2006年07月23日   Raise a Smile  彼女の病気のはじまり。

色々考え事をしていてよく寝られなかったので、
今日は、朝4時頃からずっと起きており、長い一日になった。
僕の短所は、色々あるが、考えすぎるのも僕の悪い癖だ。見た目も強面だし、
もっと男らしくしていればよいのだけど、どうも色々とくよくよ考えてしまうたちで、
その癖は40を過ぎた今でも治らない。



2006年07月24日

今日は、朝のうちは曇っていたが、午後から青空ものぞき、気温も25度前後の非常に過ごし易い日曜日になった。

午前中は、ジムでトレーナーと2時間程汗を流した。 
今のトレーナーを雇ってからそろそろ一年になるが、確かに筋肉はついたけれども、
全く痩せる気配がない。 今日、トレーナーを見ていて初めて気がついたのだが、
彼女は、少し太ったかもしれない。。 若い女の子なので、そんな事は、
決して40過ぎの僕からは言えないが、彼女は絶対太ったと思う。 
体重が増えているトレーナーにトレーニングして貰っても
痩せないのではないかと凄く不安になったけれど、そんな事を、
彼女に聞ける訳もなく、今日も言われるがまま2時間みっちりと汗を流した。

トレーニングが終わってシャワーを浴び、僕は、彼女の家まで車を走らせた。
彼女の家に着く頃には、青空が広がり、僕は、
車の幌を降ろして太陽と心地よい風を楽しんだ。 彼女をピックアップして、
僕達は、買い物の為に、ダウンタウンに行き、ウエスト ビレッジの店をのぞいたり、
あたりをぶらぶらしたり、家を買う訳でもないのにアパートを見て回ったりして
のんびりと時間を過ごした。

彼女は、自分で大学院の学費をまかなう為に、
自分のダウンタウンのアパートを不動産屋に貸して、
自分は、小さな安いスタジオをアップタウンに借りて住んでいる。 
彼女のダウンタウンのアパートもこの5年でかなり値上がりをしたので、
そこを売って、いつかは、ウエストビレッジに小さなアパートを買いたいというのが、
彼女の夢だ。ウエストビレッジには、他のマンハッタンの地域と異なり、
Pre-Warと言われる昔のれんが造りの低層住宅が多く、
中には小さな庭がついているような建物もあり、散策をしているだけでも、
人々の色々な生活を垣間見る事ができる。
僕らは、まるで自分たちが近々家でも買うかのように、
界隈を歩き回り、物件を見て回った。

歩き疲れたので、ウェストビレッジの一角にある、
The Placeという小さいビストロに入り、そこで食事をとった。 
店は半地下になっているが、入り口付近にある4つのテーブルのエリアは、
全くのオープンエアで、半地下の影響で、その奥のテーブルにも外の光が入り、
奥のカウンターには、大小沢山のロウソクが灯されている大変雰囲気の良いビストロだ。 
ウエストビレッジらしく、入り口の近くのテーブル3つは、
既にゲイのカップル達に占領されていたので、僕らは、奥のテーブルに腰を下ろした。 
僕らは、アルゼンチン産のソーベニオンのボトルをたのみ、
MussleとCodとワインで、ゆっくりと食事をした。

彼女は、胸にできた痼りを切除するように医者に言われており、
痼りが悪性だったらどうしようと気にしていたが、
街を歩き回っている間に気分転換ができたようで、食事をする頃には、
いつもの明るい彼女に戻っていた。 ワイングラスを2回空けた頃には、
彼女の顔は、ピンク色になり、彼女の妹や弟の話し、
姉妹でネット上に店を出そうとしている話しなどで盛り上がり、彼女は、
始終独特の笑い方でケラケラと楽しそうに笑った。 
僕も、気持ちが和らぎ、幸せな気持ちになった。

外が暗くなって来たので、店を出て、街をまた少し散策した後、
彼女のアパートまで車で戻った。 車の中から、彼女は妹に電話をして、
明日の病院の検査に妹にもついて行ってもらう事にした。 
彼女の家は、複雑で血のつながっている兄弟や、血のつながっていない兄弟が沢山いる。
若い頃には色々あったようだが、今の彼女をみていると、兄弟が多いというのは、羨ましい。

今、彼女は、僕の隣でテレビを見ながら寝てしまい可愛い寝息をたてている。。。
彼女をベッドに移す事にしよう。。。 
起こさないように、ベッドに移すのは、僕の特技かもしれない。。



2006年07月25日  レバノン人の友達  仕事に対する気持ち

僕の仕事のベースは、ニューヨークだが、東京にも会社があるし
、カリフォルニアにも会社を持っていて、ヨーロッパでも仕事があるので、
月のうち、3−5日を東京、3日をカリフォルニアで、残りをニューヨークで過ごし、
2−3ヶ月に一度のペースでヨーロッパに行くようにしている。

カリフォルニアの会社を買ったのは、2003年で、会社を買収した後、
人員を整理したが、他の会社の乗っ取り屋がやるように買収した会社を
バラバラにして売り飛ばすような事はせず、なんとか、
会社を解体せずにビジネスモデルを変更して、会社が再生するように努力をしてきた。
元々会社を買収した時には、そこまで会社の再生に親身になるつもりはなかったが、
そこで知り合った、人たちの熱意にうたれて、
知らず知らずのうちにその会社にのめり込んで行ったというのが正直な所だと思う。

最初、買収をした時に社長をしていた人間と、その右腕だった副社長を信用して、
会社を任せようとしたが、結局二人は、金目当てだけで苦しい時に裏切られ、
その会社にいた右腕でもなんでもなかった男を社長にして、
まさに地獄から這い上がる気持ちで毎日仕事をした。 

彼は、レバノン国籍のレバノン人であったが、会社にかける気持ちは、
並大抵のものではなく、全身全霊を傾ける仕事の仕方が、
次第に会社のモラルを上げて行き、まだまだ会社は厳しい状態が続いてるが、
彼の御陰で、ここまで会社を建て直す事ができたと思う。

レバノン人と日本人は、気質的にも似ている所が多いようで、
非常に頑固だが、義理にあつく自分の名誉、誇りを何よりも重んずるところが
古き良き時代の日本人を彷彿させる。。 彼は、レバノン人でありながら、
アメリカのコーネル大学で博士号を取る程の努力家で、
色々悩んだあげく、去年、アメリカの市民権を取得してアメリカ人になった。

彼の両親は、まだ健在だが、彼の再三の申し出を断り、
あくまでも自分の祖国で余生を送る事にこだわり、現在もベイルートに住んでいる。
現在は、連日のイスラエルの攻撃にさらされ、相当数の市民が殺されているが、
きっと彼の両親は、安全の為に、息子の住むアメリカに退避するような事はせず、
きっと、ベイルートで死ぬ事だろう。

カリフォルニアの会社も一時の危ない状況から立ち直ったとはいえ、
依然として厳しい状況が続いており、僕も、カリフォルニアに出向いて
陣頭指揮を取らなければ行けないようだ。。 そんな中でも僕のレバノン人の友達は、
両親の事をきっと気にしているにもかかわらず、彼が預かる50人にも満たない従業員と、
会社と、買収をした際の僕らとの約束、自分の名誉を守る為に、
一歩も逃げる事なく、日々会社のきりもりに奔走している。。

今日もCNNは、ベイルートの惨状を伝えている。
その中で、僕らは、僕らの名誉とお互いへの約束を守る為に、
なんとか起死回生のチャンスを狙って闘っている。。。 
世界からは、決して戦争やテロがなくなることはなく、
人々は、どうにもならない世界の中で、
時代の波に押し流されながらも、なんとか自分が生き抜く為に、
自分の存在意義を確かめる為に、毎日を必死で生きている。

そんな中でふと、僕は、誇り高い人たちに囲まれて自分の限界に調整できるなんて、
なんて幸せなんだろうとつくづく感じる。 僕も、僕の周りの友達のように、
誇りを持ち、名誉と約束を守る為に最後の最後まで頑張り続ける人間でありたい。


  厳しい状況の中で、必死に生きる人たちを見ていると、
  自分もいい加減な事はできないなと思います。 カリフォルニアの会社を買って、
  僕はまた、人として勉強をさせられたなあと思います。 
  そういった真剣な人達と互角にやって行く為には、自分も真剣にならないといけないし、
  そういう人達に信頼されるにはどうしたらよいのかな?と考えた結果、
  結局、自分のひとつひとつの行動をする時に、
  それが自分として本当に恥ずかしくない事なのかを
  いちいち考えという事なのかなあと思うようになりました。
  でも、それって、別に新しい考え方でもなんでもなくて、真摯な態度で人に接するって、
  一期一会みたいな日本の考え方と同じだし、結局、せっかく日本人である以上、
  そういった考え方を勉強、実践して、
  恥ずかしくない日本人になるという事なのかなと思っている今日この頃です。



2006年07月26日  検査の結果、彼女が癌だった。

今日は、彼女のしこりの結果が出る日だったので、気になってしょうがなくて、
気を紛らわすために、自分の仕事場の写真を出したりしてふざけてたんだけど、
やっぱり、彼女は、癌でした。。。 代れるものなら代ってあげたい


  皆、どうもありがとう。 覚悟はしてたんだけど、
  やっぱり、いざそうなると、混乱してしまっています。 
  最初は、もうMIXIやめようと思ってたんだけど、やっぱり愚痴こぼしたい時もあるし、
  愚痴こぼせる人いないから、ここでこぼさせて貰います。
  でも、何書くかわからないから、日記は、友達だけに公開する事にしました。 
  たまに変な事書くかもしれないけど、その時は、
  つまんない事書くなと言ってくれても良いし、無視してくれても良いです。
  癌なのは、彼女であって、僕ではないので、僕が、負けてしまったり、
  悲観的になってしまうわけにはいかないので、あくまでも前向きに、
  彼女の事だけを考えて頑張りたいと思います。
  でも、一人になると、気が狂いそうになる程、悲しいんだけどね。。



2006年07月27日  生きる理由  ヨットレースと真の友

昨日は、ちょっと予感はあったのだけれども、医者の診断の結果、
彼女が、癌だとわかって、やはりショックだった。

彼女も相当ショックだったので、昨日の夜は、彼女は実家に泊まる事にして、
妹や、お婆さん達と夜を過ごした。 
彼女は、自分の肉親達と水入らずで一晩を過ごすことができたし
僕は、一人で眠れない夜を過ごし、色々悶々と考え事をした。 

一夜明けた今朝、僕は、早く彼女を迎えに行き、ダイナーで二人で朝食を取った。
医者は、早く手術をした方が良いと言っており、来週、手術をする事になり、
現在、バハマで休暇中の彼女の親も、手術の為に、ニューヨークに戻って来る事になった。 

手術までには、色々細々した準備はいるが、そういった必要な準備は別として、
それ以外の時間で、彼女に悶々と考えさせるのは酷なので、
普通の時と同じように、生活し、疲れない程度に色々忙しくした方が良いだろうと思い、
色々考えている。 その結果、僕は、彼女をある場所に連れて行った。

今日こちらは、水曜日の平日だが、昨日の夜、一人で家に帰って、
少し落ち着いて来てから、何人かの仲間に電話をして、
水曜日のヨットレースに出場しようと提案した。 なんで、急にそんな事を言い出したのか、
理由は説明しなかった。 当然、彼女の癌の話しも誰にもしていない。 
でも、僕の友達は、付き合いが長く、楽しい時も苦しい時も一緒に過ごして来た奴らなので、
僕の性格を良く知っており、急に何か言い出した時は、
それなりの理由があるに違いない事を皆知っているので、だれも理由を聞いたり、
いやがったりせずに、3人全員、水曜日のレース参戦を承知し、仕事をやりくりしてくれた。

そこで、僕は、ダイナーで朝食を取った後、彼女を連れて、
ニュージャージーのヨットハーバーに車を走らせた。 天気は最高によかったし、
普通の水曜日なので、マンハッタンの喧噪を抜けると、
道は、ガラガラで、気分よく1時間程で、ヨットハーバーまで到着した。 

僕らが、ヨットハーバーについた時には、僕の友達は、ヨットハーバーについており、
小さなレース用のヨットを海に降ろして、準備をしている所だった。 

この前、古い友達のErnieが死んで食事会をした時も、急だったのにも関わらず、
集まってくれたが、今日の、昨日の今日にも関わらず、訳も聞かずに、
仕事をやりくりして(あるいはさぼって)レースをやりにヨットハーバーまで来てくれた。

僕は、彼らの姿を見た時に、あんまり嬉しくて、涙がこぼれそうになった。
本当の友達は、いざという時には、訳を聞く事もなく、何かを察して集まって来てくれる。 
一番大柄のJayだけが、僕らの姿を見つけると、
”お前の御陰で仕事がサボれて良かったぜ。”と冗談を言って笑った。

レースは6時からなので、僕らがヨットハーバーについたのは、2時過ぎだったので、
友達3人と、僕と彼女の合計5人は、帆の張り替えの練習と、
ブイを回る練習の為に、ヨットを海に出した。 

ディンギーをやる人は、良く知っているが、船の中では、
風の状態によってタッキングといって船を風上に向ける為に方向転換をしたり、
ジブ セイルと言って、マストより更に前にある三角帆を出したり、
たたんだり、結構忙しく、チームワークが要求される。 このメンバーで、
ヨットを操るのは久しぶりなので、最初は、ぎくしゃくしたが、
小一時間も練習をしているうちに、勘を取り戻し、かなり早いタイミングで、
帆の出し入れができるようになった。 彼女も元気に、舵をあやつり、
スキッパーとして男どもを叱咤し、指示を出した。

沖合の灯台の近くで、ヨットを止め、僕らはビールを飲みながら、
夏の日差しを楽しみ、色々つまらない話しをしたりして盛り上がった。

5時にヨットハーバーに戻り、レースに登録をした。今日の出走者は、
20艘だった。 レースの直前にコースが発表になり、銅鑼の音とともに20艘が走り出した。

僕らのヨットは、スタートで少し出遅れたが、タッキングを繰り返す事で徐々に調子をあげ、
ブイを回る頃には、5番目につけた。スキッパーである彼女の声が、
小さなヨットの中に響き渡り、僕らは、彼女の指示で、ジブ セイルを出し入れしたり、
他のヨットと衝突しそうになるのを避けながら、レースを続けた。
接戦でそんな余裕はなかったのだが、僕は、帆を揚げながら、
彼女の顔をちょっと見た。 彼女は僕に気づかないが、
前を見つめ舵を操りながら大声で指示を出している。。辛いけれども、彼女には、
生き続けたいと思う強い気持ちを持ってほしい。。 一瞬彼女の顔を見て、
そんな事が頭をかすめたが、次の瞬間に、大きな波飛沫が僕にかかった。

僕らは、3位でゴールを切った。 僕が昨日考えたプランでは、
1位になる予定だったんだけど、そんなに現実は甘くない。(笑)

レースが終わり、ヨットをしまい、ヨットクラブで簡単な食事をして、
9時半頃には、友達は、三々五々帰って行った。 
最後まで、何も聞かずに、ただヨットの話しだけで盛り上がり、
ビールとハンバーガーで楽しい時間を過ごすと、肩を叩いて、
お互いの健闘をたたえて、帰って行った。。。 みんな、ありがとう。。。

僕らも、ヨットクラブを後にして、夜の帳が降りたニュージャージー ターンパイクを北に走り、
マンハッタンへ向かった。 平日の夜なので、交通渋滞もなく、まるで車は、
滑走路を走る飛行機のように、何の障害物もなく滑るようにターンパイクを走って行った。
石油コンビナートのライトが、まるでライトアップされたお城のように見えた。
助手席の彼女は、運転している僕の方に頭をもたれかけて景色を見ていたが、
小さな声で、”今日は、ありがとう。”と言った。 
声が震えていて、彼女が泣いているのがわかった。
僕は、彼女が泣いているのに気づかないふりをして、
”君を忙しくするのが、僕の仕事だから。”とおどけてみた。。
 僕も、心の中では、泣いているんだよ。。。



2006年07月28日  Sing A Song Of Love to Me

手術までの間は、彼女は実家にいた方が良いだろうという事になり、
昨日から、彼女は実家に戻っている。

昨日は、ヨットレースに行って、僕の家に泊まったが、今朝は僕は、
彼女がまだ寝ている間に仕事に行ってしまったので、
昨日彼女が眠りについてから話しをしていなかった。

今日は、彼女のお婆さんの家で、家族水入らずの食事会があるので、
門外漢の外人である僕は遠慮をして、別行動を取る事になっていた。
明日の金曜日は、彼女と一緒に過ごす約束をしていたので、
昨日ヨットレースにいって仕事をしなかった穴埋めを今日しようと思っていた。

10時過ぎに彼女から僕の仕事場に電話があった。
丁度起き抜けに電話をしてきたようで、これから実家に帰る事、昨日の話し、
今日の家族の食事会の話し等を話したあと、彼女から、ちょっとだけでも会いたいので、
僕の仕事場に来て一緒にお昼を食べたいと言われた。

僕は、丁度その時に仕事の会議が入っていたのだが、やりくりをして、
2時半に僕の仕事場の近くのプラザホテル前の噴水の前で待ち合わせをした。
丁度プラザホテルの前には、アップルがアップルストアの2号店を
マンハッタンに出したところで、大きな四角いガラスのオブジェクトの中にアップルの
ロゴの入ったオブジェクトができ、ニューヨークの新しい観光名所の一つになった場所だ。

僕は、とある関係で、アップルのスティーブ ジョブスと何度か個人的に会った事があるが、
マンハッタンのアップルストアは、彼の自慢の作品で、
ビルディングの持ち主との交渉の裏話や、前述のオブジェに実は、
ビスをひとつも使っていない事など延々と自慢された事がある。

仕事場があるビルディングを出て、夏の強い日差しに少し驚き、
サングラスをかけて街を歩き出した。。 ルイ ビトンの店を通り過ぎ、
待ち合わせ場所の噴水の前に行くと、ショートパンツにRolling Stonesのタンクトップを着て
サングラスをかけた彼女の姿がすぐに目に入った。
僕を噴水で待っている間にも、知らない観光客に話しかけられていたようで、
僕が彼女を見つけた時には、ちょうどその観光客に話しかけられ、
首を振っているところだった。 彼女も僕を見つけて、まだ赤の信号を小走りにわたり、
手を振りながら僕の所にきて、キスをしてくれた。

昼間に仕事の合間に彼女と会うのも悪くないなと思った。
それよりも、わざわざ、彼女が僕に1時間程会う為に、30−40分の時間をかけて
地下鉄に乗り、ミッドタウンまで来てくれた事が嬉しかった。

僕達は、ホームアローン2の撮影で使われて有名になった
シュワルツ玩具店の向かいにあるなんて事はないアイリッシュバーに入り、
ランチを食べた。薄暗いアイリッシュバーのカウンターでは、
昼間の2時半にも関わらず、ダークビールを飲んでいる客が
カウンターにたむろっていたが、僕らは、窓側のボックスシートに陣取り、
Fish and Chipsを注文して、二人でほおばった。

僕は、日本人だし、彼女の家の人にはあまり良く思われていないので、
彼女の負担にならないように、彼女の家の人には関わらないようにしている。
彼女は、今、癌と闘い始めたばかりなので、余計な負担や悩みは彼女には必要ではない。
でも、彼女は一部始終を話してくれるので、何が、彼女の実家で起こっているのかについては、
誰よりも判っているつもりだ。(笑) 唯一、僕に好意的なのは、
彼女の腹違いの弟で、彼には、僕は何回か会った事がある。 
最近、アメリカの放送局のNBCに就職した将来映画監督希望の23歳の若者だ。

彼女から、今日の予定を一通り聞きながら、Fish & Chipsを平らげ、
僕らのデートは、わずか一時間ちょっとだったけれども、楽しい時間を過ごす事ができた。

僕も昨日ずる休みをした手前、長く仕事場を空けることもできないので、
食事が終わると、五番街を歩いて、地下鉄の駅のある53丁目まで一緒に歩き、
彼女を地下鉄の駅で見送って、僕は仕事に戻った。

僕は、今も仕事場に残り、自分を忙しくしようと一生懸命になっている。 
そうしないと、頭がおかしくなってしまいそうだから。。 
もう少ししたら、彼女に電話をしてみよう。


  40過ぎたジジイがこんな事言うのは、キモイと思うんだけど、
  僕は、彼女の事が本当に大好きなんだ。だから、彼女の為だったら、
  何でもしたいと思うし、何を失っても惜しいと思いません。 
  今は、彼女の病気が治る事だけが、僕の望みかな。 
  一度位、僕の望みを叶えてくれてもバチはあたらないだろうと思って、
  毎日一生懸命お願いしてます。(笑)


  僕は、今まで生きて来た自分の過去を見返した時に、
  別に恋愛だけに留まらず、色んな大事なイベントで、
  自分が本当に思っている事や、やりたいことを言わなかったり、
  やらなかったりして悔やんだ事が沢山あります。
  僕は、この歳になって、やって悔やむよりも、やらないで悔やむ時の方が、
  後悔が大きい事がやっとわかって来たので、今度は、どんなに格好悪くとも、
  みっともなくとも、自分が思った事を彼女の為に一生懸命やりたいと思います。
  結果は、どうあれ、後になって、”ああしておけばよかった”と
  後悔する事だけは、したくないと思います。 



2006年07月29日  You My Love, And...

結局彼女の手術は、来週の金曜日になった。

僕は、彼女の事が心配だったので、日本の仕事をキャンセルしようとしたが、
彼女が自分の為に他の人に迷惑をかけたくないと強く言うので、
月曜、火曜と二日間だけ日本で仕事をして、水曜日にニューヨークに帰って来る事にした。 

そんな事もあって、来週の水曜日まで彼女と会えないので、
今日は、ゆっくり二人で過ごす事にした。仕事をなんとか7時までに片付け、
彼女をバイト先に迎えに行き、まずは、彼女の家に着替えを取りに行った。
手術までは、彼女は実家に帰っているので、
着替えを取りに二人で久しぶりに彼女の家に帰った。 
久しぶりに誰も住んでいないアパートに帰ると、閉め切ってあるせいか、
非常に暑い。 窓を開けたり、クーラーをかけたりしたが、
すぐには涼しくはならず、二人とも大汗をかきながら、
彼女の荷物をまとめてアパートから退散した。

荷物をまとめた後、それを僕の車の中に放り込み、
ダウンタウンに車を走らせ、二人の行きつけのベトナム料理屋に出かけた。 
午後に雷雨になった事もあり、ダウンタウンの街並は、
ホースで水をかけたあとのように若干奇麗になったような印象を受けた。

空模様があやしく、また雷でも来そうな感じだったが、
幸い天気が崩れる事もなく、二人は、外に出されたテーブルに座り、
センセアのボトルを傍らにおいて、ゆっくりとベトナム料理を楽しんだ。

彼女は、僕が日本から帰って来たら、手術の前に、自分の手料理を振る舞いたいので、
水曜日か木曜日の夜は一緒にいようと言ってくれた。
僕は、それを聞いて、彼女の手を握って、とても幸せそうに微笑んだ。

僕は、実際に幸せだったのだけれども、彼女の病気と手術の事、
そういった状況の中で僕を心配させまいとして
精一杯の努力をしている彼女の事を考えると、幸せなのだけれども、
何とも言えない哀しい気持ちをどうする事もできなかった。ただ、
彼女にそんな気持ちは察せられたくないので、
彼女をテーブル越しに僕の方向に引き寄せてキスをした。

二人で来週以降の予定を色々たてた。 
僕は8月は彼女の為にできるだけニューヨークを動かず、
二人で夏を一緒に過ごす決心をした。彼女の手術後の状況によっては、
彼女をナパバレーあたりにワインでも探しに出かけても良いが
、あまり無理はせずに、兎に角、二人でニューヨークの夏を楽しみたいと思う。

その為には、彼女に手術を頑張ってもらって、元気になってもらわないと、
二人の折角の計画が水の泡になってしまうので、僕は、彼女に、”頑張ってね。”と言った。
彼女は、鼻に皺をよせる独特の笑い方で笑いながら、
”じゃあ、アタシが頑張ろうと思わせるように、アナタが頑張ってね。”と
茶目っ気たっぷりに言った。

その通りだよね。 彼女をその気にさせるのは、僕の仕事で、彼女がその気にならないと、
治る病気も治らない。 僕も笑いながら、”I will do my best.”と彼女に言った。

帰りがけに、僕は、彼女に、昨日わざわざ小一時間僕と会う為に、
地下鉄に乗って僕の仕事場まで来てくれた事が、凄く嬉しかったと素直に告げた。 
彼女は、笑いながら、”それは、私が、そうしたかったから。”と言った。 
彼女は、”私は、いつも周りを気にして、周りを傷つけたくなくて、
自分のやりたいことを押さえて来たけど、そういうことは、もうしない。
私は、自分のやりたい事をしたい。 だから、家族の他のメンバーには、
少し待っていてもらって、私は、貴方に会いたかったから、会いに行った。”と僕に伝えた。
ちょっとした事だったが、僕は、彼女の言葉が何よりも嬉しかった。

彼女を実家に送り届け、僕は、自分の家まで車を走らせた。
彼女には、内緒にしているが、僕は、9月27日のジャイアンツ スタジアムでの
ローリング ストーンズのコンサートのチケットを2枚手に入れた。
ステージから10列目の最高のチケットだ。 手術の前で、どうなるのかわからないのに、
そんな事をするのは子供っぽいかもしれないけれども、僕は、彼女の喜ぶ顔を見たいし、
彼女が絶対に治ると信じている。 でも、ストーンズのチケットの話しは、
彼女が無事に手術を終えて一段落するまで秘密にしておくつもりだ。

僕は、明日の飛行機で日本に行ってきます。



2006年07月31日  空港の光景

土曜日の朝は、ニューヨークはすばらしい天気となった。
こんな素晴らしい日に彼女を置き去りにして日本に行かなくてはならないのは、
なんとも辛いけれど、仕事だから仕方がない。
荷物をまとめて、迎えの車がアパートに来るまで、
ベランダに出て夏の朝日を楽しみながら、コーヒーを飲み、タバコを吸った。
このまま迎えの車が来なければ良いなと思いながら、ぼんやりとハドソン川を眺めていたが、
そんな事があるわけもなく、時間通りに迎えの車はやって来た。
道がすいていたので、早めにケネディ空港につき、他に行くところもないので、
航空会社のラウンジで時間を潰す事にした。周りを見回すと、
仕事風の人、休みに出かける風の人、家族連れ、一人旅、カップルと
さまざまな人たちが自分たちのフライトの時間を待っている。

僕は、空港の風景が好きだ。特に空港の待合で飛行機を待っている人たちを見るのが好きだ。
ついつい時間をもて余すと、彼らは、何をしに行くのかな?とか、
どんな生活をしているのかな?とか勝手に色々と考えてしまう。。。
彼らから僕を見たら、ただ人相の悪い、アジア人が
一人で仕事に出かけるところ、、、くらいがせきのやまかな。。。
飛行機は、ほぼ満席だったが、フライトアテンダントに、
人違いをされる事もなく、たっぷり10時間熟睡をして、日本に着いた。 

