2006年10月03日  願い事が叶うとしたら。 彼女の過去の事件

今朝は、早くから仕事があったので、僕は、朝早く家を出た。
彼女は、医者の診察があり、手術の段取りを決める事になっていた。 
ちょっと気になったので、彼女に電話をしたが、留守電につながったので、
メッセージを残してそのまま仕事を続けた。 
それから3−4時間しても連絡が来ないので、おかしいと思って、
彼女のバイト先に電話をした。

彼女は受話器を取ったが、その声で、直ぐに僕は、
何かおかしいことがわかったので、彼女に”大丈夫か?”と聞くと、
彼女は、”大丈夫じゃない。”と答えた。 
彼女は、バイト先の人達に病気の事を知られて同情されたくないので、
”今は、話ができないから後で電話をする。”と言って、電話を切った。

僕の方は、全く様子が分からないので、最悪の場合を考えてしまい、
彼女と電話を切ってからは、何も手につかなくなってしまった。 
ただ、彼女も彼女で、バイト先で一生懸命頑張っているのに、
僕が何度も電話をする訳にもいかず、悶々とした気持ちで彼女の電話を待った。
暫くして彼女から電話があった。 どうやら、彼女の話では、
今日逢うはずだったお医者さんに緊急の手術の為にドタキャンをされ、
彼の診察が水曜日の夕方に変更されたので、
今日まで頑張れば先が見えると何とか気持ちを張って頑張って来た彼女の
緊張の糸が切れてしまい、メルトダウンを起こしてしまったようだった。

兎に角、最悪の状況ではなかったので、ちょっとホッとしたが、
彼女のナーバスブレイクダウンも、もっともの話だった。

8時にバイト先に彼女を迎えに行った。 車に乗って暫くは、
彼女も気丈に振る舞っていたが、ちょっとしたきっかけで、涙が止まらなくなり、
まるで子供が泣きじゃくるように泣き通した。

彼女のアパートにつき、僕は彼女を抱きかかえるようにして彼女の部屋に入った。
彼女は、その後も泣き続け、息ができなくなるまで、泣きじゃくった。

僕には、気休めの言葉などかけられるはずもなく、ただ黙ったまま、
彼女を抱きしめている事しかできなかった。
彼女は、しゃくり上げながら、全てをぶちまけた。 

彼女は、過去に彼女が巻き込まれた事件の加害者が、
16年の刑期を終えて出所し、その為に、忘れようとしていた過去に
また苛まされるようになったり、婚約者と別れたり、仕事を辞めたり、
34歳になって大学院に戻る不安、全てを投げ出して、
自分の幸せの為に人生を再出発した矢先での病気になったりと、
この2−3年程は、多くの事が、彼女を次々と襲った事もあり、
彼女の人生の選択が、間違っていたのではないかと、泣きながら僕に訴えかけた。

僕は、前の職場にいた時に、彼女が非常に不幸で毎晩泣いていたのを知っていたので、
今は辛い事が立て続けに起こっているけれど、34歳になって彼女は、
始めて自分の意思で人生を切り開いて行く事にしたのだから、
その判断そのものは、間違っていないと思うと伝えた。

ただ彼女は、完全に緊張に糸が切れてしまったようで、
”もうアタシには、これ以上頑張り続ける事ができない。。。”と言って、
ただただ泣きじゃくった。

僕らは、部屋の電気もつけずに、真っ暗な部屋のソファでただ二人で抱き合ったまま。
彼女は、狂ったように泣き続け、僕は、なす術もなく、
ただただ彼女を抱きしめているだけだった。

こんなに大切な人が、こんなに苦しんでいるのに、僕には、何もできない。 
途方もない無力感が押し寄せて、決して彼女の前では涙はみせないと
随分前に誓ったのだけれども、涙がこぼれて来て、どうしようもなかった。

何時間このまま抱き合っていただろうか。。 かなり時間が経って、
彼女も落ち着いて来たので、彼女をベッドに移した。 ただ、ベッドに移した後でも、
彼女は僕の手を離そうとしないので、彼女が眠りにつくまで、
僕は、彼女の手を握り、もう片方の手で、彼女の頭を撫で続けた。

ただただ、何もできない自分が情けなかったし、ふがいない自分に無償に腹が立った。。。
何処にも持って行きようのない怒りを抱えながら、
僕は、なんとか気持を落ち着かせようとしたが、考えれば考える程、
何の役にもたっていない自分が情けなく思えた。

彼女が泣きつかれて寝てしまったのを見計らい、
僕は、ウイスキーのボトルを片手に、また屋上に上った。。 
誰もいない屋上で、僕は、涙を流した。 ボトルを開けてしまっても全く酔う事もできなかった。 
叫び声をあげる訳にもいかず、何かを殴りつける訳にもいかず、
なんとか心の平静を保とうと歯がギリギリと音を立てるまで、歯を食いしばった。。。

月もない真っ暗な夜の闇の中で、僕は、一人、
木箱に腰を下ろしながら、歯を食いしばり続けた。



2006年10月04日   ひなたぼっこ

昨日は、あんな感じだったので、結局一睡もできなかった。
彼女が寝ている間は、僕は、一人で色々と考え事を続け、彼女が目を覚ますと、
また彼女を抱き寄せて、落ち着かせ、結局、一睡もせずに悶々とし、
朝日がカーテンの隙間から差し込んで来るまで、ずっと起きていた。。
彼女も熟睡をしていた訳ではなく、寝たり、目を覚ましたりを繰り返し、
朝日が、カーテンの隙間から差し込む頃には、彼女も目を開いていた。。

僕は、彼女におはようのキスをして、簡単な朝ご飯を彼女の為に作った。 
食事をトレーにのせてベッドまで持って行き、ベッドの中で、二人で簡単な朝食を取った。
今日は、素晴らしい天気で、まるで夏が一時的にもどったような感じだった。

彼女は、昨日の事がなかったかのように機嫌が良く、
僕がベッドまで食事を持って行くと子供のように喜んだ。 
”ウェイターさん、ミモザを頂戴。”と彼女は、冗談を言って笑った。 僕も笑った。 

でも、彼女の目は、昨日大泣きしたせいで腫れ上がり、
声もかすれていて、その陽気さがかえって痛々しく僕には哀しかった。。 
ただ、僕もそんな気持は、彼女に見せないようにして、彼女にあわせておどけてみせた。。

彼女は、朝の10時に別の医者の予約が入っていたので、
僕は、少し遅めに仕事場に行く事にして、
彼女をセントラルパーク ウエストの医者の所まで送って行く事にした。

非常に天気が良かったので、彼女は、茶色のホットパンツに、
ベージュのタンクトップに白いラメのサマーセータを重ね着して、
まるでどこかのリゾートにでも行くような格好をした。

彼女を車の助手席にのせ、エンジンをかけると、
ラジオからは、NicklebackのPhotographが流れていた。 
その唄に僕は、ケツを突き上げられるように、アクセルを踏み込み、
リアタイアを派手にならして、夏のような日差しのニューヨークの街に、僕は車を走らせた。 

79th Streetを通って、Central Parkを車で突っ切り、
セントラルパーク ウエストに向かった。 
ラジオからは、Nickelbackがなり続け、僕らは、車の幌を降ろし、
まるで海かどこかにでも行くような雰囲気で、車を走らせた。。。 
目的地は、面白くもない医者のオフィスだったけれども、
そんな事は、僕らにはどうでも良い事だった。

僕は、左手でハンドルを握り、右手で彼女の手を握り、ギアシフトの時には、
右手で彼女の手を握ったまま、シフトチェンジをした。 
彼女は、この僕のギアチェンジの仕方が気に入っている。

彼女は、手や指フェチで、男が車のギアシフトをするのを見ているのが好きだと、
昔聞かされた事がある。それを聞いた時に、僕は、思わず笑ってしまい、それだったら、
もっと君が好きになるだろうやり方があると言って、
彼女の手を使ってシフトチェンジをしてみせて、彼女にいたずらっぽく笑ってみせた。
まだ、僕達が、病気の事なんて何にも知らなかった時の事だ。。。 

セントラルパークを車で横切りながら、ふと、昔の事が頭をかすめた。。。
二人のちょっとseductiveでsuggestiveなドライブも実際は、
ほんの15分程度の事で、僕は、彼女を医者のオフィスの近くで車から降ろした。

僕らは、今朝からずっと昨日の夜の話はしなかったが、彼女は車を降り際に、
僕の方に振り返り、”昨日の夜は、ありがとう。”と言って笑みを浮かべた。

僕は、そのまま車を仕事場に向けた。パークアベニュの信号が赤になり、
僕は車のブレーキを踏み、通りを行き交う人を眺めていた。 
56th StreetとPark Avenueの角には、マセラッティとフェラーリのディーラーがある。 
信号待ちの間に、僕は、角にあるそのディーラーを眺めた。 

僕は、前に一時フェラーリに乗っていた時があるが、
どうもニューヨークでフェラーリに乗っていると、中国人のマフィアのようで品がないと思い、
他の車に乗り換えた。 ただ僕には、一つ、子供っぽい夢があって、
自分の50歳の誕生日にマセラッティの
コンバーティブルをプレゼントしようと昔から思っていた。 

僕にとっては、目標とする理想の男が、イタリアの俳優のマルチェロ マストロヤンニで、
彼が、マセラッティのクアトロポルテに載っている写真をみて、50になったら、
マセラッティが似合う男になるというのが、僕の唯一の子供っぽい目標だった。 

その狙っているマセラッティが、ショールームの中に展示されていた。 
僕は、信号が青になるとともに、アクセルを踏みながら、
ショールームに飾られているマセラッティにウインクをした。

ただ、場合によっては、マセラッティが、
彼女と一緒に買う家の頭金に化けてしまうかもしれないなと言う不安が、
頭の中に一瞬浮かんだ。 それはそれでも良いなと思い一人で笑いながら、
僕はハンドルを右に切り、駐車場に車を滑らせた。

