女にも毎日逢えるので文句はないのだが、
行きたくなかった本当の理由は、他にある。

本当の理由は、僕が十年来、信頼していた友達が、
背任行為を行ったので、任せていた会社から解雇をしなければいけなかったからだ。
何もなかったところから、皆で苦労をして一つの会社を作り上げ、
彼もリスクを取って、安定していたそれまでの仕事を辞め、
その新しい会社の社長になり、一緒に会社を大きくして来た。

彼が変わり始めたのは、ここ数年だったのだが、僕らは、その間、
彼が背任行為を始めていた事に関して全く気がつかなかった。
 ふとした事で、彼の背任行為が発覚し、今回の解雇という形に発展をした。

金と権力は、人をたまに変えてしまう。。 僕は弁護士に、手続きを頼み、
一人ニューヨークに残った。会社を立ち上げた当初に、よく仕事の後で飲みに行った、
バーに一人足を向け、苦労をともにしていた頃の、彼との苦しかったけど、
楽しかった日々を思い出した。

僕のオフィスの壁には、彼と僕が、
仕事で出かけたフィリピンのマニラのバーで取った写真が、まだ飾ってある。。
あの時は、二人とも若くて、無垢だったなあと思いながら、
白くなって来た自分の髭を触ってみた。。


  この話を日記に書こうと思った時に、思い浮かんだのが、ロング グッドバイでした。
  今回の事があったとき、本当に虚脱感というか虚無感を感じたんだけど、
  その時に、そういえば、ロング グッドバイって言う映画が昔あったよな。。。って思ったんです。
  僕は、あの映画のマーローみたいに、裏切られて人を撃ち殺したりは、しないけど。。。



2006年05月28日  霧が晴れない朝   車上荒らし

昨日は、結局朝の4時過ぎまで飲んでいて、夜明け前の濃い霧の中を家に帰って来た。
家について寝ようと思ったが、寝られなかったので、そのままコーヒーを作り、
タバコを吸いながら夜明けを待った。 夜があけても霧は一向に晴れなかった。
折角のメモリアル デイの連休なのに、こんなひどい霧では何処にもいけないなと思っていると、
アパートの警備員から電話があった。僕がアパートの駐車場に止めていた車に
車上あらしが入ったらしいという電話だった。
駐車場に出てみると、運転席がわのサイドウィンドウに3回程穴をあけようと叩いた後があり、
後部座席のウインドウが粉々に割られて、車の中に置き忘れた色々なものが盗まれていた。
おまけに、今朝ほどひどい雨が降ったので、車の中はびしょびしょだった。。。
そのうち、警察がパトカーで現れ、だれも怪我をしていないとしると
少しがっかりしたような顔をして型通りの取り調べをして、
調書を月曜日に警察署に取りにこいと告げ、さっていった。
昼近くになって、ようやく霧も晴れ、天気もよくなって来たので、
ウェストサイドのCar Washに行き、75セントを入れて使うセルフサービスの掃除機に金を入れ、
車の中に散乱したガラスの破片を掃除し、ガラスの割れた後部座席の窓には、
死体を入れるような黒いビニール袋で穴を塞いで、とりあえず応急修理をした。
とんだアクシデントで午前中を無駄にしてしまったが、午後は、よい天気になったので、
友達と草野球ならぬ草サッカーをしに、川沿いの退役軍人公園に行き、汗を流した。
明日は、天気がよければ、古い友達を呼んでBBQでもするつもりだ。



2006年05月29日  Everybody has a second chance  信頼できる友達 敗者復活戦

今日は、朝から最高の天気になった。
ハドソン川には、79丁目にヨットハーバーがあることから、
たくさんのヨットやクルーザー、ディンキーが川に浮かんでいた。

僕は、また朝早く起きたので、午前中は、ベランダにノートブックを持ち出し、
ベランダで川を見ながら少し仕事をし、午後に友達がBBQに来る事になっていたので、
豚肉をソースにつけたり準備をした。

午後、僕のパーソナルトレーナーの女の子が家に来たので、
アパートのジムで彼女とゆっくり汗を流した。 その後、友達が三々五々集まって来た。

ベランダで、ハドソン川のボートを見ながら、皆でワインやビールをのんで、
のんびりBBQをしている。(まだ途中)多分、今日は、酔っぱらってしまうので、
今は、ベランダのパソコンからこの日記をつけている。

今日、ここに集まった僕の友達は、僕が長い間苦楽をともにしている友達で、
戦友のような奴らだ。僕より、凄く若い奴もいれば、僕より年上の友達もいる。

その中で、特に僕と親しい、年上の友達の話を少しここで紹介したい。あんまり細かく書くと、
誰だかバレてしまうので、そこは勘弁してほしいが、その友達は、
僕より10以上年上の人で、もともとは、ピアニストだった人だ。

大学生の頃は、ベトナム戦争の末期で、彼も他の学生同様、
召集令状を受け、新兵訓練のキャンプに送られた。彼は、このままベトナムに送られれば、
殺されると思い、なんとか抜け出す方法を考える。それが、
銃を持つと癲癇を起こすという仮病を演じて、兵役不適の烙印をおされ、
兵役を逃れるというものだった。結局、この仮病作戦がうまく行き、
彼は兵役免除となる。だけど、他の新兵の一部には、彼の仮病を見破っていた奴もいたらしく、
”お前のやっている事は、お見通しだ。”と言われたらしい。

彼は、兵役免除になったものの、仕事がなく、
ピアニストとしてライブハウスで細々と生活をしていたが、
どん底を改善する為に、ナッシュビルに行く事を決意する。
その時に、誰かが、彼に、ナッシュビルに行くのなら、
マリファナ煙草をたくさん持って行くと仕事にありつきやすいとアドバイスをくれた。

彼は、そのアドバイスの通りに、スーツケース一杯のマリファナタバコを自分で作り、
ナッシュビルに向かった。そこで、出会ったのが、あの、エリック クラプトン。
マリファナの縁かどうかは知らないが、クラプトンのレコーディング ミュージシャンとして、
潜り込み、彼の一連のカリブ海での録音に参加した。

カリブ海で録音の最中に、酔ったクラプトンがテキサスに酒を飲みに行きたいと言い出し、
クラプトンの飛行機で皆テキサスに飛び、空港についた時点で、
全員酩酊していた為に、逮捕され、そのまま留置所に送られた。

ただ、ピアニストとしての仕事は、それ以降ぱっとせず、
その後、Record Producerに転向。彼が、Produceしたレコードが立て続けに大ヒットして、
グラミー賞を何度も取った。

それを機会に第一線を引退し、小さなバンドのProduceを趣味でしたり、
ハワイに移住して、余生をサーフィンをして過ごすつもりでいた。
ところが、それに納得しない奥さんが、彼の全財産を持っていなくなってしまい、
離婚、一文無しになった。

それでも、細かい仕事をしながら食いつなぎ、別の女の人と再婚をして、
昨年また子供が生まれた。彼の再起にあたって、
僕の方から共同事業を申し込み、今は、一緒に働いている。

僕は、敗地に塗れた人こそ信用できる、そんな人間の本性が見える時の行動を見れば
信用できる人間かできない人間かがわかると信じているので、
こちらから三顧の礼を尽くして現在のProjectへの参加をお願いした。

去年は、Projectが予想以上の成功を収め、一人勝ちのような所もあったので、
今年は、皆に目の敵にされ、よってたかって叩かれてる。
潰しにかかられているのは明白で、このままでは、今年中に僕らは潰されてしまうだろう。
だけど、彼を始め、僕の周りにいる猛者を見ると、
このまま潰される訳にはいかないぜと言う気持ちになってくる。

やっぱり、持つべき者は、信頼できる友達かな。
アメリカには、Leave no one behindという表現があるが、
強烈な仲間意識は、ひ弱な僕を何十倍も強くする。
僕は、今ベランダの籐椅子に腰掛けて赤ワインを片手に、
PowerBookでこの日記を書いている。

今日の話の主人公の友達が、
Everybody's gotta have a second chance. ”誰にでも敗者復活戦は、
あるんだぜ。”と言って、皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして笑っている。。
俺たちは、このまま潰される訳には、いかねえな。。



2006年05月30日  華氏90度

今日も朝から最高の天気だった。今日は、連休の最終日という事もあり、
朝からハドソン川のまわりにはたくさんの人が集まり、思い思いに休日を過ごしていた。
昨日は、友達の一部が僕の家に泊まった事もあり、午前中は、
片付けや、友達と話の続きをし、午後にアパートのプールでのんびりとした。
今日の気温は、華氏90度まであがり、摂氏で言えば、32度くらいまであがったので、
プールに入るにはもってこいの日和だった。

夕方になって、友達が三々五々帰って行く頃に、急に雷と夕立になった。
僕は、小さい頃から雷が大好きで、一人の家に戻り、ベランダで雷雨が、
地上を掃除するのをながめていた。

Memorial Dayは、夏の始まりの休日のように思われがちだが、本来の意味は、
戦没将兵記念日で、戦争で亡くなった将兵を追悼する日だ。
だから、ニューヨークのメインストリートでは、退役軍人が、
各部隊ごとにパレードをしたり、ハドソン川でも軍艦がパレードをしたりする。
アメリカのどこの街の役場に行っても、必ず庭に、
その街から出征し戦死した人の名前を刻んだ慰霊碑が必ず立っている。
そこには、それこそ独立戦争から始まり、イラク戦争まで、
アメリカが関わったありとあらゆる戦争で戦死した人の名前が一つ一つ刻んである。

それを見ると、やはり戦争は、アメリカにとって歴史であり、日常なのだと言う気持ちがする。
もう一つ、アメリカに戦争が日常だと思わせるものに、MIAの黒い旗がある。
MIAは、Missing In Actionの略で、戦争中に行方不明になった人、
あるいは捕虜になった人をさす。そういった家庭では、
その行方不明者が家に帰るまでMIAの黒い旗を国旗の下に掲げているところが多い。
これも、戦争が、アメリカの日常であると言う事を強烈に僕に印象付ける。

僕の古い友達の一人で、ニューヨーク州の州都である、
オルバニーと言う古い町に住んでいる人がいる。 
彼は、オルバニーから更に郊外のオルタモントという街で、兄弟達と小さな建築業を営んでいる。
冬の間は、それに除雪車の運転のバイトをしている、クラシックカーとビールが大好きないい奴だ。
奥さんも僕は彼女が16歳の頃から知っているが、非常に魅力的で明るい良い人だ。
彼女は、家計をさせるため、バーテンダーをしており、最近、保険の外交を始めたらしい。
彼らの間には、子供がなかったが、兄夫婦の家庭が崩壊し、家庭内暴力、
離婚等の一連の問題がおきたことから、結局、兄夫婦の子供の一人を引き取ることにした。

その男の子も大きくなり、高校を卒業したが、満足な仕事もなく、
育ての親への恩返しの意味もあり、軍隊に志願した。 
彼は、今、2度目のイラク勤務で、バクダッドにいるらしい。
戦争は、嫌いだし、ブッシュ大統領の政策は間違っていると思う。
でも、実際に戦場に行った人には、そういった政策とは無関係の別次元で、やむにやまれぬ事情がある。
人間とは、ある意味、悲しい性の生き物だ。
明日からまた忙しい一日が始まる。。。