税関を抜け、迎えの車に乗り込み、
日本の携帯の留守電をチェックすると彼女からのメッセージが入っていた。
土曜日の夜は、ガールフレンドと久しぶりに遊びにでも行ったらどうかと提案したところ、
彼女はそうしたようで、ニューヨーク時間の日曜の夜中の2時半に
ちょっと酔っ払った彼女からの陽気なメッセージだった。 

ガールフレンド2人と、ガールズ ナイトアウトをして楽しかった事、
どこに遊びに行ったのかなどのメッセージがあり、最後に、
”まだ飛行機の中だと思うけど、アタシのメッセージを最初に聞かせてあげようと思って。。。”と
言って笑ってから、”少し酔っ払ったかな。。”と言うところで唐突にメッセージは終わっていた。
僕は車の中で、彼女のメッセージを聞きながら、思わず笑ってしまった。
今日から、火曜日までは、エンドレスで働かないといけない。。 元気を出して、頑張らないと。






2006年08月04日   Streets of Love

今日、昼前に彼女から電話があった。 

手術を明日に控えて、バハマで休暇中の彼女の両親が、
わざわざ彼女の手術の為に、またニューヨークに帰って来る事になったので、
手術前日の今日は、家族水入らずで過ごすと聞いていたので、
部外者の僕は遠慮をして彼女と会う事を諦めていた。

そんな時に、彼女から突然の電話で、どうしても会いたいので昼間に
なんとか時間を都合して出て来てくれないかというお願いだった。

彼女の事が気になっていたので、気になったまま時間を過ごすよりは、
仕事をやりくりした方が良いと思い、必死の思いで仕事をやりくりし、
昼前に彼女のアパートに向かった。

華氏100度を越える夏日の中を、車を飛ばし、路肩に車を乗り捨て、
僕は、彼女のアパートへと急いだ。 建物のドアを開け、
暗い階段を下りると、そこに僕の最愛の人は立っていた。
”仕事中に呼びつけてごめんね。”と彼女が暗がりに立ったまま僕に語りかけた。
僕は、無言で彼女のそばに行き、彼女を優しく抱きしめた。

彼女のアパートを出て、二人でチェルシーのダイナーに車を飛ばし、
少し遅めの昼ご飯を食べる事にした。 そのダイナーは、
彼女の両親が20年以上前に住んでいた頃からあるダイナーで、
彼女は、感慨深げにその椅子に腰を下ろした。

彼女の両親は、彼女がまだ5歳頃に離婚をし、3人姉妹の長女は、
父親に引き取られ、彼女と妹の二人は母親に引き取られた。
父親は、ニューヨークに住み、母親は、フロリダに移り住んだ。
彼女は、母親とともにフロリダに移り住んだが、父親は、
再婚し事業に成功した事から、ニューヨークで父親と住む時間が増えてきた。
父親は、再婚した後、一男一女をもうけ、彼女には弟と妹ができた。
彼女は、父親がいつも自分の異母兄弟の学芸会や運動会には出席するのに、
自分の運動会には決して来てくれないなど、父親との関係に苦しんだ。
父親になんどか文句を言ったが、父親はそれを真剣に受け止めず、
ある日彼女の怒りが爆発した。困った父親は、彼女と彼女の姉を、
家の近くのダイナーに連れ出した。 父親は、彼女達を外のダイナーに連れて行けば、
他人の目も気になり大騒ぎをすることはないだろうと目論んだらしい。
ところが、彼女の怒りは収まらず、ダイナーで他人の目も気にならず、
自分の怒りをぶちまけた。そのとたんに、ダイナーの椅子が壊れて、
彼女は床に尻餅をついてしまい、あまりの可笑しさに彼女自身が笑い始めてしまったらしい。

僕達は、偶然そのダイナーに入ってしまったらしい。 
僕は当然、そんな歴史は知る由もなく、彼女は、ダイナーに入ってから、
笑いながらそのいきさつを説明してくれた。 そして、自分が座っている椅子を懐かしそうにさすった。

僕も仕事があったので、彼女といつまでも外にいる事はできなかったけど、
できるだけ彼女と一緒にいたいと思い、長めの昼休みを取り、彼女の昔話に聞き入った。

一通り話しが終わって、しばし沈黙が続くと、
彼女が僕の手を取って、”本当は、怖くて仕方がない。”と言った。
僕は、”大丈夫。”と言えば良かったのだが、僕自身も怖くてしょうがなかったので、
”大丈夫。”とは言えず、”何が起こっても、
僕は君のそばを離れない。”としか言う事ができなかった。
”きっと大丈夫だよ。”なんて、調子の良い事は僕には言えなかった。 
僕も自分の頭がおかしくなってしまうような状況なのに、当事者の彼女に、
どうして僕が、”大丈夫”なんて言えるのだろう。言えるわけないじゃないか。 
唯一言える事は、どんな事があっても、僕の彼女に対する愛情は変わらないという事、
それだったら自信を持って言える。だから、
僕は、自分に正直に自分が自信を持てる事だけを彼女に伝えた。

彼女は暫く僕の手を握りしめたまま、下を向いて黙っていたが、
そのうち意を決したように上を向き、
”あなたもそろそろ仕事に戻らないと。”と言って、席を立った。

僕は、彼女を両親のアパートに送り届けた。 
彼女は、僕に今までで一番美しい笑みをみせ、”それじゃあ”と言って、
後ろを向き、振り返る事なくビルの中に消えて行った。
それが、僕が今日、彼女を見た最後だった。
なんとも言えず、寂しい気持ちがした。



2006年08月05日  Serenata Do Adeus

昨日の夜中に、彼女から電話があった。 眠れなかったようで、
夜中過ぎの電話だったが、お互いに病気や手術の話しはせずに、
他愛のない話しを色々とした。かなり長い間話しをしたが、
手術の前日に寝不足なのも体に良くないと思い、彼女には、
眠れなかったらいつでも電話をして良いからと諭して、電話を切った。

電話を切っても僕も眠れる訳でもなく、
色々と考え事をしているうちに東の空が明るくなってしまった。

朝になり、手術の時間が近づいて来た。 僕は、彼女の電話を待ったが、
電話がなかったので、こちらから彼女の携帯に電話をしようと思った瞬間に、
彼女から電話がかかった。

手術に行く直前らしかったが、しかし落ち着いた声で、
彼女は、僕に”おはよう”と言った。 病院には、
彼女の両親と腹違いの妹が来ているので、心配しないでねと彼女は言った。 
手術が終わったら、また電話をするからと彼女は言うと、電話は、切れた。

僕は、仕事をする気もしなかったので、一人、たまに通っているマンハッタンの剣道場を久しぶりに訪れ、そこの生徒達と手合わせをした。平日の昼間だったので、生徒の数は多くはなかったが、アメリカ人の学生が何人か練習をしていた。やはり平常心を保てないのか、いつもより手荒になってしまい、つばぜり合いで体が触れると、相手を思い切り突き飛ばしてしまい、相手が床に転がる音で、周りが驚いて僕の方を振り返った。気まずくなって、僕は練習をやめ、剣道場を後にした。

彼女に会いたいが、今は、彼女の周りには、家族がおり、
彼女の両親は、僕の事を良く思っていない。 
僕は、どうせ彼らがあまり好ましく思っていない東洋人だし、
僕の仕事もおよそ堅気のものには見えないかもしれないが、
逢いたい人に逢えないのが、何とも理不尽に思えた。でも、こんな時に、
そんな事で、彼女の親と無用の争いをして、彼女を悲しませたりは、
できないので、気にはなっていたけれど、病院には近づかず、
イースト リバーの川縁で一人ぼんやりと川面を見つめて過ごした。

夜になって、彼女の携帯から電話があった。 電話の主は、
彼女ではなく、彼女の腹違いの弟だった。 前にも書いたが、
彼は、彼女の家族の中で唯一、僕に好意的な人で、僕が気にしているだろうと思って、
彼女の様態を電話で教えてくれた。 
最後に、”8時過ぎに来れば、病室には誰もいないから。”と言って、電話を切った。

僕は、弟に言われたように8時過ぎに、病院に出かけてみた。
弟は、僕に気を利かせて、彼女の両親を食事に連れ出したようで、
僕が病室に行くと、彼女の他には、だれもいなかった。

僕は、眠っている彼女の手を握って、暫く彼女の寝顔を見つめていた。 
暫くして、彼女は、ゆっくりと目をあけ、僕を見つけると、微笑んだ。
僕も彼女の手を握ったまま、彼女に微笑んだ。



2006年08月08日  Midnight Lullaby

僕は、会社をいくつか掛け持ちしているので、
今日は、ニュージャージーにある会社のオフィスと、
ニューヨークの仕事場の両方に行かねばならず、結構忙しかった。

朝早く起きてジムに行こうと思ったのだけど、ちょっと寝坊をしてしまったので、
ジムは諦め、午後に会うお客さんの為に普段は着ないスーツを着込み、
まずニュージャージーの仕事場に出かけた。

午前中、仕事をしていると、家に戻った彼女から電話があった。
思ったよりも元気そうで、ちょっと安心した。手術の後も、
毎日何度も電話をしているが、やっぱり、
彼女が病院を出たというだけで、ちょっと嬉しい。。。

ニュージャージーでの仕事を切り上げ、夕方にニューヨークの仕事場に移動をした。 
ニューヨークの仕事場には、着替えがおいてあるので、
仕事場に着くなり着替えをして、窮屈なスーツは脱ぎ捨てた。 
いつものラフな格好に戻り、やっと生き返ったような気がした。

夕方、彼女から電話があった。 家に戻ったばかりなので、
大事を取った方が良いと思ったが、彼女に死ぬほど会いたかったというのも正直な所で、
仕事の後で、ダウンタウンで彼女と待ち合わせをした。 
彼女を実家の近くでピックアップし、
そこからあまり離れていないニューヨーク大学のキャンパスの近くの小さなレストランに入った。

彼女と色々と話しをした。 手術が終わって、
彼女が一番最初に時間を作って人に会ったのが、僕だったというのも嬉しかった。
でも、明日また病院に戻って検査をし、
手術で除去した部分以外に癌が転移していないかどうか、
広がっていないかどうかのテストがあるらしく、
彼女は、手術をする前以上にナーバスになっていた。

なるべく自然にふるまって、彼女に負担をかけないように、
また彼女の気持ちを乱さないように、精一杯神経を使って話しをしたけれど、
僕が、彼女の為にどれだけ役に立っているのか、正直言って、
全くわからない。 何もできない自分が、嫌になるし、とても不安になる。。
俺って、何の役にもたてていないなあという気持ちだけが、
頭の中をぐるぐる回って、どうにもならない。

でも彼女の方がもっと混乱していて不安になっているはずだから、
僕が、全部飲み込んで超然としていないといけないのは、よくわかっている。

大変だけれども、僕は逃げないし、
決して自分の不安を彼女の前でみせるような事はしない。
伊達に今まで歳を取って来た訳ではないし、苦労をして来た訳でもない。

最愛の人の為に、見返りを求めない無償の愛を捧げられれば、
僕の人生って少しは意味のあるものになるのだと思う。
前に書いたけど、僕は、自分のせいで、自分の恋人を交通事故で殺してしまった。 
あの時に死んでいれば良かったと思ったけれども、惰性で生きていた僕に、
生きる理由をくれたのは、今、僕の目の前に座っている彼女だ。 

そんな彼女のために僕は、どこまでも行く覚悟はできているし、
彼女がいなくなったらこの世からさっさとおさらばするつもりだけれど、
やっぱり彼女のやつれた顔を見るのは、つらいよね。



2006年08月11日 Can Anyone Help? 

今日、昼間彼女と一緒に食事をしたんだけれども、
彼女も心ここにあらずって感じだし、彼女と一緒にいても辛いし、
一人でいても辛いし、僕は、どうしたらよいのでしょうか? 
心が張り裂けそうです。


  まあね。 わかってるんだけど、やっぱり大変だよ。
  今週末から彼女は、2週間程、親と一緒にフロリダに行くから、
  暫くいないんだけど、こっちもボロボロになるね。 
  85キロあったのが、79キロまで体重落ちた。


  僕も一緒にいた方が良いと思うけど、フロリダに住んでいる実の母親は、
  彼女のもうニューヨークを引き払って、フロリダで一緒に住もうって言ってるみたいだし、
  彼女自身、病気の他にも色々あって、この1年くらい結構色々問題抱えてることもあるし、
  病気がわかる前から、彼女と一番仲のよいお姉さんも離婚して
  女手一つで女の子を育てていて、一緒に住もうって言ってるし、結構色々あるんだよね。 



2006年08月12日  雷雨

昨日は、朝早くから仕事の打ち合わせがあったので、
早めに仕事場に行って働いた。
9時半頃に彼女から電話があり、一緒に昼を食べたいと言われたので、
仕事をやりくりして彼女の指定したミッドタウンのダイナーで待ち合わせをした。
本当は、別のビジネスランチが入っていたんだけれど、
その人にはお願いをしてランチをキャンセルして彼女とのランチを優先した。

12時過ぎに6th Avenueのダイナーに行って、彼女を待った。
10分くらい遅れて彼女が現れ、二人で奥の席を取り、食事をした。
毎日会っているけれど、ここ何日かは、彼女は非常に機嫌が悪い。
仕方ない事だけど、彼女に、”何をしてもHappyになれない。
何も私を救えない。わずらわしいものを捨ててどこか逃避をしたい。”というような事を
延々と真顔で言われると、さすがに、僕も存在の全てを否定されたようで辛い。 
それでも、色々と差し障りのない話をして、彼女の気を紛らわす。
彼女が話しに乗ってくれば、僕も少しほっとして、彼女に話をさせ、
また会話が途切れると、僕は、他の話題を探す。。。
昼食を終え、彼女と6th Avenueの角で別れて、僕は、仕事に戻った。
気持ちが暗くなった。 でも、僕の仕事に影響がしないように、
一生懸命気分転換をして午後の仕事をこなした。
夕方になって、雷と大雨が降りだした。 僕の心にも雷と大雨が降って欲しい。
全てを洗い流してくれたら、どんなに楽になるだろう。。 
いつもはおろしている窓のシェードをあげて、雷を眺めた。。
夜には、どうしても断れないビジネスディナーがあった。
場所は、仕事場の近くで、昔は、キャビアの専門店だったが、
今は、寿司+キャビアと言う日本人の僕には到底理解できない組み合わせの店になった。

トロにキャビアを組み合わせた握りが、
$60と言う人を馬鹿にしたとしか思えない価格がメニューに載っている。
今日は、相手が払うディナーなので、別に構わないのだが、
こういうものに喜んで金を払うアメリカ人のセンスの無さにちょっと辟易とした。

雷雨は止まらず、僕は、レストランの窓から雷雨の中を行きかう人々を見ながら、
ディナーの相手の話を聞き流して生返事をしながら、
別にこれといって美味しくも無い食事をした。

食事が終わり、相手と別れ、自分の駐車場に戻る途中で彼女に電話を入れてみた。
留守電に繋がったので、短めのメッセージを入れた。
雨は上がっていた。僕は、車に乗り、
何となくイースト川沿いの高速を通って家に帰ることにした。
高速を走りながら色々と考え事をした。FDRと言う高速は、
雨になると水があふれ水はけが悪いので有名なところだが、
案の定、突然高速が水没しているところがあり、僕の車は、その中に突っ込み、
エンジンがとまり、ハンドルがロックされた。幸い、周りに車がいなかったので、
僕の車は、誰にもぶつかる事は無く、水溜りをぬけたところで止まった。
このまま死んでしまえばよかったと思った。

エンジンをもう一度かけ、僕は車を走らせた。
その晩は、彼女から返事の電話はなかった。
今朝、8時半に彼女から電話があり少し話をした。
今日は、一転して美しい日になった。
明日から、彼女はフロリダに、僕は、日本に行く。



2006年08月12日   トシさんの過去 Me And The Devil Blues

僕の永遠のヒーロである、ブルースシンガーのロバート ジョンソンは、
短い生涯を終える前に、”俺と悪魔のブルース”と言う
最高のブルースをこの世に残して行った。

”俺が死んだら、死骸はハイウェイの路肩に埋めてくれ。
そうしたら、俺の邪な魂が、グレイハンドバスに乗って旅ができるから。。。”

何とも言えない、孤独なブルースだ。 僕は、いつもこの最後のフレーズを聞くと、
鳥肌がたった。 僕に取っては、唯一のOne and Onlyのブルースだった。

僕は、若いとき、独りよがりの優しさの為に、結果的に、
僕の彼女を交通事故で殺してしまった。 僕自身も彼女の車の助手席に乗っていて、
生死の間を彷徨ったが生き残り、病院を退院して少しして、
死んだ彼女が妊娠していた事を知った。 結果的に、僕は、
自分の独りよがりの優しさの為に、自分の彼女と自分の子供を殺してしまった。

僕は、それから深くブルースにのめり込んだ。 孤独の僕のとなりには、
いつもロバート ジョンソンの亡霊がいたような気がする。
彼のブルースを聞きながら、彼もたった一度の結婚で、
妻と子供をお産でなくした事を知った。僕の陰には、いつもジョンソンが佇み、
僕の世界はブルースで覆われていた。

その後の僕は、常に自分の身の破滅を望み、自分の人生が終わる事を望み、
人の渡らない危ない橋だけを渡って生きて来た。 
それでも僕は、身の破滅もなければ、自分の人生が終わる事もなく、
今まで生き延びて来た。 皮肉な事に、リスクを負った分、成功もした。
でも、心はいつも虚ろなままだった。 罪の意識をいつも背負いながら生きて来た。
自分が生かされているのだとするならば、生きている間に、
自分の犯した罪を償いたいと思った。

そういった気持ちと罪の意識が交錯するなか、一日が終わり、
夜の帳が落ちると、どこからともなくブルースが僕に忍び寄り、
僕の耳元で唄い続けた。いつも最後は、”俺と悪魔のブルース”だった。

僕は、虚ろな魂を弄びなあら、また明日、飛行機に乗って旅に出る。
ジョンソンのようにグレイハウンドバスではないけれど、
ブラインド レモンの古いブルースのように、マッチボックスのようなスーツケースに
荷物を詰め込んで僕は旅に出る。。 マッチボックス ブルース。。 
ブライド レモンの雄叫びが、荒れたテキサスの大地にこだまするように、
僕の心の中で、マッチボックス ブルースが鳴り響く。。

ロンドンでのテロ犯人逮捕のニュースの為に、機内には、全ての液体、
ジェル、ローション、歯磨きチューブ、香水等の持ち込みが禁止になり、
4時間前に空港に行って長蛇の列に並ばないといけないらしい。。 

僕は、2001年の9月11日、午前中ニューヨークでミーティングをした後、
午後に飛行機に乗ってデンバーに行く事になっていた。
午前中のミーティングは、1 Broadwayという住所のバッテリーパークの近くで行われた。
トレードセンターからは、わずか100メートル足らずの場所で、
ビルが倒壊する時には、空から沢山の人が落ちて来るのを呆然と眺めていた。。 
ぐるぐる回りながら、人が落ちてきた。 そしてビルは、倒壊した。。。 
あれだけ沢山の死骸を一度に見たのは始めてだった。

あれから5年の月日が経った。 それから、アフガン戦争があり、イラク戦争があった。。。
僕は、大きな時代のウネリに飲み込まれながら、
ちっぽけな自分自身の世界のなかでも混乱し、途方にくれたまま、
夢遊病のように歩き続けている。

ここ何年かは、僕は、ロバート ジョンソンの亡霊に会う事はなかったが、
ここ数週間の間に、ジョンソンの亡霊は、僕の事を見つけたようだ。。 
また、僕の隣にブルースが取り憑いている。。

”俺が死んだら、死骸は、ハイウェイの端に埋めてくれ。
そうしたら、俺の死んだ魂が、グレイハウンドバスに乗れるから。。”


  皆、生きていくうえで、色々な事があると思うし、
  それをそれぞれのブルースとして抱えて
  生きていくと言うことじゃないのかなあと思っています。 
  昔は、投げやりだったけれど、今は、いろんな意味で、
  何とか人に尽くしたいと思っています。人に優しくするだけ、
  自分の罪が浄化されるような気がするから。 
  でも、毎日ブルース聞いてるし、ブルース弾いてますけどね。(笑)



2006年08月13日  Separate Ways  ニューヨークから東京

今日、ニューヨークから東京に着いた。

4時間前に飛行場に行けと言われたので、早めに空港へ行ったが、
やはり空港は人でごった返していた。 ただ、混乱しているというごった返し方ではなく、
整然としていたけれど、やはり殆どの人が荷物をチェックインしたので、
チェックインカウンターの周りは、人と、荷物だらけだった。 
普段僕は、荷物など預けないのだが、チェックインの列に並び、1時間ほど待ち、荷物を預けた。

荷物を預けてしまえば、後はいつものとおりで、
セキュリティを抜けて、ターミナルの中に入り、ラウンジで自分の飛行機の時間を待った。

天気は素晴らしく良く、ぼーっと周りの人を眺めながらコーヒーを飲んで時間を過ごした。 
家族連れ、ビジネスマン、学生、、皆が思い思いにそれぞれの飛行機の時間を待っていた。

僕の彼女は、僕より遥かに早い7時40分の飛行機でフロリダに飛び立った。
丁度僕が飛行場に着いた頃に、飛行機に乗った彼女から電話があった。
彼女は、朝の5時に飛行場に来たらしい。同じ飛行場にいるのに、
電話でだけ話をするのは、何か変な気がした。 フロリダまでのフライトは、
わずか3時間なので、フロリダについたらまた電話をかけると言って彼女は電話を切った。。

彼女との電話が終わり、僕は、PCをひざの上に乗せたまま、
ラウンジのテーブルに足を上げて寝てしまったらしい。 

目が覚めると、丁度僕の飛行機の搭乗が始まったところだった。
おもむろにソファから立ち上がり、大きく伸びをして、僕は、自分のゲートに向かった。
いつも持ち歩いている、手荷物用のスーツケースがないので、
何か手持ち無沙汰な気がした。習慣とは恐ろしいもので、
何か忘れ物をしたようなそんな気がした。

飛行機乗ってドアがしまる直前にフロリダについた彼女から電話があった。
フロリダは、華氏93度で暑いらしい。彼女は、今日は、
自分の母親の家に泊まることになっており、母親が迎えに来るのを待っているところだった。
今度は、僕の飛行機が飛ぶ番だ。彼女に日本に着いたら電話をすると伝え
僕は電話を切った。

飛行機の中では、Tom Pettyの新譜をiPodで繰り返して聞いた。
久しぶりのアルバムは、僕の好みの音楽で、眠りにつくまで、
何度も何度も彼の新譜を聞き返した。。。

東京に着き、迎えの車に乗り、都内に向かった。

なんとなく、気分を変えたいと思って、今回は六本木の自分のアパートには、
帰らずホテルに泊まることにした。東京では、自分のアパートを借りてからは、
ホテルに泊まることがなかったので、久しぶりのホテルだ。なぜかそれだけで、違う街に来たような気がする。

フロントでチェックインをし、27階の部屋に通された。
最近作られたホテルだけあって、欧米チックな、暗い茶色の家具で統一された部屋だった。 
窓から、都心の風景を少し眺め、シャワーを浴び、準備をして、僕は外に出た。

今日は、お盆休みの日曜日と言う事もあり、街はすいていたような気がした。 
半分仕事の晩飯は、面倒なので、中華にした。仕事の話をしながら、
老酒を飲み、先ほどホテルに戻ってきて、フロリダの彼女に電話をした。 

実の母親の家に泊まって、これから二人で外にブランチを食べに行くところのようだった。 
4歳の姪っ子だけが、無邪気に彼女の手術跡のテープについて質問をしたようだった。 
僕の彼女は、その姪っ子が何よりも好きなので、
ニューヨークで幼稚園に着ていく洋服を沢山買って持って行った。
姪っ子の話をしている時は、楽しそうだったので、きっと姪っ子が、
彼女の気持ちを和ませてくれるに違いないと思った。それが、僕でなくても、
誰かが彼女の気持ちを和ませるのであれば、それが彼女にとって一番必要な事なのだ。。  
彼女と電話を切り、僕は部屋に戻って、バーボンのボトルを開け、
自分に言い聞かせるようにそれを何度となく言ってみた。。。



2006年08月16日  7年ぶりの友達  先日死んだ弁護士さんの親友


一日六本木ヒルズで仕事をして、帰りに麻布十番の日本料理屋で食事をした。
麻布十番は、金曜日からお祭りなので、商店街は、もう祭りの準備が始まっていた。
僕は、今回ニューヨークからアメリカ人の弁護士を一人連れてきているので、
彼をEntertainする意味でも、麻布十番の日本っぽい居酒屋に連れて行った。
そのアメリカ人が一番気に入ったのが、伊勢海老の刺身とさざえの壷焼きだった。

明日には、僕の古い弁護士仲間を含め、本隊が日本に到着する。 
古い弁護士仲間のJoeは、最近死んだ弁護士のErnieのパートナーで、
僕とこの15年程、苦楽をともにした中だ。 
ジョーは、7年前に長年連れ添った奥さんを癌でなくし、
一時は弁護士を廃業しフロリダに隠遁しようとしていたのを僕が無理やり仕事に引きずりだした。
あれから7年、彼は現役の弁護士として活躍する傍ら、僕と一緒に事業を行っている。
その後、忙しくて彼と会っていなかったが、たまたま明日、日本で会うことになり、
嬉しい反面、なぜか不思議に感じがする。 明日仕事がうまく進めば、
久しぶりに彼と、ゆっくり飲みながら、ここ7年お互いにおこったことについて、
話をしてみたい。



2006年08月18日  一番の財産は友達  中華料理

今日は、仕事が終わってから、古い友達のJoeと食事に出かけた。 
どこに行こうか考えたが、結局、麻布十番の中華にした。

久しぶりに会ったこともあり、話も盛り上がり、中華料理屋さんが閉まるまで、
紹興酒を飲みながら、色々と話をした。

Joeは、7年前に奥さんをなくした後に、暫く一人でいたが、
今は、カナダ人のガールフレンドと一緒に暮らしているようだ。
一年を、ニューヨークとフロリダとアスペンの3箇所にある自宅を季節に応じて使い分けて、
悠々自適の生活を行っているようだ。彼の仕事は、
確かに電話一本とプライベートジェットを一機持っていれば、
どこにいても出来る仕事なので、ゴルフと海とスキーをこよなく愛する彼からしてみれば、
今の生活が、仕事の面でも、生活の面でも一番良いのかもしれない。

友達の幸せそうな顔を見ているのは、嬉しいし、僕のほうも元気になってくる。
僕がまだニューヨークに移って間もない頃、色々な仕事をJoeとやった。
昔話に色々花を咲かせて、僕らは笑い続けた。