昼過ぎに、彼女から電話があった。 丁度、医者の診断が終わり、
これから継母の所に行く前に、あんまり天気が良いので、
コロンバス サークルにひなたぼっこに行くと、彼女は言った。 
丁度昼過ぎだったので、僕も、昼休み代わりに、外に出る事にし、
彼女とコロンバス サークルで待ち合わせる事にした。

僕の仕事場から、コロンバス サークルまでは、6−7ブロックあるが、
天気は最高で、僕は、セントラルパークサウスを夏のような日差しを満喫しながら
歩いてコロンバスサークルに向かった。

サークルを取り巻くように設置された噴水の周りを歩いて、彼女を捜すと、
彼女はベンチに横になって、iPodを聞きながら目をつぶり日光浴をしていた。。。 
僕は、こっそり彼女の近づいて、何も言わずに彼女にキスをした。
驚かそうと思ったのだが、彼女は、全く驚かず、
僕にそのままキスを返し、にっこりと微笑んだ。

彼女は、ここで日光浴をしていて暑くなったので、サマーセーターを脱いだら、
隣にいた中年に、公共の場所なんだから裸になるなと注意されたと言って笑った。
確かに彼女のタンクトップは、ベージュなので、そう誤解されたのかな?と思ったが、
その場面を想像しただけで、僕は可笑しくなってけらけらと笑ってしまった。
それにつられて彼女も笑った。

僕らは、別に話す事もなく、たまに言葉を交わしながら、手をつないだまま、
公園のベンチに座って、暫く二人でひなたぼっこをした。
ずっとそこに座っていたかったが、そうする訳にもいかず、
30−40分ふたりでひなたぼっこをした後で、彼女と別れ僕は、仕事に戻った。
たった、小一時間の事だったが、僕はとっても気持が落ち着き、
優しい気分になれたような貴重な一時間だった。

明日の4時には、また別の医者の診察があり、
そこで手術の具体的な日程が決まる事になる。。。



2006年10月05日  夜のハーレム

今日も、昨日同様素晴らしい日になった。
今朝は、僕のパーソナルトレーナーが家に来る日だったので、彼女が来る前に、
30分程ジムで走った。その後、2時間みっちりとトレーニングをした。

昨日同様、あんまり寝ていなかったので、途中で気が遠くなったが、
兎に角鈍った体と柔な心を鍛え直したかったので、
僕は、ひたすら取り憑かれたようにウエイトトレーニングをした。

トレーニングが終わり、僕は、シャッワーを浴び、着替えをして、車に飛び乗り、
仕事場に向かった。 今日は、夕方以降雨が降るという予報だったので、
僕は、コンバーチブルではなく、もう一台のトラックに乗って仕事場にでかけた。 
雨の日や、渋滞の時には、やっぱりトラックの方が、スポーツカーより楽な気がする。

仕事場に向かう途中に彼女から電話があった。彼女の声が元気そうなので少し安心した。
彼女も精一杯無理をして元気に振る舞っているのは良くわかるが、
それでも、やはり元気な声を聞くと、安心する。。。 

今日は、仕事が忙しかったので、何回か彼女と電話で話をした以外は、
僕は、自分の部屋にこもっていた。 ただ、彼女の医者とのアポイントメントには、
一緒に行こうと思っていたが、彼女の方は、
ただ、手術の日取りを決めるだけだから一人で大丈夫だと言い張り、
結局、一人で医者の所にでかけた。

すぐに帰って来るだろうと思ったが、2時間以上帰ってこないので、
僕は、心配になり、彼女のバイト先にメールを入れた。
僕がメールを出してから、一時間以上してようやく彼女から返事があった。

彼女によると、医者は、診察をしたものの、
手術の部位が頭に近い首のリンパ腺の部分なので、
頭部専門の医師でないと手術はできないと言い出し、結局自分では手術をせずに、
頭部専門の外科医を紹介されたらしい。。。 結局またたらい回しだ。。。 
僕は、いい加減に腹が立って来た。。その医者のおかげで6週間も
全てが宙ぶらりんになっているのに、また別の医者の診察を受けて、
手術の段取りを決めなければいけない。。 

あまりの理不尽な状況に、僕は、彼女がまた
ナーバスブレイクダウンを起こすのではないかと心配したが、
夜にバイト先に彼女を迎えに行くと、意外な程、彼女はケロっとしていた。

彼女は、もういい加減にどうでもいいと思い始めたようで、
月曜の時点では、緊張のレベルが目一杯で、自分でもどうしようもなくなってしまったが、
今となっては、死ぬ時は死ぬのだから、もうどうでも良くなったと言って、僕に笑ってみせた。

きっと本当は、心の中は、ちぎれるように辛いはずなのに、
いつもの気丈な彼女に戻ったようで、彼女はつとめて陽気に振る舞っていた。。 
その気丈な姿勢が、より一層哀しく見えた。。

彼女は、明日提出のレポートをまだ書き上げていなかったので、
僕らは、彼女の家の近くのイタリアレストランに出かけた。 
そこは、外から見たレストランの作りがぱっとせず、
いかにも面白くなさそうなレストランなので、一度も入った事がなかったのだが、
前に一度、行こうと思ったレストランに入れず、他にチョイスがなくそこにはいったら、
とんでもなくVeal Chopが美味しかったので、
それ以来、僕らのお気に入りになっているレストランだ。

レストランに着く頃には、大粒の雨が降り出した。 
小さな折りたたみの傘が一つしかなかったので、小さい傘の中で二人で寄り添いながら、
小走りに、レストランに向かった。 いつものとおり、レストランには、客が少ししかおらず、
ウェイターの数の方が、客の数より多いように見えた。。

僕らは、いつものとおりVeal Chopを頼んだ。 いつもの通り、味は、絶品だ。
二人でVeal Chopをあっという間に平らげ、雨の中、僕らは、彼女のアパートに戻った。

僕は、夜遅くに東京とビデオ会議があったので、
暫く彼女のレポート作りを手伝った後に、自分の家に帰る事にした。 

彼女と別れ、一人でトラックに乗り、アクセルを踏んだ。。 
今日、彼女に起こった事と、彼女が無理をして振りまく笑顔を思い浮かべると、
何とも切ない気持になり、目頭が熱くなった。

外は、雷がなり始め、雨足が強くなって来た。 
人通りもなくなり、僕は、人目を気にする事なく、涙を流す事ができた。。。 

ビデオ会議までには、時間があったし、すぐには家には帰りたくなかったので、
僕は、自然に車をハーレムに向けた。。。 僕は、一人で考え事をしたいとき、
手に余る程の問題が僕に降り注いでどうして良いかわからなくなった時には、
ハーレムに一人で行く事が多い。。

今夜はまさにそんな日だった。 土砂降りの雷雨の中を、トラックを走らせ、
125th Streetのバーの前にトラックを止め、僕は、傘もささずに、バーに向かった。。。

バーの止まり木にとまり、ウイスキーを注文して、
僕は、琥珀色の液体を見つめながら、彼女の事を考えた。 

突き放した言い方をすれば、これはまだまだ序の口で、これからどんどん状況は、
厳しくなるだろう。僕は、どんなに辛くとも、彼女の為であれば、
そこから逃げ出すつもりは毛頭ないし、逃げ出す事はないと思うが、果たして、
最後まで僕自身が冷静でいられるかどうか、全く自信がなかった。。

僕の人生にも色々な事があり、それなりに幾つかの修羅場は超えて来たつもりだが、
今回の事で、自分の情けなさをこれをほど痛感するとは思わなかった。 

ただ、僕には、この場から逃げ出すという選択もないわけだから、
自信があろうがなかろうが、このまま行ける所まで行くしかない。。。
その覚悟はできているのだが、あまりの自分の情けなさに腹がたった。。

グラスにつがれたウイスキーを飲み干し、金をテーブルの上において、
僕は、雷雨が降り注ぐ表通りに踏み出して、空を見上げた。 
真っ黒な空から大粒の雨が降り注ぎ、短い間隔で、空が真っ白に輝き、雷が落ちた。。

僕は、ずぶ濡れになりながら車に戻り、エンジンをかけ、ワイパーを動かした。。
ワイパーが、フロントガラスにたまった水を豪快に吹き飛ばすと、
その先に、アポロ劇場のネオンサインが、歪んで見えた。



2006年10月06日   Harley Davidson

天気予報で知ってはいた事だったけど昨日と一転して、今日は涼しい日になった。
僕は、朝、川面に照り返す太陽の光で目を醒ました。 ベランダに出ると、
すっかり秋の空気になっており、僕は寝起きにベランダに出てちょっと身震いをした。

でも、空気が澄んでいるせいか、空がより美しい気がする。。
僕は、アパートのジムに行き、30分程走り、その後、ウエイトトレーニングを45分程した。 
iPodからは、最近買ったJETの新譜が流れた。 
40歳過ぎて聞く曲じゃないかもしれないけど、JETの新譜は、ジムで聞くには最高だ。

ジムでのトレーニングが終わり、僕は自分の部屋に戻って、
簡単な朝食を取り、仕事場に行く事にした。

あんまり天気が清々しいので、何となくバイクに乗りたくなり、
今日は、仕事場にバイクで行く事にした。 今日は、大事なMeetingがあったので、
本来だったらスーツにネクタイで行くべきだったのだろうが、
こんなよい天気にスーツを着るのはもったいないと思い、僕は、革ジャンを引っかけ、
エンジニアブーツを履き、壁にかけてあるヘルメットを肩にかけ、駐車場に向かった。