  アメリカは、実は貧富の差が激しい国で、田舎の街に行けば、
  失業率も高くなり、特にそれが、黒人やメキシコ系の階層になると更に失業率があがり、
  そういうところに、軍のスカウトマンは、奇麗な軍装で着飾って、志願兵の勧誘に行きます。
  軍に入れば、大学の費用を軍が負担してくれる制度とかもあり、あの手、この手で、勧誘があります。
  汚い仕事は、下層階級にやらせると言う、アメリカの醜いひずみを垣間みる事ができると思います。



2006年05月31日  自分に花を買う  then, she kissed me 

今日は、仕事場に行く途中に花を買い
自分の仕事場に飾ってみた。

花を買おうと決めた時点で、自分の心がいくらか優しくなったような気がする。
どの花を選ぶか、店の店頭で迷っているうちに、
更に自分の心が和んでいくのがわかる。花を、新聞紙で包んでもらい、
それを小脇に抱えて、仕事場に向かう自分は、なぜかニコニコしていて、
更に優しくなっているのがわかるのが自分でも可笑しい。

きっと知らない人が僕を見たら、花を小脇に抱えて、
ひとりでにやにやしている変態オヤジだと思ったに違いない。
でも、他人が僕がどう思うかなんて事は、僕に取ってはどうでも良い事なのだ。
僕に今必要なのは、心を和ませる事と、優しい気持ちになることだ。
後は、人が僕をどう思うかなんて言うことは、関係ない。 
僕は自分の為に花を買ったんであって、人の為に買ったのではない。

花があったお陰で、いつもは、キリキリしている職場でも、
和やかだったような気がする。いや、きっと和やかだったに違いない。

よる8時過ぎに、大学の講義の後に、バイト先で働いていた僕の彼女を、
窓が壊れた車のままで迎えに行き、彼女をピックアップして
家の近くのイタリア料理屋で遅い夕食を二人で食べた。気候が良かったので、
通りに出されたテーブルを選び、そこで彼女の学校の事、
バイトでの話、その他の話を聞きながら食事をした。

実は、彼女はこの1−2週間位、色々な問題で悩んでおり、
気持ちが沈んでおり、僕と一緒にいる時も、それが感じられ、
僕としてもなんとか彼女の悩みを和らげてあげたいと思いつつ、
何もできない自分にイライラしていた。

食事が終わって、二人で手をつないで、ゆっくりと彼女の家まで歩いていった。
歩きながら僕は、彼女に、

僕が彼女をこの世の何よりも愛している事、
僕は彼女の微笑みをみれば何よりも幸せになるし、
彼女の悲しんだ顔は、何よりも僕を悲しめる事、
彼女の悲しんだ顔をみれば、僕は、自分のできる事は何でもして、
何としても彼女の悲しみを和らげたいと思っている事、
もっと悲しいのは、彼女の悲しみに対して、僕が全く無力で、
一緒にいながら何の役にも立てない事を思い知る事、
僕は、ただ彼女に、彼女が一人でない事、

僕がここにいる事を頭の片隅にでも覚えていてほしい事を、彼女に伝えた。
面と向かっては、言えなかったので、僕は、前を向いたままで、
歩きながら、とぎれとぎれに、僕の気持ちを彼女に伝えた。。。

彼女は、僕の話を聞き終えると、急に歩みを止め、
僕の方に向き、ゆっくりと、優しくキスをしてくれた。。
今朝、花を買ったから、自分に正直になれたのかな?と僕は、思った。





2006年06月01日  暑い夏の前のマンハッタン

彼女は、ダウンタウンに自分のアパートを持っていたが、
大学に戻るにあたって、学費を捻出する為に、自分のアパートを人に貸し、
家賃をアパートの返済にあて、自分は、アップタウンの小さなアパートを借り、
そこで新しい生活を始めたばかりだ。家賃の安いアパートを探したので、
建物自体は、Pre-Warと言われる、
第二次大戦前に建てられた古い石造りの建物の為、夏場は、
かなり暑くなるような気がする。

そのため、そのアパートの住人は、建物の玄関の階段に腰を下ろし、
夏の風にあたって世間話をしている。

建物の玄関に人がたむろするのは、マンハッタンの夏の風物詩だ。
これがもう少し暑くなると、外にラジカセを持ち出し、音楽をかけ、
道端の消火栓を開き、道を水浸しにして、暑さをしのぐようになる。

僕達は、裏庭に出て、そこに置かれた小さな椅子に腰をかけ、
星を見上げながら、学校の話、今日のミュージカルの話など、
とりとめのない一日について話を続けた。。
マンハッタンのビルの隙間から見上げる夏の星空も、悪くはない。



2006年06月03日  彼女の大学のこと

今日は、彼女は大学の講義の後に、2つのバイトをこなし、
8時過ぎに彼女のバイト先に迎えに行き、雨の中、
75丁目のフランスレストランで、遅い夕食を食べた。彼女は、政治学を取っており、
授業の前に、資料を毎日70ページ読まなければいけない。
僕は、大学に行っていたのは、20年前なので、そんな話を聞いてもまるで浦島太郎だ。
今の僕は、ものぐさなので、決して大学等には戻れないだろう。

レストランを出ると、更に雨足は強くなっており、二人で一つの傘を使い、
路上駐車の車まで走って戻った。割れた窓ガラスを覆った黒いビニールに大粒の雨があたり、
まるで雨の中でテントに寝ているような感じがする。
運転席側のガラスのヒビも更に大きくなった。旅に出る前に、
車を修理屋に預けないと。。。 この傷だらけの車を転がしているのも、
なかなかハードボイルドで気に入っているんだけど。。。

  彼女は、昔、薬科を専攻して大学を出たんだけど、社会人生活をして、
  いろいろ考えて、弁護士になりたいと思って、今年の後半からLaw Schoolに行くにあたって、
  その前段階の教養課程みたいので、政治学をやってます。
  大学は、今度2回目なんで、今度は、真面目に勉強してるみたいです。(笑)



2006年06月05日  NYのこと 彼女のこと クリントンのこと

今日も一日はっきりしない天気で、夕方から雨になった。
これで、先週の木曜日から4日続けての雨になった。

僕は、明日から日本に行かないといけないので、
午前中は、その準備や、僕が日本に行っている間にしておかないといけない
各種の支払いを済ませ、午後にパーソナルトレーナーと2時間汗を流した後、
彼女の家に出かけた。

彼女の方は、昨日遅かったので、昼近くまで寝ていたらしく、
その後、家の掃除をしたり、エアコンを取り付けたりしていたらしい。
僕たちは、彼女の家で少しくつろいだ後、久しぶりに、
ダウンタウンに出かける事にした。

マンハッタン島の東側を走るハーレム リバー ドライブと言う高速を15分程走ると、
ハウストン ストリートと言うダウンタウンの中心を通る大通りに着く。 
混んでいなければ、ハーレム リバー ドライブをドライブするのは、楽しい。
ハーレムの街から、国連ビル、エンパイアステートビル、
クライスラービル等を横目で見ながら、
川沿いの道の周りには、遊歩道があり、人々がのんびりとベンチに座って釣りをしたり、
それぞれが気の向く形でくつろいでいるのを見る事ができる。

僕らは、ハウストン ストリートを西に走り、ブロードウェイを左折して、
グラント ストリートに車を止め、そこから、
僕らの行きつけのアフリカ料理屋まで歩いて行った。
グラント ストリートは、たくさんのブティックや、ギャラリーがならび、
ロフトもたくさんあり、休みの日にぶらぶらするのには、もってこいの通りだ。
僕らの行きつけのアフリカ料理屋は、その一角にあり、
主にモロッコ料理を中心に色々な料理を楽しむ事ができる。

ちょっと天気が怪しかったが、まだ雨は降っていなかったので、
僕らは、通り沿いに並べられた外のテーブルを選び、
雨の合間のわずかな太陽を楽しみながら食事をした。

彼女がバイトをしている会社の一つは、投資グループだが、そこの代表者は、
クリントン前大統領とつながりのある人で、モニカ ルインスキを
クリントンに紹介した張本人でもある。 その関係もあり、クリントン関係の噂は、
ここのグループから聞く事が多い。 僕は、アメリカ人ではないので、
あまりアメリカの大統領には興味がなく、クリントンに関しても特に特別の感情、
考えがある訳ではないが、クリントンが大統領を辞めた後に、
ハーレムに自分のオフィスを構えて、弁護士として活動し始めた事は、評価している。

ジュリアーニが市長になってから、ニューヨークの治安が改善され、
ハーレムも昔のように怖いところではなくなったが、それでも、
まだ白人系の住人やビジネスは少なく、殆どが、黒人の住人、ビジネスで占められている。
そういった状況の中で、前アメリカ大統領が、ハーレムのど真ん中にオフィスを設けて、
ハーレムという地域の活性化の為、また人種に対してまだ残っている
差別や弊害を取り除く為の、パフォーマンスとして、
そこで仕事を始めたという姿勢は、立派だと思う。

僕らは、そんな彼女のバイト先の話や、色々な話で、レストランに長居をしていたら、
また突然空が暗くなり、雨が降り出して来た。僕らは、金曜日と同じように、
小さな傘の下に寄り添って、車まで大急ぎで戻って行った。。。
明日から、14日まで日本だ。。。



2006年06月15日   10日ぶりの彼女

今日、ようやくニューヨークに戻って来た。 いつも通り、飛行機の中では、
食事の後で、ぐっすりと10時間程眠り、日本にいる間の睡眠不足を一気に解消した。

家に帰る途中で、仕事場の駐車場に立ち寄り、修理の終わった車をピックアップして、
家に帰って、荷物を降ろし、シャワーを浴びてすぐ、彼女を迎えに行った。

彼女は、ロックフェラーセンタービルで働いている。10何年前に、
三菱地所が買収をして一時ニュースになったビルだ。 
彼女は、8時過ぎにビルのドアを開けて表通りに姿を現し、僕の車を見つけると、
微笑みを浮かべながら小走りに僕の車の方へやってきた。。。

彼女をピックアップして、アップタウンに行き、
彼女の家の近くの馴染みのメキシコ料理屋で食事をした。 
10日程会っていなかったので、その間、彼女にあった色々な話、
フロリダの家族の話、学校の授業の話等をたっぷり聞いた。 彼女はまるで、
その間誰にも話をしていなかったかのように、何時間も話をし続けた。
僕は、彼女の話を聞いて相づちをうったり、コメントをしたり、頷いたりしているだけなのだが、
彼女と同じ時間を過ごしているだけで十分癒された気がした。。。



2006年06月18日  夜の海  黒い海

今日は、なんとなく一人で過ごした。 
午前中は、細々とした家の仕事をし、ジムで一時間程一人で汗を流した。

午後になって、一人でアパートのプールに行き、
プールサイドで読みかけの本を読んだりして一日ゆっくり時間を過ごした。
彼女と何度か電話をして、彼女の親と弟に会った後に夜
電話をくれることになっていたが、結局電話はなかった。
こっちから催促の電話をするのも悪いので、今日は一人でいる事にした。
夜は、一人で、赤ワインを片手に暫く見ていなかった古い映画の
DVDを何本か見た後、ベランダに出て、夜のマンハッタン湾を眺めながら、
タバコを吹かし、夜風にあたった。

僕は、夜の黒い海を見るのが好きだ。夜風にあたりながら、
黒い海を見ていると、深い海の中に吸い込まれていくような気がする。。 
僕は、過去に色々な場面で黒い海を見てきた記憶がある。
まだ子供で日本に住んでいた頃に、
本牧ふ頭のコンテナ置き場までバイクを飛ばして当時の友達と見た黒い海。 