Joeは、もともと貧しいユダヤ移民の子供だった。
彼は、パン屋さんでトラックの運転手をしながら、夜学に通って勉強をし、
弁護士の資格を得た。 そして絶え間ない努力と、
独特の嗅覚で事件を嗅ぎわけ、今の大成功を手に入れた。

僕が、3-4年前に、カリフォルニアの会社を買収する時に、
実質会社の決定権を支配するために、社外取締役になる投資者を探していた。 
急な話だったので、僕は、簡単に数億円を先の見えない会社に
ポンと出してくれる人を探さねばならず、切羽詰って、彼に投資を依頼したことを思い出した。

彼は、その時にアスペンにいた。僕から簡単に経緯を説明し、
投資と社外取締役を引き受けてもらえないか彼に切り出したときの、
彼の驚いた声は今でも忘れられない。 彼は、2日間真剣に悩んだ結果、
結局僕の依頼を申し訳なさそうに断った。僕は、
自分の申し出が常識外れである事を十分承知していたので、
そんな申し出を真剣に考えてくれた彼に感謝こそすれ、彼を攻める気持ちは毛頭なかった。

僕は、結局他の投資家を何とか口説き落とし、会社を買収し、
その結果、買収した会社の企業価値を数倍に上げることに成功した。
Joeは、その話に触れ、”あの時に、無理をしてでも金の都合をつけて会社に投資すれば、
お前と一緒に、荒波をわたって仕事が出来て楽しかっただろうな。
一緒に冒険できなかった事が今でも残念だ。”と言ってくれた。

僕は、嬉しかった。 金儲けの問題ではなくて、一緒にリスクを負って
冒険をする男のスリルを共有したいと言ってくれる
この友達(とは言っても、僕よりも20歳以上年上だけど)の肩を叩きながら、
”次に仕掛ける時は、必ず最初に相談に行くから。”と笑って、彼の肩を叩いた。
ありきたりの事だけれども、人の一番の財産は、友達の存在かもしれない



2006年08月18日  夏祭り

今日は、午前中、Joeをはじめとする弁護士連中と東京のクライアントとの間でMeetingをし、
午後には、アメリカ組は、僕以外を除き全員アメリカに帰っていった。

僕も、彼女がニューヨークにいれば迷わず彼らと一緒にアメリカに帰ったのだが、
彼女は、現在フロリダで暫くニューヨークへは帰ってこないので、
月曜日の仕事を引き受け、週末は日本で過ごす事にした。
そんな事で、今日は急にぽっかり独りきりになってしまった。

東京の友達を誰か誘って何処かに行こうかとも考えたが、
なんとなく億劫だったので、一人で麻布十番のお祭りに出かけた。
十番のお祭りは、いつもの賑わいで、先に進む事ができないほどの人ごみだったが、
僕は、沢山の人ごみの中で、自分一人の孤独を満喫した。
周りに誰もいない時の孤独感もあるが、周りに沢山人がいる時の孤独感の方が、僕は強い気がした。

お祭りを一回りした後で、タクシーを拾い、ホテルに戻った。
ホテルの部屋の鍵を開け、十番の雑踏で感じたのとはまた違う孤独を満喫した。
祭りの人ごみにもまれて汗をかいたのか、僕の洋服には、
雑踏の匂いが染み付いたような気がした。



2006年08月20日 夏の終わり

今日は、お祭りの最終日だ。 僕も、明日、ニューヨークに帰る。

今度の日本行きは、思いがけず長い滞在になり、ホテルに泊まったりと、
いつもと違うものになった。 まあ、僕としても、
何か生活のパターンを変えたいと思っていたので、それはそれでよかったと思う。

自転車でヒルズの周りの散歩した。 
六本木ヒルズのすぐ隣に、あまり知られていないが、小さな神社がある。
櫻田神社と言う非常に小さい神社で、ヒルズの近代的な佇まいと非常にミスマッチだが、
そこが何とも興味をひく神社だ。 僕は、自転車をおり、神社にお参りをした。
お参りの後に、何気なくおみくじをひいた。おみくじには、
”普段、お参りもしないくせに、苦しい時だけ神頼みをしてはいけない。”と書いてあった。
なるほどなあと思って、一人で笑ってしまった。

神社を後にして、またふらふらと自転車を漕ぎ始めた。 
暫くすると、お祭りの金魚すくいに出くわした。 そこを通り過ぎようとすると、
金魚すくいのおじさんが、今日で終わりだから、金魚を少し貰ってくれと頼まれた。 
僕も、明日、ニューヨークに帰るのだから、金魚を貰ってくれといわれても困るのだが、
僕の例の悪いくせで、断りきれずに、金魚を何匹か貰ってきた。

僕は、金魚が入ったビニール袋を片手に、またふらふらと自転車で走り始めた。
アパートに帰って、金魚鉢を見つけて、金魚を中に入れた。 
金魚を置いておく場所がないので、とりあえず、
折りたたみ式のスツールに、コースターを置いて、その上に金魚鉢を置いてみた。
小さな金魚が泳ぐ金魚鉢を置いただけだが、不思議に、
部屋が少し涼しくなった気がする。 スツールの表面のクッションで、
鉢が安定しないので、厚めのコースターを下にひいて安定をさせた。
今日は、その金魚鉢の写真と、コースターの写真。
金魚鉢は、このまま置いていくわけにいかないので、明日の朝、
仕事場に持って行って、誰かに面倒を見てもらうつもりだ。
コースターは、アメリカそのもののホワイトハウスのコースターで、
その上に乗っているのは、日本そのものの金魚鉢。 
クリントンも、ホワイトハウスのコースターの上に、ワイングラスではなく
金魚鉢を乗せられるとは思わなかっただろう。。
予想以上に長く日本にいて、一人でいる時間が長かったので、
日本の夏を楽しめたような気がする。。
明日の朝、仕事を片付けて、夕方の飛行機でニューヨークに戻る



2006年08月22日  独り酒

夕方、ニューヨークに帰って来た。 迎えに来ていた車に乗り、
ハイウェイをマンハッタンに向かった。時間は、夕方の4時を回っていたが、
まだ空は抜けるように青く、アメリカ独特の乾いた風が心地よく、
僕は、車の窓を少し開け、久しぶりに見る、しかし見慣れた街並を眺めた。

ラジオからは、Bob SegerのWait For Meが、流れていた。。

日本から帰る時に、成田空港のラウンジで、一人ビールを飲んでいると、
後ろに騒がしい外人達がいるのに気づいた。 何人かの男と、
何人かの女のグループで、高校野球の話しをしているようだった。
要は、日本人は、たかが野球で勝っても負けても、泣く。良く泣く民族だ。
理解に苦しむというような話しを、若干軽蔑したような口調で話していた。

振り返って彼らを見ると、ハンバーガーしか食べた事のないような太ったアメリカ人の男が、
仲間の男女に彼の”良く泣く”日本人感を語っていた。
彼の足下には、おそらく彼が所属しているのであろう会社のロゴ入りのバックが置いてあった。
その会社は、有名なアメリカの禿鷹ファンドの一つだった。

僕は、”ハンバーガーしか食べた事のないような無神経なお前には、
繊細な日本人の心の機微は、わからんだろう。”と思った。

こういった無神経な輩が、日本人を何も生産しないマネーゲームに駆り立て、
心を荒廃させるのに一役買っているのだろう。。 

古き良き日本人は、万の神が宿る自然を敬い、自然を恐れ、自然に跪いて、
自然と調和して生きて来た。 アメリカ人は、自然と対峙し、
自然を自分の思いのままにしようとして今の文明を築き、
自分たちのスタンダードをグローバル スタンダードと称し、他人に押し付けようとする。。。

誤解のないように言っておくが全てのアメリカ人が、この男のように無神経な訳ではない。

僕が持っている会社の一つをきりもりするアメリカ人の友達は、
優秀なエンジニアで、AT&TのFellowも努めた実績を残した後、
僕達のビジョンに共鳴をして、AT&Tを辞めて、僕の会社に来た。

奥さんは、年々、筋肉が解けてしまう奇病で、
昔は、彼と一緒にテニスをすることもできたのに、ここ何年かは、
車いすの生活になってしまったが、自分たちの運命を真正面から受け止め、
運命に、自然に、跪き、これを恐れ、敬い、毎日真剣に生きている。 

彼らには、二人の子供がいるが、そういった家庭の状況もあり、
長男は登校拒否になり高校をドロップアウトしてしまった。

彼が、少しでも会社で集中して働けるように、
僕は、その長男を会社の社員として雇い、現在、彼はプログラマーとして成長し、
来年には、ニューヨークの大学に編入できるよう、現在勉強を続けている。

真剣に働き、敬虔な祈りを捧げても、彼らの運命は、
定められた方向に進んで行ってしまう。 僕の運命もそうだと思う。
努力や祈りが全て叶ったら、世の中に不幸はなくなってしまうだろう。 

ただ、実際は、僕らは、どんなに頑張っても、祈りを捧げても、
定められた運命に翻弄されて、転がって行くしかないような気がする。 
でも、そのなかで、自分にはどうにもならないものを自分を超えるものの力として
素直に受け入れ、そのなかで、自分が最善を尽くす事が、
人間らしく生きるという事なのだと思う。
それこそ、諸行無常であり、もののあはれ、だと僕は、感じる。

そういった気持ちを持っているからこそ、日本人は、
季節の変わり目のちょっとした事に感動し、虫の声に耳を傾け、
道端の花を愛おしいと思うのだと思う。 生きとし生ける全てのものが、
どうにもならない自然のなかで、健気に凛としている姿に、
自分を思い浮かべるのだと思う。

僕らには、そういった繊細な心の機微があるから、
色々なものに感動をして涙を流す事ができるのだと思う。。。

僕のフライトの時間になったので、僕は、立ち上がり、
その太った男の方に歩いて行き、”お前が自分の国に帰った後で、
俺の国ことをどう言おうがお前の勝手だが、俺の国にいる間には、
俺の国に敬意を示すのが礼儀というものだ。”と言って、そこを後にした。

その男と彼の仲間達は、あんぐり口を開けたまま、僕を見ていた。 
僕がそこを後にした時に、背後から、"Crazy Japanese"と言っている声が聞こえた。。。
Crazy Japeneseで大いに結構だ。 僕は、そう思いながら、自分の飛行機に乗り込んだ。。。。

そんな事を、車のなかで思い出していた。 
迎えの車のドライバーは、僕の専属の運転手で、良く知っているので、
僕がいなかった時の、色々な事を事細かに教えてくれる。

ミッドタウントンネルを抜け、ミッドタウンに入った。 
家に帰る途中に、花屋によって、自分の為に花を買って帰った。
部屋に帰り、花を飾り、簡単な食事を作り、
今日は、まだ開けていなかった泡盛を開けて、独り酒。


  そう。あるんだよ、そういう病気。可哀相だけど。
  最初は、足が駄目になって、そのうち、背中の筋肉が溶けて体を支えられなくなって、
  今は、手が駄目になってきた。 最後は、心臓も筋肉だから、
  心臓止まって死んじゃうらしいんだ。
  でもね、それでも夫婦仲いいよ。 そういった過酷な運命を、
  しっかり受け止めて凛としている姿は、やっぱり心を打たれます。
  僕だったら、絶対にあんなに立派には生きられないと思う。。。



2006年08月23日  The Woman in Red

昨日の夜中に彼女から電話があった。

フロリダで、彼女の生みの親、育ての親、兄弟、その他と10日程過ごしたが、
やっぱりニューヨークが恋しくなったので、帰ってきたいと、
電話の向こうで懐かしい声が囁いた。。

空港まで迎えに行こうか?と僕が聞くと、彼女は、
甥っ子と一緒の飛行機で帰るので、タクシーで家まで帰る。 
帰ったら、朝に電話をかけるからと答えた。

今朝、僕は早く目が覚めたので、ジムに行き、一時間程みっちり汗を流した。 
日本にいる間は、殆ど運動ができなかったので、本当に久しぶりの運動で
、ここ10日間の体の汚れを全て洗い流すように汗をかいた。

シャワーを浴びて、軽く食事をとり、仕事場に向かった。
昼ちょっと前に、彼女から電話があった。思ったよりも元気そうな声だった。 
今日、僕の仕事が終わってから会う約束をしたが、
その前に少しでも良いから会えないか?と言われ、
2時に時間を見つけてちょっと彼女と会う事にした。

待ち合わせ場所は、前と同じで、
僕の仕事場から2ブロック先のプラザホテル前の噴水で待ち合わせをした。 
前回は、彼女の方が先に噴水で待っていたが、今日は、
僕の方が先に着いたようだったので、噴水の端の石段に腰を下ろして、
木漏れ日を見上げ、夏の終わりの風景を眺めていた。

暫くすると、見慣れた女性が、深紅のサマードレスを来て現れた。
彼女は、僕を見つけると小走りに僕の方にやってきて、大きく手を広げ、
僕の体のなかに飛び込んで来た。。 あれからまた痩せて、やつれた感じがしたが、
それは紛れもない彼女で、彼女を抱きしめると同じ髪の香りがした。

噴水で同じように待ち合わせをしている人達が、
僕達を見て、微笑んでいるが、そんな事は、僕にとっては、どうでも良い事だった。
ただ、彼女を僕の腕のなかで感じながら、自分がもっと強くなければいけないと気づき、
彼女に申し訳ない気持ちで一杯だった。

彼女は、3時に医者に行かないといけなかったので、一時間も時間はなかったが、
二人で近くのダイナーに行って、お茶を飲みながら、彼女の話しを色々聞いた。
彼女は、フロリダで、両方の親との間でそれぞれ色々問題があったようで、
それらを色々考えた上で、自分の生きる場所は、ニューヨークだと決めたようだ。
ただ、このような状況になっても、まだ大学に戻るか等、
彼女自身の気持ちが揺れている所がかなりあり、前よりは、
少し元気になったとはいえ、かなり不安定で、不安な感じがした。

ただ、僕もあれから色々自分で考えて、僕は、もっと強い人間になると決めたので、
僕は、迷わず自分の気持ちを伝えた。 僕は、どんな問題があったとしても、
これから二人で向かい合って行くつもりである事、それが辛いか辛くないかは、
僕にとって問題ではなく、自分の最愛の人と一緒にいたい事、
その人の為に自分の全てを捧げたい事、僕は、なにものからも決して逃げない事を彼女に伝えた。

彼女は、僕の言葉を聞いて、
母親が自分の子供を自分の胸のなかに抱きかかえるように、
僕を自分の胸のなかに抱きかかえた。。。 
親は、彼女の決心に怒っているようだったが、彼女の気持ちは決まったようだった。。。

彼女の医者の時間があったので、彼女を医者に送って行き、
僕は自分の仕事場に戻った。

7時前に、彼女からもう一度電話があったので、
仕事を切り上げ、ウエストビレッジのレストランで、彼女と待ち合わせをする事にした。 
車をダウンタウンに走らせ、待ち合わせ場所の、17th Streetと7th Avenueの角に行くと、
同じ赤いドレスに身を包んだ彼女が僕を待っていた。
彼女に軽くキスをして、レストランに向かった。 テーブルに案内される時に、
彼女に、”一日に二度も逢い引きができるなんて、ラッキーだな。”と冗談を言うと、
彼女は、”良い子にしていたご褒美よ。”と生意気な事を言って、鼻に皺を寄せて笑った。

彼女は帰って来たばかりなので、あまり遅くならないように適当な時間で食事を切り上げ、
僕らは、アップタウンの彼女のアパートまで帰った。

僕は、久しぶりに彼女との時間を満喫した。。 
僕は、もう40歳を過ぎていて、後、何年生きるかわからない。 
彼女は、僕よりも全然若いが、癌を患っている。 僕らの運命は、決して、
僕らが望むようには、ならないかもしれない。 でも、定められた運命のなかで、
僕は、精一杯の努力をしたいし、その為に、無駄に時間を失いたくない。。 
ようやく、僕にも、現実と対峙して、勇気を出して生きて行く準備ができたようだ。

僕の横で、彼女は、何もなかったかのようにテレビを見ている。。 



2006年08月24日  I Guess That's Why They Call It the Blues

ニューヨークに彼女が帰って来たのは良いけれど、彼女も学校に戻ったり、
仕事に戻ったり、色々生活を立て直さないといけないので、
今日から、彼女はバイトに戻った。

彼女のバイトが終わる8時まで仕事をし、8時に彼女のバイト先に迎えに行った。 
彼女のバイト先は、アメリカの3大ネットワークの一つであるNBCのビルの中にあるので、
僕は、いつもNBCのビルの向のRadio City沿いの通りに車を止め、
彼女がビルから出て来るのを待っている。

ここはロックフェラープラザと言われる、有名な場所なので、まわりには、
万国旗がはためき、街路樹もライトアップされている。

暫くすると、彼女は、ビルの回転ドアを開けて、姿を現し、
とても自然に僕の車の助手席に滑り込んだ。助手席に座るやいなや、
僕の方に体を伸ばしてキスをして、後は、彼女の一日、
何が起こったかの全てについて話しを始めた。。

まるで、この一ヶ月が夢であったかのように、全てが昔のままのように、
彼女は、自分の一日を僕に話すのに夢中になっている。。。
別に現実に目を背ける訳ではないけれど、まるで少女のように口を尖らせて、
色々な出来事に文句を言っている彼女の横顔を見ていると、可笑しくなって、
僕は、信号で少し大げさにブレーキを踏み、前のめりになった彼女にキスをした。

”貴方、わざとやったでしょ?” 彼女が、少しいたずらっぽい目で僕を睨んで、
暫くして、笑い出した。

82nd Streetと3rd Avenueの角にあるフレンチビストロで遅い夕食を取る事にした。
昨日よりは少し暑かったけれども、それでも大変気持ちのよい夜だったので、
僕達は、ストリートに出されたテーブル席に陣取り、マッスルとフレンチ 
オニオンスープとステーキを、それぞれ2人でシェアした。

食事の間に、彼女の生みの親、育ての親との行き違いや、
フロリダで何が起こったかについて彼女の話しを色々と聞いた。
彼女の話しを聞いたからと言って、僕が何ができるという訳ではないが、
少なくとも、僕は、彼女の話しを聞いてあげる事ができる。 
多分、彼女を愛する事の他に僕が今できる事は、
彼女の話しを聞いてあげられる事だけかもしれない。 
でも、それで彼女の気が休まるのであれば、僕は、何日でも彼女の話しを聞いてあげたい。。

食事が終わり、家に帰る前に、ちょっと遠回りをして、
二人で、橋の近くに車を止め、橋の途中まで、二人で夜景を見ながら歩いてみた。 
夏の終わりの気持ちのよい風を頬に感じながら、僕らは手をつないで、橋を渡り始めた。 
マンハッタンの摩天楼の灯りを見ながら、
ブルックリンの暗がりを見ながら、ゆっくりと歩いた。

僕は、10年前に、ニューヨークで大きな訴訟を経験し、
ブルックリン橋の反対側にある、連邦裁判所で1ヶ月間のトライアルを経験した事がある。
凄くストレスのたまる仕事だったが、自分の全身全霊を込めて闘ったが、
十年前のバレンタインデイに陪審員の評決で有罪を宣告されてしまい、
数百億円の負債をクライアントに負わせてしまい、
途方に暮れてブルックリン橋を一人で歩いて渡り、
真ん中から川底を眺めて死んでお詫びをしようと思った事がある。 
結局、評決に対して不服の申し立てをして、裁判官が再審理をし、
評決を覆して無実を勝ち取ったが、無実を勝ち取るまでの約9ヶ月間は、
全く生きた心地がしなかった事を思い出した。

今から、十年以上前の話しだ。。 彼女と橋を歩いていると、
急にその話しを思い出して、彼女に昔話しをした。。
彼女は、風に弄ばされる彼女の髪の毛に手をあてながら、僕の話しを聞いていたが、
話しを聞き終わると僕の方を向いて、
”貴方が、死ぬのは、私の為だけで、その他の理由で死んじゃ駄目。”と言って、僕を見つめた。。。
その言い方が可笑しかったので、僕は、思わず笑い出してしまった。
彼女もそれにつられて笑い出した。。。 ”明日も早いから帰ろうか。”とどちらからともなく言い出して、
二人は、肩を抱き合いながら、もと来た道を戻って行った。。



2006年08月25日  狸寝入り

今日は、彼女は、久しぶりに女友達と飲み会に出かけたので、
僕は、一日真面目に働く事にした。

本当は、昨日からカリフォルニアに行かなければいけない仕事があったのだが、
彼女がフロリダから帰って来たばかりだったので、カリフォルニア行きは勘弁してもらい、
そのかわり、電話で会議に参加した。カリフォルニア時間の昼からの会議だったので、
ニューヨーク時間の午後3時から会議が始まり、電話を切ったのは、6時間後の夜の9時だった。

ビデオ電話の会議なので、僕の顔は映ってしまうのだが、カメラの位置を工夫して、
他の仕事もできるようにPCを2台おき、退屈な6時間を過ごした。

会議中もビデオ電話をミュートにして、彼女に電話をしたりしていたから、
まあ、真面目とはほど遠い感じは否めないが、結果は出したので、誰も文句は無いだろう。。。

来週は、Mark Wahlbergが主役のインビジブルという映画のプレミアショーと
BMIというレコード会社のイベントに呼ばれている。 
僕は、昔は、映画や音楽業界の仕事を相当やったけれども、
深く顔を突っ込めば突っ込む程、こういった業界には入らないで、
一観客として映画や音楽を楽しんだ方が良いと思い始め、
ここ何年かは、エンタテイメントの仕事はしないようにしているのだが、
来週のイベントは、ちょっと断れないので、しょうがない。 
ブラック タイ イベントでタキシード着ないと行けないし、
彼女にお願いして僕のSpouseとして一緒に来てもらおうかな。。。 

僕は、タキシードは、かまわないのだが、あのオペラシューズと言う奴がどうも苦手だ。
あの、ピカピカのパンプスみたいのを履くと、
どうもオカマになったような気がして気になってしょうがないのは、僕だけだろうか?

電話会議が終わり、僕は、仕事場の近くのダイナーで一人夕食を取った。
そこは、マンハッタンのど真ん中にあるのに、まるでLAの場末のダイナーのような趣の所で、
トム ウェイツが中にいて、タバコを吸いながら街をたむろするストリートガールを
目で追っていたとしても全く違和感のないダイナーだ。

僕は、そのダイナーに入って行き、窓に近いカウンターのスツールに腰掛け、
太ったウェイトレスに注文をした。
僕のように一人でダイナーで食事をしている人は結構いる。。
皆、無言で、黙々と食事をしたり、新聞を読んだり、テレビをぼーっと見たり、
思い思いに時間を過ごしている。 僕も、別に見ている訳ではないが、
テレビをぼーっと眺めながら、食事をした。 

食事が丁度終わった頃に、彼女から電話があった。
今日は、ガールズ ナイト アウトで遅いと思っていたので、
何か問題でも起こったのかと思って電話に出ると、彼女は、陽気な声で、
早めに抜け出したので、何処かであわない?と切り出した。 
この場末のダイナーっぽい所に彼女を呼び出すのも躊躇われたので、
僕は、彼女をバーまで迎えに行き、二人で一緒に彼女のアパートに帰った。

アパートに帰り、ソファに二人でねっころがり、テレビを見ながら、
お互いの一日について報告をした。 と言っても、実際は、僕が一方的に聞き役で、
彼女の一日を聞いただけなのだが。。。 彼女は自分の話しをし終わると、
いつの間にかテレビを見ながら僕の胸の中で寝てしまったようだ。
僕は、彼女を起こさないように、自分の体をソファから引っ張りだし、
彼女を抱きかかえて、ベッドに移した。 やっとの事で、彼女をベッドにうつし、
彼女の寝顔にそっとキスをすると、彼女が目をつぶったまま笑って、
唇を突き出して来た。。。 狸寝入りしてたの??? 
明日は、二人とも朝が早い。 ふざけていないで、早く寝ないと。



2006年08月26日  祈り

今日は、昼前に突然の雷雨に見舞われたが、その後は、めっきり涼しくなり、
そろそろニューヨークも夏の終わりを感じさせる一日だった。

前にも日記で書いたけれども、僕は、雷雨が大好きだ。子供の頃から、
雷がなると急いで窓の近くにかけてゆき、窓を開けて、雷がなるのを眺めていた記憶がある。

あの空を引き裂く閃光と容赦のない雨には、
地上の全ての汚れたものを押し流してくれるような、そんなイメージがある。

今日は、僕は、終日ダウンタウンのオフィスで会議があった。
このオフィスは、2001年の9月11日のあの時も、僕がいた場所で、
ワールドトレードセンターから100メートル足らずの所にある。 
会議室の窓からは、ニューヨーク湾が一望でき、
僕は、雷雨にうたれる自由の女神を眺めながら物思いに耽った。

雨雲の為に、空もあっという間に暗い灰色になり、灰色の海と、灰色の空の隙間に、
深緑色の自由の女神が、雨に濡れて立っていた。

会議室のテーブルの反対側には、相手方の代表が5人程座っていたが、
彼らの存在や、彼らが発する言葉は、僕には届かず、
僕は、彼らを通り越して窓の先から見える、雨に濡れて立つ女神の顔を凝視していた。

本当は、いけないのだろうけれど、僕は、直感で仕事をする事が多い。 
仕事をする上での、最初の直感は、相手方が信用できる人間かどうかと言うポイントだ。

相手方が、信用ができたり、相手方を好きになれば、話しは簡単に前に進む事が多いが、
相手方が、言葉は多くても、重みが無く信用ができない場合には、
途端に僕の興味のレベルは、下がってしまう。 先入観で判断をするのは良くないと思うが、
僕の場合、最初の10分から15分の印象で、
その人と仕事をするかどうかを決めてしまう事が殆どだ。

今日の会議の相手は、そういった意味では、僕の心に全く響かず、
それもあって、僕は、殆どの時間を雨に濡れる女神を見つめて過ごしてしまった。 

何度も自分の哀しみや人の哀しみを見て来た人間としては、
見せかけだけの態度は、本当に虚ろに見える。

白州次郎の本を読んでいると、
白州も吉田茂に請われて米国占領軍との折衝にあたる決心をしたのは、
吉田の人となりが好きで、
吉田を信じるに値する人間だと判断したからだというのがよくわかる。

人間の人生は短いのだから、
僕は、やはり本物の人間と一緒に汗を流して生きて行きたいと心底思う。 
見せかけの賢さや、優しさ、真意を伴わない言葉は、僕に取っては、無価値だ。
また、人にそこまで求める以上は、自分も人に対して本物でありたいと思う。

そういった意味では、今日のミーティングは、僕に取っては無意味だったのかもしれない。
あるいは、自分に対しても人に対しても真摯な姿勢で
本物であれという反面教師だったのかもしれない。