僕が、若い頃に、Harely Davidson and the Marlboro Manという映画があった。 
ミッキー ロークとオリジナルのマイアミ バイスをやっていたドン ジョンソンが主演の、
お決まりのハリウッド映画だが、僕は、あの映画が嫌いじゃない。
くだらないと言われればそれまでだけど、なんか、
僕が若い頃に流行っていたものを全て盛り込んだみたいな、チープな作りが、
とっても懐かしく、僕は、今でも暇な時に、たまにDVDで好きな場面だけを見る事がある。

その映画の中で、ミッキー ロークは、改造されたハーレーを運転しているのだが、
僕もあれほど酷くはないが、改造したハーレーを持っている。 
チョップドハーレーで、もともとはファットボーイというハーレーを改造したものだ。

ヘルメットをかぶり、タバコを一服し、僕はバイクのキーを回した。 
長い間冬眠していた僕のハーレーは、僕のキックで目を醒まし、
秋空の下で、豪快な爆音をたてた。
僕は、エンジンを吹かして、ハドソン川沿いのハイウェイをバイクで走った。 
秋の涼しい風が、僕の顔を撫でた。 たまには、バイクも良いものだ。。。
駐車場につき、僕はバイクをとめ、仕事場に向かった。 革ジャンにサングラスのまま、
会議室に入ると、一ダース程の人達が、スーツにネクタイで僕の来るのを待っていた。。。

皆、会議室のドアを開けて僕が入って来ると、びっくりした顔をしたが、
僕は、何食わぬ顔で、
”Good morning, gentlemen. You, gentlemen are here today to help me achieve a goal which
I will explain to you in a minute. (おはよう、諸君。 諸君が今日ここに呼ばれたのは、
私が今から説明するプロジェクトを実現する為である。) とイギリス訛で切り出した。

どんな服装をしているかなんて言う事は、大した問題ではない。 
重要な問題は、顔を合わせた瞬間に、誰がその場を仕切っているのかを明確にすれば良いのだ。 
誰がその場で一番権力を持っているのかをはっきりさせれば、
スーツを来ている連中は、大体の場合、権力に立ち向かおうとはせずに、おとなしく従うものだ。

これは、生き馬の目を抜くニューヨークで生き抜く事で、僕が学んだ生活の知恵だ。
ギミックと言えば、ギミックだけれども、要は、その場を仕切ったものが勝つわけで、
ギミックでも何でも、勝てれば良いのだ。

一度、場を支配してしまえばこっちのもで、後は、エンジニアブーツを履いた足を
会議室のテーブルの上に投げだし、スーツの連中に僕が指示を出し、彼らが解決策を提案し、
僕が、その中からベストのチョイスを選ぶという理想的なパターンで、仕事をすることができた。

3時過ぎに、彼女から電話があった。 僕の仕事場の近くまで来たので、
ちょっと逢えないかというものだった。 僕は、スーツ達を会議室に残し、
彼女との待ち合わせのプラザホテルの前に歩いて行った。

プラザホテルの前の小さな公園の中に、僕の最愛の人は、立っていた。
僕は、彼女を見つけて手を振り、公園の真ん中で彼女を抱きしめてキスをした。
天気が良かったので、彼女は、散歩に出て来たようで、学校に行く前に、
僕の顔を見に来たようだった。 僕らは、公園のベンチに座り、
ひなたぼっこをしながら少し話をした。 別にたいした話がある訳ではない。。 
二人とも、何でもない日常の会話をして、会話がない時には、
二人だまったまま、手をつないで日の光を浴びた。。 

15分程、そうやって二人で時間を過ごすと、彼女は、立ち上がり、
”私に付き合ってくれてどうもありがとう。アナタも仕事があるだろうから、
アタシもそろそろ学校に行くわ。”と言って、微笑みを見せ、優しくキスをしてくれた。

僕は、5th Avenueを歩いて行く彼女の後ろ姿を見送り、仕事場に戻った。
仕事場に戻る途中で、色々な思いが、僕の頭の中をぐるぐると回った。。 
不安は一杯だけれども、僕に、今できる事は、精一杯彼女を愛して、
一緒の時間を大切に過ごす事だ。。。 秋の日差しを浴びながら、僕は、足早に歩いた。
耳にさしておいたタバコをくわえ、歩きながら火をつけ深く息をすい秋の空の中に煙をはいた。。。



2006年10月08日  久しぶりに助手席に座って。彼女の運転

昨日は、彼女と久しぶりに夜遅くに出かけた。
最近、彼女の夜遊び服とカクテルドレスを着る機会がないなあと気がついたので、
たまにそういった機会を作るようにしている。

昨日は、チェルシーに新しくできた日本料理の”もりもと”に出かけた。
”もりもと”は、Nobuのシェフが新たにニューヨークでオープンしたネオジャパニーズだ。
チェルシーという場所柄もあり、予約を入れるのはなかなか大変で、
僕らも、10時に予約を取り、”もりもと”に出かける事にした。

8時に彼女をバイト先に迎えに行き、彼女のアパートまでまず帰って、
荷物を下ろし、彼女は、洋服を着替えた。小一時間、
彼女のファッションショーとストリップショーを鑑賞させられた。(笑)

結局、彼女は色々悩んだ挙げ句、大きなスリットの入った黒い革のロングスカーと
膝丈の黒い編み上げのブーツを履き、パール色のキャミソールの上に、
黒いシースルーの半袖のセーターを着た。 自分の彼女だから、
贔屓目に見ている事はあるのだが、それでも、彼女は、息をのむ程、美しく見えた。。。

僕の方は、ワンパターンだが、黒い細身のスラックスに黒いブーツを履き、
黒い薄手のタートルネックに黒い革のジャケットを着た。。

彼女は、それに夜遊び用の化粧を施し、僕らは、車でチェルシーに向かった。 
チェルシーに早めに着いたので、僕らは、車を止めた後、
ミートパッキング ディストリクトを少し二人で手をつなぎながら散策した。。

今週は本当に二人の間に色々な事があった。彼女のナーバスブレイクダウンもあり、
僕らは、どれだけの夜を涙でくれたかわからない。。。
結局、何も解決していないし、何も状況は変わっていないが、
今、二人は、こうやって手をつないで、まるで何事もなかったように、街を歩いている。。。

この世界全体に取っては、取るに足らないようなちっぽけな存在の僕達二人は、
どうにもならない運命に翻弄されながら、右往左往しながら、
こうやって生き続けて行くのだろう。。。 

粧し込んで、僕の手を握り、嬉しそうな顔をして歩いている彼女の横顔を見ながら、
僕は、ふとそんな事を考えた。。。
”もりもと”について下のバーで10分程待たされた後、僕らは、テーブルに案内された。
白で統一された室内は、いかにも最近流行のチェルシーのレストランという感じだったが、
食事は、元Nobuのシェフなので、文句なく美味しかった。

久しぶりに僕らは、日本酒をたのみ、色々な食事に舌鼓をうちながら、日本酒を楽しんだ。 
テーブル越しに手を握りながら、グラスを重ね、食事を楽しみ、会話を楽しみ、
楽しい時間を過ごした。 テーブルが遠かったので、となりのテーブルの客が帰った後に、
僕は、彼女の隣に腰を下ろし、二人で色々と話をしながら食事をした。 
くだらない話には、彼女は肩を振わして笑い、ヒソヒソ話をしながら、ケラケラと笑い続けた。。。

日本酒が余ってしまったので、彼女が僕に、日本酒を飲み干すように言った。 
僕は、彼女に、”これ以上飲んだら、車を運転できなくなるから、
日本酒を飲み干して欲しいのだったら、帰りは、君が車を運転してね。”と頼んだ。 

食事も終わり、店を出た時には、もうかなり遅くなっていた。 
二人で肩をならべ、手をつないで、ゆっくりと駐車場に戻った。
ちょっと風が冷たかったけれど、寒くなると、
彼女を抱きしめて彼女の温もりを感じ、また歩き出した。。

駐車場に着くと、彼女が車を運転すると言い出した。
僕は、冗談で言ったつもりだったのだが、彼女に運転してもらうのも、
それこそクラプトンのWonderful Tonightの歌詞みたいで悪くないなと思い彼女にキーを渡した。

彼女は、”笑わないでね。”と言って、僕に目配せをして、右足のブーツだけを脱ぎ、
僕のハマーのハンドルを握った。 確かに、ヒールの高いブーツだったので、
運転は大変かなと思ったが、大胆に、しかも片方だけブーツを脱いで、
トラックを運転し始めた彼女を見て、僕は、笑ってしまった。

そんな事は、おかまいなしに、彼女は、アクセルを踏み込んで1st Avenueを疾走した。
ハマーを車体の大きな車なので、その運転席に、セクシーな洋服を着た
華奢なブロンドがいるのは、人目を引いたらしく、信号で止まるたびに、
隣の車から色々ヤジが飛んで来た。。。

彼女は、そんなヤジを鼻で笑い飛ばしながら、カーステレオのボリュームをあげ、
深夜の1st Avenueを家に向かって走った。。

僕は彼女の男勝りなハンドルさばきを横目で見ながら、
ただただ、可笑しくて始終笑っていた。。

彼女のアパートにつき、二人とも洋服を床に脱ぎ散らかしたまま、
ベッドの中に潜り込み、二人で体を温め合った。 

彼女の寝息を肩に感じながら、僕は、色々と考え事をした。 
月曜からまた日本だし、彼女の手術の段取りはまだ決まっていないし、
医者もこれで6人目だし、二人の間には問題が山積しているし、
彼女は、ここ2年程は、決して幸せとは言えない状況だ。。。

考えていれば、良いアイディアが浮かんで来るという訳ではないのだが、
僕は、僕の胸に頭をのせて平和そうな寝息をたてている最愛の女性に、
僕は、いったい何ができるのだろうか、、、どうすれば、
彼女を幸せにする事ができるのだろうかと、思いを巡らせた。。。