初恋の女の子と二人で夜の芝浦ふ頭に出かけ夜明けまで
車の中で話をした時に見た黒い海。 
その彼女に結局ふられて、一人で見つめた黒い海。 
初めて外国に飛び出し、夜遅くにロスの空港についた時の飛行機から見えた黒い海。
異国の地ですっからかんになってしまい途方に暮れて見たコニーアイランドの黒い海。
最愛の人が逝ってしまい、人生に絶望して死のうと思った時に見た黒い海。。。

海を見つめながら、昔の事を色々考えていると、
ふと、波の音を近くで聞きたくなり、そのまま外に出て、暫く川沿いを歩いた。。

アパートの外に出て、川沿いの歩道を、タバコをくわえたままで歩き続けた。
この川沿いの道には、ガードレールも柵も無いので
川の飛沫が道の端を濡らしているような、そんなぶっきらぼうな道だ。 
足下にたまに川の水飛沫を感じながら、僕は、歩き続けた。
男は、一人の時には、とてもセンチメンタルな生き物だ。



2006年06月19日 父の日

その後、ジムに行き、トレーナーと1時間トレーニングをした。前にも書いたが、
僕のトレーナーは、26歳のArtist志望の女の子で、とても魅力的な子なのだが、
その子が、”今日は、父の日だから、トレーニング料は、プレゼントだ。” と言い張り、
トレーニング料を受け取ってくれなかった。気持ちは、嬉しいけれど、
それって嬉しくないぞ。。。なんで、その子にオヤジ扱いされないといけないんだ。。。
そんな子にお父さんなんて言われる歳じゃないのに。。。

トレーニング中に彼女から電話があったけれども、
今日はパスして明日逢う事にした。明日ねと言った時の彼女の声は
ちょっとがっかりしたようなので、明日の朝、彼女が学校に行く頃に電話をして、
おはようを言うつもりだ。。



2006年06月20日  彼女の事  When A Man Loves A Woman

今日も朝から、暑い一日だった。

朝、7次半頃に、彼女が学校に行く頃を見計らって電話をしたが、
生憎留守電につながったので、おはようのメッセージだけを入れて、
そのまま仕事に出かけた。

今日は、夕方に雷雨という予想だったが、日中は非常に天気が良く、
気温もかなりあがったようだ。 僕は、一日ビルの中で仕事だったので、
外に出る事は無かったが、窓から下界を見下ろすと、地面の照りかえりや、
街を行き交う人の様子から、相当暑いのだろうと予測ができた。

授業が終わった午後になって彼女と連絡を取り、
7時半に仕事場に彼女を迎えに行った。 彼女をピックアップして、
80丁目のイタリアンレストランに行き、二人で夕食を楽しんだ。

天気が怪しかったが、折角なので、表通りに面したオープン テーブルに座ったが、
途中でやはり雨が降って来た。 結構、彼女は強情なので、
最後までテーブルを移るのを嫌がったのだが、大粒の雨が降り出したので、
最後は彼女も諦め、室内のテーブルに移動した。

彼女と色々と夏のプランについて食事をしながら計画を練ったが、
彼女の講義の都合や、試験などで、なかなかスケジュールを合わせるのが難しい。 

どこかで休みをやりくりして、ロンドンとパリに遊びに行く予定なのだが、
その日が試験だとか、その日は、出張だとか色々話していると、
急に彼女が僕の方を向いて、”若い学生と付き合っているという
実感が湧いて来て楽しいでしょ。”と、鼻に皺を寄せる彼女の独特の笑みで言われた。 

30過ぎの彼女に若い学生と言われるのは、こちらとしても言いたい事はあるが、
それでも、10歳近く歳が離れているのだから、
あまり反論もできず、”大変嬉しいです。”と答えた。

学校の事、先生の事、試験の事、自分の継母の仕事の事、彼女の姪っ子の事、
今の仕事の事等を色々話し、雨が止んだのを見計らって家に帰る事にした。

彼女の家に帰って、裏庭に少しライトアップの飾り付けをしたあと、
彼女は、明日の講義の予習をし、僕は、ここで日記を書いている。。

水曜日から木曜日まで、また僕は、サンフランシスコに仕事に行かなければいけない。
ちょっと慌ただしいけれど、この学生さんと一緒にいる時は、
気持ちが癒されるので、多少、強情で我侭でも文句は言えない。。。



2006年06月24日  久しぶりのデート  モチベーション上げる方法

今日は、(NY時間の23日)飛行機の遅れでJFKに着くのが
朝の3時になり、ヘロヘロだった。

家に帰って、真っ暗の家の電気もつけずに冷蔵庫をごそごそして
飲み残しの白ワインを取り出し、メールをチェックした後、
ベッドに潜り込んで、死んだように寝てしまった。

それでもカーテンを閉め忘れたので、朝日があがる頃には目が覚めてしまい、
冷たいシャワーを浴びて目を覚ませた。 
ジムに行こうかと思ったが、それはやめて、濃いめの紅茶を飲み、仕事に向かった。

気持ちがシャッキトしない時には、僕の車の音楽は、ストーンズと決まっている。
タバコをくわえて、ニコチンで脳を覚醒させながら、ジャンピング ジャック フラッシュが、
徐々に僕の眠っていた体にアドレナリンを送り始める。 
やっぱり、あの60親爺達の力は、絶大だ。ミック ジャガーは、
僕の丁度20歳年上なので、僕も、あと20年は、不良を続けられるという事だ。
”頼むぜ、爺ども!” ジャンピング ジャック フラッシュを聞きながら、僕は、独り言を言った。

一日なんとか仕事を乗り切り、夜の8時過ぎに、彼女の仕事場に迎えに行った。
予定の時間より少し遅れて彼女が、一杯の荷物を抱えてビルから姿を現した。
仕事の道具に、大学での勉強道具に、やっぱり勤労学生は、大変そうだ。 
車の中に滑り込んで来た可愛い勤労学生にキスをして、車をダウンダウンに走らせる。。

今日のデートの場所は、最近流行のミート パッキング ディストリクトにできた
新しいイタリアレストランだ。 14丁目まで車を走らせ、ユニオンスクゥエアで右折をして、
ハドソン川沿いまで行くと、ミート パッキング ディストリクトに入って行く。
金曜日の夜という事もあり、周りのレストランは、
どこもかしこもたくさんのお客さんで賑わっていた。

僕らが食事をしたDel Postoは、比較的最近できたイタリアレストランで、
なかなか予約が難しい。 どうしても彼女を連れて行きたかったので、
普段はコネは使わないが、マライア キャリーの元旦那が僕の知り合いなので、
そのコネを使って、予約をねじ込んだ。マライアの元旦那とは、
昔、彼がしがないジャズギタリストだった時から知っている。
イタリア人特有のコネクションを活かして、某タレントのツアー マネージャーを経て
のし上がったあくの強い男だが、どんなに偉くなっても昔の仲間の事を忘れずに、
ちょっとしたことであれば嫌な顔せずに色々便宜をはかってくれるのが、
古き良きイタリアマフィアの末裔を彷彿させる。

2日ふりに見る彼女は、僕とテーブルを挟んで、ロウソクの光越しに僕を見て微笑んだ。 
あの、鼻に皺をよせて笑う独特の笑い顔を見て、この2日間の忙しいスケジュールも、
それで報われた気がした。 別にとりたてて美人という訳ではないが、
僕は、彼女と一緒にいるだけで、心の底から癒される。

彼女と付き合うようになってから、僕は、随分出張を削り、
できるだけニューヨークにいるように心掛けるようになった。
それでも、まだ色んなところに行かないといけないが、少なくともこの1年ぐらいは、
僕の時間のかなりの部分を彼女の為に割くようになった。

本当は、来週、ドイツのディッセルドルフで仕事があるのだけれども
他の人に頼んで行ってもらう事にした。その分、人を雇うコストもかかるのだけれども、
金は、墓場に持って行く事はできなし、自分と自分が愛する人が幸せになるように、
金と時間を使いたいと、ようやく思うようになった。

来週の火曜日に彼女は大学の試験があるので、あんまり邪魔はできないが、
週末は、二人でのんびりしたいな。

レストランを出て、家に帰る時に、朝かけていたストーンズがまた音楽を奏ではじめた。 
Wild Horsesが、夜中を回った1st Avenueをアップタウンに流す車の中に広がった。 



★2006年06月25日  遠い昔の記憶

今日は、終日雨で、こちらでは珍しく、ジメジメした日になった。

僕は、遊びでサッカーをやっているので、今日は、友達とサッカーの日だったのだが、
朝から雨だったのでサッカーは、中止になった。僕のサッカー友達のアメリカ人も、
クロアチア人も、韓国人も皆、母国のチームがワールドカップで
予選敗退だったこともあり、僕ら草サッカーだから、全くそんな事は関係ないのだが、
少し意気消沈気味で、結局近くのカフェで、男6人で雨を見ながら
ダベると言う一番情けない展開になった。

男6人でガヤガヤとブランチをした後で、友達と別れ、帰りに街角のスタンドで花を買った。
名前も良く知らない、ブルーの花だったが、色が可愛かったので、
つい手を伸ばして買ってしまった。

天気のおかげで予定がすっかり狂ってしまったので、
僕は、雨が降るベランダに椅子を運び、読みかけの本を引っ張りだして、
雨音をバックに、読書をすることにした。 
ベランダに投げ出した足の先に、たまに雨の滴を感じながら、
本を読み、たまに雨に霞んでいるハドソン川に目をやり、考え事をしたり、
結果的には、非常に静かな時間を過ごす事ができた。

何杯目かのレッド ワインのグラスを空け、まだ降り続ける雨に、
キラキラと輝く星のような車のヘッドライト、テールライトを見つめていると、
遠い昔の過去が蘇ってきた。。。 何とかして忘れよとしても、決して忘れる事ができず、
タンスにしまった昔の亡霊のように、こんな雨の日には、必ず、現れる過去の思いで。
その思い出を飲み干すように、僕は、空になったワイングラスにまた、赤ワインを注いだ。

  僕は、前に恋愛で色々失敗してて、それってお互いが一人に慣れる
  時間がないからじゃなかったかなって考えたんです。
  前にMAYOさんに少し話した、黒人のデザイナーの元彼女とは、3年くらい付き合って、
  同棲してたんだけど、お互いプロの仕事だったし、ファッションのラインビルダーって、
  実際に物作るのに、中国の工場行ったり、台湾の工場行ったり、
  ブラジルの工場行ったり、大変でしょ。僕って、人を好きになると結構、
  その人の事考えすぎちゃうから、彼女に仕事とか生活のプレッシャーがかかってくると、
  それを何とかしなきゃいけないって自分で思っちゃうんです。
  それで、僕自身も相当忙しいのに、色々無理して何とかしなきゃと思えば、
  思う程、喧嘩したり、関係がぎくしゃくしたりして、結局うまく行きませんでした。

  だから、今度の彼女とは少し、お互いに適当な距離をもって付き合おうかなと思って、
  一緒に過ごす時間が多いんだけど、一応、
  お互いの一人の時間を大事にするようにしています。
  そういう時は、本を読んだり、自分だけが見たい映画を見たり、
  考え事をしたりするんだけど、そういう時って、
  本当に昔の事を良く思い出しちゃうんですよね。。。 
  僕の場合は、雨の夜とかに考え事してると、良く思い出します。