ミーティングを終えて、雨の上がったダウンタウンから、
ロックフェラープラザまで、彼女を迎えに車を走らせた。 
今日は、金曜日という事もあり、彼女もバイト先の仕事を早めに切り上げ
6時半過ぎには、ビルの回転ドアをあけて僕の車に乗り込んで来た。 
折角の金曜日の夜だったが、またいつ雨が降り出すか判らない空模様だったので、
外で食事をするのは諦め、ダウンタウンのアルファベットシティに車を走らせ、
こじんまりとした日本料理店で食事をした。

日本料理店ではあるが、アルファベットシティという土地柄もあり、
ファンキーな無国籍的なインテリアで、壁は全て水槽で魚が泳いでおり、
奥の席は、クラブのそれのようなソファがいくつも置かれており、
それぞれのソファの周りには、モロッコのテントをモチーフにした布が、
天井から床までかけられ、仕切りになっていた。 

そんなインテリアの店を日本料理店などと呼んではいけないと
怒る人もいるかもしれないが、まあ、ニューヨークの事なので大目に見て頂きたい。
僕らは、布で仕切られた、店の奥のソファを選び、
そこで色々な冷や酒を頼んで、利き酒をしながら日本食を摘んだ。

食事をしながら、いつものように彼女の一日の話しを聞いた。
仕事の話、大学院の話、家族の話、癌の話。。。 
いつもと同じような話しではあるが、今日のミーティングでの薄っぺらい話とは違い、
彼女の話しには、真実の重み、真実の残酷さ、真実の優しさがつまった、
本当の話であることがすぐ判った。

彼女の話を聞きながら、僕も、彼女のような真摯で正直で純粋な人間でありたいと思った。
言う事は簡単だけれども、実行する事は、難しい。 それが自然にできるから、
僕は、彼女を人として尊敬し、誰よりも愛しているのかもしれない。

このか細くも、自分の運命をしっかり受け止め、
悩みながらも健気に凛として生き抜こうとしているこの女性に、どうか神様、
幸せな人生を授けて下さいますように。。 

今の僕にできる事は、彼女のそばにいて、彼女の話を真剣に聞く事しかない。
後は、一人になった時に、彼女に見つからないようにこっそりと、
涙を流しながら神様にお願いをする事しかできない。

彼女は、僕の隣で、静かな寝息をたてている。 
僕は、彼女の髪を撫でながら、雨上がりの景色を窓から眺めている。。。 
テーブルに置かれたロウソクもかなり短くなり、ロウソクの炎は、
その最後の命を燃やし尽くすかのように揺れている。。 
僕は、後で、一人でアパートの屋上にあがり、神様にお願いする事にしよう。。


  彼女の事を考えると、本当に切なくなることがあります。 
  彼女の前では、決してそんな態度は、みせないけどね。(笑)
  でも、本当は、彼女も相当悩んでいるのだけれども、
  僕には、決してそんな態度をみせないように、頑張っているのだと思います。
  世の中には、色々問題を抱えている人が多いけど、
  やっぱり運命って何らかの理由があるんだったとするならば、
  その長い、短いに関係なく、決められた一生の中で、
  いかに深く思いを込められるか?って言う事なのかなと、思い始めています。
  まだ、考えがまとまったわけではないんだけどね。


  歯がゆいけど、思い通りにならないのが人生だって言うのも、
  流石にこの歳になるとわかっているので、運命には逆らえないけど、
  それでも、何とかなりませんか?という気持ちで、毎日お祈りをしています。
  きっと、彼女も僕の知らない所で、
  いろいろな気持ちを抱えながらお祈りをしているのだと思います。
  それが叶えば最高だけれども、仮に願いが叶わなかったとしても、
  二人で助け合いながら、思いを込めて生きて行く事に
  きっと意味があるのだろうと考えるようにしています。



2006年08月27日  911テロの人達、当時とその後 強くありたいと思うとき。

昔、映画”プラトーン”の監督で一躍注目を浴びた
映画監督のオリバー ストーンが監督した映画
”ワールド トレード センター”が封切りされているらしい。

2001年9月11日のあの日、僕は、ワールド トレード センターから
100メートルほど離れたビルにおり、あの惨劇の一部始終を目撃した。

僕の当時のアパートは、ワールド トレード センターと目と鼻の先にあり、
僕のアパートの壁にもひびが入り、当局がビルの安全性の確認検査を行い、
安全性が確認されるまで、僕を含め、ビルの住人に全員退去命令がでた。 
今でも、あのビルの屋上から、たまに当時の犠牲者の骨や遺留品が見つかる事がある。 

僕は、あの日、丁度朝から大きな会議をしており、
何人もの部下を連れてあの場所にいた。 彼らの殆どは、
対岸のニュージャージーから来ていたが、交通網は崩壊し、タクシーもいなくなってしまった。 

僕は彼らを束ねる人間として、彼らを無事に彼らの家族の下に返さないといけないと思い、
夕方まで状況を見守り、彼らをつれてハドソン川にあるフェリー乗り場まで歩いて彼らを連れて行った。

ハドソン川沿いには、僕らと同じようにニューヨークを脱出しようという人々が
群れをなしてフェリー乗り場を目指していた。 たくさんの人々が、虚ろな表情のまま、
ただフェリー乗り場を目指して夢遊病者のように列をなして歩いていた。 
その中には、ワールド トレード センターを振り返り、跡形無く崩壊した後も
天高く巻き上がっている灰色の煙を見て泣いている人もいたが、
多くの人は、その驚きと絶望のあまり、涙も出なかった。

ハドソン川には、ニューヨークから対岸に逃げて行く人を搬送するために、
たくさんのボランティアが集まった。とうに、フェリーでの搬送は、破綻しており、
ゴミの運搬船、タグボート、豪華客船、ありとあらゆる船が、
人々をニュージャージー側に搬送する為に、集まって来た。

僕は、自分の部下達を、ゴミの運搬船に乗せた。 
そのうちの一人が、僕の手を握り、涙を目に一杯ためながら、
一緒にニュージャージーに退避してくれと言った。
既に、マンハッタンに入ってくる全ての交通手段が、軍の指示により閉鎖され、
外部からマンハッタンに入って来る事はできないという噂が流れていた。
僕は彼らの他にも、無事を確認しないといけない人達がいたので、
僕の手を握りしめる部下に、できるかぎりの笑みを浮かべて、
早く家族の元に帰るように諭し、彼の手を振りほどいて、
彼らがのるゴミ運搬船が遠くになるまで、僕は手を振って彼らを見送った。

後で知ったのだが、僕の友達の数人が、ボストン発の飛行機に乗っており、
犠牲になり、何人かの友達が、ワールド トレード センターで命を落とした。

僕の彼女の伯父さんも、ワールド トレード センターで命を落としている。
その伯父さんには、一人息子がいたが、小さい頃に病気になり、
医者から余命何年と言われた。彼は、その後も生き続け、
現在も生きているが、病院を出る事はできず、声も出せず、
筆談でしか彼と話しをすることはできず、延命装置によって今日も生かされている。

彼女は、あの後に教会や病院に設置された身元確認所をまわり、
その伯父さんの消息を探し求めた。 しかし、彼女は伯父さんを見つける事はできなかった。。。
伯父さんは、ベッドで植物人間のような生活を強いられている息子を残し、
二度と帰ってこなかった。。。

あれから5年がたち、あの事件を題材にした映画までできるようになった。
僕は、人々があの事件を題材にして映画を作ったり、
音楽を作ったりすることは、全く否定しない。 ただ、あれは僕に取っては、
生々しい事なので、僕自身が、今それらを見たり聞いたりする事は、ないと思う。

あの事件の後に、知り合いの日本人から、アメリカも、長崎、広島に原爆を落としたわけだから、
やっとこれで人の痛みがわかっただろうと言われた事がある。 
僕は、そういう考え方も否定はしない。 前に別の日記でかいたけれども、
アメリカの独りよがりなグローバル スタンダードの考え方が、
世界の歪みを大きくしている事も事実だからだ。

だけれども、僕は、同時にそういった意見に賛成もしない。
僕は、国や国の主導者達と言ったものと、
一般の人々の個々の生活は別のものだと思っている。 
そして、僕がそういった意見を否定しないけれども、賛成もしないのは、
僕自身が、一般の人々の個々の生活が、いつもその犠牲になるのを
いろいろな場面で自分の目で見て知っているからだと思う。

最近、アメリカのドキュメンタリーで、興味深いものを見た。 
イラク戦争を立場の異なる3人の目から取材したドキュメンタリーだった。 
一人は、使命感をもってイラク戦争に志願し、
現地に行った20歳そこそこのアメリカ人軍曹で、自爆テロにあい、
全身に大やけどを負い、右手と左足を失い、現在病院でリハビリをしている兵士とその家族、
もう一人は、イラク戦争に連れて行かれたが、戦場で、この戦争の意義に疑問を抱き、
軍を脱走し、カナダに亡命したが、まだ政治亡命者としての認定が
カナダ政府から受けられず脱走兵として強制送還ー逮捕されるのではないかと
おびえて暮らしている米脱走兵とその家族の視点、そして最後は、
家族を殺されたイラク人の若者の視点。 それぞれが、それぞれの理由を持ち、
それぞれが、その結果、抱えきれない程の代償を背負い込み、そこに勝者は、いない。。

たくさんの人々が、色々な立場で、色々な運命を背負い、
どうにもならない所でも、何とかしようともがいている。。
僕の古いアルバムには、ワールド トレード センターで命を落とした友達と、
一緒にローリング ストーンズのコンサートを観に
ボストンまで車で出かけた時の写真が入っている。 たまに思い出したように、
僕は、古いアルバムを開き、彼らの笑い顔を見ながら、一人酒を飲む夜がある。 
酒を飲みながら、僕は、自分はもっと強くなければいけない、
こんな事で挫けてはいけないと自分に語りかけている。



2006年08月28日  彼女と暮らしてもいいかな

ニューヨークは、金、土、日と天気がすぐれず、連日の雨模様となった。
今日も午後から雨になり、昨日ほどでは、なかったが、
気温も20度前後まで下がり、突然秋になってしまったような一日だった。
午前中は、パーソナル トレーナがアパートのジムに来て、
2時間みっちり運動をし、午後に彼女を育ての親の家に車で迎えに行った。

彼女は、フロリダで親と色々あった挙げ句、
また自分のアパートに戻る事になったので、親の家に置いてあった彼女の洋服や、
細々した荷物をまとめ、ビルの入り口で僕が来るのを待っていた。

僕は、車をビルの入り口に横付けにして、彼女と一緒に、
車に彼女の荷物を積み込んだ。 僕と彼女の唯一の理解者である彼女の腹違いの弟が、
ビルの入り口まで降りて来て、彼女を見送った。
僕と、彼女の弟は、あまり言葉を交わさないが、いつも彼と目があうと、
彼の視線が、”そんな事は、気にしないで良いよ。”と言ってくれているような気がする。
まだ、若いけれども、本当に良い奴だ。。

彼女も両親と絶縁した訳ではないので、二度と帰ってこない訳ではないが、
暫くわだかまりが冷めるまでは、自分のアパートに戻っていた方が良いだろうという考えだった。
彼女の両親は、9月末にはフロリダから帰って来るので、
きっとその頃には、また仲直りができるのではないかと期待している。 
その為には、彼女の腹違いの弟にもう少し頑張ってもらわないといけない。(笑)

僕らは、彼女のアパートのあるアップタウンに向かい、
二人で抱えきれない程の荷物を持って、彼女のアパートに行った。 
彼女のアパートは、古いPre-Warと言われるれんが造りの低層住宅のベースメントにある。 
ベースメントと言っても、実際には一階で、彼女のアパートは、裏庭に面しているので、
アパートと同じくらいの広さの庭がついている。 
彼女は自分のアパートをトライベッカに所有しているが、
大学院の学費や生活費を捻出する為に、彼女は自分のアパートを人に貸し、
自分は家賃の安い、アップタウンのベースメントに住んでいる。 
今のアパートの広さは、彼女が住んでいた自分の所有するアパートの
半分くらいの大きさだ。そこまで頑張る必要はないと思うのだが、
彼女は、兎に角全てを自分でやらないと気が済まない性格なので、
僕としては、彼女を見守るしかない。。。

二人で荷物をおろし、少し片付けをして、二人で窓から裏庭を眺めてみた。
一ヶ月ほど前に、雑草を全て刈ったはずなのに、ここのところの雨のせいもあり、
あっという間に、雑草が茂り始めていた。僕らは、雨露に濡れる雑草が茂る裏庭を、
見ながら暫く、彼女の部屋で色々な話をした。 

雨に濡れる庭を見ながら二人で話をするというのは、
なかなか情緒があるものだなあと思い、彼女にそう言うと、
彼女は、茶目っ気のある顔で僕を見つめて、”ここには、蛙は、いないわよ。”と言って笑った。
一瞬何を言っているのか判らなかったのだが、どうも彼女は、俳句を勉強したらしい。。 

知らない間にこんな事やってるのかとわかって、ちょっと僕は唖然としてしまったが、
彼女は、僕の驚いた顔を見たのが、何よりも嬉しかったようで、
二人で腰掛けていたベッドに寝転がって一人でケラケラ笑っていた。

お腹がすいて来たので、二人で、ジャンクフードが食べたいと言うことになり、
ダウンタウンの有名なパブに行く事にした。 
そのパブは、ウエストビレッジにある有名なパブで、様々なビールの他に、
ブルーチーズを乗せたハンバーガーが非常に有名な所だ。 
ブルーチーズを苦手な人は駄目かもしれないが、僕らは、二人ともブルーチーズに目がないので、
車を飛ばして、ウエストビレッジに戻り、20人も人が入ったら
お店があふれてしまうような小さく、古い佇まいのパブに入って行った。 
二人で1パイントの地ビールを頼み、ブルーチーズのハンバーガーを頬張った。 
これで、僕の今日の2時間のジムでの運動で消費されたカロリーは相殺されてしまったが、
彼女とのかけがいのない時間の為であれば、仕方ない。。。(笑)
食事が終わり、二人でふらふらとウエストビレッジを散歩した。 
僕は、彼女にその気があるのであれば、アップタウンのアパートを引き払って、
ウエストビレッジに、小さなタウンハウスを買っても良いかなと思い始めた。
僕は、若い頃は、ずっとイーストビレッジに住んでいた事もあり、ウエストビレッジには、
あまり興味がなかったが、歳を取って、彼女のような人と落ち着こうと考えると、
ウエストビレッジのこじんまりとした感じも良いなと思うようになった。 
まだその話は、彼女にはしていないが、おいおい時期を見て、話をしてみようと思う。 

それまでは、何も言わずに、彼女とマンハッタン市内を歩き回って、
彼女の好きな地域や、好みを勉強しようと思う。 彼女が少しでも、
生きる事に楽しみを見いだせるように、少しでも幸せになるように。。。 
彼女の幸せそうな笑顔を見る事さえできれば、僕の人生は、
意味のあるものになると思う。 彼女が、僕に生きる理由を与えてくれたから。


  彼女と僕は、今、別々に家を持っていて、
  お互いの家に泊まったり行ったり来たりしています。
  それは、お互いに色々過去の経験で、
  始終一緒にいると束縛されすぎて関係がうまくいかなかった事から、
  お互い一人の場所がある方が良いと思ったからなのですが、
  最近、色々なことがあって、彼女がよければ、
  一緒に住んでも良いかなあと思うようになりました。



2006年08月29日  三姉妹

今日も、朝から小雨が降り、先週の後半からニューヨークは、ずっとじめっとした日が続いている。
今朝も6時前に起き、ジムに行き、一人で1時間みっちり汗を流した。 
ジムには、まだ誰もいなかったので、一人で電気をつけ、エアコンのスイッチを入れ、
テレビをつけた。 誰もいないジムで運動をするのはとても気持ちがいい。
十分ストレッチをして、その後、3マイル程走り、その後にしっかり筋トレをする。。。
すっかり、気分は、ミック ジャガーだ。(笑)
ジムから帰り、熱いシャワーを浴びて、軽い食事をとって、仕事着に着替え、車に飛び乗り、
仕事場を目指した。 カーステレオからは、エルトン ジョンのOne Night Onlyが大音量で流れる。 
僕は、9月6日のリンカーン センターのエルトン ジョンのコンサートに、
彼女をサプライズで連れて行く事になっている。 
フィラデルフィア フリーダムを車の中、一杯に響かせて僕は、
6th Avenueを自分の仕事場めがけ、車の隙間を縫いながら進んで行く。 
ニューヨークの交通マナーは、東京のそれよりも悪いと思う。

★自己主張をしないとどんどんおいていかれてしまい、
★前に進めないのは、いかにもニューヨークという感じだ。

午後にバイト先の彼女からメールが来た。 
7時半頃に仕事が終わりそうだというので、僕の仕事を調整し、
彼女をバイト先に7時半に迎えに行った。

彼女はレストランの予約を9時に取ったので、それまで、二人でダウンタウンに行って、
今売り出し中の色々な物件を物色した。 ニューヨークは、
不動産が2年までほどにピークを迎え、ここ1年は、不動産の供給過剰で、
ようやく値段が下がって来たところだ。 彼女が、今、持っているアパートは、
2001年9月11日の直後に買ったダウンタウンの物件で、
その頃は、911以降のワールド トレード センター付近の地価下落に歯止めをかけるため、
市を上げて大ディスカウントをやった際に、
彼女は、かなり良い値段でそのアパートを手に入れた。
これ以上、その物件の価格が上がるとも思えないので、
そのアパートを売れれば、ウエスト ビレッジのアパートも夢ではないかもしれない。
あーだ、こーだと、色々な建物を車で見て回った後に、ユニオン スクウェアの
Aspenというレストランに行った。 Aspenは、その名の通り、
スキーリゾートのAspenを思わせる作りのレストランで、中に入ると、
自分がコロラドかどこかのスキー場に来ているかのような錯覚に陥る。

水曜日から、夜学の大学院が始まるので、彼女も忙しくなるから、
その前に、二人でささやかな激励会をした。 センセアの白ワインで乾杯をすると、
彼女が、真顔で、”大学院に行って弁護士の資格を取って、貴方と、
その時に貴方の所に生き残っている野郎どもと一緒に事業をするのが、
私の計画だから。”と言って、暫くして目配せをした。

僕は、”何時でも良いよ。”と答えて、彼女にキスをした。

二人でワインを相当飲んだので、良い気分になって街を暫く散歩していたら、
彼女の妹から電話がかかって来た。 妹は、電話で彼女が妊娠した事を告げた。 
僕の彼女は、それを聞くと、通りを歩いていたのに、僕の腕にしがみついて、
驚喜の叫び声を上げ、本当に嬉しそうだった。 
彼女が、あんなに何かに喜んだのを見たのは久しぶりだった。

彼女には、2人の姉妹と、1人の異母兄弟の弟と1人の異母兄弟の妹の計、
4人の兄弟がいるが、やはり、彼女を含めた3人姉妹の方は
経済的にも色々な意味でも苦労が多い。 一番上の姉は、結婚して一女を儲けたが、
旦那さんの家庭内暴力がひどくなり、2年ほど前に離婚をして、女で一人で、娘を育てている。 

妹は、フロリダでボート関係の会社を経営する男と結婚をして、
姉妹の中では一番幸せな暮らしをしていたが、子供ができないのが悩みだった。
そんな中での妹の妊娠だったので、家族思いの彼女にとっては、なによりも嬉しかったらしい。

電話を切った後も、彼女は暫く興奮が冷めない感じで、僕の手を握りしめて、
色々と話をし続けた。 ただ単に、彼女が幸せそうだというだけで、
それは、僕を何よりも幸せにし、気持ちを軽くしてくれる。

彼女の両親は、彼女が3歳の時に離婚をした。
この3姉妹は、離婚後は、それぞれ、ばらばらの親族に預けられたので、
まったく異なった環境で育ったが、大人になってからの家族の絆は、
どの姉妹よりも強そうに見える。

彼女は、今も、僕の隣で、自分の妹と話をしている。 
彼女の楽しそうに弾んだ声を聞いていると、
僕も嬉しくなって、今日は、良く眠れそうな気がする



2006年08月30日  ベイビーシャワー

今朝も朝から、雨が降ったりやんだりで、憂鬱になるような天気だ。
ハリケーンが、また近づいているので、その影響もあるのかも知れないが、
気温も下がり、夏は終わってしまったかのような感じだ。

昼前に、彼女から仕事場に電話があり、
昼過ぎに丁度近くに行くので、一緒に昼を食べないか?と誘われた。

57th StreetとMadison Avenueの交差点で、彼女と待ち合わせをした。
雨が強くなってきたが、部屋にあった折り畳み式の傘を掴んで、
エレベータに乗り、待ち合わせ場所に向かった。
ビルの外にでると、予想以上に雨が降っており、
少し肌寒い中を傘を深めにさし57th Streetに向かった。

57th Streetは、マンハッタンを東西に横切る大通りで、
ティファニーなどの有名店が軒を並べている通りだ。
 5th Avenueと57th Streetの交差点には、毎年、冬になると、
交差点の上に、大きな雪の結晶の電飾が飾られ、
ニューヨークの冬の風物詩になっている。

今日は、生憎の雨で、Streetは、ビジネスマン、観光客、
買い物客が急ぎ足で行き交い、通りを行き交うバスやタクシーがあげる水しぶきを
避けながら、僕は、急ぎ足で交差点を渡った。丁度、通りの反対側から、
見慣れたブロンドの女性が、薄紫色の傘をさし、
大きな赤い紙袋を抱えて歩いてくるのが見えた。

丁度交差点の真ん中で、彼女と落ち合い、僕らは、
近くのIBMのビルの2階にあるレストランで昼を食べる事にした。
予約をしていなかったので、メインのテーブルは、一杯だったが、
端の方にあるカウンターに案内をされた。僕は、このレストランを仕事でよく使うので、
何度も来た事があったが、裏にカウンターがあるのは、知らなかった。まるで、
隠れ家のようなカウンターで、彼女は、”隠れて逢引しているみたいね。”と笑った。。。

サンドイッチを頬張りながら、彼女は、午前中に大学院に事務手続きに行って来た事、
妊娠した妹の為にベイビーシャワーのプレゼントとカードを買いに行った事、
この後、病院に検査に行く事など、彼女に起こっている事を僕に話して聞かせた。

大きな赤い紙袋は、FAOシュワルツの紙袋で、
彼女がベイビーシャワーのプレゼントに買ってきた、可愛い犬のぬいぐるみだった。
まわりは、皆、ビジネスマンがパワーランチをするような店だが、
彼女は、そんな事はお構いなしに、袋からぬいぐるみの犬を取り出し、
僕に見せてくれた。周りの目などは、僕らには、関係が無い。 
別に商談の隣で、ぬいぐるみの犬を見て話をしたって良いじゃないか。(笑)

彼女の選んだぬいぐるみの犬は、ちょっと間の抜けた顔をしていたが、
肌触りが非常に良かった。そしてなによりも、幸せそうに微笑みながら、
ぬいぐるみの犬を見せてくれる彼女を見て、僕は、本当に心が温かくなった。

食事をすませ、僕は仕事場に戻り、彼女は医者とのアポイントメントと、
それぞれの生活に戻る事にした。レストランを出ると、
雨は、少し小降りになっていた。彼女は、僕に軽くキスをして、”ありがとう”と言うと、
薄紫色の傘をさして反対側に歩いていった。。

僕も思い出したように、骨の折れた黒い折りたたみ傘を広げ、
小走りに自分の仕事場に戻っていった。 ただ、出掛けの時は、
憂鬱な天気で気持ちも暗かったが、彼女と1時間過ごしただけで、
心が温かくなったのが自分でも良く分かった。”ありがとう”と僕も小声で呟いてみた。



2006年08月31日  家探し  癌の転移  メンターの一人

熱帯低気圧のせいで、相変わらずアメリカ東部は、天気が悪い。 
今日も、雨こそ降っていなかったが、空は厚い雲に覆われ
まるで冬が到来したかのような感じだ。

彼女は、大学院の選択科目受付の最終日だった頃から、
早く起きて学校に出かけた。 僕も、いつもの通り、ジムに行き、
1時間汗を流してから、仕事場に出かけた。

彼女は、大学院に行った後に、病院に検査に行き、
そのままバイトに行ったので、ふたりは、それぞれ別メニューで一日を過ごした。 
僕は、一日仕事場で電話をしたり、メールをしたり、
打ち合わせをしたり、忙しく一日を過ごした。 

僕は、音楽業界に関わっていた時に、
たくさんのゴールドディスク、プラティナムディスク、ダブル 
プラティナム等のミリオンセールスに関わったので、仕事場の壁には、
沢山のゴールドディスクが壁に飾ってある。これは、
僕ら音楽業界に携わったものの間では、古き良き昔の話で、
最近は、CDの売り上げの落ち込み、ゴールドディスクが出る事も少なくなった。

僕は、全く別の理由であったが、運良く、
米国の音楽業界が傾く直前に音楽業界から足を洗ったので、
影響を受けずにすんだが、僕の周りの友達には、その影響をまともに受けて、
メインストリームから消えてしまった人が沢山いる。 
僕の先輩で、昔アメリカで一緒に働き、僕より遥か前に、
アメリカの音楽業界に見切りをつけ、日本に戻り、現在は、
日本でメジャーレコード会社の社長をしている人がいるが、
日本の音楽業界は、例外的に儲かっているらしい。
でも、そうやって生き延びている人は、僅かだ。

僕のオフィスの壁には、いくつかの思い出の写真が貼ってある。 
その中の一枚は、僕と、僕の古い友達のロバートと、ピンクフロイドの面々と
一緒にイタリアのモンツアのフェラーリの
テストコースに行った時に取った写真が飾ってある。。。

ロバートは、僕より相当年上だが、昔、西海岸で有名なラジオのDJで、
ビリー ジョエルが駆け出しの頃に、彼のシングルをロバートのラジオでかけまくり、
ビリー ジョエルのメジャーヒットに貢献をした男だ。
彼は、DJという立場を活かして、数々のアーティストとのコネクションを作り、
あるときDJをやめてアメリカのメジャーレコード会社に転身し、
重役まで上り詰めた男だ。。。 しかし、音楽業界を巻き込んだ、
デジタル化、iPod、Napsterと言った新しい動きについていけずに、
数年前に表舞台から姿を消した。。

彼は、僕がアメリカに来た時に、
右も左もわからないアメリカのマフィアビジネスのいろはを教えてくれた、
メンターの一人だった。彼をなくして、今の僕は、あり得ない。。 
しかし、時代は、残酷なもので、時代の大きなうねりは、彼を飲み込み、
今となっては、跡形もなく、彼を思い出すのは、僕のように律儀に
彼と一緒の写真を飾っているような人間だけなのかもしれない。。。 
生き馬の目を盗むと言うが、まさにここでの仕事はそういうもので、
情け容赦はなく、一瞬でも立ち止まったら、取り残され、
過去の闇の中に葬り去られてしまう。。。 

ここまで来たら、僕に立ち止まる事は許されない。 
立ち止まったら、彼と同じように時代の波に飲まれて過去の闇に葬られてしまうだろう。。
僕には、守らなければいけない大事な人がいる。。
彼女の為にも、僕には、立ち止まる事は許されない。。。