知らない間に、小鳥のさえずりが聞こえ、カーテン越しに、
外が明るくなって来るのが感じられた。。。



2006年10月09日  買い物 (誕生日サプライズ準備)

明日から日本なので、今朝は、いつもより少し長めにジムで頑張った。 
僕のトレーナーも、ちょっと驚いたようで、
”やれば、できるじゃないの。”と感心していた。
26歳の小娘に感心されるのも癪に触るが、こっちは、43歳で階段を上がるのも、
ぜいぜい言っているのだから、仕方がない。。。

2時間半ほどみっちりトレーニングをして、
丁度ストレッチをしている時に彼女から電話があった。
彼女は丁度午前中に自分の買い物に出かけていたので、
2時にユニオンスクエアで待ち合わせをする事にした。

トレーニングを終え、シャワーを浴びて、着替えをして、
僕は車に飛び乗り、ユニオンスクエアを目指した。 
素晴らしい天気だったので、僕は、コンバーチブルのトップを降ろした。
ラジオからは、Blue Merleが流れ、僕は、
吸い込まれそうな何処までも青い秋空を見上げた。。

ユニオンスクエアに到着し、車を路肩に止め、彼女がいる洋服屋に入って行った。
彼女は、ミニスカートに、白いシースルーのTシャツの上に、
胸の大きく空いたピンクのTシャツを重ね着して、ちょうどレジに並んでいる所だった。
僕は、彼女を見つけ、ゆっくりとレジに向かい、彼女を抱きしめてキスをした。

毎日彼女と顔を合わせているのに、レジに彼女を見つけた時に、僕の心は、
彼女としばらくぶりに逢ったかのようにときめき、
彼女を力一杯抱きしめずにはいられなかった。

彼女の荷物を持ち、僕は、彼女の買い物につきあって、
何件かの店を一緒に回った。まだ彼女は、昼を食べていなかったので、
買い物の後に、二人でユニオンスクエアのカフェに入り、遅い昼食を取った。

最初は、二人ともアイスティーを頼んだのだが、暫くして、
彼女が、”やっぱりコスモポリタンにしようか?”と宗旨替えをし、
アイスティをコスモポリタンに変え、乾杯をした。 二人で、土曜日の午後に起こった事を、
それぞれ話し、太陽の光を楽しみながら、ゆっくりと時間を過ごした。

昼食の後は、彼女が僕の買い物に付き合う事になった。僕には、18歳になる姪っ子がいる。 
僕は、まだ赤ん坊だった彼女を連れてよく散歩に出かけたものだ。
彼女が3−4歳の頃に、アルファロメオのスパイダーの助手席に姪っ子をのせて、
よくドライブしたものだ。 僕は、姪っ子にサングラスを買って、姪っ子は、
交差点で車が止まるたびに周りの人や車に手を振っていたのを今でも思い出す。。。

姪っ子の誕生日にバックを買ってあげると約束したので、
彼女にそれを手伝ってもらった。 ルイビトン、グッチ、フェラガモ、フェンディ、コーチと、
まるで観光客のように色々歩き回った。 
彼女も色々探してくれたが、なかなか気に入ったものがなくて、グッチの店に入った。

僕は、あんまりグッチは、好きではないのだが、彼女が一つのバッグを見つけた。
確かに形は、変わっていたし、グッチらしくなかったので、面白いなと思った。
茶色の定番、黒のスウェードと、クリーム色のスウェードの3色があって、
彼女は、”アタシだったら、黒のスウェードが良いけど、
姪っ子だったら茶色が良いと思う。”と熱心に進めた。

僕は、良くわからないので、彼女にバックを持って歩いて貰った。
それを見ているうちに黒いバックは、彼女に似合うなと思い出した。

姪っ子に茶色のバックを買う事に決めて、彼女が目を離している間に、
僕は、僕らの接客をしてくれていた店員を僕の方に引っ張って、
”茶色のバックと黒いバックを両方買うが、黒いバックは、
彼女へのプレゼントで秘密にしておきたいの、今日は代金だけ払うから、
プレゼント用に包装して預かっておいてくれ。”と頼んだ。店員は、
僕の言った事をすぐ理解して、僕に向かって、”わかりました。”と言ってウインクをした。

暫くして、店員が、茶色のバックを包装して、僕らのところに戻って来た。 
僕が包装を受け取り、代金を支払うと、店員は、僕らに向かって、
”姪っ子さんが、気に入ると良いですね。”と言って僕の方をもう一度見て、
いたずらっぽくウインクをした。 僕も、彼にいたずらっぽくウインクを返した。

彼女の誕生日のプレゼントを何にしようかずっと考えていたんだけれども、
彼女が気に入るものを選ぶ自信がなかったし、
彼女をつれて買いに行くのも何か嫌だったので、
丁度何か良い方法を考えていた所だった。。 

僕は、彼女が喜んでくれれば良いなと思いながら、
何も知らないで、僕と手をつなぎ5番街を歩いている彼女の横顔を見た。

買い物が終わり、二人で彼女のアパートに戻った。 
途中で、スーパーマーケットに寄り、夕食の食材を買った。
明日から暫く逢えないので、今日は彼女が手料理をごちそうしてくれると言ったのだが、
家に帰って、二人で寝転がってテレビを見ている間に、
彼女は、僕の腕の中で眠り始めてしまった。

最初は、僕の体の上に彼女は足をのせ、テレビを見ていたのだが、
背中が寒いというので、僕が後ろから彼女を抱きしめるようにして、
彼女を暖めながらテレビを見ていたら、彼女は暖かくなったのか、
本当に眠ってしまったようだ。

今週は、本当に色々な事が、彼女の身の上に降り掛かり、
眠れない夜を何度も過ごし、彼女が疲れていないはずがなかったので、
彼女を寝かせてあげようと、テレビを消して、彼女を後ろから抱きしめたまま、
彼女の微かな寝息を聞いていた。。。

かなりたってから、彼女はようやく目を醒ました。
僕は、振り返った彼女に微笑んで、キスをした。

彼女は、すまなそうに、”疲れたから、眠っちゃったみたい。。 
折角食材を買ったのに、今日は、料理できそうもない。”と言った。
僕は、もう一度彼女にキスをして、”心配しないで、近くに食べに行こう。”と提案した。

今週は、本当に色々な事があった。。。 
月曜日には、彼女が初めてナーバスブレイクダウンを起こし、
一睡もできなかったし、その後も、医者がまたかわったりで、
殆ど眠れない夜を過ごして来たので、せめて日本に行く前の週末位、
平和な時間を彼女と過ごしたいと願っていたが、どうやら、
神様に僕の願いは通じたようで、今週末は、
二人で平和な時間をゆっくりと楽しむ事ができた。。。

明日から、日本だ。。。



2006年10月11日   留守電  日本 

午後4時半に成田に着いた。
飛行機を出て、日本の携帯のスイッチを入れ、メッセージをチェックした。 
いくつからのつまらない仕事関係のメッセージの中に、彼女からメッセージが入っていた。

彼女からのメッセージは、短いもので、ただ、僕におやすみを言うものだったが、
最後にいたずらっぽい声で、”携帯のスイッチを入れて最初に聞く声が、
アタシのだったら、貴方も嬉しいだろうと思って。。”とコメントされていた。

メッセージを聞きながら、彼女は僕の喜ばせ方を知っているなと思い、
少し可笑しくなった。。

空港で迎えの車に乗り込み、東関道を東京に向かった。
丁度夕暮れ時で、美しい夕焼けが街のシルエットを映し出した。。 

六本木の家について、荷解きをした後に、友達と待ち合わせて
麻布十番の馴染みの店に食事に行った。 久しぶりの日本だったので、
食事をしながら、色々と話を聞いて、キャッチアップをした。 
やはり、頻繁に日本に来ていないと、どうも情報に遅れてしまう。

夜の10時頃に彼女の携帯に電話をして、少し話をした。
彼女に、メッセージのお礼を言って、僕の喜ばせ方を良く知っているねと言うと、
彼女は、悪戯っぽく笑って、”知らないようじゃ、困るでしょ。”と言って、また笑った。

彼女は午後は、大学で授業があるので、少し、
お互いの一日に着いてそれぞれ簡単に報告をして、
日本の朝の10時頃にまた電話をする約束をして電話を切った。

友達と別れ、僕は歩いて自分のアパートに戻った。 
ここから、ニューヨークは、本当に遥か彼方だなあ、などと当たり前のことを考えた。 
窓から東京湾やベイブリッジを眺める事は出来るが、太平洋は、更にその先だし、
そこから先には、大きな太平洋を隔てて、カリフォルニアがあり、
ロッキー山脈を越えて、中西部を飛び越え、アパラチア山脈を越えて、
東海岸に至る、はるかにはるかに遠い、6,000マイルが僕の前に、存在している。
遠くに来てしまったなあ、、、と本気で思える瞬間だった。。

彼女とは、6,000マイルの距離があるが、ここ5日間は、
電話と彼女を思い続ける事で、この距離を乗り越えよう。。



2006年10月14日  友達からのメール  10/18に続く

昨日は、予想外に仕事に時間がかかったので、
夜の予定が全て狂ってしまい、遅くまで仕事場で仕事をした。

仕事場の机に足を乗せ、窓から彼方に見えるベイブリッジの明かりを見ながら、
アメリカとヨーロッパと電話会議をしていた。 時計は、夜中の0時を指していた。。。
周りには誰もいないので、僕は椅子に深く腰をかけ煙草を吸いながら話をした。。

外の暗さのため窓は鏡のようになり、
僕の姿が亡霊のように窓の外に浮かび上がっていた。。

電話では延々と僕にとってはどうでも良い議論が続いていた。。
僕は、メールをしたり内職をしながら電話を聞いていた。 
その時、メールが1通飛び込んできた。 僕の20年来の仕事上の友人で、
色々なプロジェクトを一緒に進めてきた僕の信頼できる人からのメールだった。
いつもの仕事のメールだろうと思って何気なくタイトルを見ると、
彼の奥さんの名前がタイトルになっていた。。