●2006年06月25日  彼女のこと  ジムのトレ−ナー

今日も、一日どんよりとした日で、たまに雨がちらついたりの生憎の天気だった。
午前中は、パーソナル トレーナーが来たので、ジムでみっちりと運動をした。
彼女は、普段はニューヨークのタイムワーナービルにある有名なジムでトレーナーをしている。

僕は、タイムワーナービルのジムに行った事はないのだが、
彼女が、たまたま、ブラック ミュージックの作曲家として売り出そうとしていて、
色々なレコード会社にアプローチしていた事もあり、その関係で彼女と知りあい、
家も近い事から、僕のアパートのジムに来てもらってトレーニングをしてもらっている。

丁度トレーニング中に、僕の彼女から電話があり、
今日は、彼女が料理をするので、夕方家に来てほしいと言われた。

トレーニングを終え、少し自分の仕事を片付けてから、僕の彼女の家まで、バイクを走らせた。
彼女のアパートに行く前に、行きつけの花屋で彼女の好きな
チューリップの鉢を買って行こうと思い、花屋に立ち寄ったが、
生憎、チューリップは、売り切れていた。ちょっと今日は、切り花という感じではなかったので、
花は諦めて、ワイン屋に立ち寄り、彼女の好きなSenseaの白ワインを買った。

ビルの中に入り、階段を下り、右に回ると、見慣れたドアがあり、
ドアの隙間から、部屋の明るい光がこぼれていた。。廊下が暗いので、
ドアを開けると、明るい光で一瞬目がくらみ、その光の中で、彼女は微笑んでいた。。。

彼女のアパートのキッチンは、狭いので、僕と彼女が立つとキッチンは、
一杯になってしまう。 その狭いキッチンで、
彼女が料理をしているのを見ながら、彼女の色々な話を聞いた。 

昨日起こった事、病気に入院している彼女の従兄弟を見舞った事、
来月兄弟4人で、ミシガン州に住んでいるお婆さんを訪ねる事、
火曜日の試験の事、彼女の友達が離婚をする事、仕事をやめて大学に戻ろうなどと言うのは、
間違いだったかもしれないと迷っている事など、彼女の話は、尽きない。。。 

土曜日会っていなかっただけなのに、よくもこんなに話す事があるなと思うくらいに、
次から次へと、話が出てくる。 

僕に唯一できる事は、それらの話をひとつひとつ真剣に聞いて、コメントをすることだけだ。
でも、彼女の話をひとつひとつ聞く事は、決して嫌ではない。むしろ、彼女がそれだけ、
僕を自然に感じているからかもしれないなと、僕は勝手に思い込み、
一人、嬉しい気持ちになっている。。。

ようやく夕飯の用意ができ、二人で、テーブルをセットし、ロウソクに火をつけて、
Senseaのワインで乾杯をして、食事を食べた。 彼女は、
庭で二人で食事をしたかったらしいが、天気が悪かったので、さすがの彼女も、
庭での食事はあきらめ、ソファに腰掛け、室内で食事をした。 
食事の間も、彼女の学校の話、今週の二人の予定の話、
木曜日に僕の仕事関係の食事に、Spouseを連れて行かないといけないので、
本当のSpouseではないけれど、付き合ってもらう話、彼女の家族の話など延々と会話は、続いた。



2006年06月27日   Love on a rooftop

先週の金曜日から、ニューヨークは、ずっと天気が良くならない。

今日も小雨がぱらつく中、僕は、雨の6th Avenueの渋滞の車の中をかいくぐり、
信号無視をして道を横切ろうとする人々の群れをかいくぐり、
車道の真ん中に突然飛び出している地下の蒸気を抜く為の煙突をすり抜けながら、
仕事場に向かった。 

僕の駐車場がある、ビルの地下に車を滑り込ませると、
駐車場の管理人が、大柄な体をもてあましているように
小さなパイプ椅子に座ってテレビを見ていた。 管理人は、
僕の事を良く知っているので、車が入ってくると、
大げさにパイプ椅子から立ち上がり、
役者の舞台挨拶のようなジェスチャーで深々と挨拶をして、ニヤっと笑っている。

僕も車から降りざまに同じような大げさなジェスチャーで挨拶をして、
彼に向かって車の鍵を投げ、彼に”7時だ”と告げた。
いつもは車のピックアップの時間が大体8時なのだが、早めに帰る時には、
あらかじめ時間を言っておかないと、駐車場で待たされる事になるからだ。

今日は、仕事関係の付き合いDinnerがあったのだが、僕の彼女は、
大学を卒業してから10年ぶりに大学生に戻り初めてのテストが明日あり、
かなり緊張してたので、そんな時に付き合い飯で、飲んで帰るのは気が引けた為に、
そのDinnerには行かず、彼女を早めにピックアップして家に帰る事に決めた。

夕方、僕の仕事場に彼女から電話があり、少し話をして、
7時半に彼女のバイト先に迎えに行く事を告げた。
なんとか仕事を7時半までに一段落させ、早めに仕事場を抜け出し、
彼女のバイト先まで車を走らせた。

僕がバイト先に着いたと同時くらいに、ビルの回転ドアから、
僕の愛しい勤労学生が、両手に一杯の荷物で外に出て来た。。。
車の中では、まるで家庭教師と生徒のように、明日の試験問題の確認をした。
口をとがらせて、予想問題への解答をする真剣な彼女の横顔を見ていると、
あまりの真剣さに急に可笑しくなった。 でも、僕が笑うと、
きっと彼女は怒るだろうと思ったので、笑いを隠す為に、車を運転しながら、
助手席の彼女の顔を僕の方向に向かせてキスで彼女の口を塞いだ。。。
すると彼女の方が笑い出した。。

彼女の家につき、家で簡単な食事をし、すぐ彼女は明日のテストの勉強を始めた。
彼女のアパートは、狭いスタジオなので、僕は、なんとなく自分の居場所がなくなり、
ビルの屋上に夕涼みに出かけた。彼女のアパートのビルは、
Pre-Warと言われる、第二次大戦前の古いれんが造りの低層住宅なので、
別に屋上に上っても景色が良い訳でもなんでもないのだが、
映画”ウエストサイド ストーリー”のように、非常階段の踊り場で夕涼みをしたり、
ビルの屋上にでてビールを飲んだりしている人たちが結構いた。

こちらは、夏時間なので、日没が夜の9時近くになる。 
雨はやんだが、どんよりとした天気だったので、日没を見る事はできなかったが、
曇り空が、紫色っぽくなり、次第に黒くなっていく様を、
僕は、ビールを片手に、ビルの屋上で眺めていた。 

知らない間に、僕の彼女が、屋上まであがって来たようで、
後ろから彼女に優しく抱きしめられた。。 夕方彼女をピックアップした時の緊張からは、
少し解放されたようで、僕は、彼女に後ろから抱きしめられたまま、
彼女の手を握って、二人で暫く空の色が変わるのを眺め、
彼女に、”部屋に戻ろうか?”と言った。
明日の試験頑張ってね。。。


  この歳になって、やっと、自然な形で優しい気持ちになれ、
  素直に好きだと言える人が見つかったので、
  彼女との時間を本当に大切にしたいと思っています。過去に色々な事があったんで、
  一歩踏み出す事にすごく恐怖心や躊躇いがあるんだけれど、二人で、
  時間をかけながら、ちょっとづつ前に進む事ができたら、
  最高に楽しい人生になると思うですけどね。



★2006年06月28日 Memories of Green

僕のアパートのリビングは、川を向いているが、仕事部屋の窓は、坂に面しており、
坂を上り下りする車の流れを見ながら仕事をしている。 
昼間は、様々な色の車が、坂を上り下りし、夜になると、
たくさんのフロントランプ、テールランプが、クリスマスツリーの灯りのようにキラキラと光る。

今日は、日中ちょっと晴れたが、夜遅くなり雨が降り、
夜中零時をまわって人通りのすくなくなった坂は、雨のおかげで路面を光らせ、
黄色に光るナトリウムライトの街灯が、
坂の所々にできた水たまりにぼうっとしたオレンジ色の光を反射させている。。 

たまに車が一台、二台と行き交っている。
僕は、夜中に仕事の合間、この坂の景色を見つめるのが好きだ。
雨に濡れ、ナトリウムライトでオレンジ色に染まった坂道を、
赤いテールランプを輝かせながら、一台の車が、上がって行く。。

その車のドライバーは、一人で運転しているのだろうか?
これから家路に帰るところなのだろうか?
家に帰ると、家族が寝ているのだろうか、
それとも一人暮らしで灯りのついていない家に帰るのだろうか?
とか、どうでも良い事が、次から次へと頭に浮かんでくる。。 

その見た事も無い、決して会う事も無い、
通りすがりの一台の車を運転する人の生活をふと思い、
その人が幸せだったら良いなと漠然と願うのは、おかしいと思うのだが、
僕は、仕事場の窓からこの坂を眺める時だけ、
そういった見ず知らずの人の生きる哀しみを感じてしまい、
そういう思いに駆られてしまう。。。

僕の人生も、一台の車で闇の中を走り続けているようなものに思える。。。
たまに、助手席に人が乗っている事はあるが、基本的には、
たった一人で、行き着けるかどうかも判らない、行った事の無い場所を目指して、
一人夜の道を運転をしているような気がする。 
頼りなげな、赤いテールランプを灯しながら。。
僕の灯すテールランプは、人に、どう映っているんだろう。。。 



■◆2006年06月29日  友達の弁護士の死

今日は、早朝ひどい雨が降ったが、午前中に雨はやみ、
昼頃には、太陽が顔を出し、暑い夏日になった。

青空がほんのちょっとでも顔を出したのは、
先週の金曜日以来、6日ぶりかもしれない。

朝早いうちに、トレーナーと1時間程、ジムで汗を流した。 
丁度僕のトレーナーは、作曲家としてメジャーの音楽会社と契約をする所なので、
色々な契約の条件に関し、疑問や不安を持っており、色々な事を僕に質問して来た。 

トレーナー自身は、26歳の女性で、仮にこれで芽が出なくとも、
チャンスはいくらでもあると思うが、話を聞くと最近流行の、
作曲家の他にも作詞家や、色々な人がまとまってユニットを構成して
彼女がその代表としてレコード会社と契約をするようで、
どうやら彼女自身で完結する問題でもないらしく、なかり慎重になっているようだった。

僕は、彼女に、既にグラミー賞を何度か取っている作曲家の友達を紹介し、
まず、彼に会って事情を説明して相談に乗ってもらうようにサジェストした。

トレーニングが終わって、僕のアパートのビルから出て行く
その子の後ろ姿を見送りながら、若いっていうのは、羨ましいなと思った。。。

でも、そう思うという事は、僕が、僕自身をもう若くないと
認めてしまった事じゃないかと気づき、照れ隠しに髭を撫でながら、一人照れ笑いをした。

ジムの後で、シャワーを浴び、身繕いをして、仕事場に向かった。 
今日は、大学の試験が終わったという事もあり、彼女は、
大学の友達とDinnerがあったので、僕は、彼女の事を気にせずに、遅くまで仕事をした。 