写真の中でF40に寄っかかって満面の笑みを浮かべている彼に、
僕は、紙コップのコーヒーで乾杯の真似をして、
暫く彼の写真を見つめた後、自分を奮い立たせて、
次の会議に出かけて行った。。。

彼女のバイト先の仕事が7時半に終わったので、
彼女をバイト先に迎えに行った。ロックフェラープラザでは、
明日、MTVのビデオアワードショーが行われる事から、
今日の夕方から大掛かりなステージセットアップが始まり、
いくつものバンドがサウンドチェックに訪れていた。その為に道も渋滞し、
やっとの思いで、渋滞をかいくぐって彼女をピックアップし、食事に出かけた。

今日は、ニューヨーク大学の近くの行きつけのイタリア料理屋に出かけ、
僕が一番気に入っているフランス産のセンセアのワインとスキャンピを食べた。
食事をしながら、彼女の大学院の色々な書類の準備や、
彼女のクラスの予習を一緒にやった。 レストランで大学院の教材を広げて、
勉強をしながら食事をするカップルというのもなかなか珍しいと思う。。。

勉強をした後に、色々な話をしたが、彼女は、摘出した癌が、
他に転移していないかをひどく気にしており、
首の近くのリンパ腺に腫れ物ができたので、また病院に戻る事に決めたと言った。

僕は、彼女の手を握ったまま、”用心にこした事はないから、
ちゃんと病院に行った方が良い。 それじゃないと安心して、
色々な所に遊びに行けないから。”と言って、いたずらっぽく笑ってみせた。
彼女も笑い出して、僕の鼻を摘んだ。。。

彼女は、癌がリンパ腺にとんでいる事を、まだ知らない。。。

今度の週末には、二人でいくつかの家を見に行こうという話になった。
僕は、過去の恋愛での苦い経験があり、それ以来、
同居というものをしないようにしてきた。。 彼女が病気になったからという訳ではないが、
ここに来て、彼女とだったら、同居をしたいと思うようになり、
今は、二人であちこちを歩いて家を探している。。。 

兎に角、僕は今、自分に悔いが残らないように毎日を生きたいと思う。 
彼女には彼女の問題があり、僕も、色々な問題を抱えている。
ちょっと目をそらすとロバートのように全てを失い歴史の闇に捨てられる世界に身を置いて、
何年もの月日が経ち、僕自身がもう疲れてきているのも感じ始めている。。

でけど、今は、彼女の為に、できる事は何でもしたい。。 
自分が疲れたなどとは、言っている暇はない。。。 
彼女の幸せそうな顔と微笑みだけが、
僕が、明日という日を生き抜こうとする唯一の理由だ。。。



  彼女は、癌がリンパ腺にとんでいる事を、まだ知らない。。。
  僕は、彼女の弟から聞いた。 結構、弟くんは、気を使ってくれて優しいんだよね。
  でも、今は色々なこと全てが心配になるけれど、心配してもきりがないから、
  お医者さんに任せるしかないかなって思ってる。


  心配してくれてありがとう。 でもねえ、家探したりとか、
  色々なプランを二人で立てたりとか、楽しい事も二人で色々考えています。 
  彼女も、これからは、人の事を気にせず、本当に自分がしたい事をするって言ってたし、
  二人で、彼女が一番幸せになるように、色々ポジティブに話をしてるから。。




2006年09月02日  老兵は死なず、ただ消え去るのみ。。

前に、日記に書いたが、今から10年程前に、
僕は、ニューヨークで大きな訴訟を抱えたことがある。 
一時は、僕のClientに対して有罪の評決が出て、
Clientに数百億円の損害を出すところだったが、その後、再審査請求をして
裁判官は、評決を覆し、結局、無罪が確定した、僕の人生の中で忘れられない体験だ。

当初は、僕のClientの取り巻きを含めて何十人もいた弁護士団が、
予想外に厳しい評決を得た事で、蜘蛛の子を散らしたようにいなくなり、
再審査請求を始めた時には、僅か5人に減っていた。

数百億円の評決を貰った後に、評決取り消しの再審査請求をする事は、
当時無謀な事だと思われた。 でも、高裁で争った場合には、
また何年もの月日がかかり、その間は、僕のClientは、暫定的に敗訴と思われ、
アメリカでのビジネスもできず、おそらく会社は、潰れてしまうだろう。

評論家の批評はともかく、現場では、
死中に活路を見いだす方法しか残されていなかった。
それまでは、長年の友達のような顔をしていた人達が、
櫛の歯が落ちて行くように、いつのまにか、消えて行った。。。

僕らは、その訴訟の間、ワールド トレード センターの
一角にあるホテルの一フロアーを借り切って、訴訟関係者の宿にしていた。
2001年の9月11日の惨劇で、そのホテルも倒壊してしまい、今は、その面影もない。

僕は、今でも覚えているが、評決が出た後に、
今までいた関係者が蜘蛛の子を散らすようにいなくなった時に、
ホテルの一室で、今後を協議する会議を開いた。 残った人間は、僅かに5人だった。
評決取り消しを求める請求を出すという方針を表明して、周りを見回した。。 
そのとき集まった5人の男達は、誰も言葉を発せず、ただ、黙って頷いた。。。 
そしてそれから9ヶ月の死闘の後に、我々は、評決の取り消しを勝ち取った。

逆転勝訴のニュースは、蜘蛛の子を散らすように去って行った人間までもまた呼び戻し、
客船を借りきり、逆転勝訴を祝うパーティをやった時には、百人近い人々が集まった。。。

僕は、敗訴の評決を貰った後の、暗いホテルの一室での会議を、決して忘れない。 
そしてあの時に残った5人の男達が、無言で首を縦に振った時の瞬間、表情を忘れない。。。 

まさに男が男に惚れる瞬間だった。。。 こいつらとであれば、地獄の底まで行けると思った。。 
苦しい時こそ、本物かどうかが分かる。

あれから月日が流れ、皆、それぞれ異なった人生をあれから歩き始めた。。

そのうちの一人から、僕は、昨日久しぶりに電話を受けた。。 
懐かしさから、色々な話をしたが、最後に彼が、ぼっそりと、引退をすると僕に告げた。。
今まで無理をして来たので、ここら辺で区切りをつけて、
後は、奥さんと静かに余生を過ごしたいそうだ。。

僕は、心から彼に、ご苦労様、おめでとう、ありがとう、お世話になりましたと言った。 
近いうちに食事でもしようと言われて電話は切れた。 
本当に、ご苦労様と思う反面、戦友を失うようで何とも言えない寂しさを感じた。
近いうち、彼と奥さんと食事をしようと思う。 その時には、僕も彼女を連れて行こうと思っている。



2006年09月03日  雨の土曜日

今日は、低気圧が東海岸一帯を覆っていた事もあり、
朝から、強い風と雨で、散々な日だった。

彼女は、土曜日も大学の授業を取っているので、3時過ぎまで授業があった。
僕は、久しぶりに、学生って土曜日の授業あるんだと言う事を思い出し、
学生でなくて本当に良かったと真剣に思った。

今の生活も大変だとは思うけれど、学生時代のようなテストがないという事と、
土曜日に授業がないという二つだけで、社会人とはなんて素晴らしいのだろう。

彼女は、両親とフロリダで喧嘩をしたが、その両親がニューヨークに帰って来て、
彼女とちゃんと話をしたいと言い出した。 
彼女は、学校が終わってから、両親のお説教を聞きに、ダウンタウンの実家に向かった。

”親の小言がすんだら、電話するからね。”という彼女の明るい電話の口調で、
僕は、ちょっと安心をして、彼女が親から解放されるのを待つ事にした。

今日は、土曜日だったが、天気が悪かったので、ジムに行ったり、
久しぶりに家計簿をつけたり、各種の支払いをしたりと細々した事に時間を使った。

6時過ぎに彼女から電話があり、ようやく両親の小言から解放されたという事だったので、
彼女のアパートまで、雨の中、車を飛ばした。 もう、夏は終わってしまったようで、
雨という事もあったが、6時過ぎには、空がもう暗くなり、時折、
激しくなる雨がフロントガラスを叩き付ける。 車の中では、
Pat MethenyのOfframpが流れている。 僕の大好きな
、Are You Going With Me?という曲だ。 
雨の日に車を乗る時には、僕は、必ずと言っていい程、この何とも切ない哀愁の旋律を聴く。

彼女のアパートにつくと、彼女は丁度着替えをしている所だった。 
土曜日の授業で大分絞られた上に、両親にも呼びつけられて大分叱られたようで、
彼女は、ちょっとショゲていた。
僕は、可哀相になったので、じゃあ、気晴らしに何処か特別な所にでも出かけようか?と提案し、
ニューヨークでは、有名な日本レストランのNobuに行く事にした。

Nobuは、今では、ニューヨークの他に、ロンドン、ラスベガス、
東京と色々な所に視点ができ、前に行った、東京のNobuは、
酷いところでがっかりしたが、ニューヨークのNobuは、
相変わらず料理も酒もしっかりしていて美味しい。

彼女も粧しこんで、何となく、久しぶりのデートと言う感じがした。
車を、店の直ぐそばに止め、大きな一つの傘に二人で寄り添いながら、
小走りに店に向かった。

カウンターに案内をされ、酒を飲みながら、寿司を食べたり、
魚を食べたり、久しぶりに料理を堪能した。 食事が終わった後も、
酒を飲みながらゆったりしていたので、レストランを出る時には、夜中を回っていた。

そういえば、彼女と最初に僕が、二人で出かけ始めたのも、
何かの時に、日本食の話になり、彼女が、Nobuに行った事がないというので、
僕が連れて行こうと約束したのが、始まりだった。
 
その頃を思い起こしてみると、僕は、彼女とこんなに深い関係になるとは、
思っていなかったし、こんなに僕らの身に色々な事が起こるとも思っていなかった。
僕は、彼女を、前から魅力的だと思ったし、仲良くなりたいとは思ったけれど、
あの当時から振り返って考えると、彼女の御陰で、
僕は、ここ1年程で随分成長したような気がした。
自分で言うのも可笑しいけれど、彼女を知りあう事で、
人に優しくする気持ちが芽生えたような気がする。。

今はただただ、色々な事に一喜一憂しながら、
彼女が、健康で幸せで、彼女との生活が一日でも長く続く事を、祈っている。



2006年09月05日  夏の終わり

今日は、レイバー デイで休日だった。 
アメリカの学校は、レイバー デイまでが夏休みで、
レイバー デイの翌日から新学期が始まる所が多い。

要は、レイバー デイは、夏の終わりを告げる休日だ。
彼女は、午前中友達とブランチをしたり、細々とした事をしていたので、
夕方、彼女とダウンタウンで待ち合わせをした。 彼女は、病気もあり、
かなり痩せてしまったので、服が合わなくなり、
今の体型にあった洋服をまとめ買いするのを付き合った。 

18丁目と5番街の交差点で彼女と待ち合わせをした。 
その後、彼女と何件かの店を回り、彼女の洋服をまとめ買いした。
僕は、かいがいしく、彼女の買い物に付き合い、
彼女の選ぶ洋服に色々とコメントをし、荷物を持って歩いた。 
男の人では、こういう事をするのを嫌う人も多いが、
僕は、女の子の買い物に付き合うのが、嫌ではない。というか、好きかもしれない。

昔、自分で女物の靴のデザインをしたりという過去の経験があるのかもしれないが、
僕は、彼女の買い物を待っている間に、自分の頭の中で、
店にある色々な洋服や靴、アクセサリーを組み合わせて、
色々想像してみるのが好きだ。 また場所柄、ゲイのカップルも沢山店に入って来るので、
純粋に人間Watchingをしているのも結構楽しい。。。

そんな事をしながら、彼女の買い物に付き合った後に、
本屋さんのバーンズ&ノーブルにより、彼女の妹に、妊婦用の手帳や本をいくつか買った。
予定では、その後、彼女のアパートに帰り、彼女が料理をしてくれる予定だったのだが、
お腹がすいてしまったので、彼女の手料理は諦め、
ウエストビレッジのレストランで食事をする事にした。

そのレストランは、僕らが良く行くレストランで、ウエストビレッジの裏通りにあり、
石畳の狭い道路沿いにある小さいレストランだ。僕らは、
そのレストランの外に出されたテーブルに陣取り、夏の最後の日を惜しむように、
外気を楽しみながら食事をした。

早く食事を始めたので、食事が終わった時は、まだ8時位だったが、
やはり夏の終わりなのか、暗くなるのも早くなったような気がした。 
夏の間は、夜の9時近くにならないと、周りが暗くなる事はなかったが、
やはり、それだけ秋が近づいているという事なのだろう。

僕らは、食事を終え、彼女のアパートまで車で帰った。
彼女のアパートに帰り、二人でソファに寝そべってテレビを見ながら、
今週の予定、友達の話、家族の話などを色々した。。 
今週末は、色々忙しかったので、気がつくと彼女は、僕の腕の中で寝息をたてていた。。

僕は、彼女をベッドにうつし、一人色々と物思いに耽った。。。 

普段彼女の前では、できるだけ明るく、ポジティブに振る舞おうと決めているので、
一人になった時には、その反動が来る。

頭の中では、僕は、わかっているつもりだが、なかなか、
気持ちがついて行かない場合が多い。。 彼女は、たまに非常に気持ちが安定せず、
ネガティブになる時がある。 今の生活をどん底と言い、
暫く気分転換の為に別の場所に行ってみたいというような事を言う。。 
僕は、彼女を少しでも幸せにしたいと思い、
少しでも彼女の毎日をはりのあるものにしたいと心から思い、
自分の全身全霊を傾けて彼女の為に尽くそうとする。。。 

頭の中では、これは無償の愛で、見返りを求めてはいけないとわかっているのに、
気持ちの何処かでは、彼女が僕の努力を認めてくれて、
実際に幸せを感じて欲しい、その幸せを口に出して僕に言って欲しいと思っている所がある。。。

これを読んでいる皆は、僕のそんな気持ちを知ったら、あまりの子供っぽさに笑うかもしれないが、
僕は、修行が足りないのか、まだそんな子供っぽい所があり、
彼女の態度のひとつひとつに一喜一憂しているのだ。

秋の涼しい風を感じる為に、屋上に上がり、夜風を受けながら、
もっと大きな愛情で彼女を包んであげないと、僕は、
何の為に歳を取って来たのかわからないなと思い、
”もっとしっかりしろよ。”と自分を叱咤してみる。。



2006年09月06日  新学期

週末は、天気が良かったのだが、今日は一転して天気が悪く、
午後からは、雨模様になった。

僕は、ヨーロッパの連中とビデオ電話会議があったので、
朝6時前に起き、ジムで1時間汗を流して、7時からのビデオ電話会議に参加した。 
家からの参加だったので、上半身だけちゃんとしたカッコをして、
下はジムから帰って来た短パンのままというとんでもない格好だったが、
ビデオ会議では、どうせ上半身しか映らないのだからと思い手を抜いた。

ビデオ会議が終わり、ちゃんと着替えをして、
今にも雨が降り出しそうな灰色の空の下を、僕は仕事場に向かった。。 
車の中では、Lyle MaysとPat Methenyのコラボの名曲、
As Falls Wichita, So Falls Wichita Fallsが、流れていた。。。

昼前に彼女から電話があった。 彼女の方も、
学校の宿題や授業の準備で色々忙しかったようだが、
電話で色々と報告してくれる彼女の生真面目さと僕に対する心遣いが、
とても嬉しくて、電話を切った後も、心が温かくなった。

彼女の最後の授業が終わる夜の8時半に、学校に彼女を迎えに行った。 
暫くしてから、彼女が現れた。 彼女は、昨日一緒に買った新しい服を着ていた。
彼女は、僕の車の中にとても自然に収まると、運転席の僕にキスをして、
今日の授業について、色々と説明をしだした。 授業の中身、クラスメートの事、
先生の事、授業の進め方、成績の付け方、予習の量など、彼女の話は尽きない。。。

僕も自分が学生だった頃を思い出しながら、彼女の話について行こうとするが、
僕が学校を出たのは、20年以上前なので、やはり自分の経験をベースに
彼女の話を追体験するのは、ちょっと年齢的に無理のようだ。 
彼女の家の近くのダイナーに行き、簡単な夕食を二人で食べながら、
彼女の話は、続いた。僕も色々と想像力を働かして、
彼女にアドバイスをしたりコメントをしたりするけれども、
やはり、年齢のギャップは、あったかもしれない。。。

僕は、明日の朝も、ビデオ会議があり、
彼女のアパートでは、ビデオ会議は無理なので、自分のアパートに戻る事にした。 
彼女を家まで送り届け、少し彼女のアパートで話をした後、
僕は、彼女のアパートを後にして、自分のアパートまで戻った。
今、僕は、ウィスキーのグラスを片手に、明日の会議の準備をしている。
彼女は、きっと大学の宿題をしている所だろう。 寝る前に、彼女に電話を入れてみよう。
明日は、エルトンジョンのコンサートを二人で観に行く予定だ。



2006年09月07日   Rose Hall  サプライズ 優

今日は、仕事が終わってから、彼女を連れてTime Warnerビルディングに
新設されたRose Hallというコンサートホールにエルトンジョンを観に行った。

Rose Hallは、収容人数は、数千人の小さいホールで、
エルトンジョン クラスのタレントは、一万人以上収容可能な、
マディソン スクウェア ガーデンみたいなアリーナでコンサートをするのが普通だが、
今回のコンサートは、AIDS撲滅の為のチャリティーコンサートだったので、
一夜限りのショーという事で、Rose Hallで行われた。

エイズ撲滅のチャリティで、ファッション業界のバックアップがあったので、
観客の多くは、ファッション業界の人が多く、
ブライアン パークで行われるファッションショーのような趣があった。

彼女には粧し込んで来るようにだけ伝え、どこに何をしに行くか言わなかったので、
どこに行くか伝えた時には、ちょっと面喰らっていたが、彼女を驚かす事には成功したようだ。

Time Warnerビルディングは、3年程前に、セントラルパークの南側の
コロンバス サークルに新しくたてられたガラス張りの高層ビルだが、
その5階が、リンカーンセンターのジャズのコンサートホールになっている。
今日はチャリティイベントという事もあり、玄関には、赤絨毯が敷かれ、
TV局のクルーが赤絨毯の上を歩く有名人の取材をしているのにまぎれて、
僕と彼女も会場に入った。

まわりには、カクテルドレスを着ている女の人も結構いたので、
一応フォーマルな格好としていた彼女もちょっと気後れがしたようで、
”前もって教えてよ。”とちょっと怒られたが、でもニコニコしていたので、
僕のサプライズは、どうやら成功したようだ。

コンサートは、夜の8時から11時まで新旧色々な曲を取り混ぜて3時間行われた。 
最後のメドレーは、観客も総立ちで、Rose Hallは、ダンスフロアになってしまい、
かなり盛り上がったコンサートだった。

11時過ぎにコンサートが終わり、僕らは、
Time Warnerビルを後にして、僕の車がとめてある駐車場に二人で、
手をつなぎながら歩いて帰った。

コンサートの最後の方に、エルトンジョンは、
新曲のBridgeを演奏する前に、新曲のBridgeに関して少し話をした。 
エルトンジョンは、39年間芸能活動をして、来年から40年目に入るそうだ。
その中で紆余曲折があり、色々先の事について悩んだ時に、
彼は、結局自分がやりたい事をするという基本に立ち戻り、唄を作り、
唄をうたうことが一番自分がやりたい事だと再確認したそうだ。

新曲のBridgeの歌詞は、誰もが、人生を生きて行く節目節目で、
ある決断をするか、そこから去って行くかの決断を迫られる時があり、
人は、その都度に決断をしなければいけないというもので、
彼は、40年目に入るにあたって、新たにこの道を突き進むという決断をしたと
語った後に、新曲のBridgeを唄い始めた。。。

駐車場から車を出し、彼女のアパートに向かって車を走らせている中で、
彼女が、その話を始めた。。 そして、彼女は、過去の自分は人に気兼ねをして
自分を押し殺してきたけれども、エルトンジョンが言うように、
自分が好きな事をする為に、今までの生活を清算し、大学に戻り、これからは、
自分の為に生きて行きたいと僕にぼそりと言った。。 
そして、僕の方を向き、”今日は、ありがとう。”と言って、優しくキスをしてくれた。

偶然にもカーラジオからは、エルトンジョンのBridgeが、流れて来た。。。
 彼女の決断を、応援するように、エルトンジョンが、
”誰もが節目、節目で決断をしなければいけない。 
橋を渡って行くか、そのまま逃げていくのか。。”と唄っている。。。

僕は、今日、夜中に仕事があるので、彼女の睡眠を邪魔しないように、
自分のアパートに帰る事にした。

彼女のアパートの前に車を止めて、車の中で暫く二人で話をした後に、
僕は、車から降り、助手席のドアを開け、彼女を車から降ろした。 
おやすみのキスをして、彼女と別れる時に、車のバックシートに隠しておいた、
花束を彼女にあげた。。 彼女は、花束を見ると言葉を失った。。。

子供じみて下らないと皆を思うかもしれないけれど、
彼女は、過去に色々あって、自分らしさを取り戻す為に勇気を出して、
全てを捨て、原点に戻って頑張ろうと思った矢先に、癌を告知されてしまった。。 

現実は、そんなに甘いものではないという事くらい、
僕も百も承知しているが、彼女には、そんなに思い詰めて欲しくない。。。 

まだ30そこそこの女の子なんだし、たまには、
歯が浮くような甘い日があっても良いと思うし、ほんのちょっとでも日常の辛さを、
忘れさせる事ができれば、、、彼女の微笑みがちょっとでも見る事ができれば、、と
僕は、心の底から思っている。 

甘いと言われようが、馬鹿げていると言われようが、
僕には、こういう愛し方しかできないのかもしれない。。。



2006年09月08日   危険な関係のブルース

昨日のエルトンジョンのコンサートから一夜明けて、また平凡な毎日が、僕を待っていた。

朝6時前に起き、ジムに行き、1時間汗を流した後、
朝の7時過ぎにヨーロッパとビデオ会議をして、軽い食事を食べた後、僕は仕事場に車を走らせた。
今日は、何となくジャズな気分だったので、ジャズのCDをカーステレオに入れ、
ジャズのリズムにあわせて車を走らせた。 

ニューヨークの雑踏にジャズは、よく似合う。
ニューヨークの秋と言うジャズの名曲があるが、
やはりジャズの4ビートは、ニューヨークという街の鼓動と同期しているようだ。 
カーステレオからは、僕の大好きな、トランペットのChet BakerがDuke Jordanと組んだ、
No Problemという珠玉の名曲が、流れている。 No Problemは、
フランス映画の”危険な関係”の主題曲で、
日本では、”危険な関係のブルース”という題名がついている。 
作曲者は、ジャズの巨匠のセロニアス モンクだ。 

Chet Bakerは、若くして、天才トランぺッターとしてもてはやされ、
その端正な顔から人気も高かったが、麻薬に溺れて全てを失い、
歳をとってから復活したものの、麻薬の影響で、若い時の端正な顔は皺だらけになり、
歯も抜け落ち、見る影もなくなったトランぺッターだ。。。 
僕は、チェット ベイカーの復活後の作品が実は好きだ。彼の生きて来た哀しみやむなしさが、
トランペットの音色の中に染み込んでいるように感じられるからだ。

この何とも甘美な禁断の果実のような名曲を聴きながら、
僕は、まだ朝早い、摩天楼の中を車を滑らせた。

仕事場につき、仕事を始めて暫くすると、目を覚ました彼女から電話がかかって来た。 
今朝のビデオ会議の結果を話したり、彼女は自分の予定を話したりして、電話を切った。 
彼女は、午前中に病院に行って検査をし、その後で大学に行った。 
彼女の授業は8時半に終わるので、僕は、それまでに仕事を一段落させて、
車を飛ばし、大学まで彼女を迎えに行った。
彼女をピックアップし、二人で軽く食事をした後に、近くのホテルのバーでちょっと酒を飲んだ。
二人で暗いバーの止まり木に腰を下ろし、彼女の大学の話、生みの親とのいさかいの話など、
とりとめのない話を続けた。 やはり、学校が本格的に始まったので、
彼女の方も用意が色々大変なようで、彼女から色々と悩みを打ち明けられ、相談にのった。 
厳しい顔で、色々な問題について色々話をした後、彼女は、暫く沈黙した。。。 
どうしたのかなと心配に思って、彼女の方を覗き込むと、
彼女は、”貴方に愚痴って、あーすっきりした。”と涼しい顔をして僕に微笑んだ。
僕も彼女の顔を見て微笑んだ。。。 バーテンが、一瞬こちらの方を見たけれど、
何もなかったように向こうを向いて、またグラスを磨き始めた。。。
ニューヨークで一番美しい季節の秋が、もうすぐそこまで来ている気がした。。。



2006年09月09日  平凡な一日

今日は、金曜日という事もあり、また殆どの仲間がLAやヨーロッパ等に出かけてしまい、
ニューヨークに残ったのは、僕だけだったので、全く仕事をする気がしなかった。

一応顔だけ出さないとまずいかなと思い、ジムに行った後に、
全くの普段着で仕事場に行った。 でも、他の連中がいない分だけ、
僕の所に人が集まって来たようで、予想に反して忙しい一日になった。

彼女は、午前中、学校で勉強をして、午後からバイトに出かけた。 
バイト先の彼女は、かなり暇のようで、何度もバイト先からe-Mailを送って来た。 
New York Timesの不動産セクションのサイトで遊んでいるようで、
次から次えと、彼女が気に入った不動産物件の情報を送ってくる。

僕は忙しかったのだが、彼女と家を買う話をずっとしていたので、
そちらにも興味があり、仕事をしながら、彼女が送ってくる物件情報を眺めていた。
中には、掘り出し物もあり、ウエストビレッジのチャールズ ストリートの物件は、
赤煉瓦の古い建物だが、奇麗にリノベイトされて$800,000の札がついていた。 
安くはないが、一時に比べて値段は、下がってきているようだ。

仕事の話を上の空で聞きながら、その物件の各部屋の写真を眺めながら、
僕と彼女がこの家を買ったら、この部屋のここには、この家具を置いて、
壁の色は、何色にして等と色々妄想を始め、一人でニヤニヤしてしまった。。。

テーブルを挟んで、僕と向かい合って、
頭から湯気を立てながら一生懸命話をしていたビジネスマンが、
僕が笑っているのに気づき、話を止め、僕を不思議そうに見つめた。。。 
僕は、彼に何事もなかったように微笑んで、”続けてください。”と言った。。。  
まずいまずい、真面目に働かないとね。。。
仕事が終わり、彼女をバイト先に迎えに行き、天気が良かったので、
夜風を楽しむ為に、Avenue Bの小さいレストランに行き、外に出されたテーブルに座り、
夜風を楽しみながら、白いワインのボトルを頼み、バケツにそれを放り込み、ゆっくりと食事を楽しんだ。