厭な予感がしたが、メールの中身は、長患いをしていた彼の奥さんが、
昨日の夜になくなったというメールだった。 奥さんは、ずっと病気で、
最近は階段の上り下りもできなくなってきたが、
まさかそこまで悪くなっているとは思わなかった。。
彼らには、娘が一人いたが、奥さんが病気になってから、
生きるハリを出すために、麻薬で子供が育てられなくなった黒人のある家族から、
男の子を引き取り、養子にしていた。 奥さんの病気が進んだので、
彼は自分の家を売り、奥さんに不自由がないように階段のない家を買ったばかりだった。
引越しは、たしか2週間前だったはずだ。。

僕は彼とその息子を連れて僕の会社の駐機場に行き、プライベートジェットの操縦席や
ヘリコプターの操縦席に座らせて写真を撮ったことを思い出した。。

娘は、まだ10歳くらいだったと思うし、息子は、まだ4-5歳だったはずだ。。
どうしようもないけれど、どうしようもない寂しさに僕は包まれた。。。 
人には、どうしようもない運命がある。 どうにもならない運命を抱えながら、
それでも凛として懸命に生きようとする人達がいる。。 
僕自身も運命に翻弄されているが、電話を切り、
窓に浮かんだ僕の亡霊を見つめながら、僕は、彼を思った。。



2006年10月15日   自分の居場所

離れていると、僕は、彼女の事をいかに必要としているかを再確認させられる。。。 
そんな事は、分かっているから、わざわざ確認させてもらう必要はないのだが、
6,000マイルの距離は、お節介にも、嫌と言うほど、それを僕に感じさせてくれる。。



2006年10月16日  1週間分のキス

わずか1週間の旅だったけれども、
こんなにニューヨークに帰るのが嬉しかったのは、久しぶりだ。

日本での仕事は辛いものだった。 僕の会社の社員のうち、
3人をレイオフしなければならなかった。 
成績が悪ければ、解雇をされても仕方ないのだけれども、
どうも僕は、弱い人の側の気持に人一番敏感なようで、
いざという時に、冷酷な決断ができない。。。

レイオフをしないと他の従業員にしめしがつかないし、
会社の業績も厳しく、取引先や株主からレイオフをするよう圧力があり、
僕も彼らのPerformanceに不満だったので、解雇は当然なのだが、
いざという時に僕は、冷酷になれない。

結局、僕は、その3人の再就職先を自分で探し、
一人の再就職の面接には自分も同行し、
なんとか3人の再就職先を見つける事ができた。

人のくびを切るのは、決して気持のいい事ではない。 
何とも言えない、後ろめたさに僕は包まれる。 もとはと言えば、
経営者である僕がだらしないから、人員の整理をしなければいけないのだ。
その後ろめたさを、僕は、再就職先を見つける事で言い逃れようとしている。。

そんな中で、楽しい事も逢った。 古い友達と久しぶりに話をする事もできたし、
新しい友達も何人かできた。 それでも、やっぱり僕の心は常にニューヨークにあり、
ニューヨークに戻る日を指折り数えていた。。。

やっと帰国の日になり、僕は、彼女に少しでも早く逢いたくて、
JALの朝一番の便に乗って、ニューヨークに帰った。 
11時間ちょっとのフライトだったが、久しぶりに僕は、眠らずに景色を見たり、
物思いに耽ったりして時間をすごした。 心に浮かぶ事は、ただ一つ、彼女の事だけだ。。

ケネディ空港に到着し、入国手続きを済ませ、ターミナルの外に出ると、
天気はよかったのだが、冷たい風にちょっと首をすくませた。。

僕の運転手を見つけ、車を彼女のアパートに向かわせた。。 
彼女は、友達とブランチをすると言っていたので、1時に彼女の家に行くと言っておいたが、
予定よりも早く、彼女の家についてしまった。 
僕は、彼女の家の鍵を持って行かなかったので、彼女のアパートの前の花壇に腰を下ろし、
彼女が帰って来るのを待った。。

15分程して、彼女が2nd Avenueから歩いて来るのが見えた。
僕が彼女を見つけると同時くらいに、彼女も僕を見つけたようで、
彼女は、ジーンズのジャケットに袖無しのダウンを重ね着し、
大きめのサングラスをかけて、僕をみて微笑みながら歩いて来た。

僕も花壇から腰を上げ、太陽の木漏れ日が街路樹から降り注ぐ通りで、
しっかり抱き合い、1週間分のキスをした。

僕の荷物を彼女のアパートに置き、僕らは、手をつないで
ちかくのスーパーに買い出しにでかけた。 部屋に戻り、
僕はシャワーを浴びて旅の汚れを落とした。 
彼女は、結局友達のファッションショーに行くのをやめたようで、
二人でゆっくりと日曜日を過ごす事にした。

ちょっと外は肌寒かったので、家でビデオでも見てごろごろする事にして、
去年グラミーを幾つか取った、Crashを近くのビデオ屋で借り、
晩飯の食材をスーパーで買って、アパートに戻った。

映画を見て、少し二人で昼寝をし、
彼女は、ラム チョップをメインにしたディナーをご馳走してくれた。 
その後、二人で片付けをして、また寝転がってテレビをみたり、
何も特筆する事がない、Lazyな午後を過ごした。。。 
でも、とても幸せな時間だった。。。 彼女が隣にいるだけど、
彼女を時折抱きすくめる事ができるだけで、彼女の髪の毛を撫でることができるだけど、
僕は、何よりも幸せな気持を味わう事ができた。 幸せな気持に感謝をする為に、
僕は、彼女のありとあらゆる場所にキスをした。。 
彼女は、微笑んだまま、僕を優しく包み込んだ。

明日から、また新しい一週間が、始まる。 隣で、全く無防備な格好で、
寝息をたてている最愛の人の為にも、僕は、ここで負ける訳にはいかない。。



2006年10月17日  Wake Up In New York

今朝は、彼女が初めてお弁当を作ってくれたので、
お弁当を仕事場に持って行った。

お弁当と言っても、パスタとミートソースと野菜がちょっとの簡単なものだが、
西洋人にサンドイッチ以外のお弁当を作ってもらったのは、
初めてだったので、ちょっと嬉しかった。

仕事場に行き、お弁当をデスクの真正面に飾るように置いて、
僕は、仕事をした。 昼になって、僕は、普段は閉めている窓のシェードを開け、
お弁当を電子レンジで暖め、外の景色を見ながら、お弁当を食べた。。

彼女から電話があり、天気が良かったので、
午後に仕事を抜け出し散歩に行かないかと誘われ、
彼女と逢い引きをする事に決めた。

1時半に5th Avenueの教会の前で待ち合わせをした。 
僕の最愛の人は、グレイのパンツに黒い膝丈のブーツを履き、
灰色のショールのようなセータで、ブロンドの髪をなびかせながら、
大きめのサングラスをして、僕の前に現れた。 通りを歩いている人も
、彼女を見つけると振り返る程、人ごみの中で、彼女は光を放っていた。。

僕は教会の階段に腰をおろして、日向ぼっこをしながら彼女が来るのを待っていた。

彼女を見つけ、僕は、階段から腰をあげ、
5th Avenueの真ん中まで彼女を迎えに行った。 
道の真ん中で、彼女にHugとKissをして、二人で、教会の階段に腰を下ろし、
日の光を浴びながら、色々と話をした。。 僕らの他にも、それなりの人々が、
思い思いに腰を下ろして本を読んだり、日光浴をしたり、友達と語らったりしていた。

僕らは、そんな人達の中にまぎれ、手を取りながら、とりとめのない日常の話をして、
太陽の光を楽しんだ。 僕は、彼女にお弁当のお礼を言い、彼女はただそれに微笑んだ。。

一時間弱、二人で、日向ぼっこをした。 暫くして、彼女が、
”もうそろそろ行かないと。”と言って立ち上がった。 僕も立ち上がり、
彼女のバイト先の近くまで、彼女を送って行き、
彼女のバイト先のビルが見え始めた所で、彼女と別れた。

僕は、仕事場に戻り、午後の仕事を片付けた。 
今日は、彼女のバイトが早く終わりそうだったので、
早めに彼女をピックアップすることにした。

7時に彼女を迎えに行った。 車に入って来るや否や、彼女は、お腹がすいたと言った。 
今日は、まだ早いので、ダウンタウンに行こうと言う事になり、
彼女は、NAMというベトナム料理のレストランと
Placeと言うアメリカ料理のレストランのどちらかに行きたいと言った。 

彼女が自分でリクエストをするのは、珍しいので、
僕らは、ダウンタウンのNAMに行く事にした。

車の中で、彼女は、医者から最近の病状と、首のリンパ腺付近の痼りは、
癌である事を告げられたと言った。 
”私は、大丈夫だから心配しないで。”と彼女は、毅然として言った。

僕は、彼女の手を握ったままで、車をダウンタウンに走らせた。 
二人は、こういった話を今まで何度もして、乗り越えて来たので、
僕は、心配だったけれども、彼女の毅然とした態度を尊重してきわめて客観的に、
その話をした。。。 というか、しようとした。。。

彼女が話題を変えたので、僕も話題を変えた。 
もう僕らの間には、言葉は必要ないような気がした。 
手を握っているだけで、彼女の不安や哀しみや、
彼女の全てが伝わって来るような気がした。。 
僕の愛情も彼女に伝わっていたら良いなと思った。。