夜も遅くなり、ビルの照明も9時になると自動的に消灯され、
僕は、暗くなった自分のオフィスで、
机の上に置かれた古いスタンドの光だけをたよりに書類を整理していた。

その時、急に僕の机の電話が鳴った。 電話の主は、僕の古い友達で、
弁護士事務所を経営している奴だった。 彼は、僕に、彼の弁護士事務所に所属している、
一人の年老いた弁護士が、病気で死んだ事を伝えた。 
その老弁護士は、僕がニューヨークに移り住んで、今の仕事を始めた時に、
ニューヨークに不慣れな僕を色々助けてくれた、僕が大変恩を感じていた人だった。

病気になって一線を退き、最近は入院していたのは、知っていたが、
こんなに早く、寂しく逝ってしまうとは思わなかった。 
縁に恵まれず、ずっと独身の男だったので、最後は、誰かに看取られたのかと聞いたら、
彼の妹が、彼の病室を訪ねて彼の死を看取ったと教えてくれた。 
生前寂しい男だったので、妹が看取ったという話に、僕は少し救われた気持ちがした。。

受話器を下ろし、僕は、普段開ける事の無い、
引き出しの奥にしまわれていたポケットサイズのウイスキーを出し、
オフィスの窓に降ろされていたブラインドの隙間を指で広げ、下界を眺めた。。

近いうちに別れが来る事は知っていても、やはり、知人との別れは、寂しい。。。

ブラインドの隙間から見えた窓には、古いスタンドの灯りに
ぼんやりと照らされた僕の顔が、鏡のように映っていた。 

僕は、今朝と全く同じように、窓に映し出された顔を見つめながら、
髭を撫でた。。。 ただ、そこには、笑みはなく、ただ疲れた男の顔があるだけだった。。。



■◆2006年06月30日  友達の弁護士の死 2 This one is for Ernie

昨日、僕が昔世話になった弁護士の友達が死んだからという訳ではないが、
悲しんでばかりはいられないので、何か、皆で集まって彼の話もしながらわいわいと、
彼を送りたいと思い、仕事仲間を誘って、ディナーをすることにした。

彼だって、皆が寂しそうにしているよりは、彼の為に、皆が集まって、
昔話をしながら陽気に語り合った方が嬉しいに決まっている。

そう思って、ダウンタウンのトライベッカ グリルのプライベートルームを予約して、
皆でディナーをした。 トライベッカ グリルは、
俳優のロバートデニーロが経営する有名なレストランの一つだ。

たまたま、僕のアシスタントのJoannieも3日前に長い間病気だった妹が昏睡状態に陥り、
結局死んでしまった。 Joannieに電話をして、事情を説明すると、
彼女も家にいても泣いてばかりなので、気分転換に外に出たいと言ったので、
彼女と彼女の旦那さんも誘って、盛大なディナーとなった。

その結果、にわか仕立てではあるが、その弁護士とJoannieの妹を偲んで、
冥福を祈る20人の盛大なディナーが成立した。

7時にトライベッカ グリルを予約し、色々なところから、
僕の仕事の仲間が、トライベッカ グリルに三々五々集まって来た。

僕は、6時半に彼女を迎えに行き、彼女をピックアップして、
レストランに向かった。天気予報で聞いてはいたが、レストランに向かう途中に、
雷雨となり、ひょうまでふる大雨になった。 
車を止め、彼女と雷雨の中を小走りにレストランの中に飛び込んだ。

僕らは少し遅れてレストランについたので、
殆どの人は既にカクテルを飲んで、僕らが来るのを待っていた。

僕は、彼女を僕の仕事仲間に紹介し、大体の人がそろったところで、ディナーを始めた。 
皆で色々な思い出話をして、大きな声で笑い合った。。 
仕事にかこつけて実は、皆でスキーに行った話、 
皆若い頃に裁判所で大立ち回りを演じて裁判長に退廷を命じられた話、
相手との交渉でとんでも無い勘違いをしていたが、結果的に、
何となく有利な条件で話がまとまってしまい、
いまだにその理由が誰にも分からない話等、話は尽きなかった。。。

その時に、Ernie(昨日死んでしまった弁護士)は、こうだったとか、
Ernieは、ああいってたという話をしては、僕達みんな若かったが為の
若気のいたりをErnieが身を挺してかばってくれた事を思い出した。

ディナーは延々と4時間近く続いた。 皆、顔が赤くなり、
喉がかれるまで話をして、笑い続けた。 妹を失ったJoannieも、始終笑っており、
あんまりくだらない話には、涙を流しながら笑っていた。
一段落して、静かになった時に、僕らは、ワインでErnieの為に乾杯をした。
This one is for Ernie。。一瞬だけ皆の顔が真剣になった瞬間だった。
きっとあの世に行ったErnieも喜んでくれたと思う。
皆、貴方と過ごした月日を忘れていないよ。 僕は、心の中で、呟いた。 

レストランを出、友達と別れ、僕は、彼女と二人で、彼女のアパートまで車を走らせた。
 その頃には、雨はすっかりやんでいた。 暗く静まり返った1st Avenueを走りながら、
僕には、この先どのような人生が待っており、
いったい彼女とはいつまで一緒にいられるのだろうかと考えていた。。 
僕は、車を運転しながら、開いていた手で、彼女の手を握りしめた。。。


  Ernieは、生前は、家族もなくて仕事以外は、ずーと孤独な人だったので、
  お世話になった人たちが皆集まって、彼の話で盛り上がれば、
  彼も寂しくないかなと思ったのでディナーをしました。 
  でも、本当はちょっと下心もあって、僕も、身寄りがないので、
  もしもアメリカで死んだときには、僕がErnieにしたように、
  皆に僕を覚えていて欲しいなと思って、ディナーを企画しました。


  アメリカは、人種のるつぼで色々な宗教の人がいるので、冠婚葬祭の時には、
  結構気を使いますよね。 昨日のディナーには、日本人の僕の他に、
  アイルランド系、ユダヤ系、イタリア系、ロシア系、トルコ系と様々だったので、
  食事会が一番差し障りがないかなと思って、食事会にしたんだけれど、
  Petokiさんが言うように、最高の供養は、皆で彼の為に時間を共有して、
  彼に感謝する事かなと思いました。 気持ちが通じればうれしいんだけど。


  彼女には、ずーっと気を使いっぱなしです。 彼女を連れて行った理由は、
  僕が、彼女と一緒にいたかったからって言うのが一番大きいんだけど、
  それ以外でも、彼女が大学に戻って色々悩んでいるんで、
  僕の友達にあわせて、話をしたら少しは気が晴れるかなと思ったからです。

  僕が招待した友達の何人かも、一度大学を出て、社会人員なってから、
  もう一度大学に戻って、違う職業を選択して人生をやり直した奴らがいるので、
  彼らの話を聞けば、彼女も自分の決断に自信がついたり、
  彼らに色々アドバイスを聞けるかな?と思ったので。。 僕の友達は、
  結構皆酔っ払っていい気分になっていたので、どこまで参考になったのかは、
  分からないけど。。。 でも、20人呼んだから、結構な金額になって、
  40万円近く使ったのかな。 でも、Ernieがいなければ、今の僕はいないわけで、
  お金にケチケチしては、いけないなと思っています。(本当は、金欠なんだけど。。。)
  一晩あけた今日は、高い時計を買って、一日でなくしたと思おうと、
  薄くなった財布を見ながら考えるようにしています。(失笑)

  Σ('◇'*)エェッ!? 全部Toshサンのおごりですか?
  40万・・・
  40万を飲食代でいっぺんに使ったことはないですね(;・∀・)凄い(;・∀・)・・・

   そう。 僕のおごり。。 たくさんの人を呼んで、大騒ぎをする食事会は、
  年に一度くらい、何かしら理由をつけてやってます。
  僕が個人的に払ってるっていうと、皆、遠慮して好きな場所で、
  好きな物を食べる事ができないから、
  僕の会社に払わせてるので気にしないでいいよって、皆には、嘘ついてます。(笑)
  でも、本当は、僕の自腹。。。 実は、Ernieもそうやってのを知ってたので、
  僕も背伸びをしてちょっとErnieの真似をしてみました。

  やっぱり最後は、友達だと思う。 お金たくさん持っていても、
  一人じゃ寂しいし、良い友達がいるって言うのは、良い事だなあと思いました。

  今朝になって、昨日招待した人たちからお礼のメールを貰い始めたんだけど、
  その中で、招待したトルコ人の夫婦から、メールを貰ったんだ。 

  僕は、そのトルコ人の女の人を仕事のつながりでずーっと知ってて、
  911の時に、アメリカで一部の暴徒がアラブ人狩りをしたんだけど、
  その時に、皆で彼女と彼女の家族を守ってあげてりして、Ernieは、
  そのときも結構色々、彼女にも尽くしてたんだよね。
  その旦那さんからメールを貰って、昨日のディナーに呼んでくれて
  有難うと言うお礼の他に、”昨日集まったお前たちは、ファミリーみたいだ。”って
  書いてあったの。 ファミリーみたいだって言われて、何か、うれしい気持ちがした。





2006年07月04日  闘い続ける理由

僕は、日本を離れてから、常に一人で仕事をしている。 
たまに、何人かの共同作業をする事もあるが、
それは、あくまでもProjectベースで、基本的には、常に単独行動だ。
もともと日本を離れたのも、組織が嫌いだったり、
自分一人でどこまでできるか挑戦してみたかったというのもあるし、
同じ職場に毎日通うような人生をおくりたくないとか、
理由がいくつかあったのだが、その代償として、
僕は、日本を離れて以来、常に孤独だった。
僕が、日本を離れた頃、日本を飛び出し世界に羽ばたこうとしていた
日本人スポーツ選手は、野球の野茂と、F1の中嶋悟ぐらいで、
まだイチローもいなければ、中田もいなかった。

僕は、まだ外国で活動を始めたばかりで、
理想と現実のギャップを目の当たりにし、いかに自分が井の中の蛙であったかを、
外国人から容赦なく思い知らされている時だった。。。 
そういう時に、野茂の活躍を聞き、中嶋の苦闘を聞き、同じ日本人として、
世界の中で勝負をしている求道者達の姿に励まされたものだった。
特にニューヨークに来てからは、殆どの場合、外人だろうが、
英語が喋れようが喋れまいが、一切おかまいなしのスクラッチ勝負が基本なので、
それぞれの人間が、自分に誇りを持ち、自分のルーツに誇りと自信を持ち、
あくまでも強気で攻めて行く事を、当然要求された。 

僕は、外国に出てから、より強く、自分を意識し、自分のルーツである日本や、
日本人を強く意識し、日本人である事を強みにして、少しでも勝ち残れるように、
自分の気持ちを高めようと努力をしている。
その為に、外国に出てから、日本の事をたくさん勉強するようになった。
誤解をされるかもしれないが、僕の仕事場のドアを閉めると、
ドアの内側には、旭日旗がかかっている。 別に僕は、右翼でもなければ、
戦争崇拝者でもないが、外国で退路を断って、
一人日本人として闘い続ける心を奮い立たせる象徴として、
ドアの裏側には、旭日旗がかかっている。
ドアの裏側なので、普通は、仕事場の人は決して見る事が無い。
僕が、一人になりたい時、脳漿を絞り出すような思いで次の手を考えるとき、
僕は、仕事場のドアを閉め、旭日旗と対峙し、日本人として恥ずかしくない闘い方、
仕事をしようと、その都度自分に言い聞かせる。 
多くの日本の先人達がそうしたように、僕も、恥ずかしくない闘い方をし、
結果を恐れず凛とした姿勢で物事に対処したいと思う。