彼女の一日について話を聞き、僕の一日の話をし、当たり前の会話が、
当たり前のように僕ら二人の間で交わされる。。。 
でも、とても当たり前で平凡な会話のやり取りに、僕は、何よりも心を癒される。。。 

ただ、外に置かれた丸テーブルを囲んで、外気を感じながら、ワインをバケツに突っ込んだまま、
テーブル越しに彼女と手をつなぎ、平凡な会話を続ける平凡な毎日が、
いつまでも続いてくれれば良いなと思った。。。 

真面目に生きているのだから、神様もこのぐらいのご褒美を僕達にくれても良いんじゃないかと。。。



2006年09月10日  泣きじゃくる彼女

今日もまた、天気が素晴らしかった。 
僕は、昨日ブルース バーではしゃぎすぎて、
酒を飲み過ぎたので、今朝は遅く目を覚ました。 

ただ10時から僕のトレーナーがジムに来る事になっていたので、
老骨に鞭をうってなんとかベッドから這い出て、用意をし、
ジムに行って、2時間程みっちりトレーナーにしごかれた。

前にも書いたが、僕のトレーナーは、26歳の女の子で、
本職は、作曲家だ。 Universal Musicとの契約も決まったようで、
自分のWebsiteを最近開設し、毎日沢山の人がアクセスするらしい。。。
”人気者になるのも大変だ。”と彼女は、笑った。 日本のArtistとも話をしており、
いくつかのタレントに曲を提供する可能性があるようだが、
僕は、日本の音楽業界の事はあまり知らないので、
ただただ、彼女の奮闘を期待するしかない。 
トレーナーが帰った後で、僕は、部屋の掃除をしたり、
支払いの小切手を切ったり、家事に追われた。

僕の彼女は、今日の10時の電車でニュージャージーに行き、
親戚の伯母さんの法律書面の公証をしにでかけた。
日本では、文書の公証は、公証人役場と言う所に出かけると、
おおむね、隠居した元裁判官みたいにな人が、
小さな事務所を構えていて、文書の公証をしてくれるのが一般的だが、
アメリカは、印鑑がなく、サインが全てなので、公証人の数も多く、
別に引退した裁判官でなくても公証をしてもらえる。 
彼女も公証人の資格を取っているので、伯母さんの法律書面の公証は、
人に頼むより、身内の彼女に頼んだ方が安上がりという訳だ。

僕は、彼女に、必要以上に人に優しくしないように言っているのだが、
どうも彼女は、嫌とは言えない性格のようで、唯一の休みである日曜日に早く起きて、
電車に1時間揺られて親戚の書類の面倒をみに出かけてしまった。。。

3時には帰ると彼女は言っていたが、話は長引いたようで、
6時過ぎに彼女から、これからバスに乗るという電話があった。 
バスは、30分でニューヨークのポート オーソリティに着くという事だったので、
42丁目まで迎えに行ったが、彼女のバスは、ニュージャージの
ジャイアンツスタジアムで開かれていたフットボールの影響で大渋滞に巻き込まれ、
彼女がポート オーソリティに帰って来たのは、8時近くになった。

彼女は、薄着をしていたので、バスの冷房ですっかり凍えてしまい、
僕の車に入って来た時には氷のように冷たかった。 

渋滞のバスの中で、自分の病気の事を色々考えたようで、
その他に、おばさんの家で色々面倒に巻き込まれた事もあり、
僕の車の中で彼女は、泣き出してしまった。 
彼女は、どうやら、癌がリンパ腺に転移しているのを感じ取っているようだった。。。

彼女は、僕の手を握りながら、何も知らないで怯えているの一番辛いので、
転移しているのか、していないのかを教えて欲しいと泣きながら僕に訴えた。 

普段涙を見せない気丈な彼女が泣くのは、なによりも辛い。。。 
僕は、なんと言っていいのか、言葉も見つけられないまま、
彼女の手を握ったまま、車を走らせた。

本当は、今日は彼女が手料理を振る舞ってくれる約束だったが、
予想外に帰りが遅れたので、何処か外で食事をすませることにした。 
ただ、彼女は、薄着で凍えていたので、一度家に帰って、着替えをする事にした。

とりあえずアパートに帰り、彼女の着替えを待っていると、
彼女が僕が座っているソファに近づき、僕の胸の中に顔を埋めて、号泣をした。
彼女が、泣きじゃくるのを始めた見た。。。

彼女は、泣きながら、”死にたくない。 死ぬのが怖い。”と何度も言った。。
僕は、ただただ、彼女を抱きしめた。 安易な言葉はかけられず、
ただただ、彼女を抱きしめる事しかできなかった。

僕は、彼女を抱きしめながら
”僕は、賢くないので、気の効いた言葉で君を慰める事はできないけれど、
僕は、常に君の隣にいることは、約束できる。良い時も、悪い時も、楽しい時も、
辛い時も、君の隣にいる。君を一人だけ哀しみのふちにおきざるような事はしない。”
としか言えなかった。。。

僕は、暫く彼女を自分の腕のなかで暖め続けた。。。
彼女も少し落ち着いたようで、涙を拭き、トイレに行って顔を洗い、
着替えをすませて、二人で遅い夕食を取る事にした。

近くで済ませようと思ったが、彼女が、彼女の昔の家がある、
ワールド トレード センターの近くのベトナム料理屋に行きたいと言い出したので、
車に乗って、そこまで出かける事にした。。

ハーレム リバー ドライブというハイウェイに乗り、ダウンタウンを目指した。
ブルックリン ブリッジを超えたあたりで、急に渋滞に出くわした。。。 
明日は、9月11日で追悼式典の為に、前日の今日から、会場の警備や交通規制で、
ワールド トレード センターの近くは、大渋滞しているのをすっかり忘れていた。。。

裏道に入って渋滞をかわして、僕らは、ベトナムレストランにつき、食事をした。。。 
彼女は、僕に全てをぶちまけたせいもあり、レストランに着く事には、普段の彼女に戻っていた。。。

いつものとおり、二人でテーブルを挟んで手をつなぎ、
二人の平凡な日常の話をして、ワインと料理を楽しんだ。。。

9月11日に彼女は2人の肉親を失い、僕は6人の友達を失った。
二人して、明日の朝には、ワールド トレード センターに行く事にした。

僕は、そこで、彼女が失った2人の肉親と、僕が亡くした6人の友達と、
その他数多くの命を落とした人々と、9.11の影響で、
理不尽な迫害を受けた僕のアシスタントを含めた数多くの、アラブ系の人達の為に、
祈りを捧げよう。。 そして、少しでも彼女の病気が良くなるようにお願いをしてみよう。。
今の僕には、それしかできることがない。



2006年09月12日  9月11日(NY時間)テロについて

今朝、早くに起きて、式典が始まる前にワールド トレード センター跡に行って来た。
僕は、式典とは別に、僕なりの方法で、あの日死んでしまった6人の友達と、
2人の彼女の親族と、あの事件をきっかけに迫害をされたアラブ人の人々の為に祈りを捧げた。 
僕は、式典が始まる前に、ワールド トレード センターを後にしたが、
それでも、既に沢山の人が、弔問に訪れていた。

あれから、既に5年が経ったというのが、信じられず、
時の流れの速さには、驚きを隠せない。 本当に時間が経つのは、早いものだ。

弔問を終え、仕事場に戻り、いつも通り仕事を始めた。
僕に取って9月11日は、沢山の友達を失い、倒壊の危険のため、
自分の家に1ヶ月帰る事ができず、自分のアシスタントをはじめとする
アラブ人の友達を言われのない差別や暴力から守る為に奔走した、
特別の日である反面、僕の日常は、決してこの日の為に立ち止まる事はなく、
いつものように次から次へと舞い込む仕事の処理に忙殺をされた一日だった。

仕事が一段落して、夜の8時過ぎに彼女をバイト先に迎えに行った。 
今日は、家で彼女の手料理を食べる事になっていたが、
彼女の方も色々忙しかった事もあり、手料理は、今度の楽しみに取っておく事にして、
8th Avenueのイタリア料理屋で、夕食をすませることにした。

病気の事などで色々精神的に参っている事もあり、僕は、彼女に、
彼女の兄弟と最愛の姪っ子と一緒にフロリダのディズニーワールドに遊びに行く事を奨め、
彼女もそうすることにした。 

彼女は、フロリダに住んでいる自分の姉と一番仲が良い。
彼女が小さい時に、両親が離婚をして、姉妹がそれぞれ離ればなれになった事から
お互いの絆がより強くなったようだ。 

またその姉が結婚をして、子供をもうけたが、
その子が小さいうちにまたお姉さん自身が離婚をしてしまった事から、
彼女は、姪っ子に昔の自分の姿を映しているようだ。 

お姉さんは、非常に愛らしい、良い人なのだが、残念ながら、
経済的にあまり恵まれておらず、僕の彼女は、
バイトで稼いだお金の一部を、姪っ子の養育費にしている。

今、自分の病気で苦しんでいる彼女には、生きる理由、
生きたいという強い意志が何よりも必要だと僕は、思う。 
病気と闘うという事は、良い薬や養生と言った事以上に、
自分が何としても生き抜かなければいけないという強い意思を
持ち続ける事が一番大事なのではないかと思い、その為には、
彼女の大好きなお姉さんと姪っ子と時間を過ごす事が良いと判断したからだ。

彼女と数日会えなくなるのは寂しいけれど、
今は、彼女になんとか希望を持って欲しいと思うし、
その為であれば、僕は、なんでもしたいと思っている。。。

沢山の友達を失ったり、自分の命を絶ったり、人との関係を壊したりする事は、簡単だ。
一方、友達や愛する人を元気づけ、鼓舞し、前向きに生きて行く事は、非常に難しい。 
壊すのは一時だけれども、作り、育むには、こつことと絶え間ない努力をしなければいけない。。

9月11日の事件で多くの友達を失った僕は、今、愛する人を勇気づけるという
、小さな努力を毎日こつこつと積み重ねる作業に、僕の全てをかけている。 
その途方もない作業に一喜一憂し、自分の小ささを身にしみて感じ、
あまりの力のなさに涙を流しながら、ただただ愛する人の為に、
僕は、毎日歩き続けている。。 それが、ある意味で、壊れてしまったものたちに対する、
僕なりの供養なのではないかと感じている。。。


  時間が経つのは、本当に早いよね。 本当に、戦争で人が死んで行くのを見るのは、
  哀しいよね。 人を殺すのは簡単だけど、人を育てるのは凄く大変だよね。 
  恋人と喧嘩別れをするのは簡単だけど、恋人と愛を育んで行くのって大変だよね。
  兄ちゃんは、少しでもその大変な事をこつこつ努力してやる事で、
  簡単に壊しちゃいけないって言う事を身をもって学んで行こうと思ってます。


  僕の個人的な経験や知識だけから、一般的にコメントするのは、
  いけない事だと思うけれど、小さい時から、作る事や育てる事の難しさ、
  壊す事の簡単さを身をもって体験するって大事だと思うんですよね。 
  作る事、育てる事の難しさ、辛さを知っていれば、
  壊す時に、一瞬、考えるんじゃないかな?って。



2006年09月13日  フロリダ

明日から、週末まで彼女は、
お姉さんと姪っ子を連れてフロリダのディズニーワールドに行く事になった。
最初は、彼女は面倒くさいような事を言っていたが、いざ行くとなると、
姪っ子に沢山のプレゼントを用意し、ディズニーワールドのホテルで
ディズニーのプリンセス達と一緒にランチを食べるアトラクションを予約し、
その時に姪っ子が着るシンデレラのコスチュームまで仕入れて来た。
姪っ子の為に色々と用意をしている時の彼女の笑顔をみると少し僕も安心をする。
夜、大学に彼女を迎えに行き、家に帰る途中にダイナーに立ち寄り軽く食事をし、
家に早めに帰って、二人で荷造りを始めた。
彼女が自分の洋服を選んでスーツケースにつめている間に、
僕は、姪っ子のプレゼントにラッピングをした。 

荷造りが終わると、彼女の大学の宿題を一通りおさらいし、
彼女がフロリダに言っている間に読まなければいけない資料のコピーをとり、
僕はまるで彼女の小間使いのように、色々と下働きをした。

彼女には、ほんの束の間の間でも、自分の病気の事を忘れて、
姪っ子と楽しい時間を過ごして欲しい。 そんな事を思いながら、
彼女の仕事を手伝っていると、あれをやれ、ここが違うと、彼女から色々せっつかれる。
僕も、彼女の笑顔につられていつもよりおどけた感じで、彼女とやりとりをした。
久しぶりに、二人で笑いが絶えない夜だった。。。
大騒ぎの後で、やっと準備が終わり、
彼女は、今、僕のとなりで心地良さそうに寝息をたてている。 楽しんで来てね。。。



2006年09月14日 遙

今日は、朝から、僕が取締役をしている会社の役員会があったので、
珍しく背広をきて、早く仕事場に出かけた。

彼女の飛行機は、3時に出る事になっていたので、
時間があれば空港まで送ってあげたかったのだが、役員会は、丸一日だったので、
途中でサボる訳にもいかなず、そうする事はできなかった。

3時前に、飛行機に乗る直前の彼女から電話があった。 
役員会を抜け出し、少し彼女と話をした。 彼女のフライトは、
200人乗りの飛行機だったが、ガラガラで乗客は、50人程しかいなかったようだ。 
彼女と少し話をした後、僕は、また仕事に戻った。

6時過ぎに、フロリダに到着した彼女からまた電話があった。 
彼女は、空港で、お姐さん達が車で彼女をピックアップするのを待っていた。
彼女をピックアップして、姉妹と姪っ子で、2−3時間かけて車でディズニーワールドに行くそうだ。 

彼女の元気そうな声を聞いて僕は、少しほっとした。
仕事を片付けて、僕は、家に帰った。 彼女に電話をしようかなと思ったが、
折角の、姉妹水入らずを邪魔してはいけないと思い、電話をするのは、遠慮した。

久しぶりに、家で一人で食事の準備をして、一人で食事をした。
ちょっと寂しい気持ちを持て余していた僕は、久しぶりに習字をしようと思い立ち、
床に古新聞を広げ、硯を持ち出し、墨をすり始めた。 
何を書こうか、色々迷ったが、”遙”という字を書く事に決めた。
何枚か、書き直したが、結局気に入らず、一番最初に書いたものを選び、壁に飾る事にした。

前に買ってあった、水色の額縁を、押し入れから引っ張りだし、
その中に、”遙”を入れて、僕の部屋の壁にかけてみた。 

僕は、”遙”という字が好きだ。この字は、僕が、日本を離れ、
遥か、ここまでやって来たという意味でもあるし、
僕の40余年の人生で、遥かここまで転がって来たという意味でもあるし、
僕は、あとどのくらい生きるか分からないけれども、まだこれから、
遥か彼方まで旅を続けるという意味でもある。

僕は、”遙”を壁にかけ、ウィスキーを片手にそれを少し眺め、
僕のこれまでの人生を振り返り、僕のこれからの人生に思いを馳せ、
少しセンチメンタルな気持ちになった。


  習字はねえ、子供の頃、無理やり習わされたんだ。
  僕は、左利きなんだけど、僕の時代は、左利きの子供は、
  かならず習字を習わされて右利きに直されたんだよね。 
  だから子供の頃は、習字嫌いだった。。
  日本を出て、外国で生きるようになって暫くしたら、
  僕は、日本人なのに日本人の事を知らないっていうことに気がついたの。 
  他の国の人は、皆、自分の国の文化を知っていて、自分の国を愛しているのに、
  外国にいる日本人の若い人は、英語は、うまくても
  自分のルーツの文化を大切にしてないと思ったんだ。
  それでちょっと恥ずかしくなって、ニューヨークに住みだしてから、
  またこっちの習字教室にかよって少し勉強したの。
  日本の書、料理、武道、本、絵、そういったものを
  自分の心の中で大事にしていきたいと思います。



2006年09月15日  霧雨

彼女がフロリダに行って次の朝、僕は、雨の音で目を覚ました。
窓辺から外を眺めると、暗い灰色の空と、同じ色の川が静かに横たわり、
その隙間を埋める粒の細かい霧雨が、静かなカーテンのように見え、
まるで水墨画の様な朝だった。

僕は、ベランダに出て、霧のような雨を肌で感じながら、
コーヒーを片手に、暫く朝の空気を見つめ、彼女を思った。

朝の8時半頃に彼女からショートメッセージが届いた。
丁度、姐さんと姪っ子とホテルで朝食を食べているようで、
後で電話をすると書いてあった。

僕は、携帯の画面に映る、その短い文章を何度か繰り返して読んだ。 
僕は、その短い文章を読みながら、彼女が、姉さんや姪っ子と微笑みながら
食事をしている光景を思い浮かべ、心が温かくなり知らずに微笑んでいた。

僕は、熱いシャワーを浴びて、着替えをし、霧雨の中を、車を仕事場に走らせた。
カーステレオからは、ボビー ウーマックのアメリカン ドリームという曲が流れた。 
マーティン ルーサー キングJr.の有名な、I Have a Dream というスピーチが挿入されている古い曲だ。

霧雨を拭うワイパーの音が、ラジオの曲と合わさって、
メトロノームのようにリズムを刻んでいた。 僕は、運転をしながら、
彼女にショートメッセージを返し、おはようと書いた。

仕事場について暫く仕事をしていると、朝食を食べ終わった彼女から電話があった。
 姪っ子に引っ張り回されて一日歩き通しで疲れたと言っていたが、
その声は、楽しそうだった。 幸い、フロリダの方は、ニューヨークと違って天気は良いようだった。

暫く彼女と話をした後、僕は、仕事に戻った。
今日の夜は、何人かの友達と対岸のニュージャージーのコリア タウンで、
韓国焼き肉を食べる約束をしていた。 古い友達3人と久しぶりに会い、炭火を囲んで、
色々と話をした。 僕と一番仲の良い、日本人の友達は、
丁度2度目の離婚をするところで、結婚生活がいかに大変かについて、彼から講義をされた。

月並みな言い方だが、二人の人間が生活や人生を共有して行くというのは、
大変だ。ましてや、その二人が、異なる人種であった場合は、
お互いの文化や生活習慣が違うのだから、より大変だ。 

その友達は、酒が回ったのか、途中で寝てしまった。 

僕は、彼を家まで送って行く事にして、自分の車に乗せ、彼のアパートまで車を走らせた。 
夜の1時を回っていたが、相変わらず霧雨は、降り続き、
人通りのなくなったニュージャージーの小さな街のオレンジ色の街灯が、
雨に濡れるフロントガラスに宝石のように光っていた。。

目をつぶったままの友達を起こさないように、僕は、カーステのスイッチを消した。 
微かな雨音とワイパーの刻むリズムが、静かに車の中で響いた。。

彼のアパートにつき、ベッドに寝かしつけて、僕は、自分の車に戻った。
漆黒の闇の中で、車のエンジンをかけようとすると、
僕の携帯にショート メッセージが来ている事に気がついた。

Just got back. great day but very tired. good night. love you. I'll call u in morning. 11:14 p.m.

「今から戻ります。今日はすばらしい日やったけどとっても疲れました。
おやすみ、あなたを愛してます。」

と電報のような彼女からのショート メッセージだった。

僕は、闇の中で光る携帯の画面を暫く見つめた後に、
思い出したように、車のエンジンに火を入れ、自分のアパートを目指した。


  霧雨って僕も好きなんだけど、知らない間に、結構濡れてるんだよね。
  彼女には、早く会いたいな。 日本から帰ってきてからずっと一緒だったから、
  早く会いたいです。 来週は、彼女が気にしている病院の検査の結果が出るから、
  彼女の気持ちが少しでも安らぐように一緒にいるつもり。。 
  だから、西海岸に月曜日に行かないといけないんだけど、
  無理して日帰りで行ってくるの。 日本の感覚だと、香港に日帰りするような感じ? 
  日本もヨーロッパも、仕事を全部先延ばしにしてるから、来週の検査の結果次第で
  またこっちも凄く忙しくなっちゃうんだけど、しょうがないよね。



2006年09月16日  Wait for Me

今日も朝から一日雨だった。

朝、彼女から電話があり、少し話をした。 
幸い、フロリダは、天気も良く気温も高いようで、今日は
一日、Water Parkに出かけると言っていた。 僕は、丁度強い雨の中を、
仕事でコネチカットに向かって車を運転している所だったので、
まるでこちらも、Water Parkにいるようだと笑った。

コネチカットの片田舎に、小さなジャズのレコードレーベルがある。 
有名なプロデューサーが、自分の家を改造して作った、とても小さなスタジオだが、
知る人ぞ知るスタジオで、音にうるさいミュージシャンは、
大体彼の世話になっている。 そこで僕は、彼の録音に終日立ち会った。

たまにニューヨークの喧噪を離れて、
田舎町に来るのもなかなか良いものだと思った。
時間がいつもよりもゆっくり流れるような気がした。
レコーディングの間に、僕は少し暇を持て余すと、
彼の家の裏庭に面している湖のほとりまで、傘をさして歩いて行き、雨音を聴いたり、
そこの犬と遊んだりして、子供に帰ったような気がした。
夕方、レコーディングも一段落して、僕は、マンハッタンに戻る事にした。
相変わらず、雨が降り続いている。 そのままハイウェイを走って
一直線にマンハッタンに帰っても良かったのだが、僕は、
何故か寄り道をしたい衝動に駆られ、ハイウェイを知らない街で降り、
小さい街のローカル ストリートを走った。

寂れた街のメイン ストリートに、小さなダイナーを見つけ、
僕は、そこに車を止め、軽い食事をとりコーヒーを飲んだ。 
窓際の席に腰を下ろし、コーヒーをすすりながら、雨に濡れる窓ガラス越しに、
知らない寂れた街を眺め、彼女を思った。

彼女にショートメッセージを送り、僕は、ダイナーを後にして、
車に乗り込み、タバコに火をつけ、車を南に走らせた。

カーステレオからは、ボブ シーガーの新曲が流れていた。 
灰色の空から、降り続ける雨に濡れる、寂れた街に、
ボブ シーガーのWait For Meが流れた。。。 

僕は、何気なく、いつもは彼女が座っているが、
今は、ぽっかりと空いている車の助手席に手を置いてみた。。 
そこに彼女などいる訳がないのに、僕の手は、
無意識に助手席に彼女を捜していたのかもしれない。。

ちょっと照れ隠しに、自分で笑って、吸っていたタバコを投げ捨て、アクセルを踏んだ。

家に帰って、雨に濡れた洋服を着替え、自分の部屋で仕事の続きをした。 
Water Parkから戻った彼女から電話があった。
 一日、姪っ子に振り回されて、少し疲れた声だったが、
フロリダを楽しんでいるようだった。

”貴方は、どうしているの?”と彼女が、僕に聞いた。 
僕は、少し笑いながら、”ずっと雨だし、寂しい。”と言ってみた。。 
受話器の向こう側から、彼女の微かな笑い声が聞こえた。。 僕も照れ隠しに、笑った。。

雨は、ようやく止んだようだが、地面にできた水たまりが、街灯の光を映し出し、
車が通る度に、飛沫をあげていた。。 
僕は、彼女に囁くように小さな声で、”おやすみ”と独り言をいった。。。


  月並みだけど、会えない時のこういうもどかしくて切ない気持ちっていうのが、
  彼女だけじゃなくて、周りの人とか生き物とかに対して優しい、
  柔らかい気持ちを持てるようにしてくれるのかなって思うんだ。 
  上手く説明できないけど。。。 僕は、今まで、人に対して冷酷だったり、
  人が僕に対して恐怖や畏怖を感じるのを逆手に撮ったりとか、
  わりと強引に生きて来たんだけれども、もっと、優しさと柔らかさをもって人と
  接しないといけないと思うようになってきたの。 彼女のおかげなんだけどね。



2006年09月17日  男同士

今日は、久しぶりによい天気になった。
この2日程天気が悪かったので、その鬱憤を晴らすかのように、
僕は、友達とサッカーの練習をしに行き、2時間ほど汗を流した。

その後に、友達といつもどおりブランチに行き、ミモザを引っ掛け、家に帰った。
夕方になって、数日前に焼肉を食べに行った、友達の家に遊びに行った。
2度目の離婚の手続き中で、近々、引越しをする彼の家に行って、
荷造りを少し手伝った。。。 

荷造りを手伝えば、晩飯を奢ってくれるという約束だったので、
彼を手伝う事にしたのだが、別に、晩飯を奢って欲しかったわけではなく、
ただ、こういうときに、友達を助けるのが照れくさかったので、
照れ隠しに適当な理由をつけただけのことだった。。。 
だけれども、別に二人とも夜の予定があるわけではなかったので、
男二人で、食事にでかけることにした。

男二人で、車に乗り込み、ニューヨーク湾の近くのレストランに出かけ、
男二人で、芝生の上に置かれたテーブルに陣取り、
夕日に染まる自由の女神に乾杯をしながら二人で、食事をした。 
たまには、男同士も良いものだと思った。。二人は、言葉少なに、
ワインを注ぎあい、ニューヨーク湾に夜の帳がおりるまで、そこに座っていた。。
こういう時に、男同士には、言葉は要らない。。



2006年09月18日  彼女が帰って

今日も、朝から素晴らしい天気になった。
午前中は、いつものとおり、パーソナルトレーナと2時間ジムで汗を流した。
ジムでトレーニングを始めた時に、フロリダで、
丁度ホテルをチェックアウトした彼女から電話があった。少し彼女と話をして、
彼女を空港まで迎えに行く事を約束し、僕は、またトレーニングに戻った。

トレーニングを終え、シャワーを浴びて、身づくろいをしてから、
彼女を迎えにラガーディア空港まで、車を飛ばした。

日曜日ではあったが、道が空いていたので、空港までは、
20分ほどで着いてしまった。 ラガーディア空港は、ケネディ空港や、
ニューアーク空港に比べると遥かに古くて、小さい飛行場だが、
マンハッタンに一番近い事もあり、僕は、結構利用をする。
空港の駐車場に車を止め、彼女のフライトを飛行場の発着モニターで確認し、
僕は、ゲートの近くの長いすに腰をかけ、彼女の帰りを待った。

3時着のフライトだったが、ちょっと時間の計算を間違えてしまい
(と言うか、本当は、彼女に会うのが待ちきれなくて早く家を出たのだが)、
2時15分位には、空港に着いてしまったので、ベンチに座り、少しうとうととしてしまった。

知らない間にベンチに座ったまま、眠ってしまったようで、
周りが騒がしくなって目が覚めた。。 丁度、飛行機が到着したところで、
沢山の乗客が、僕の前を通り過ぎる音で、目が覚めたようだ。。。 
モニターで彼女のフライトを確認すると、彼女のフライトも予定よりはやくついたようで、
ゲートに近づくと暫くして、向こうから、赤いジャケットを着た、
見覚えのあるブロンドがこちらに向かって歩いてきた。。