僕らは、NAMに良く行くので、レストランに電話をすると窓際のいつもの席を
ふたりの為に取っておいてくれた。

黒檀でできた大きなドアを開けると、いつものように、
ロウソクが沢山ならぶ暗い店内からみなれたベトナム人の店主が、
笑顔を浮かべながら僕らの方に近づいて来た。。

最近は、僕は、色々なものがスローモーションで見えるようになった気がする。
気のせいかもしれないが、たまに色々なものが、
凄くゆっくり動いているように錯覚をする。

今日も、レストランのドアを開けたあたりから、
テーブルに案内されるまでの全てが、まるで映画のスローモーションのように
ゆっくりと動いているように見えた。。。

いつものようにテーブルに向かい合わせに座り、左利きの僕にあわせて、
僕の右手で彼女の左手を握り、食事をした。。

ありきたりの二人の一日ついてそれぞれ話をした。
二人で行こうと話し合っているロンドンの話や、今度いつ東京に行くのかとか、
その時にあわせて、彼女はフロリダに姪っ子にあいに行こうかとか、そんな話をした。
食事をしている時も、会話をしている時も、常に僕らは手をつなぎ、
つないだ手で、二人の気持を交わさせようとしていた。。。 

食事が終わり、車を1st Avenueに向けて走らせた。 
彼女の手を握ったまま、僕は、車を走らせた。。

そのうち、彼女が、僕に見られないように、
髪の毛をかきあげるような振りをして涙を拭いているのに気がついた。。

僕は、彼女に言葉をかける代わりに、握っている彼女の手を、更に強く握った。
彼女も僕の手を強く握り返して来た。。 二人の間に、言葉はいらなかった。 
僕は、彼女の恐怖や、哀しみや、
苦しさを彼女の手の温もりをとおして感じる事ができた。。

あえて言葉にする必要はなかったけれど、僕は、前を向いたまま、
車を走らせながら、彼女に、僕の彼女に対する気持を伝えた。。

彼女に会うまでの僕の人生は、たくさんの人々に裏切られて、
自暴自棄になり、人を信じる事を否定してきたが、彼女を知る事で、
人間らしさを取り戻す事ができた。 
僕は、彼女の御陰で人として生き直す事ができるようになった。
 僕は、それに対して、彼女に心からお礼が言いたかったので、
彼女に、本当にありがとうと伝えた。

そして、ありきたりな事だけれども、彼女なしで楽しく平穏に暮らすよりも、
彼女と一緒に苦労を分かち合いたいと伝えた。

最後に、もう一度、彼女に、僕を救ってくれたお礼を言って、
彼女に僕と一緒に生きて欲しいという願いを込めて、
I want you to stay with me.と彼女に伝えた。

気持を伝えた時には、既に、車は、彼女の家の前についてた。。

サイドブレーキを引く僕の右手を彼女は、優しく掴んで、自分の胸に押しあて、
僕の目をみてにっこり笑い、”私は、アナタのそばを離れない。”と言った。

暗い車内の中でも、彼女の頬をつたって落ちた涙の後を見る事ができた。 
でも、凛として精一杯の笑顔を見せる彼女にどうしようもない哀しさを感じながら、
僕は、精一杯の力で彼女を抱きしめた。

僕は、過去に何度も挫折をして、何度も自殺未遂をしたことがある。
手首のためらい傷は数えきれないくらいだし、この世になんの未練もなかった。。

今は、彼女の為だけに生きている。 彼女が精一杯生きようとしている限り、
僕は、生き続けないといけないと思う。 彼女と一緒に時間を過ごし、
彼女を看取る事が、僕の生きる目的だと心から思っている。 
二人で精一杯、生き抜こう。 どんなに辛くて、哀しい事が待っていても。。



2006年10月18日 雨の火曜日 10/14からの続き 彼女の純粋さ

天気予報で前から知っていた事だが、
今日は、朝から雨がちらつき、午後になって本格的な雨になった。

昨日とは違って、僕は革のジャケットを着込み秋の出で立ちで仕事場に向かった。
車を運転している時に、継母の事務所に行く途中の彼女から電話があり少し話をした。
彼女は、昼過ぎまで継母の事務所で働き、
午後4時から夜の8時半まで学校での授業を受ける事になっていた。

彼女が学校に行く前に、僕の仕事場の近くでちょっと逢おうと思っていたが、
雨が酷かったので、わざわざ彼女に僕の仕事場の近くまで来てもらうのも忍びなく、
電話を何度かしただけで、彼女には、逢わなかった。

その代わりに、学校の授業が終わった頃に、車で彼女を迎えに行く約束をした。
8時まで仕事をし、雨の中を小走りに駐車場まで駆けて行き、
自分の車を取って、パーク アベニュ-を北に向かい、彼女の学校まで車を走らせた。 
雨が、フロントガラスを濡らし、信号の灯りや、
車のテールランプをクリスマスのイルミネーションのように輝かせた。

学校の前に車を止め、僕は、最愛の人が出て来るのを待った。 
暫くして、彼女は、壊れたライトブルーの折り畳み傘をなんとかさしながら、
僕の車に向かって来た。 学校に行く途中に風が酷く折り畳み傘の骨が2本程折れていた。。

今日はバイトがなかったので、昨日とはうってちがった学生の格好で、
彼女は、スニーカーにジーンズを履き、ジャイアンツスタジアムで買った
ストーンズのタンクトップを重ね着し、赤いツイードのジャケットを着ていた。 
彼女の髪の毛が、かなり夜露に濡れた事を、よく物語っていた。。 
僕は、手で彼女の髪の毛を何度かかきあげて、彼女にキスをした。

土砂降りの雨の中を、車を走らせ、先週の日曜日に二人でたまたま見つけた
新しいフランスレストランに出かけた。 車を道端に止め、僕の小さな折り畳み傘をさし、
二人で抱き合うようにして小さな傘で雨をしのぎ、小走りにレストランに向かった。。

小さなレストランだが、いかにもフレンチという感じで、
座り心地のよい赤いビロードのソファがあり、室内の内装もライトも赤を基調にした
面白いテイストのレストランだった。

僕らは、まだ火曜日だったが、ボルドーの白ワインを一本頼み、
オニオンスープにエスカルゴに、ショートリブを注文した。

ワインを飲みながら、二人の一日や、今週の予定についてお互いに報告をした。 
そのうちに、話が、先週の金曜日に奥さんを亡くした僕の友達の話になった。。
彼女は、以前、彼の秘書をしていた事もあり、彼女も、彼と奥さんの事を良く知っていた。 

僕が、彼にまだ個人的にメールを出したりコンタクトをしたりしていない事を彼女に話すと、
彼女は、僕に、すぐ彼に連絡を取るべきだと言った。 
僕は、彼女に、僕は、アメリカに十何年住んでいるけれども、いつも異邦人で、
この土地に根付いている訳ではなく、文化の違いもあり、人が悲しんでいる時に、
慰めを言う事が、本当に彼の求めている事なのかどうか自信がないと正直に話した。

きっと、彼は、たくさんの激励や慰めのメールや電話を貰っているだろうし、
僕が、同じような事をしたとしても、本当にそれが、彼の助けになるのか?
むしろ、彼をそっとしておいた方が良いのではないか?と思って
まだメールも電話もしていないと彼女に説明をした。

彼女は、僕に、たとえ彼から返事が来なくても、すぐにメールを出すべきだと助言した。 
彼女は、彼の秘書だったので、彼が、僕と一緒に仕事をしたり、
遊びに行ったりするのを何よりも楽しみにしていたのを知っていたらしく、
僕にそれを教えてくれた。 彼女は、僕に、
”アナタは、彼の数少ない本当の友達の一人なんだから、
彼が誰かに辛さをぶちまけたいと思っているのであれば、
アナタがそれを聞いてあげるべきだ。”と言った。

僕は、ここでは色々な事を正直に書いているけれど、
僕の実生活の友達は、殆ど僕の過去を知らない。。 
彼女は、数少ない、僕の過去の全てを知っている人だ。。

日曜日に彼女と一緒にCrashという映画を見た。 
その中で、ある警官が、ある黒人の夫婦に職務質問をし、人種差別的な行動をとり、
それが原因で黒人の夫婦が仲違いをしてしまうシーンがあった。
奥さんは、旦那の仕事場に行き、仲直りをしようとするが、旦那に拒絶され、
泣きながら車を運転していると事故にあって、
ひっくり返った車の中に閉じ込められてしまう。そこにたまたま同じ警官が出くわし、
ガソリンが引火して爆発する寸前の車の中から、彼女を救い出すシーンがあった。。

僕は、同じようなシーンを20年前に自分で見ていた。。
当時の僕の彼女が、逆さになって車の中に閉じ込められ、助手席にいた僕は、
フロントガラスを突き破って、地面の上に放り出されていた。 
映画と同じようにガソリンが漏れ、ガソリンが引火した。。 
映画と違うのは、僕は、彼女を映画のように助け出す事ができず、
彼女は、生きたまま車の中で焼け死んでしまった。。

今の彼女と深い仲になる頃に、僕は、
誰にも話した事のない、この話を、はじめて彼女に話した。

彼女は、僕の手を取って、
”アナタもそれだけの辛い目に逢ったんだから、
今の彼の辛さをわかってあげられるはず。 全てを彼に話す必要はないけれど、
彼に、僕も過去に同じような経験をしているので、彼が吐き出したいものがあれば、
友達として、いつでもそばにいる。”と言ってあげるべきだと言って、優しく微笑んだ。

彼には、11歳の女の子がいる。 
彼女は、自分が14歳の時に、実の母親が癌になり、彼女が30歳になるまで、
あらゆる治療と転移を繰り返し、彼女が30歳になった時に、
もう疲れ果てて、その後の治療を拒否して死ぬ事を希望した事が逢った。。 

彼女は、僕に、14歳の時に、癌になった母親に怒りを感じたらしい。 
彼女が言うには、他の友達の家族は幸せなのに、なぜ自分の家族は離婚をしてしまい、
自分を引き取った母親がよりによって癌にかかって死なねばならないのだろうという事が
非常に理不尽に思え、母親を含め、全てのものに怒りを感じたそうだ。 
ただそのうちに、自分の怒りよりも、こんな事になってしまった母親の方が
色々な事に怒りを持っているはずだと気づき、それから母親に対する愛情を確認して、
彼女の為に尽くそうと思ったそうだ。 