  こっちにいると、嫌でも自分が日本人である事を色々な場面で確認させられるし、
  特にニューヨークは、移民の街なので、自分のルーツに自信を持っていない人は、
  信用されないというか相手にされない傾向があります。
  例えば、アメリカに亡命をしてきた人たちでさえ、自分の政府を非難しても
  自分の祖国やルーツにちゃんと誇りを持っているというところは、流石だと思います。
  あと、面白いと思ったのは、例えば、日本人の誰かが、こちらのコミュニティーで
  何か達成して評価をえたりすると、彼らは、その日本人を紹介する時に、
  ”こいつは、Real Samuraiだ。”というような賞賛をしたりする事が多いです。
  これって、裏を返せば、やっぱり、ニューヨークのコミュニティーで生きている人たちは、
  それぞれのルーツや祖国を意識しているということなのではなかと僕は思っています。



2006年07月05日   独立記念日  Tell Me There's a Heaven

今日は、独立記念日だった。

昨日の夜、久しぶりにクラブに行って、朝の4時くらいまで遊んでいたので、
今朝は、遅くまでベッドの中に潜り込んでいたかった。 
服飾関係の世界に絡んでいた時には、毎週のようにクラブに行っていたので、
遅くに帰って来てもへっちゃらだったのだが、
最近は、流石に歳を取って来たのかもしれない。。。
重い体をやっとの思いでベッドから引きずり出し、ジムで1時間程汗を流し、
冷たいシャワーを浴びて、やっと、頭が目覚めたような気がした。

午後2時過ぎに、彼女のアパートに向かった。
僕は、FDRと言うニューヨークの東端を南北に走るハイウェイを通って、
彼女のアパートのあるアッパーイーストまで車を走らせた。 
まだ、イーストリバーでの花火大会までには、6時間以上の時間があったが、
既に川沿いには場所取りをしている人がいた。 僕は、それらの人を横目で見ながら、
まだ交通量の少ないハイウェイを彼女のアパートに急いだ。
いつもの通り、80丁目に駐車スポットを見つけ路上駐車をして、
彼女のアパートのあるビルまで僕は小走りで向かった。。

僕は、彼女の事をもう5年位知っているし、
付き合うようになってからもう何年も立っているが、毎日逢っていても、
僕は、彼女と会うのが何よりも楽しいし、少しでも彼女と一緒にいたいと思い、
自然と、彼女に会いに行く時の足取りは、軽く、早くなってしまう。。。 
こういうのを、老らくの恋って言うのだろう。 でも、歳を取ったら、
恋をしてはいけないっていう決まりは無いのだから、
僕は、自分の気持ちに正直でいたいと思っている。

彼女の家では、別に何をするという訳ではなく、
二人で改造途中の裏庭に出て、買って来たばかりの椅子に座って、
太陽の光を楽しみながら、話をしたり、部屋の中に戻って、
テレビをみたり、とりとめの無い事で時間を過ごした。

3時過ぎに、TVのスペイン語放送でワールドカップのドイツ-イタリア戦を見た。
彼女は、若い頃にドイツに留学していた事があり、
ドイツに親しい幼なじみがいる事もあり、ドイツを応援していた。
僕は、不良中年に憧れているので、イタリアを応援し、
必要以上に熱狂的なスペイン語のアナウンサーが絶叫する中で、TV観戦をした。
僕は、どちらも点が取れず、最終的にはPK合戦になって
ドイツが勝つのかなと思ったが、意外な結果に終わった。

彼女と、ソファに座りながら、大騒ぎでTV観戦を楽しんだが、
試合に熱中していたので、料理の準備をすっかり忘れてしまい、
家での手料理は諦め、近くのイタリア料理屋に食事に出かけた。

そのイタリア料理屋は、外からでは、レストランかどうかわかりにくく、
外から見えるのは、通りに出された一つのテーブルと二脚の椅子だけで、
そこには、レストランのオーナーの老人と、
彼の友達がいつも葉巻を吹かしながらワインを飲んでいると言う、面白いレストランだ。

オーナーの老人は、僕達二人の事を良く知っているので、
僕らが道を歩いていると、葉巻をくわえたまま、僕らの方に向かって、
大きく手を開いてやってきて、イタリア式の挨拶をして僕らを迎えてくれた。

レストランの中には、あまりお客がいなかったので、
二人で貸し切りのように、のんびりとすることができた。 
僕らは、白ワインのボトルを開け、この国の誕生日を二人で祝い、
僕ら二人、僕らの友達、愛する人々の幸せと健康を祈って乾杯をした。

少し飲み過ぎてしまい、酔いを醒ます為に、
風にあたろうとちょっと遠回りをして、彼女の家まで帰った。
アパートに帰って、暫くすると、彼女は僕の隣で、可愛い寝息を立て始めた。。。
僕は、彼女を抱き上げベッドにうつし、部屋の電気を暗くしてTVを見ていた。。

TVは、独立記念日の様々なニュース、花火の事、スペースシャトルが発射されたが、
既に故障が発見されている事、テポドンが発射された事、
イラクでの死傷者の数が増えている事、
イラクで負傷し病院でリハビリをしている兵士の話など、
救いの無いニュースを山のように流していた。。 

ベッドでは、僕の最愛の女性が、可愛い寝息をたてている。 
その近くで、TVは、本当に天国などというものがあるのだろうか?と
言いたくなるような救いの無い現実を垂れ流し続けている。。。 

僕は、暫くして、いたたまれなくなってTVを消した。
TVの残像が彼女の寝顔をわずかに青く照らしている中、
彼女は、ずっとスヤスヤと眠っている。。 僕は、彼女の寝顔を見ていたが、
理由はわからないが、何故か涙がこぼれてきた。。。
Please tell me there's a heaven... Please tell me there is nothing to fear...



2006年07月06日  All Summer Long

独立記念日が一夜明けた今日は、朝からひどい土砂降りだった。 

幸い、雨は午前中で上がったが、本当に、
独立記念日が終わるまで待っていたようなまとまった雨だった。

今日は、朝、パーソナル トレーナーが来る日だったので、
午前中は家で仕事をし、トレーナーと一緒に2時間汗を流した。 
ジムにいた時間が予定より長くなってしまったので、
結構、午後のスケジュールが押してしまい、僕は、急いでシャワーを浴び、
髪の毛も乾かないうちに車に飛び乗って、仕事場に向かった。

来週の月曜日には、僕が取締役をしている会社の取締役会があるので、
その準備をしたり、何人かの来客に会い、ばたばたとした一日になった。

2時過ぎに彼女から電話があった。
彼女は常に僕の携帯に電話をしてくるので、僕は、どんなに忙しくても、
何をしていても彼女の電話にだけはできるだけ出るようにしている。 
その時も、僕の仕事場に誰かが来ていたのだが、僕は、彼女の電話を取り、
少し話をした。彼女は丁度学校が終わって、バイト先に向かう途中だった。
仕事が終わったら彼女のバイト先に、迎えに行く約束をして、
僕は電話を切り、仕事に戻った。

今日は、独立記念日の翌日という事もあり、彼女のバイトが早く終わったので、
僕は、残りの仕事を家ですることにして、7時半に仕事場を抜け、彼女を迎えに行った。

二人とも仕事や勉強を抱えていたので、早めに外で夕食をして、
それぞれの仕事をする事にし、僕らは、72丁目のレストランで食事をする事にした。

午前中強い雨が降っていた事もあり、気温も昨日よりは少し低めで、
大変すごしやすい夜になった。 

僕らは、とおりに張り出したオープン テーブルに陣取り、
涼しい夏の夜の風と夜の街の灯りを楽しみながら、夕食を食べた。

彼女のアパートに戻り、二人それぞれ、勉強や仕事を始めた。 
彼女のアパートは狭いので、二人それぞれやる事がある時には、
彼女は、ベッドの上、僕はソファと陣地が決まっている。

僕の愛しい勤労学生は、ベッドの上に腹這いになって、
教科書と参考書を広げ、ノートにメモを取っている。。 
僕は、ソファの肘掛けから足を出し、お腹の上にPCを置いて、資料を纏めている。
たまに彼女に目を向けると、彼女は、真剣になっているときの癖の、
唇をとがらせて、ペンを走らせている。。
僕は、その姿を見て、ちょっと微笑み、
歳のせいで年々白くなって行く髭を撫でながら、また仕事に戻る。。
来週の後半から、また僕は、旅に出るので、暫く別々の生活が始まる。。




一番好きな曲は

これは、気分によって変わるので、一曲に決めることは無理ですが、
やっぱり、ロバート ジョンソンのMe and the Devil’s Bluesですかね。
僕がいつも抱えている孤独感と寂寞とした思いを、
あれほど代弁してくれる曲はありません。 僕も死ぬときは、
多分一人のような気がしていて、ジョンソンが、
”俺が死んだら、死骸は、ハイウェイの端に埋めてくれ。
俺の魂が、そこでグレイハウンドのバスに乗れるから。“と言うところでは、
いつも鳥肌が立ちます。


身長 185センチ
体重 85キロ
特徴 人相が悪く、あごがだぶついている



2006年07月07日  七夕

ニューヨーク時間は、まだ6日だけれども、7月7日は、七夕だと思い出した。

七夕の時には、短冊に願い事を書くんだよね。。。 昔の記憶が蘇った。
七夕の話は、切なかった。 一年に一度しか会えないなんて、残酷な話だ。 
子供の時には、何とも思わなかったが、日本の昔話は、結構切ない話が多い。。

小学校の時に、授業で先生から七夕の話を聞き、皆で短冊に願い事を書いた。
クラスメートの優しい女の子が
”彦星さんと織姫さんをもっと逢えるようにしてください”と
短冊に書いてたことを思い出した。
しかし、自分が、何を書いたのかは全く思い出せない。。 
自分の将来なりたい仕事? 夢?なんかを書いたような気がする。。。

それから、何十年もの月日が経ち、僕は、異国の地でたった一人、
なんとか生き延びている。。 子供の時には、こんな事になるとは、
夢にも思わなかった。。 あれから何十年もの月日が経ち、
僕は、生き残る為に、どんどんずるく汚くなり、僕の両手は、罪で汚れ、
嘘をつき、人を騙した。 でも、それが大人になるという事なのかもしれない。。

僕が、最後に七夕に短冊を飾ったのはいつだっただろう。。
まだ日本に住んでいる頃、20代の前半だった気がする。。 

僕は、当時、最愛の人と一緒に暮らしており、
二人とも音楽で喰って行こうと苦闘している頃だった。 
デモテープを色々なレコード会社に送り、ライブハウスを周り、
楽器代と生活費を稼ぐ為に、いくつものバイトをしている頃だった。

彼女は福生の基地の近くに住んでいた女の子で、親のいない子だった。。
父親は、米兵だったらしく、彼女は、褐色の肌を持っていた。 
唄が大好きで、唄が凄くうまくて、いつのまにか、
東京の福生市界隈にたむろしていたゴロツキと一緒にバンドを始めた。 
僕もそのゴロツキの一人だった。。。
PXをまわって、基地のクラブで音楽をやっている頃が一番楽しかった。 
でもいつしかもっと、夢を追いかけたいと思うようになり、
PXまわりでは、満足がいかなくなった。。