わずか、4日間あっていなかっただけだけれども、
微笑を浮かべながらこちらに歩いてくる彼女を見ていると、とても嬉しい気持ちになり、
彼女がゲートから出てくると、彼女をしっかりと抱きしめて、何度かキスをした。 
彼女の荷物を持ち、僕らは車に戻り、マンハッタンを目指した。
彼女の家に戻り、家の近くのなじみのイタリア料理屋で早めの夕食を取った。
そして、今は、二人で部屋でくつろいでいる。彼女が取ったフロリダの写真を見て、
彼女の話を聞きながら、僕らは重なるように、ソファの上に寝転がって、
話をしながらテレビを見ているところだ。。

僕は、テレビに飽きて、こうやってパソコンで遊んでいるし、
彼女もじきに学校の宿題を始める。。。 別にどうってことない二人の休日だが、
こうやって当たり前のことをして、二人で時間をすごすことが、
僕にとっては、なによりも幸せだ。

僕は、明日カリフォルニアで大事な仕事があるので、
朝の5時45分に家を出て、朝一番の飛行機でサンフランシスコに飛ぶ。

そうすると、明日の西海岸時間の10時頃にサンフランシスコに着くので、
そこから一日サンフランシスコで仕事をして、同日夜10時の飛行機に乗って、
ニューヨークに朝の6時に帰ってくる。 

別名レッドアイという夜行便だ。 これに乗ると、飛行機の中でよく寝られないので、
乗客の目が、寝不足で赤くなるため、レッドアイという名前がつけられたそうだ。

僕は、昔はよくこのレッドアイを利用したが、歳を取ってきた今は、
なるべくレッドアイに乗らないですむように心がけているが、
今週は、彼女の病気の検査の結果が出るので、
できるだけ彼女の近くにいてあげたいと思い、ちょっと無理をしてでも
レッドアイでニューヨークに帰ってくる事にした。

明日は、僕にとっては、大事なミーティングなので、ちょっと緊張していたが、
彼女が帰ってきてくれて一緒にいるだけで、かなり緊張がとれ、
気分が楽になっているのが自分でもよくわかる。

彼女が僕を必要としている何倍も、僕は、彼女を必要としているのだろう。。。
偉そうな事を言っても、僕は、まだ子供だなと思い、ちょっと恥ずかしくなった。。。 

そんなことは、全く知らない、僕の彼女は、僕の胸の上に顔を乗せ、
テレビを見ている。。 たまに、顔を上げて僕のほうに視線を向け、
愛らしい笑みを浮かべてくれる。。。 



2006年09月19日   西海岸日帰り

朝、4時半に起きて、5時半に車が迎えに来て、ケネディ空港に行き、
朝一番の飛行機でサンフランシスコに飛んできた。 
サンフランシスコに10時半に到着し、そこで、僕を待っていた車に乗り込み、
サンフランシスコで一日働いて、今、サンフランシスコ空港に戻ってきた。

ユナイテッド航空のラウンジのワイアレスを使ってこれを書いている。

今は、夜の8時半だが、東海岸とは3時間の時差があるので、
感覚的には、夜の11時半の気がする。飛行機の出発時間は、
西海岸時間の夜の10時半なので、東海岸時間では、夜中の1時半になり、
僕は、朝の4時半からおきているので、ほぼ21時間ぶっ通しで活動している事になる。

僕は、体内時計が壊れているので、時差は感じないほうなのだが、
流石に西海岸日帰りは、疲れる。
今朝、飛行機がサンフランシスコについた段階で、
彼女に電話をして少し話をした。 
こちらのMeeting中にも彼女から電話があり、僕が電話を取れなかったので、
彼女はメッセージを残しておいてくれた。

Meetingが終わり、空港に戻る車の中で、もう一度彼女に電話をして、
少し話をした。彼女は家に帰ったところで、丁度明日の学校の授業のために、
沢山の資料と格闘しているところだった。
お互いの一日について、話をして、
明日彼女の学校に迎えに行く約束をして電話を切った。
体はぼろぼろになるけれど、彼女との時間を作るためには、しょうがないし、
彼女と一緒にいられる事を考えれば、こんな苦労は、なんでもないことだ。。。 




2006年09月20日  二人で暮らすということ

ほぼ貫徹に近い形で、今朝6時半にケネディ空港についた。

朝の通勤ラッシュと、国連のGeneral Assemblyが開かれている事、
更に、ブッシュ大統領がニューヨークにいることも重なり、
マンハッタンに入る道は、どれも異常に込み合っており、
普通だったら45分でいけるところが、1時間半も時間がかかってしまった。

やっとの思いで、マンハッタンにたどりつき、家に帰って、
暑いシャワーを浴び、髯をそって、ヘロヘロの体に鞭をうち、仕事場に向かった。

彼女は、仕事があり早く家を出ていたので、連絡を取っていなかったのだが、
昼前に彼女から電話があり、少し話をした。 
できれば昼休みに彼女の顔を見たかったのだが、
時間の調整がつかなかったので、それは我慢をして、
彼女の学校が終わってから、会うことにした。

彼女との電話を切り、仕事に戻り、カリフォルニアの仕事を整理したり、
忙しい一日を過ごした。

夜の8時過ぎに彼女の学校に、彼女を迎えに出かけた。
大学の正門の前に車を横付けにして、彼女が出てくるのを待った。 
暫くして、授業が終わり、たくさんの学生が正門から吐き出されてきた。
多くの学生がいたが、僕は、すぐ彼女を見つける事ができた。
僕が彼女が好きだからというのもあるのだけれど、やっぱり彼女は、
他の学生に比べて年齢が高いので、ちょっと見た感じでは、
生徒と一緒に先生が歩いているようにも見える。
(彼女に、そんな事は決していえないけれど。。。)

彼女を車に乗せ、彼女の家に戻り、荷物を降ろして近くのレストランに食事に出かけた。
もう暫くすると、気温が下がってくるので、ちょっと涼しくはなったが、
とおりに面して出されたテーブルに席を取り、外気を楽しみながら食事をすることにした。

まだ火曜日だが、二人で白ワインのボトルを一本頼み、
バケツにワインボトルをつっこんで、とおりを行き交う人達を眺めながら、
彼女の一日や、僕のカリフォルニアでの仕事の結果など、
お互いの出来事について話をした。

別に他愛のない話だったりもするわけだが、
やはりお互いの事を話し合うという事の大事さがようやくわかるようになってきた。
お互いの生活を理解しあう事で、僕は、
自分の人生を彼女の分も2倍味あう事ができるようになる。 
彼女も自分が、病気になったから、余計に自分の毎日について
僕に知ってほしいと思うようになったようだ。

ただまだ火曜日なので、遅くまで食事をしているわけにもいけないので、
適当に食事は切り上げて、二人で、
手を繋ぎながら散歩がてらちょっとだけ遠回りをして家に帰った。

明日もまた忙しい一日が待っている。。



2006年09月21日  闘うこと  背任行為の社長の続き

今朝も朝から良い天気だったが、僕の気持ちは、ちょっとブルーだ。
前に日記で書いたが、僕達が作った会社の社長をしていた十何年来の友達が、
背任行為を行い、僕達は、彼を解雇した。 

その彼が不当解雇を理由に、僕達を訴えて、僕も被告として訴状を受け取った。
送達された訴状に目を通した。。 僕は、仕事柄、人に訴えられる事は、
決して少なくないので、訴状を見たぐらいでは何とも思わないが、
原告に、その友達の名前を見た時には、なんとも言えず、寂しい気持ちになった。

人は、ここまで変わってしまうのだろうか? 
金ってそんなに人の気持ちをかえてしまうのだろうか? 
最初に会社を作った時には、もっと夢があって、
夢の実現のために頑張ってきたのじゃなかったのか?

会社を作ったのは、十年以上前の事だった。色々な人を口説き落として、
結局、一人数千万円ずつ金を出しあって、8人で会社を作った。
資本金2億円ちょっとの小さな会社だった。。

十年間、遮二無二働いて、会社は波に乗り、年商数百億円の会社に成長した。
彼は、会社の株式公開をして上場をしたがった。
僕らは、会社の使命や目的をはっきりさせておきたかったので、
上場をして、株価を上げる為に、会社の取るべき道を誤りたくなかったので、
上場には、反対した。 今から思えば、あの頃から、歯車が狂いだしたのかもしれない。。

大変だったけれども、楽しかった時の思い出が、走馬灯のように浮かんでは消えた。。
明日どうなるか、全くわからないような中で、兎に角、
自分達の夢を叶えようと頑張ったあの頃。。 会社設立のための賛同者を集めるために、
色々なところを回り、ホテル代を節約するために、場末のモーテルに泊まった事。
レンタカーを借りて、街から街へ出かけたこと。。

あの時には、こんな日が来るとは、夢にも思わなかった。
僕達は、一生を通じての友達であり盟友だろうと思っていた。。

今、僕の手には、彼が原告の訴状が握られている。。

僕だって、このまま引き下がるわけにはいかない。
売られた喧嘩は、必ず買うし、彼を叩き潰すために、全身全霊を込めて戦う。。。
僕は、彼と一緒に叶えようとした夢をまだ追っているから。。 
あの時に語り合った夢を、僕一人になっても実現しなければいけないから。。

今日は出だしから、このお陰で気分が悪く、
色々厄介な問題が満載の一日だったけれど、
彼女がバイト先に行く途中に僕の仕事場に立ち寄ってくれたので、
僕は、ほんの少し仕事場を抜け出し、6th AvenueのJamba Juiceという
スムージーを売っている店まで彼女と出かけた。

昼食代わりにフルーツジュースを飲み、ほんの15分くらいだったけれども、
彼女とジュースを飲みながら街を歩いた。

彼女は、今日血液検査の結果が出たのだが、再検査になってしまい、
また木曜日に病院にいくことになった。でも、彼女は、
前のように弱気になったりはしない。本当は、きっと不安でたまらないのだろうけれども、
彼女は、彼女なりに僕に心配をかけまいとして頑張っているのだろう。
僕と手を繋ぎながら、もう片方の手でジュースを大事そうに抱えている彼女を見て、
信号待ちのチャンスに彼女を抱き寄せてキスをした。

彼女と別れて仕事場に戻り、また気の重くなるような仕事を続けた。。
僕は、今も仕事場にいる。。 僕の前には、
何人もの弁護士が口から泡を飛ばしながら議論をしている。

今夜は、彼女と僕は別行動だ。僕は、今夜は簡単には仕事を抜けられそうもないし
彼女は、オフオフ ブロードウェイで女優をしている友達のショーを見に出かけた。
劇場に出かける前に、彼女から電話があった。
”アタシの事は、心配しないで良いから仕事をしてきてね。”と彼女は、言った。。

彼女の健気な言葉に、ちょっと心が温かくなった。。
電話を切り、また議論に戻った。 僕は、自分の手で自分の友達と戦い、
自分を守るために、彼を社会的に抹殺しなければならない。。。 
でも、僕が仕掛けたわけではない。。 そんな事を、何度も何度も、考え続けた。。

ただいくら考え続けても、悔やんだり、嘆いたりしたところで、
時計の針を戻せるわけではない。。 僕は、夢を守らなければならないし、
売られた喧嘩に負けるわけにはいかない。。

悲しい覚悟が、僕の心の中でだんだんと固まっていくのを感じながら、
僕は今日の日記をかいている。


  やっぱり、お金が人を変えるのかなあ? 
  最初の頃は、みんな夢に燃えてたのにね。。 
  逆にお金が欲しいんだったら、お金が欲しいって言ってくれたら、
  どうにでもしてあげたのに、なんで、人を騙すようなことをするんだろうと
  思うと悲しくなるよ。そんなに水臭い仲じゃないと思ってたんだけどね。。


  辛いですね。 僕の仕事場の壁には、十年位前に、
  僕と、その彼と、もう一人の友達で、フィリピンのマニラに仕事に行ったときに、
  バーで取った写真がまだ飾ってあるんですよ。 
  今更、外すのも厭だし、まだそのままにしてあります。
  僕と、彼が肩を組んで笑っているその写真を見ると、どうにも切なくなります。


  お金はあるほうが良いし、僕もお金は欲しいけれど、
  お金を儲ける事が一番になっちゃいけないと思うんです。お金じゃなくて、
  自分には夢があって、その夢には、ちゃんと世の中に貢献できる目的があって、
  その結果、ご褒美としてお金が貰えるのであって、お金は、
  あくまでも結果の一部で、一番の目的じゃないと思います。
  でも、見えなくなっちゃう人っているんですよね。 悲しいけど。



2006年09月22日   No Problem

昨日は、遅くまで打ち合わせがあったので、彼女を起こしては可哀想だと思い、
自分の家に帰って寝ようと思っていた。

仕事を切り上げる頃に、彼女から携帯にショートメッセージが入っていた。
”ちょっとだけでも良いから、仕事が終わったら家によって。”と書いてあった。
遅かったのだが、仕事場を出て駐車場に向かいながら、彼女に電話をしてみた。
彼女は、まだ起きていたので、彼女の家に立ち寄る事にした。

駐車場に行くと、よく知っている黒人の大男の管理人が、
小さいパイプ椅子から滑り落ちそうな格好で、テレビをつけっぱなしたまま眠っていた。 
僕の足音を聞いて、彼は、冬眠から起きた熊のように目をこすって伸びをして、
僕に向かって微笑んだ。

”今日は、遅いじゃないか。こっちは、全く一日いいとこなしだ。
あんたの一日も疲れたって顔してるぜ。”と僕に鍵を渡しながら、彼は言った。

僕は、彼に、”これから彼女を暖めに行くから、そうしたら元気になるよ。”と答えて
鍵を受け取り、彼に目配せをした。。。 

でも、人に疲れてるって思われるようでは、
僕もプロではないなとちょっと反省して、精一杯の目配せをしたのだが、
彼は、にっこり笑ったまま、僕の肩を2度ほど叩いて、
”また明日。”とだけ言った。どうやら僕の精一杯の取り繕いも、
僕の疲れた気持ちを隠す事はできなかったようだ。

車のエンジンをかけると、カーステレオからは、
チェット ベーカーのNo Problemが流れ出した。 これは、前にも書いたが、
”危険な関係”と言うフランス映画の主題曲で、原本は、
フランスでも発禁になった禁断の小説だ。 

氷のように冷たい青白い炎のような、チェット ベーカーのトランペットの音色が、
人気のいなくなったパーク アヴェニュに吸い込まれていった。
人気のないストリートを滑るように僕は、彼女のアパートに車を走らせた。

彼女のアパートにつくと、彼女は青いバスローブを着てベッドの上に横になり、
本を読んでいるところだった。僕が、ドアを開けて入ってくると、
読んでいた本を脇に置き、美しい笑顔を見せて、ドアのところまでやってきて、
僕を抱きしめ、キスをしてくれた。

僕は、彼女を抱き上げ、病気のせいで随分軽くなってしまったなと内心悲しくなりながら、
そんな気持ちは彼女に見せずに、彼女を抱きかかえてベッドまで歩いていった。

そのまま靴を脱いで、彼女と一緒にベッドに横たわり、
彼女を抱いたまま、お互いの一日について色々話をした。
彼女の友達が出演しているオフ オフ ブロードウェイの演劇は、
まずまずだったようだ。 その後に楽屋に彼女を訪ね、
少し、近くのバーで彼女と少し話をして帰ってきたそうだ。それから、
フロリダのお姐さんの家が突然の停電に見舞われてしまった話とか、
その他の家族の話、自分の行っている病院では結局問題が解決されず、
別の病院に移って精密検査を受ける事になった話とかを、
彼女は僕の腕の中に抱かれながら色々話してくれた。

僕の方からも、今日の一日について話をしたが、例の友達から訴えられた話は、
彼女にはしなかった。。。 僕自身がまだ消化しきれていない問題を彼女に話して、
彼女を心配させたくなかったからだ。。。僕は、その日に起こった取りとめのない話や、
可笑しかった話なんかを彼女に話して聞かせた。

暫く話をして、話も途切れた頃に、彼女は、僕の上に覆いかぶさってきて、
彼女の下になった僕の目を見つめて”いつも私に優しくしてくれて有難う。
今夜は、私が、貴方を癒してあげる番だから。”と言って微笑んだ。。

駐車場の管理人にも見破られたが、彼女にもお見通しだったようだ。。。
不惑の歳になりながら、迷いや疲れが顔に出るようでは、
僕もまだ修行がたりないなと思ったが、一方で、彼女の気遣いが、何よりも嬉しかった。。

僕の上で、僕を覗き込んで微笑んでいる彼女のブロンドの髪を両手で掻きあげて、
微笑みながら、彼女にゆっくりとキスをした。
少し開けられた窓から、秋の夜の風が入り込み、赤いビロードのカーテンを揺らした。



2006年09月23日  スローな金曜日

明日は、ユダヤの休日なので、
金曜日も午後になると家族の元に帰る人が多く、いつもよりも静かな金曜日になった。

僕の彼女もユダヤ人なので、明日は、家族と一緒に過ごす事になり、
僕達は、別々の休日を過ごす事になる。

僕は、来週からまた殺人的なスケジュールで、
アメリカ大陸を行ったりきたりする事になる。 
27日の水曜日は、NYの(正確にはNJの)ジャイアンツ スタジアムで
久しぶりにStonesを見る事になっている。これは、彼女の癌がわかってから、
何か彼女を元気付ける為に二人の間でイベントが欲しいと思い、
やっとの思いで、フロント ロー(最前列)のチケットを手に入れたものだ。
彼女は、ストーンズを観にいく事は知っているが、
フロント ローの席だとはまだ知らない。。

25日の月曜には、終日ニューヨークで、
メジャーのレコードレーベルの社長をしていた昔なじみの友達と会うことになっている。 

26日の火曜日には、某ハリウッドの映画会社の社長と3時間ほど会うために、
朝一番の飛行機に乗って、6時間かけてLAに行き、
その日のうちにニューヨークに帰ってくる。

27日の水曜日は、朝からニューヨークで大事な仕事があり、それが終わり次第、スーツを脱ぎ捨て、Tシャツに着替え、彼女をピックアップし、Stonesのコンサートに行く。

28日の木曜日は、終日NYで仕事があり、29日の金曜日は、
また朝一番の飛行機でサンフランシスコまで飛び、
サンフランシスコで一日仕事をし、先日同様、レッドアイと呼ばれている
夜行便で土曜の朝6時に、NYに帰ってくるという一週間だ。

そんな事もあって、今日は、スローな金曜日にしようと決め、
仕事場には、午後から行く事にして、午前中は、彼女と一緒に時間を過ごした。
平日の朝に、彼女とゆっくりしていると、いかにも仕事をサボっているという感じがして、
子供の頃の悪ガキに戻ったようで、なぜか楽しい。。。

10時過ぎに彼女のアパートを出て、ホームデポに二人で出かけた。
ホームデポは、日曜大工の為のさまざまな素材や道具を売っている店だ。

彼女のアパートのクローゼットの棚が落ちてしまったので、新しい棚と、
それを支えるロッド、コンクリートの壁に穴を開けるための電動ドリルにつける
チップ、アンカーと呼ばれる釘などを一式買った。 

こっちでは、大体の事は、自分で治すのが一般的だ。
アメリカに来たての頃は、トイレの水洗システムを交換したり、
水周りの配管や漏れを修理したり、色々自分でやらないといけないので、
かなり面食らったが、十何年もすんでいるお陰で、
今は、もう大体のことは一人で出来るようになった。。

棚を治すのは、日曜日の僕の仕事になりそうだ。彼女は、
そのご褒美に、ご馳走を作ってくれるというので、まあ、しょうがない。。。

買い物が終わり、大きな荷物を抱えて僕らは、近くのレストランに入り、
早目の昼食を食べる事にした。 フレンチオニオン スープと、
チキンサンドイッチを注文し、外に出されたテーブルで、
二人手を繋ぎながら、サンドイッチをほおばった。 

秋の空は、青く澄んでとても美しい。
このまま彼女と散歩にでも出かけたくなる衝動を抑え、
僕らは、話をしたり、外気を楽しんだりしながら食事をした。

食事の間、彼女は、学校で学んだ事を色々僕に教えてくれる。
彼女は、国際関係論をとっているが、昨日の授業で、
初めてアメリカで市民権を取得される場合、エイズ患者だと特別の場合を除き、
自動的に市民権の取得が拒否される事をしったようだった。 

僕は、外人なので、市民権や永住権で、
いかに外人が差別されているかは身をもってよく知っているし、
僕自身も、永住権の取得にあたっては、エイズ検査を受け、
兵隊への召集令状も一応貰った。(召集令状は、形だけで、
実際は、僕の年齢が高いので、自動的にWaiveされたが、
若い人は、今でも兵役の義務がある。)

彼女に、僕もエイズの検査受けさせられたよと言うと、
彼女は、びっくりした顔をして僕を見つめた。

もっと彼女を驚かせたのは、ほんの15年前まで、
アメリカの市民権を得ようとする外人が、同性愛者であることがわかると、
精神障害の一部と判断されて、市民権の請求が拒否されていた事だった。

彼女は、目に見える形で人の為にサービスをしたいと思って、
大学に戻り、勉強を始めたのだが、実際は、この国では、
今でも沢山の障壁を作っているという現実を知って、ショックだったようだ。

食事を終えて、僕は、仕事場に戻る事にした。
彼女も1時からバイトがあるので、僕の駐車場まで一緒に行き、
僕は、仕事場へ、彼女はバイト先へそれぞれ向かった。

今日の夜は、久しぶりに二人で夜遊びをしようと思う。

チェルシーに今年オープンしたBuddha Barと言う
新しいバー レストランができ、オープン以来、
新し物好きのニューヨーカーの間で人気の店だ。急に予約を取ったので、
夜の10時過ぎでないと予約が取れなかったので、仕事の後で、
一度彼女のアパートに戻り、二人でめかし込んで、遊びに行く。

彼女の病気の方は、いまひとつはっきりとせず、
彼女は、別のお医者さんの予約を取り、また細胞検査を行う事になった。

色々あるけれど、彼女の方もできるだけ、元気に、
前向きに頑張っているし、こころなしか、前より少し、笑うことが多くなったような気がする。。 

きっと、心の中では、不安と戦っているのだろうなと思いながら、
僕は、彼女の肩を抱えて、一緒に駐車場から五番街まで歩き、
五番街の交差点で、彼女にキスをして、それぞれの仕事場に戻っていった。 

暫く、交差点で遠ざかっていく彼女の後姿をぼんやりと見ていたら、
僕の視線に気が着いたのか、彼女が突然振り返り、大きく手を振って、微笑んだ。。。



2006年09月24日   Heaven Forbid

昨日は、日記に書いたように、午前中、仕事をさぼって彼女と一緒にいたりして、
真面目に働いていなかったので、午後は、気持ちを入れ替えて真面目に働いた。

仕事をしていると、たまにバイト先の彼女から電話がかかってきたり、
New York Timesの不動産セクションから気に入ったアパートの
情報をメールで送ってきたりしたが、それ以外は、仕事の集中していた。。と思う。。。

夜、7時半に彼女のバイト先に、車で迎えに行った。
彼女をピックアップして、家に帰る前に、まず、スーパーマーケットによって食材を買った。
明日の、ユダヤの祝日では、彼女の親族が30人近く集まるようで、
各自、割当を決められ料理を用意する事になっていた。
彼女の割当は、ブラウニーとパウンドケーキで、その材料を二人でスーパーへ買いに行った。

買い物を終え、彼女の家に帰り、食材と、午前中にHome Depoで買った
日曜大工の道具を、家に持ち込んだ。 食材を買うのにちょっと手間取ったので、
そんなに家でゆっくりしている訳にもいかず、僕らは、
彼女が買って来たThe Frayの新譜をステレオでかけながら支度を始めた。

僕の方の支度は、簡単だが、彼女の方は、色々着替えをして、
迷いに迷って、やっと着ていく洋服を決めた。 
僕は、ベッドに寝そべって、即席のファッションショーの審査員になり、
彼女の着替えとストリップを何度も拝見させられた。(笑)

彼女は、黒のレザースカートに黒のフレアのついたブーツにするか、
茶色のミニスカートに茶色の長いブーツにするか、最後まで迷っていたが、
結局、茶色のスカートにブーツを着ていく事に決めた。 
どちらにしても僕には、彼女が眩しいくらいに美しく見えた。
クラプトンの唄で、Wonderful Tonightという名曲があるが、あの曲のように、
彼女は、化粧をして僕に、Do I look all right?と聞いたので、
僕は、クラプトンの歌詞のとおりに、You look wonderful tonight.と答えた。 
彼女は、僕がクラプトンの歌詞をパクったのに気がついたようで、笑い出した。

ようやく彼女の着替えも終わり、僕らは、アパートを出て、
ミート パッキング ディストリクトに車を走らせた。
Sex and the Cityの影響もあり、ミート パッキング ディストリクトは、
今まで以上に人が増え、多くのレストラン、バーや、クラブができた。

僕らは、その中でも人気のBuddha Barに出かけた。
Little Westという小さいストリートには、
倉庫を改造した沢山のバーやクラブがあるが、Buddha Barもその中にある。 

僕は、黒のスーツの下に、光沢のある黒のシャツをゆるい感じで着込み、
彼女は、セクシーな感じの白いタンクトップに薄いすけたセーターをあわせ、
茶色のミニスカートに、膝丈の茶色のブーツという格好で、
Buddha Barの中に入って行った。 彼女は、人ごみの中でも目立つので、
彼女と通りすがる人々は、一応に彼女を見た。。 

予約をしていったが、テーブルがまだ用意されていなかったので、
Barで酒を飲みながらテーブルが準備されるのを15分程、待った。
たまたま、映画俳優のビル マーレーが、来ていたので、
少し話をしたりして時間をつぶし、ようやく、僕らは、自分たちのテーブルに案内をされた。
 テーブルが大きかったので、二人向かい合って座っても彼女が遠く感じたので、
彼女の隣に座らせてもらい、二人で食事とワインを楽しんだ。 
こういう時に、左利きだと、彼女と手がぶつからないので、楽だ。 
彼女の左側にいる限り、箸がぶつかる事はない。。。

ゆっくりと食事を酒と雰囲気を楽しみ、
夜中の1時過ぎに僕らは、レストランを後にし、車を飛ばして、彼女のアパートまで戻った。
今日は、泊まっていってと彼女に言われ、僕は、彼女のアパートに泊まる事にした。
2時前にアパートに帰り、床に二人とも洋服を脱ぎ捨てて、
朝の7時に目覚ましをかけ、二人ともそのまま重なるように寝てしまった。

今朝は、7時に彼女の目覚ましで二人とも起こされた。早く起きたのは、
ブラウニーとパウンドケーキを作る為だったので、彼女は、
僕にまだ寝ているように言ったが、一人で準備をさせるのも可哀相だったので、
僕ものそのそと起きだして、二人で、ブラウニーとパウンドケーキを分担して作る事にした。