彼の娘もまだ11歳だから、自分が子供の時に、感じたように、
死んでしまった母親に対して怒りを感じているに違いないと感じており、
自分の経験から、彼の娘に、”怒りを感じる事は悪い事ではないのだよ。”と説明して、
気持の整理の手伝いをしてあげたいと言った。

今は、自分が癌を患っており、転移を宣告されたばかりなのに、
11歳の女の子と精神状態を真剣に気遣う彼女を見ていて、僕は、正直、胸をうたれた。 
これだけ純粋な心の持ち主に対して、僕は、尊敬の念を感じた。

僕は、彼女の助言の通り、明日、彼にメールを出してみる事にした。。
レストランを出ると、雨は殆ど上がっていた。 彼女の腰に手を回し、
僕らは、人気の少なくなった3rd Avenueを歩いた。。。

二人とも手ひどい傷を負っているけれど、二人で庇い合い、真摯に凛として生きている。。
自分の境遇を嘆くのではなく、周りの人に愛を注ぎながら、精一杯生きて行く。。。 

僕は、今日も彼女に人の道を教えられた気がした。。


  上辺の愛情は、時間とともに色あせるけど、人間としての愛情は、
  時間とともに深くなると思います。 僕も彼女を見習って、
  もっと心をきれいにしないといけないと思っています。



2006年10月19日  友達へのメール

昨日、彼女に言われたので、僕は、
先週の金曜日に奥さんを亡くした友達にメールを出す事にした。

何から書き出したら良いのかもわからず、暫くPCのモニターの前で、
ただただ考え事をしていた。 彼との色々な思い出が頭の中を巡った。
少し考え続け、僕はゆっくりとキーボードを打ち始めた。

”今回の事を聞いて本当に悲しく思います。
メールを出そうと思っていたのだけれども、自分の気持を
なんと表現したら良いのかわからずに今までメールを出す事ができませんでした。
僕らは、ずっと一緒に働いてきたし、僕は、君の事を仕事の仲間ではなく、
僕自身の良い友達としてずっと考えてきました。 
だから、君の奥さんの事を知った時に、君の悲しさがわかるし、
君の子供達の悲しみがわかる気がしたので、
なおさら僕の心を締め付け悲しい気持になりました。
僕は、アメリカの友達には、僕の過去について何も話をした事がありませんが、
実は、昔、車の事故で最愛の人と彼女が身籠っていた僕の子供をなくしてしまい、
君と同じような悲劇を味わった事があります。
僕が、日本を離れてアメリカに住む決心をした一つの理由は、
この悲しみが強すぎて、日本ではもう生きて行く事ができなくなった為です。
だから、僕は、君と同じような悲しみを経験した友達の一人として、
君が必要とする時には、いつでも君の話を聞く為に
ここにいるという事を君に覚えておいてもらいたいと思います。
君が、誰かに怒りをぶつけたいとき、怒鳴り散らしたいとき、
君が望めば、僕は、ここにいていつでも君の話を聞きたいと思います。
今は、それどころではないだろうけど、気が向いたら連絡を下さい。”

と書いて、何度か読み返し、彼にメールを出した。

メールを出した後、仕事場の窓に下がったシェードの隙間から、
マンハッタンの下界を見下ろし、僕は、大きなため息を一つついた。。

返事は期待していなかったが、暫くして、彼からメールが帰って来た。
短いメールだったが、奥さんの生まれ故郷の中西部に奥さんを埋葬してから、
来週ニューヨークに戻るので、その時に話をしたいと書いてあった。 
そして最後に、気遣いと君の過去の出来事をシェアしてくれて有り難うと書いてあった。

きっと、彼は今頃、11歳の娘とまだ4−5歳の養子の息子の手を引いて、
中西部の田舎町の教会に彼の奥さんを埋葬している事だろう。

暫くして、気持の整理をして、僕は、また淡々と仕事をこなした。 
今日は、彼女のバイトが早く終わりそうだったので、
7時半に彼女をバイト先に迎えに行き、ダウンタウンに車を飛ばして、
彼女の継母の家の近くのB Barというレストランで簡単に食事をした。

今日は、昨日とまたうってかわって、なま暖かい変な夜だったが、
寒くはなかったので、B Barの庭に出されたテーブルで食事をした。 
B Barはもともと、ガソリンスタンドだった所をレストランに改造した面白い作りで、
壁に囲まれた敷地の一部分には、普通のレストランが建てられ、
その周りには木々が植えられ、テーブルが庭に置かれ、
木々の間には、色とりどりの電球がかけられている。

僕らは、庭に置かれたテーブルに腰を下ろし、
色とりどりの電球を見ながら静かな食事をした。

彼女の弟が、明日から暫く旅行に行くので、彼女は、
弟と継母の家で逢う事になっていたので、早めに食事を済ませ、
彼女を継母の家で降ろして、僕は久しぶりに自分の家に戻った。

彼女は、今日は少し疲れたようで、あまり元気がなかった。 
継母の家まで送り、彼女を降ろすと、寝る前に電話をすると言って、
微笑んでキスをしたが、あまり具合が良さそうには見えず、元気がなかった。

明日は、また彼女の病院の日だ。



2006年10月20日  バイク通勤

朝、カーテンの隙間から寝室に入ってきた太陽の光で目を覚ましたが、
何か、シャキッとせず、目覚めが悪かった。

ぼさぼさの頭を掻きながら、ベッドから這い出し、
ベランダに出て朝の空気を深呼吸して、クシャクシャになった煙草に火をつけた。
喝を入れるために、ステレオの音量を上げてStonesを聞いた。
Stonesが大音量で流れる中、僕は、煙草を加えたままコーヒーメーカーのスイッチを入れ、
フライパンを取り出し、サニーサイドアップを作った。
キッチンで立ったまま、食事をし、食器を流しに突っ込んで、シャワーを浴びた。

こんな日は、バイクに乗るにかぎる。。

僕は、何本目かの煙草を耳に挟んで、革ジャケットを引っ掛け、
エンジニアブーツを履き、バイクのキーを手に、アパートを出た。。

僕は、バイクで川沿いのハイウェイを走った。 
川からの風を感じながら、スロットルを開いた。 
僕のチョップド ハーレーは、前足(前輪)を少し浮かせながら、
特有の排気音をたて、周りの車を遥か後ろに押しやった。。。

メタリックシルバーのガスタンクに、雲の合間から顔を出す太陽が写った。。

仕事場の駐車場にバイクを乗りつけると、駐車場の管理人の大柄のメキシコ人が、
”アミーゴ!今日は馬かい?”とでも言うように、
バイクにまたがる身振りを滑稽にして僕に笑った。

僕も笑った。。 仕事場につき、いつものように仕事をこなした。
今日は、来客もなかったので、
バイクに乗る格好で仕事場に来ても困る事はなかった。(笑)

昼前に、病院に行く途中の彼女から電話があり、少し話をした。
彼女は、まだ機嫌が直っていなかったが、
別に僕らが喧嘩をしている訳ではないので、自然に話をして電話を切った。
彼女は、病院が終わったらまた電話をすると言った。

昨日から具合が少し悪そうだったし、今日は病院に行く日なので、
色々なプレッシャーから機嫌が悪くなるのは、当然の事だ。

2時過ぎに彼女から電話があり、昼を一緒に食べようと誘われ、
二人でよく昼を食べる6ht Avenueのレストランで待ち合わせをした。 
レストランは、僕の仕事場から近いので、僕は、歩いてレストランに向かうと、
珍しく彼女の方が、先にレストランについてた。

二人で通り沿いのテーブルに腰を下ろし、アイスティとサンドウィッチをそれぞれ頼み、
サラダをひとつ頼んで二人でシェアをした。 昼食を食べながら、
彼女の病状と医者のコメントを聞いたり、今日の学校の準備の話をしたり
週末の話をしたりした。僕は、彼女の手をテーブル越しに握ったまま、彼女と会話を続けた。 

話し続ける事で彼女もだんだん気持ちが落ち着いてきたのか、
いつものように陽気に笑い出すようになり、僕の手をつかんだり、
肩を叩いたり、いつもの彼女に戻って行った。。

僕も、そんな彼女に微笑んで、キスをした。

食事が終わり、彼女の学校の途中まで、僕は彼女と一緒に歩いた。
途中でスタバによってChai Teaを買い、二人で手を繋いで、
セントラルパークまで歩き、パークサウスを5th Avenueまで歩いた。
かなり涼しくはなってきたが、まだ外を歩くには素晴らしい気候で、
僕らは手を繋いで、Teaを分け合いながら、散歩を楽しんだ。

僕も仕事に戻らなければ行かなかったので、
60th Streetの横断歩道で彼女にキスをして自分の仕事場に戻ることにした。

別れ際に、彼女が、”後で学校まで迎えに来てくれる?”と聞いた。
僕は、駐車場のメキシコ人の真似をして、バイクにまたがる真似をしながら、
”今日は、馬(二輪)だけど、それでも良い?”と聞いた。

彼女は、鼻にしわをよせて笑いながら、”馬でいいよ。”と言って僕にキスをした。
彼女も元気になってきたようなので、僕も少し安心し、
彼女を見送り、仕事場に向かって歩き出した。
後で、彼女を迎えに行く。。



2006年10月21日  タバコやめようかな。

昨日は、結局、彼女に言われたように、バイクで学校に彼女を迎えに行った。 
丁度授業が終わるタイミングで学校に行き、壁にもたれて彼女を待った。 
タバコを吸いたかったけれど、
キスをするとタバコを吸っていた事がバレてしまうので、タバコは我慢した。