デモテープを聞いたあるレコード会社の人が、ボーカルの女の子はイケルけど、
バンドは、いらないと言っているのを聞いてしまった。 
僕は、彼女だけでも夢を掴んでほしくて、
彼女には理由を言わずにバンドをやめ、音楽をやめた。。。
僕は、彼女に、バンドをやめ、音楽をやめた理由を消して言わなかったけれど、
彼女は、何となく感づいていたようで、僕の事を随分せめた。。 

僕は、音楽以外の仕事を始め、彼女はまだ音楽を続けながら、
僕らは、毎日冗談を良いながら楽しく暮らしたが、
決して音楽の話をする事は、なかった。。 今から考えれば、
お互いに引け目を感じながら、無理をしていたんだと思う。。

ある時、僕が仕事でアメリカに出かけ、帰って来たときに、
彼女が空港に車で僕を迎えに来てくれた。 
僕は、彼女が乗って来た車(カマンギア)の助手席に乗り、
高速を横浜方面に向かったが、彼女は、
なんでもないカーブでハンドルを切りそこね、事故を起こして、
僕は生き残ったけれど、彼女は死んでしまった。。
その彼女と一緒に住んでいる時に、
住んでいた東神奈川のアパートのベランダに竹を買って来て、
短冊に願いを書いたのが、僕が最後にした七夕だった気がする。。
あれから、20年の月日がたち、僕も立ち直り、大人になった気がする。。。
七夕の昔話では無いけれど、一年に一度ではなく、
僕が死んだらあの世で、会いたい人が、たくさんいる。。
その人達が僕の事を忘れずに待っていてくれれば良いな。。


  40年も生きていると、流石に色んな事ありました。。(笑)
  昔は、辛かったけど、でも時間が経つにつれて、
  自分が生きている理由っていうのがきっとあるはずだと思うようになりました。 
  それで、今は、人にどれだけ優しくできるかが、
  僕の生きている証なのかなあと思うようになっています。
  今の彼女にも、昔の話は全部したんだ。 彼女も僕に全部話してくれたし。。 
  話をした時に、彼女は、笑って、”私たちは、お互いにクローゼットに
  幽霊をしまいながら一緒に生きていけば良い。”って言って静かに笑っていました。
 


2006年07月08日  Not Enough Love in the World

今日も朝から、素晴らしい天気だった。
日差しは強いのだが、風は涼しく、こんな日は、
やっぱり戸外でゆっくりとしたくなる。
仕事が終わって彼女を迎えに行き、車をダウンタウンに向かわせながら、
どこに行こうか二人で考えた。。  
ダウンタウンのファイナンシャル ディストリクトには、
ニューヨーク湾を一望できるオープンカフェがある。。最高の場所にあるのだが、
全く人に知られていないので、海風を受けながら、
自由の女神の肩越しに日が沈むのを眺める事ができるレストランだ。
アルファベットシティは、前にも書いたが、もともとロシア人の居留地域だったが、
70−80年代にスラム化しハーレム以上に危険な場所になったが、
最近、再開発され、今は、ニューヨークで一番ヒップな地域だ。
たくさんの新しい建物や、新しい店が並び始め、
そこに集まってくる若者の服装を観察する事ができる。。
ミートパッキングディストリクトは、テレビシリーズのSex And the Cityでも
良く出てくる未だに若者に人気の地域で、もともとは精肉市場だったが、
再開発され、たくさんのクラブやレストランが建ち並んでいる。ただ、
2−3ブロック南に歩くと、そういった喧噪は、嘘のようになくなり、
昔ながらのニューヨークのウエスト ビレッジの風情が戻って来て、
狭い、石造りの道路(コンクリート舗装じゃないよ)に、
Pre-Warのブラウン ストーンが整然と立ち並び、
小さなレストランが、ひっそりと立ち並んでいる。。。

結局、僕らは、ミートパッキング ディストリクトの外れにある、
小さなオープンカフェ レストランに行く事にし、石造りの狭い道路の片隅に車を止め、
夏のくせに涼しいハドソン川からの風を背中に受けながら、
手をつないで、街を暫く散策した。 川からの風が、彼女の後ろ髪を乱すたびに、
髪の毛をかきあげる彼女の仕草が愛らしい。。
暫く歩いて、Horatio Streetの角の小さなレストランに腰を下ろした。 
小さなテーブルが、店の外にいくつか並んでおり、
僕らは、その一つに座り、夏の落日を楽しみにながら、ゆっくりと食事をした。 
夏の落日が、彼女の白い肌を、少し赤く染めた。。



2006年07月10日    ジダンの漢  

今日、ワールドカップの決勝をテレビを友達と見た。
たまたま、一緒に見た友達がフランス人だったからという訳ではないが、
僕は、フランスを応援していた。 

イタリアの選手の方が、イケテル選手が多かったので、
イケテル不良おやじを目指している僕としては、
イタリアを応援していたのだが、やっぱり、決勝で相手がフランスとなると、
イタリアには申し訳ないが、フランスに優勝させたいという気持ちになった。

結局、結果は、PKでああいう事になったし、
ジダンは、レッドカードで選手生命をああいう形で終えた。

ジダンのやった事と、あの後で、ジダンが退場になった事、
更には、事件が起こった後で、色々な人がジダンの批評を始めたのを見ていて、
何となく、この世の中で生きていくという事の縮図を見た気がした。

ジダンだって、馬鹿じゃないんだから、
ああいう事をすればどうなるかという事は解っていたはずだし
(前にも同じような事をして5試合出場停止になってるし)、
あの場が、ワールドカップの最終試合で自分の選手生命の
最後の試合という事も十分解っていたはずだ。

それでも、人間って、どうしてもやらないといけない時、
やってしまう時というのがあるんだなと言う事を、
あの場面を見ていて深く、再確認した。

やっぱり、イケテル不良おやじを目指す僕としては、
周りから客観的に見た場合に馬鹿げてると思われる事でも、
自分が、そう思ったら、全てを失ってもあえて自分の気持ちの
赴くままに行動する、男になりたいな。 だから、僕は、レッドカードを貰って、
ワールドカップの横を通って退場して行くジダンに漢を感じたし、
なんか、惚れちゃった。

吉田松陰の唄に、”かくすれば、かくなるものと知りながら、
やむにやまれぬ 大和魂”という唄があるが、やっぱり全て計算ずく、
客観的になるのではなく、いざという時には、
後先を考えない馬鹿になれる男に僕はなりたい。



2006年07月12日  Alison  彼女とコンサート

今日は、彼女を連れてエルビス コステロのコンサートに行った。

7時過ぎに彼女のバイト先に、彼女を迎えに行き、
車を74丁目のビーコン シアターに走らせた。 
彼女には、コンサートに行く事は内緒にしていたので、
車がビーコン シアターに近づいた頃になって、ようやく彼女は、
僕の秘密に気がついたようで、口に手をあてて笑い出し、
軽く僕の肩を何度か叩いて、いたずらっぽく笑った。 
僕は、彼女を驚かす事ができて、それだけで満足だった。

ビーコン シアターには、コンサートが始まる8時前に滑り込むように到着し、
僕らは、自分たちの席に向かった。 エルビス コステロは、
8時から前座なしで11時までコンサートを続け、
4時間近い力強い演奏をみせてくれた。

彼女は、明日大学の試験があるので、コンサートが終わった後、
二人は、寄り道をせず、まっすぐ彼女のアパートに帰ったが、
彼女の楽しそうな顔を見る事ができたのが何よりも嬉しかった。

僕には、今、誰よりも笑顔が見たい人がいる。 
誰よりも幸せになってほしい人がいる。誰よりも守ってあげたい人がいる。
僕は、若い頃には、自分がなによりも大事で、
自分の幸せや自分の欲求をまず第一に考え、
相手に知らず知らずに見返りを期待していたが、この歳になると、
そういう気持ちはもう消えてしまった。 僕は、人の為に自分の余生を使いたい。
それが自分の愛する人であれば、最高な余生だと思っている。

帰りの車の中では、コンサートの余韻をまだ楽しんでいたが、
アパートに帰って、一段落すると、明日の試験勉強をまた始めた。
僕は、その脇で、自分の仕事を片付けている。

あさってから、僕は、また仕事でニューヨークを離れなければならない。
彼女も同じ日の夕方のフライトで、ミシガンに行き、
死期を迎えているお婆さんと、最後の夏の思い出作りをする。 


  恋は求めるもので、愛は与えるものって良い言葉ですね。 
  昔は、僕がこんなに人に尽くしているのに、その人が、
  何でそれを理解してくれないんだろうとか、
  知らず知らずに見返りを求める自分本位なものだった気がします。
  今でも、そういう気持ちを持つ時があるんだけど、”あれっ。 ちょっと待てよ、”って
  自分で気がつくようになったので、ちょっと進歩したかな?って思います。(笑)



2006年07月13日  You are all I want  彼女のお婆ちゃんと家族関係

今日は、ニューヨークは、夕方から雷を伴う大雨に襲われ、
夜にいったん収まったものの、夜遅くなってから、また雷と大雨になった。

僕の彼女は、大学のテストを無難にこなしたようで、
午後に僕の仕事場に陽気な声で電話があった。
僕は、昨日の夜、エルビス コステロのコンサートに連れ出して、
遅くまでいたので、彼女の勉強がちょっと心配だったのだが、
彼女は、朝5時起きて勉強をしたらしい。

夜8時に仕事を片付け、彼女をバイト先に迎えに行き、
二人で、ユニオンスクエアのバーンズ&ノーブルに、本を買いに行った。
彼女は、お婆さんの誕生日あげる本と、姪っ子にDVD、
自分が飛行機で読む小説を買い、僕は、明日自分が飛行機の中で読む小説を買った。
その後、パークサウスを少し散歩して、近くのフレンチビストロに入り、
遅い夕食を取った。 二人ともそれほどお腹がすいていなかったので、
ステーキを一人前注文し、二人で分け合って食べた。

僕は、明日から仕事で日本に行く。 彼女は、明日から、
死期を迎えたお婆さんと一緒に過ごす為に、兄弟や姪と一緒にミシガンに行く。
今回のミシガン行きの目的も、多分今年中に死んでしまうであろう
お婆さんとの思い出作りのものであったり、彼女の家族関係も複雑で、
色々問題があったり、そもそもここでは書けないが、そこには悲しい思い出が沢山ある。

雨がひどくなり、僕らは、車の外にも出る事ができなくなり、
強い雨が車の屋根を容赦なく叩き、雷の光が、
時折フロントガラスを白く光らせ僕らの目を眩ませるなかで、
僕らは、一時間ばかり、車を路肩に止め、色々な話をした。

話しにくい事でもあったので、二人とも前を向いたまま、
訥々と話をした。 僕は、時折、彼女の横顔を見た。 
激しく雨が叩き付ける車の窓の方に視線を向け、僕らの脇を車が通り抜ける度に、
その光が、彼女の顔を明るく照らしては、また彼女の顔は、夜の闇の中に消えて行った。

彼女は、ひとしきり悲しい話をした上で、でも私は、
人前では決して泣かないし泣き顔はみせないと言って、唇をかんだ。
その健気な、決意に満ちた彼女の横顔を、雷が一瞬、白く照らした。。

僕は、何も言わず、彼女の方に顔を向けて、彼女の手を握った。
彼女も僕の方に顔を向けて、悲しそうに笑みを浮かべた。
雷があたりを照らす時しか、彼女の顔をはっきり見る事はできないが、
僕は、彼女の目が涙で赤くなっているのがわかった。。。