彼女のアパートのキッチンは、狭いので、二人でキッチンに入ると
キッチンは一杯になって身動きが取れなくなってしまう。 
彼女がブラウニーを作っている間、僕は、パウンドケーキを作った。
砂糖3カップに、バターを2本、卵を6個入れて、小麦粉を入れ、
サワークリームを0.5パウント、ベークゾソーダを1/4カップ、
レモン フレーバーを1カップいれて、かき混ぜるだけの簡単なものだけれども、
彼女は、僕がお菓子も作れるとは知らなかったようで、少しびっくりした顔をして、
”アナタが、そんなに便利な男だとは知らなかった。”と言って笑った。

ケーキをオーブンにいれ、僕らは、まだシャワーも浴びていなかったけれども、
適当に服を着て、近くのダイナーに朝食を食べに行った。 
朝食を終え、アパートに帰り、シャワーを二人で浴びて着替えをする頃に、
ちょうどオーブンのケーキが焼き上がった。

ステレオからは、Bob DylanのModern Timesが流れていた。 
二人でステップを踏みながら、ケーキを取り出し、一緒にダンスをしたり、
真面目に働いたり、荷造りをしたり、典型的な休日の午前中の時間が、ゆっくりと流れていた。

ユダヤの休日の催しは、彼女の継母の家で行われる事になっていたので、
昼前に、彼女を継母の家にまで送って行き、僕は、そのまま自分の家に帰った。

明日は、彼女のアパートの棚を治さないといけない。。。 
日曜大工の本領発揮をしなければいけない。。。



2006年09月25日   日曜大工

昨日は、ユダヤの祝日で、彼女の親族が30人程集まった関係もあり、
自分の家に帰って土曜日を過ごした。

一夜明け、今日の朝9時頃に彼女から電話があった。 
僕は、日曜だったが、早く目が覚めたので、早めにジムに行き、
汗を流したり、2週間ぶりに銀行関係のチェックを整理し、
必要な支払いをしたり、細々した事に時間を取られていた。

昨日の話では、彼女は妹とその彼氏とブランチをすると言っていたので、
彼女と会うのは、午後3時過ぎくらいかなと勝手に思っていたが、
彼女の話だと、結局、妹達とのブランチは、キャンセルされたようだった。

僕は、彼女のアパートの押し入れの棚を作る約束をしていたので、
彼女も早く棚の整理がしたいだろうと思い、僕自身の予定を変更して、
早めに彼女のアパートに行く事にした。

シャワーを浴びて、車に飛び乗り、彼女のアパートに向かった。 
天気が良いと思ったので、今日は、コンバーチブルの車で出かけたのだが、
途中でどうも雲行きがおかしくなってきた。。

彼女のアパートに着いたのは、丁度12時くらいだった。 
僕が、アパートに入ると、彼女は、
自分の服をベッドの上一杯に広げて洋服を区分けしている所だった。

実は、2週間前に、彼女のアパートの押し入れにある衣装をかけるロッド(木の棒)が、
衣装の重みに耐えかねて折れてしまったのだが、それを機会に、
彼女は着られなくなった洋服を処分する事にした。 

彼女は、病気のせいもあり、この1年でかなり痩せてしまい、
殆どの洋服が大きすぎて着られてなくなってしまったのだが、
それらを集めて、教会に寄付をする事にした。

寄付をする洋服を選び出し、袋につめて、二人でダウンタウンの教会まで出かけた。
途中で小雨が降って来たので、信号待ちの間に車の幌を上げ
雨のせいか、交通量の少ない7th Avenueをダウンタウンに向かって車を走らせた。

教会で服を寄付して、二人はそのまま、ウエストビレッジの小さなバーに行き、
昼過ぎだったけれども、ビールとナッチョスで、昼代わりにした。
雲行きが怪しかったが、外に出されたテーブルに腰を下ろし、
昼間から二人でまったりとビールを片手に時間を過ごした。

本当は、二人とも、このままのんびりしたかったが、
色々やらねば行けない事があるので、ビールを飲み干し、
車で彼女のアパートまで戻った。

アパートに戻り、僕は、押し入れに入り、コンクリート用のドリルで壁に穴を開け、
中にアンカーを入れて、棚を取り付けた。 押し入れの中は暑いので、
僕は、上半身裸になり、大汗をかきながらも二段の棚を取り付け、新しいロッドを取り付けた。

僕が、日曜大工をしている間、彼女は、約束の料理を準備していた。

ステレオからは、エルビス コステロがかかっている。
僕らは、いつの間にか、ビールから白ワインへと飲み物を変え、
ワイン片手に、たまにお互いの仕事を冷やかし半分に監視しながら、仕事を続けた。

2時間程で棚とロッドの取り付けが終わり、ベッドの上に並べられた洋服を
ロッドに吊るし、靴を整理した。掃除が終わり、彼女と二人で、
料理に足りない素材を近くのスーパーまで買いに行った。 
外に出た時には、雨も上がり、気持ちのよい秋の風が吹いていた。 
僕と彼女は、どちらからともなく手をつなぎ、秋の風を楽しみながら、歩いた。

彼女は、歩きながら、僕の方を向いて、”本当に、何から何までどうもありがとう。”と言って、
微笑んだ。 そして、”何でそこまで優しくするの?”と聞いた。 
僕は、”君が好きだから。”と言って、笑った。。。 彼女も、笑った。。。 

僕には、理由なんかない。 彼女が好きだから、
彼女に幸せでいて欲しいから、彼女の哀しみや辛さを少しでも分かってあげたいから、
彼女といると心が安らぐから、ただそれだけだ。。 
彼女が微笑めば、僕も心が優しくなるし、彼女の涙を見れば、僕も心が沈む。。 
こうやって、自然を感じながら、二人で手をつないで歩く事に、なりよりも幸せを感じる。 
僕には、小さな幸せが、何よりも嬉しい。。

スーパーで買い物を終え、買い物袋を下げて、また二人で手をつなぎながら、
アパートまで歩いて帰った。 秋の風は、相変わらず、優しく僕らに吹いていた。
僕は、歩きながら、最近買ったばかりの
Bob DylanのModern TimesのWhen The Deal Goes Downを口ずさんだ。



2006年09月26日   朝日  ここからトシさんの自殺願望が芽生えていく。

昨日は、何故かあまりよく眠れなかった。
僕のアパートは、川に面しているので、カーテンを開けたまま寝ていると、
朝日が川面を反射する光で目を覚ます事が多い。 
今朝もあまり眠れず、うとうとしている時に、目をさす川面の光で目を覚ました。

今日は、数日ぶりに、美しい日になった。風はちょっと強かったけど、
秋の澄んだ空が、なんとも美しかった。

僕は、ベッドから抜け出し、ベランダに出て、川面の写真を撮った。
それが、今日の写真。一人で、ベランダで、秋の涼しい風を感じ、
川面の光に目を細め、日の光に自然に手を合わせた。
生き馬の目を抜くような毎日の中で、ほんの一瞬だけ、全てを忘れる事ができる時間だ。。

ジムに行き、1時間程汗を流し、熱いシャワーを浴びて、身繕いをし、
車の幌を降ろし、車に飛び乗り、仕事場を目指した。

今日は、昔有名なレコード会社の社長をしていた古い知り合いと
昼飯を食べる事になっていた。彼は、もともとラジオが全盛の時に、
西海岸でDJをしており、ビリー ジョエルの”素顔のままで”を
ラジオでひっきりなしに流して、ビリーのメジャーでの成功に一役買った人物だ。
その後も、ジェームズ テーラー、ELO、ピンクフロイド、
バーブラ ストライサンド等のメジャー アーティストを手がけて一時代を築いた人だった。

僕は、アメリカに来て、レコード業界のしきたりを全て彼から学んだと言っても良い、
僕にとっては、メンター(師匠)の一人だ。

既に生活に困らないだけの金を稼いだはずだが、
浪費と度重なる結婚、離婚でかなり金をなくなったようで、
iPod等のインターネットの流れについて行けずに、メインストリームから消えてしまった人だ。

ひょんなことから、彼からまた連絡があり、今日の久しぶりの再会になった。

色々昔話に花を咲かせたが、結局は、生活に困っているので、
仕事が欲しいという話だった。往年の彼の成功を見て、
始めて僕がニューヨークに流れ着いた時の彼の羽振りの良さを考えると、
時が流れて、当時小僧だった、アジア人の僕の所に仕事を貰いに来るなんて、
どんな気持ちだったのだろうと思うと、ちょっと寂しくなった。

僕は、あくまでも彼に最大限の敬意を払い、
昔の、社長と小僧の時のように彼に接した。 

僕の仕事場の最上階は、役員用のダイニングになっており、
お客さんが来た時の接待用の場所として使えるようになっている。 
僕は、彼をそのダイニングに招待し、ニューヨークを一望しながら、
昔話に花を咲かせ、かれと2時間程食事をした。

別れ際に、彼にいくつかの仕事を紹介し、
また再会を約束して、僕は彼を見送った。

生き馬の目を抜かないと生き残れないのが、この街、ニューヨークだ。。。 
僕だって、いつ敗者になるか、わからない。。 
ただ、今の僕にできる唯一の事は、お世話になった恩のある人に対しては、
最大の礼儀をつくして恩返しをする事だけだ。 

僕は、彼女の病気を通じて、人間の無力さ、儚さを身を以て学んだ。
今の世の中での、ちょっとした成功なんて取るに足りないものだ。 
それよりも、天を敬い、人を愛する、西郷南州のように生きる事によって、
神様になんとか、彼女を救って欲しいと、身勝手にも考えている。

今日も、僕が彼に優しく接したのは、彼の事を思ったからではなく、
彼女を救って欲しいが為に、他人に優しくしたような気がする。 
動機は、不純で自分勝手だけれども、今の僕には、
人に優しくして、その分だけ彼女が助かるんだと信じ込まないと、
気が狂ってしまいそうだ。

一日の仕事が終わり、8時過ぎに彼女のバイト先に、
彼女をピックアップしに行った。 定刻通り、黄色のセーターに
白いスカートを履いた彼女が、ブロンドの髪をなびかせながら、建物から出て来た。 
まるで映画のスローモーションの一コマを見るように、
は、彼女がゆっくり、僕の車に向かって来るのを見つめていた。

彼女は、明日が期限のレポートがあるので、そのことで頭が一杯だ。 
二人で、急いで家に帰り、彼女は、今、僕の隣でレポートと格闘している。。。
彼女が、何か真剣に取り込めるものがあれば、それで良い。
たまに、色々と質問をされたり、意見を求められたりする。。 
政治学は、僕の専門外だから、質問されても困るのだけど、
だてに彼女より10歳年上ではない所を見せないといけないので、
一生懸命賢そうにコメントをしている自分が滑稽だ。。。

明日は、6時のフライトで、僕はロスアンジェルスに出かける。
久しぶりのハリウッドだ。今回のロスは、日帰りなので、明日の夜中には、
ニューヨークに戻って来る。 そして、その次の日は、ストーンズのコンサートだ。

その後には、彼女の誕生日がやって来る。。。 
彼女の誕生日のプランをまた考えないと。。。 
大変だけれども、そういう事に時間を使っている時が、
僕は、何よりも幸せだし、楽しい。 ただただ、彼女の微笑む顔が見たい為だけに。。 
彼女の不安や哀しさを、少しでも少なくする為に、不器用な僕は、色々と毎日、考えている。。。

もしも、彼女がいなくなってしまったら、いったい僕は、どうなってしまうのだろう? 
ふと、そんな事を考えて怖くなる事がある。また、僕は、昔のように目標を失って、
手に触れるものを全て壊してしまうようになってしまうのだろうか? 
今度こそ、僕は、自分の手で自分の事を殺してしまうだろう。。
たまに、僕の心の中に悪魔が、頭をもたげそんな事を考えさせようとする。 
だけれども、今の僕には、彼女がいつも近くにいる。
その彼女を幸せにする為に、余計な事を考えている暇はない。。 



2006年09月27日  Los Angels

今朝は、朝一番の飛行機でロスアンゼルスに飛ぶ事になっていたので、
朝、4時半に目覚ましをかけた。

目覚ましに起こされ、ベッドを抜け出すと、まだ周りは真っ暗で、
漆黒の川面に街の光がうつって蛍の光のように揺れていた。 
目を覚ます為に、ベランダに出て、川面の光を見ながら、タバコに火をつけた。

ステレオのスイッチを入れると、昨日の夜に聞いていたカサンドラ ウイルソンの
You Don't Know What Love Isが、静かに流れた。
この曲は、ブルースの女王、ビリー ホリデイの持ち歌として、有名だが、
僕は、カサンドラ ウィルソンのバージョンの方が気に入っている。。 
タバコの煙が、川面に流れて行くのを見つめ、カサンドラ ウイルソンの歌声を聞きながら、
僕は、まだ眠りの中にいるであろう彼女を思った。。。

ちょっとセンチメンタルな気分になったので、それを打ち消すように、
タバコを捻って消し、コーヒーメーカーのスイッチを入れ、熱いシャワーを浴びた。

5時過ぎに、迎えの車が来た。 表に出ると、僕の専属の運転手が、
いつものハンチングをかぶり、にっこりと微笑んだ。年齢不詳の黒人で、
昔、海兵隊に所属し、沖縄に駐留していたことがある。僕が、その昔、
売れないミュージシャンとして米軍基地のクラブで演奏をしていた頃も、
まだ沖縄にいたらしく、それが原因で妙に仲良くなったベトナム戦争の生き残りだ。

軍を除隊した後は、キーボード奏者としてコマーシャル音楽を作っているらしいが、
それだけでは食べて行けずに、バイトで運転手をしている。 
ベトナム戦争の影響もあり、除隊後は信心深くなり、奥さんと一緒に聖歌隊に入って、
数年前には、聖歌隊の一員として日本ツアーもしたという変わった人だ。

彼は、僕を見つけると、いつも通り、黒人特有の人懐っこい満面の笑みを浮かべ、
”ボス! 今日も早いな。 仕事熱心なこった。”と言った。 
彼の車に乗ると、彼が作った、新しいコマーシャルソングを早速聞かされた。。。
まだ真っ暗な道を、一台の黒塗りのリムジンが、
場違いに陽気なコマーシャルソングを流しながら、疾走して行く。。。。 
外から見たら、さぞや滑稽な光景だろう。。。

彼の御陰で、僕のセンチメンタルな気持ちも一気に吹っ飛んでしまし、
能天気な陽気なジングル(コマーシャルソング)を聞き、
彼に色々コメントを求められたので、どっちの方が好きだとか、
ここはこうした方が良いとか、真面目に受け答えをしているうちに、空港についた。

いつも彼といると、客と運転手の関係が逆転してしまい、
彼が僕に自分の仕事の出来映えを色々批評させる時間に変わってしまう。。。

空港につき、車のドアを開けてもらい、車外に出ると、彼は、また満面の笑みを浮かべて、
”ボスの御陰で、またアイディアが出て来たぜ。 ありがとう。 まあ、仕事頑張ってくれ。”と言った。
僕は、”ありがとう。”と彼に言って、彼の車を後にした。。。

僕は、彼が大好きだけれども、なんか、彼の車に乗るといつも調子が狂ってしまう。。。 
でも、まあ、いいか、、、と考えながら、朝日でようやく空が赤くなり始めた中を、
空港のターミナルに入って行った。

6時半発のロスアンゼルス行きのフライトに乗り、
席に着くと、僕は、また目を閉じ、眠りについた。 ロスアンゼルスまでは、
飛行機で6時間かかる。 普段の寝不足を一気に解消するように、僕は、飛行機の中で眠り続けた。 

僕は、ロスアンゼルス着陸1時間程前に目を覚まし、
飛行機の窓から、ロッキー山脈にまだ残っている雪を見下ろしながら、
今日、何杯目かのコーヒーを飲み、またふと、彼女を思った。

飛行機がロスアンゼルスにつき、ターミナルを抜け、
レンタカー乗り場に向かいながら、携帯のメッセージをチェックした。。

いくつかの仕事のメッセージの中に、彼女からのメッセージがあった。 
”まだ飛行機に乗っているだろうけど、おはようって言いたくて電話をしました。
 飛行機の中では、一杯寝て、フルーツを沢山食べてね。 クッキーを食べちゃ駄目よ。
飛行機から降りたら電話を頂戴。”という短いメッセージだったけれども、
自然と自分の口元が緩んでいるのに気がついた。。。

レンタカーを借り、海沿いのハイウェイ405を北に向かって、
車を走らせながら、僕は、彼女に電話をした。

彼女は、丁度、公園で、太陽を楽しみながら、大学のレポートを書いている所だった。
彼女と少し話をした。。 とりとめのない会話だったが、
彼女との会話は、僕の心を明るくした。 彼女の授業の合間にもう一度電話をする約束をして、
僕は電話を切り、仕事の待ち合わせ場所に向かった。

今回の仕事は、某大手映画スタジオの社長と会って、
映画の一括ライセンス契約の話を進めるのが仕事だ。 
ロスアンゼルスは、平らなので、暫く車を走らせると、遥か彼方に、
映画スタジオ独特の背の高い給水塔が目につき、決して道に迷うような事はない。
ロスアンゼルス特有の渋滞をすり抜けながら、目指す給水塔に向かって車を走らせ、
時間よりちょっと早めにスタジオに到着した。

映画業界特有のランチミーティングなので、2時間程、
食事をしながら色々話をして、大体話をまとめ、とんぼ返りで、空港に戻った。
6時間かけてニューヨークからロスアンゼルスまで飛んで来て、
ロスでの滞在時間は、わずか4時間だった。。。こういうのを、
正真正銘のとんぼ返りというのだろう。。。

僕は、ターミナルに向かい、航空会社のラウンジでビールを飲みながら、
仕事の片付けを少しして、授業中の彼女にショートメッセージを送った。

ラウンジのソファに埋もれるように座って、ビールを飲みながら、
40になって、こんな恋に落ちるとは、思ってもみなかったなあと考えながら、
僕は、飛び立っていく飛行機達をぼんやりと見送っていた。。。



2006年09月28日  Rolling Stones

今日は、久しぶりにRolling Stonesのコンサートを見て来た。

ロスアンゼルスの仕事をこの為に、無理矢理短縮し、
一日でとんぼ返りをして来た訳だが、やっぱり、
無理をする甲斐のある楽しいコンサートだった。

僕は、今日の朝、堅い仕事があったので、スーツにネクタイで仕事に行かねばならず、
家に着替えに帰る時間がなかったので、朝、家を出る時に、着替えを持って出かけた。 
昨日の夜中にロスアンゼルスから帰って来たばかりなのに、
また着替えをいれた袋を持って家を出たので、家の管理人に、
”また、飛行機に乗るのか?”と呆れられた。。

事情を説明するのも面倒くさかったので、僕は、ただ管理人に肩をすくめて笑ってみせて、
そのまま車に乗り込み、打ち合わせ場所に向かった。

昼過ぎに、打ち合わせが終わり、ニューヨークの仕事場に急いで戻り、
今日は、一日の仕事を真面目に片付けた。 夜の6時半までに仕事を片付け、
急いで着替えて、7時にバイト先に彼女を迎えに行った。 
丁度、彼女のバイト先に着く頃に、彼女から電話があり、ちょっと遅れるので、
10分程待っていて欲しいという連絡が会った。 大体、彼女が遅れる場合は、
2分待ってというのが口癖なので、10分待てということは、
かなり待たされるぞと覚悟をし、僕は、車の中で彼女が出て来るのを待った。。

結局、僕は、40分程待たされ、彼女が出て来たのは、7時40分だった。
しかも、誰かと一緒にビルを出て来て、その女性を途中まで車に乗せて行って欲しいと言われた。
同じ方向なので、嫌とも言えずに、僕は、その女性も車に乗せ、
37丁目、8th Avenueに向かい、その女性を降ろした。 
一応、彼女に紹介をしてもらったが、バイト先の人だろうと思っていたのだが、
後で聞いたら、それは、彼女の伯母さんだった。

伯母さんは、伯父さんと離婚裁判をしている所で、現在子供の養育費を巡って争っており、
今日中に宣誓書を公証して裁判所に郵送しないと、裁判が棄却されてしまうという事で、
伯母さんは、公証人の資格を持っている彼女のバイト先まで押し掛けて、
書類の公証を強要したそうだ。 

彼女としては、突然バイト先まで押し掛けられては困るし、
ましては、バイト先で、彼女の癌の話までされてしまい、
伯母さんを車から降ろした後は、彼女は、非常に怒っていた。 

彼女の怒りももっともなので、その話を何度も聞き、彼女をなだめ、
それと同時に、もう人の為に時間を使うのは、たいがいにして、
もっと自分の為に時間を使ってはどうかと、さりげなく彼女に助言をした。

何度も、僕に不満をぶつけたり、伯母さんの悪口を言って、
彼女も少し気が落ち着いたようで、ジャイアンツ スタジアムに着いた頃には、
陽気ないつもの彼女に戻っていた。。。

スタジアムについたのは、夜の9時頃だったが、
まだ前座の演奏が終わったばかりで、Stonesのコンサートが始まったのは、
夜の10時近くになってからだ。 日本のコンサートとちがって、こちらのコンサートは、
平気で遅くから始まる。 日本では、消防法とか色々な法律の御陰で、
終了時間が決まっていたり、花火や火を使うんが制限されたりするが、
その点、こちらのコンサートは、何でもありだ。。

10時近くにようやくコンサートが始まった。
一局目は、It's Only Rockn' Rollで、始まり、Swayとか渋い曲も含め昔の曲を中心に、
どんどんと懐かしい曲が演奏されていった。 彼女は、大喜びで、
ほんの少し前の伯母さんとの不愉快なやりとりもすっかり何処かに忘れてしまったようで、
そんな彼女の姿を見ていると、僕も努力が報われたようで、嬉しくなった。

席は、最前列だと思ったが、前から2列目だったが、
一曲目から、観客は総立ちだったので、フェンスの前まで乗り出して、コンサートを満喫した。

新譜からは、Rough JusticeとStreet Of Loveの2曲だけが演奏された。
Street Of Loveの演奏中に、僕と彼女がハグをしていると、
コンサート会場の大きなスクリーンに、僕らの姿が知らない間に映されていた。
彼女が気がついて、ポーズを取ろうと思った瞬間には、
カメラは、別の観客の姿に切り替えられていたので、ほんの一瞬だったけれど、
二人ともびっくりしてしまった。

コンサートは、2時間半続き、アンコールのBrown Sugarが終わり、
花火と火花でフィナーレを迎えた時には、既に夜中の0時を回っていた。

コンサートが終わり、僕らは、手をつなぎながら、ゆっくりと駐車場に戻った。 
夜中の1時を回っていたが、そんな事は、どうでも良かった。 
二人で、コンサートの余韻を楽しみながら、踊りまくって、
癌の事も、家庭の問題も、一瞬だけ忘れて、発散ができたから。。。

彼女は、明日の朝に、また病院の検査がある。 
僕は、朝の6時に起きて、明日は、早くから色々な打ち合わせが目白押しになっており、
金曜の朝には、またサンフランシスコに戻らなければならない。。

でも、僕より、ちょうど20歳年上のミック ジャガーが、
あれだけ頑張っているのを見ると、僕も、後20年は、
不良であり続けないといけないなと真剣に思った。 永遠の不良である為に。。。



2006年09月29日  TVディナー  夜に頬をつたう涙

昨日は、ストーンズのコンサートが終わったのが、深夜過ぎだったので、
結局ベッドに入ったのは、夜中の2時過ぎだったが、
今朝は、朝から仕事が入っていたので、それでも、朝の6時半に起き、
7時過ぎには、家を出て、仕事場に向かった。

もうすぐ夏時間(サマータイム)も終わるので、朝の7時と言っても、
実際は、朝の6時と同じような感じで、まだ朝が開けきれていない。
僕は、そんな朝靄のたっているリバーサイドのハイウェイをオープンカーで走り抜けた。

まだ完全に目が覚めていない、早朝のマンハッタンを車で走るのは、
楽しい。 ホットドッグスタンドを押して、自分のショバを目指すホットドッグ屋、
シャッターを開けて店開きの準備をするニューススタンドの男、
レストランや雑貨屋に搬入をするトラック、、、そういった人達を見ていると、
僕も働こうという気持ちが湧いてくる。

僕は、駐車場に車を止め、通りに出て、一つ深呼吸をし、
スタンドで花束を買った。この花束は、自分へのプレゼントだ。
花束を肩に担いで、僕は、早朝のMadison Avenueを歩いた。
すれ違った何人かは、振り返り、僕を見ていた。。 男が、花束を担いで歩くのは、
滑稽に映ったのかもしれない。。 でも、僕は、僕の為に花束を買った。 
それが、他人に滑稽に映っても構わない。

仕事場につき、花瓶に花をいけた。花束を置いただけで、
無機質の僕の仕事部屋が、明るくなった気がした。

今日は、複数の会議をかけもちして慌ただしく時間がたった。 
仕事を切り上げ、8時半に、大学に彼女を迎えに行った。 
今日は、彼女が楽しみにしているテレビドラマがあるので、
彼女をピックアップし、途中で、家の近くの日本レストランに
出前用のメニューを貰いに行き、彼女のアパートに帰った。

アパートに帰ると、二人でテレビの前のソファに横になり、
出前を取って、レイジーにTVディナーをした。TVが終わると、
彼女は早速フロリダのお姉さんに電話をし、同じテレビを見ていた、
お姉さんと色々テレビのストーリーの話で盛り上がっていた。

なんか、そういう子供っぽいところも可愛いなあと思いながら、
僕は、彼女を後ろからそっと抱きしめた。

僕は、明日の朝のフライトで、今度は、サンフランシスコに行く。 
彼女は、来週の月曜日に別の医者との面談があり、最近は、
医者をたらい回しにされている事もあり、ちょっと精神的に不安定になっている。 

そういった意味では、昨日のストーンズのコンサートは、
彼女の不安やストレスを解消する為には良かったと思うのだが、
なかなかはっきりとした結果が分からず、
医者をたらい回しにされる彼女の不安を考えると、僕としても、何かしたいと思うが、
ちょっと良いアイディアが浮かばず、自分ながらもどかしい。

そんな中で、僕ができる事は、彼女が望む限り、彼女と一緒にいて、
彼女の話を聞いてあげる事なのではないかと思っている。

彼女が眠りについた後、僕は、ウイスキーのボトルを抱いて、
ビルの屋上に上り、雲に覆われた夜の空を見ながら、一人、ウイスキーを飲んだ。 
屋上に置き去りにされた、古い木箱に腰を下ろし、
ウイスキーをラッパ飲みし、大きいため息をはいた。。 
僕の願いは、ただひとつ、彼女の幸せだけだ。 
彼女の屈託のない笑顔を見る事ができさえすれば、僕は、他のものはいらない。 
僕は、木箱に座り、空を見上げ、ウイスキーを片手に、
独り言とも祈りともつかない調子で、僕の願いを神様に伝えようとしていた。 
頬をつたって落ちて来た涙を手の甲で拭うとウイスキーの味と重なり、
ウイスキーが少し、しょっぱく感じた。。



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