”そんなに自分だけで頑張る必要はないんだぜ。 
もっと弱い所をみせても良いんだよ。”と僕は、言いたかったが、
彼女の健気な決意に水を差したくなかったので、何も言わなかった。
ただ、彼女の手を握ったまま、彼女の顔を見つめていた。。。


  こんにちは。前から、彼女の今度の旅行は、お婆さんの件と、
  過去の清算みたいな話で、彼女は結構思い詰めている所があるようです。
  ただ、彼女は、ここで自分が過去と面と向かわないと、
  次の世界に踏み出せないと思っているようなので、
  僕は、それを静かに見守ってあげたいと思います。



2006年07月15日  日本での仕事

日本に着き、成田空港の建物を出た途端、あまりの湿気にびっくりした。 
僕は、日本でも仕事をしているので、頻繁に東京に来る事から、
東京自体は別に慣れているのだが、知ってはいても、
夏のこの蒸し暑さには、毎度辟易させられる。

夜中に彼女に電話をした。留守電になっていたので、
メッセージを残し、日本での暑い一日が終わった。
今頃彼女は、何をしているだろうか? 
僕の事を思い出したりしてくれているといいな。。。

どうも日本にいると、寝る時間や日記を書く時間を見つけられない。
昨日も、朝早くおきてカリフォルニアの会社と電話会議をして、
その後、シャワーを浴び、日本の仕事場に向かい、夜まで働いて、
食事の為に外に出かけ、また仕事に戻り、
夜中になってニューヨークの連中と電話会議をした。 

仕事が忙しくて、朝と昼は食事を取らないので、日本にいるときには、
僕は大体夕食一食になる事が多い。 そうすると痩せそうだが、
かえって太るようだ。食事の回数を減らすと、
それだけ一度の食事の量が増えるので、結果的には、
栄養を吸収しすぎて太ってしまうようだ。

彼女に電話をして、お互いの一日についてそれぞれ報告をしあった。 
ニューヨークは、35度以上の熱帯夜で非常に熱いようだ。 
僕は、僕が日本に来てから連日雨だと言う話をすると、
”貴方は、雨男だから、、”と笑われた。 
僕は、自分が知らない間に雨男にされていたらしい。。。
今回の日本での仕事は、はっきりとした成果の出ない
中途半端なものになってしまったが、
とりあえず、僕はアメリカに帰る事にした。
今は、ともかく、彼女の早く会いたい。 
僕は、ここ連日、夜中に古いブルースを弾きながら彼女の事を考え続けている。




2006年07月20日 日本からNYへ Going Home

日本に来てから、ほとんど雨で、体からキノコが生えてきそうな気がしたが、
とりあえず、一度ニューヨークに帰る事にした。

でも日本での仕事が終わりきらなかったので、
31日にまた日本に戻ってこないといけない。 行ったり来たりで大変だけど、
そうしないと彼女と過ごす時間が確保できないので、しょうがない。 

彼女と今朝、電話で話したが、昨夜は、ラガーディア空港が停電で一時閉鎖され、
彼女の飛行機も相当遅れ、昨日家に帰ったのは、夜中過ぎだったようだ。
こちらに来てから、ずっと寝不足で機嫌が悪かったが、
彼女と電話で話しているときだけは、思わず、僕も口元が緩んでしまうので、
いい歳をして、恋は盲目と言う事なのかもしれない。。。

ニューヨーク時間の20日の夕方に僕の飛行機は、
ニューヨークに戻るので、一度家に帰って、シャワーを浴び、
彼女のバイト先によるの8時頃に彼女を迎えに行く約束をした。

まだ月末に日本に帰る話は、彼女に言い出せないでいる。
仕事だから仕方ないのだけれど、彼女のちょっとガッカリする顔を想像すると、
少し言いずらい。



2006年07月21日  St. Elsewhere

東海岸時間の午後4時にニューヨークに戻って来た。

僕が日本に行っている間は、熱波が到来して全米51州のうち48州が、
摂氏30度以上を記録したようで、ニューヨークも摂氏35度を越えたようだが、
今日は、摂氏28度で天気も良く、久しぶりに太陽と青い空を見た気がする。

以前、ユナイテッド航空の800便に乗って東京からニューヨークに戻った時に、
腹の立った事があった。 僕は、たまたまその日は、寝て帰りたかったので、
座席がフルフラットになるファーストクラスで帰ったのだが、ファーストクラスには、
他に客がおらず、僕が唯一の乗客だった。 僕は、食事の後に直ぐに寝てしまったので、
かなり時間が経ってから目を覚まして、トイレに行こうと、キャビンを歩き始めた時に、
フライトアテンダントの一人が僕の方に近づいて来て、”貴方は、中国の映画タレントでしょ。
サインを下さい。”と言って来た。 僕は、映画の仕事にも関わっているけれど、
中国人でもなければ、タレントでもないので、”それは、人違いですよ。
僕は、貴方のいっている映画タレントではありません。”と丁寧に答えたのだが、
そのフライトアテンダントは、僕が、サインをしたくなくて嘘をついていると思ったのか、
その後非常に態度が悪くなり、僕は、非常に不愉快になったことがあった。 

今日は、ユナイテッドではなくコンチネンタル航空で帰ったのだが、たまたま、
フライトアテンダントが、僕の所に来て、
”貴方、中国の映画タレントですよね。映画を見た事あります。”と言われた。
またかよと思い、彼女に、ユナイテッド航空で起きた事の一部始終を話したら、
彼女は笑い出し、納得してくれたようで、僕に態度を悪くする事も無く、
ゆっくりと寝かしてくれた。

全然違う2人に同じ事を言われるとは、ひょっとすると
僕と同じ顔の人間が、もう一人いるのかもしれない。 
気になったので、中国映画に詳しい友達に聞いたら、
”お前みたいな顔の映画俳優はいない。”と、あっさり言われた。(笑)

飛行機が、旋回をしながらマンハッタン島のダウンタウンが見えてくると、
家に帰って来たなという気がする。 今日は、ニュージャージ側のニューアーク空港に
到着する飛行機に乗ったので、飛行機は、ハドソン川上空をマンハッタン島と平行して
飛ぶコースを通り、自分のアパートや、彼女のアパート、僕の仕事場、
エンパイアビル、自由の女神を見ながらの着陸になった。

僕は、永住権を持っているので、入国の度に、入管で写真を撮られたり、
指紋を押したりする必要は無いが、SECURITYを抜けて、
空港の外に出たとたんに、また異邦人になった自分を再認識した。

僕は、一度も市民権を取ってアメリカ人になりたいと思った事は無い。
僕は、異邦人という響きが好きだし、今まで何十年と色々な場所で、
異邦人として生きて来たので、異邦人としての生き方に慣れてしまったのかもしれない。。。

迎えに来ていた車の中で、いくつかの仕事の電話をして、自分のアパートに帰り、
シャワーを浴び、髭をそって、洋服を着替えて、彼女のバイト先に彼女を迎えに車を走らせた。

暫くして、僕の最愛の女性が、オレンジの服にブロンドの髪をなびかせながら
建物から出て来るのが見えた。たった、1週間だけ離れていただけだが、
何度、この光景を夢に見た事だろう。。。 そんな事を思っていると、
彼女が突然僕の車のドアを開けた音で僕は、現実に引き戻された。
彼女は、助手席に乗り込み様に、僕の顔を掴んで、まるで男が女にキスをするような感じで、
僕にキスをした。 彼女は、一週間分の色々な事を一気に僕に説明しようとする。。。
その為に、あっちこっちに話が飛んでしまうが、
僕は、そんな彼女に胸一杯の愛情を感じながら、車をダウンタウンに走らせた。

食事が終わって、家に帰りがてに、僕は、彼女に、
”願い事が一つ叶うなら、君を僕の立場に立たせてみたい。”と言って笑った。 
すると、彼女は、笑いながら、
”そうしたら、貴方は、私が貴方の事をどのくらい恋しいと思ったかわかるはず。”と言って、
キスをしてくれた。 それは、こっちの台詞だぜと思ったが、
僕は、何も言わずに、彼女にキスのお返しをした。



2006年07月22日 雷雨  後でトシさんも起こるパートナーの境遇

今日は、朝からひどい雷と大雨が降り、やはり僕は、
誰かが言うように雨男なのかもしれない。 
前も見えない程のひどい土砂降りだったので、
雨が一段落するまで、家で仕事をすることにした。

ここまで徹底した雨と雷は、潔い感じがして気持ちが良かった。
稲妻が走る以外は、空も、川面も、地面も灰色で、大粒の雨で前も見えず、
地上の全ての汚いものが洗い流されているようだった。。。
僕も、その汚いもの達と一緒に流され、消えてなくなってしまいたい心境になった。 
ただ、現実は、そんなに簡単なものではなく、地上には沢山の汚いものが存在し、
僕自身も色々悩みを抱えながらも簡単に消えてなくなってしまう事も無い。。。

暫く、雷雨を見つめた後で、日本に行っていた間の鈍った体を目覚めさせる為に、
ジムに行き長めのトレーニングをした。

雨が一段落した所で、僕は、車に乗り仕事場に向かった。 
天気が良ければ、今日は、コンバーチブルの方に乗って行こうと思ったが、
空模様が怪しかったので、別の車に乗り、イグニッションを捻った。 
カーステレオからは、Gnarls BarkleyのCrazyが、大音量でなりだした。。。
最近僕が気に入って車の中で良く聴いている曲だ。 

仕事中に、昔の古い友達からふいに電話がかかって来た。
たまたま近くに来ているのでちょっと会いたいという電話だった。
僕は、その友達を長い間知っているのだが、お互い忙しくて、
ここ何年かは、会って話をするような事はなかった。

仕事が終わって、待ち合わせ場所のバーに行くと、
見慣れた後ろ姿がカウンターにもたれかかっているのがすぐわかった。
友達に声をかけると、彼女は振り返り、昔と変わらない笑顔を僕に向けた。 
かなり痩せたけれども、大きな緑の瞳は、昔のままだった。 

久しぶりに、僕らは昔話に花を咲かせた。もうお互いに20年位の知り合いなので、
気心は知れているのだが、ここ2−3年は、別に喧嘩をした訳ではないのだが、
忙しくて会っていなかったので、お互いの近況なんかを話し合った。

そんな話の中で、彼女はさりげなく、自分のパートナーの病気が進行し、
治療に専念する為に、ニューヨークの自分のビジネスを売り払い、
テキサスに移り住む決心をした事を話してくれた。

バリバリのキャリアウーマンだった彼女が、自分のパートナーの病気治療に専念し、
できるだけ一緒の時間を過ごす為に、全てを投げ捨てて、
ニューヨークを離れる決心をした事に、
昔の仕事一本やりの彼女を知る僕としては、いささか驚きを隠せなかった。

彼女と別れた後、その後ろ姿を見送りながら、
僕は、もうその友達に会う事は無いだろうという予感がした。。


  僕も仕事中心の生活なので、
  急に何か他の事を理由に仕事を辞められるかと言うと、
  それは凄く難しいと思います。
  その友達にとっても、簡単な選択ではなかったと思うし、特に凄く痩せて、
  やつれてたから、色々考えて気の毒になっちゃいました。
  でも長い付き合いの友達としては、下手な同情よりも、言葉少なに、
  優しく見届けるのが良いかなと思って、こちらも凛とした態度でいたんだけどね。。。 
  後ろ姿を見送った時には、ちょっとその姿が涙でかすんで見えちゃった。




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