タバコが吸えないので、手持ち無沙汰でモジモジしていると、
彼女が校門から姿を現した。 僕を見つけると笑顔で手を振って、
小走りに僕の方にやって来て、キスをした。 
僕は、彼女にメタリックシルバーのヘルメットを渡すと、
”タバコ吸ってなくて偉いじゃない。”と言われた。 
僕は、”当然だよ。”と嘯きながら、タバコを我慢して良かったなと胸を撫で下ろした。。。

僕はバイクにまたがり、彼女をガンファイターの僅かなスペースに座らせて、
二人で夜の1st Avenueを彼女のアパートに向かった。 
二人でバイクに乗ったのは久しぶりだ。 僕は、彼女を背中に感じながら、
今にも雨が降り出しそうなマンハッタンの夜の空気を切って、
一路彼女の家を目指した。

バイクを彼女のアパートの前に留め、
二人で近くのスーパーマーケットで夕食の食材を買い、家に戻った。
彼女と一緒に小さいキッチンに入り、二人で簡単な夕食を作り、
彼女が欠かさず見ている木曜日の夜のTVドラマを見ながら二人でTVディナーをした。

夜の11過ぎに雨が降り始めた。
New York Metsの試合をTVで見ている間に彼女は、
僕の隣で可愛い寝息をたてはじめた。

僕は、彼女をベッドにうつし、ウイスキーのボトルを抱いてアパートの外に出た。
僕のバイクが、雨に濡れて、通りを車が通るたびに、
ヘッドライトの光がガスタンクに眩しく映し出された。。 
僕は、アパートの玄関の階段に腰を下ろし、紙袋にいれたウイスキーをラッパ飲みしながら、
ジャンバーの袖のポケットに入れっぱなしにしていたタバコを取り出し、火をつけた。

彼女の手前、もうタバコは、やめようかなとぼんやりと思った。
タバコの火を暫く眺め、僕は、タバコを通りのマンホールに投げ、
マンホールに溜まった水が、タバコに染み込み、火が消えて行くのをぼーっと見つめていた。



2006年10月24日  日の出

なぜか、昨日は良く眠れず、夜中の2時半過ぎまで起きていた。 

ベッドに入ってからも寝つきが悪く、結局朝日が昇る頃には、目が覚めてしまった。 
お陰で2-3時間しか眠れなかったので、目は赤いし、頭はぼーっとしているが、
これ以上ベッドに横になっていても、眠れないので、眠るのを諦めてしまった。

Elvis CostelloのBest Albumをかけながら、僕はいつものようにコーヒーを沸かした。 
煙草は、あれ以来吸っていない。

暫くして、ベランダの先から太陽が顔を出し、部屋の中を真っ赤に染めた。 
僕は、何となくベランダの外に出て太陽が上るのを見ていた。 
そして、日の出を見ると、知らない間に手を合わせていた。

僕は、不信心な方で、自分では無宗教だと思っているし、
教会にも行った事がない。 昔、色々自分の身の回りに起こった事を考え、
むしろ神様などは存在しないと思っていた輩だ。

ただ今は、病気と闘いながら毎日を懸命に生きている彼女のためには、
藁をもすがる気持ちになっているのだろう。 
神々しい朝日の前に、僕は、手を合わせ、彼女の事を祈った。。

人は、大きな自然の前では、無力になる。 神々しい大きな力の前に、
ひれ伏して救いを求める事は、今の僕にとって、とても自然な事に思えてきた。 

コーヒーを飲み身繕いをして、僕は、早めに家を出た。 

午前中、真面目に仕事をしていると、彼女から電話があった。
バイト先に向かう途中に、僕の仕事場の近くに来たので、ちょっと顔を出さないかと、
電話口から元気な声で彼女が言った。

僕は皮のコートをはおり仕事場を出て、彼女と待ち合わせた交差点に向かった。

僕の最愛の人はもう交差点で僕を待っており、微笑みながら僕に駆け寄って来た。 
今朝は、気温が下がったので、彼女の手は、既に氷のように冷たくなっていた。。。

僕は、彼女の手を自分の手で温めながら、
二人で5番街のトランプタワーに向かった。そこで彼女の買い物に少し付き合った。 
アメリカのタワーレコードは、今月一杯で閉店になるので、今は、店じまいのセールをやっている。
僕と彼女は、トランプタワーの地下にあるタワーレコードに向い、DVDやCDを買い漁った。

何となく昼間にサボって逢引をしているようで、こういうのも楽しいなあと思った。
彼女にそう伝えると、悪戯っぽい笑みを浮かべ、レコード屋の真ん中で、
大げさにハグをした。回りの人が、微笑みながら僕らを避けて買い物を続けていた。

僕はちょっと照れたけれども、
彼女の悪戯っぽい笑みが幸せそうな微笑にかわるのを見ていると、
照れながらもずっとこのまま彼女を抱きしめていたい気がした。

買い物を済ませ、僕は、5番街を彼女のバイト先のビルまで歩いて送っていく事にした。 
二人で手を繋ぎ、真昼の5番街を歩いた。。 
ビジネスマンや、観光客が行き交う中、僕らだけちょっと場違いな気がしたが、
そんな事は、僕らにとってはどうでもよい事だった。。

彼女のバイト先で僕は、彼女と別れ、自分の仕事場に戻って行った。

ほんの1時間ほどだったけれども、僕は凄く得をした気持ちがして、幸せになった。
太陽に手を合わせたご利益かな?と思い、ちょっと頭を掻いた。。。



2006年10月25日  天使が舞い降りた。

今日は、朝から肌寒かった。

すっかり秋を通り越して冬が来るかのような感じがした。
革のコートをはおり、車に乗り込み、リバーサイドを走った。
ハイウェイから東側を見ると、曇ってはいたが、雲の切れ間から朝日が差し込み、
光の帯がいくつもマンハッタンの摩天楼に降り注いでいるように見えた。

まるで、天使がこの街に降りて来たようで、何とも美しい光景だった。 
僕は、路肩に車を留め、暫くその光景を見つめていた。

きっとこの街で沢山の人が、僕と同じように、この朝日を眺めているに違いないのに、
僕は、なんとなく、これは僕だけが見る事ができた宝物のような感じがした。 
そしてちょっとだけ幸せな気分になった。 今日は、天使に会えるかもしれない。。 
そんな気持がした。

ふと我にかえり、僕は車に乗り込み、仕事場に向かった。 
車のステレオからは、Bob Segerの古い曲、Against the Windが流れていた。 

仕事場の駐車場に車を滑り込ませ、
いつもの大柄のメキシコ人の管理人に車の鍵をわたし、僕は、地上に出た。 
摩天楼特有のビル風に煽られ、寒さにちょっと首をすくめ、小走りに仕事場のあるビルに急いだ。

仕事場に入ると同時に、まるで見ていたかのように彼女から電話があった。 
彼女は、ちょうどアパートから継母の事務所に行く所で、
出がけにバスに乗り遅れたようだった。 次のバスが車で寒くてしょうがないので、
話し相手になってくれと言われた。 

その言い草が可笑しくて思わず笑ってしまったが、
僕はその言い草が気に入ったので、次のバスが車で、彼女と話し続けた。
5分程話をすると次のバスが来たようで、
彼女は、”また電話をかける。 ありがとう。”と言って、電話を切った。。。

僕は、受話器を下ろしながら、全くもって今の僕は、
彼女に24時間振り回されているなと思ったが、
振り回されるのも悪くないと思い、一人で照れ笑いをした。。。

日中は、幾つかの会議や来客があり、忙しい一日になった。

仕事を8時までに片付け、僕は、彼女を大学に迎えに行った。 
学校の校門の前に車をとめ、彼女が出て来るのを待った。 
暫くして、彼女は、ブロンドの髪をなびかせながら、
寒そうに肩をすぼめて校門から姿を現し、僕の車に一目散に走って来た。

車に乗り込んで来た彼女を運転席側から抱きしめると、彼女の体は氷のように冷たかった。 
僕は、彼女の手を自分の手で暖めながら、車を北へ走らせた。

彼女のアパートに帰る前に、家の近くの日本レストランに立ちよって遅い夕食を二人で食べた。
日本食と酒を頼み、ふたりで料理をつついた。 レストランの中は、暖かかったし、
日本酒の御陰で体もかなり暖まったようで、彼女の頬にも赤みがさしてきた。 
それでも彼女の手は、病人のように青白かった。 もともと彼女は白人だし、
今は癌を患っているから、手が青白いのは当たり前だが、
僕と手をつないでいる事もあり、僕の手と比べるとその青白さが目立った。

彼女は、つないだ手を見つめ、”こうやってアナタの手と比べるとアタシの手は、
本当に青白い。”と言った。 
僕は、”有色人種の手と比べればどんな手だって青白く見えるさ。”と冗談を言った。。 

でも、彼女が自分の病気の事を気にしているのはすぐにわかった。 
それを打ち消すように、僕は、つまらない冗談を幾つか飛ばした。 
彼女も僕の気遣いをわかったようで、ぼくのつまらない冗談に笑い、話を変えた。。

食事が終わり、二人で手をつないでアパートに帰った。途中で彼女が寒いと言ったので、
お互いの体温でお互いを暖めあうように彼女を僕のコートの中に包んで歩いた。。 

彼女が、”まわりの人が見てるよ。”と言ったが、
僕は、彼女に、”僕は、君が好きだから、周りが見ていたも気にしないよ。”と答えた。 
彼女が、僕のコートの中で笑った。。。

確かに、この街には、天使が降りて来たと僕は、思った。 
それは、僕だけにしか見えない天使。。。 

翼がおれて飛べなくなっているけれど、なんとか弱った体にむち打って、
大空にもう一回飛び立とうと努力している天使。。。 
僕は、この街に舞い降りた天使をコートに包んで、冗談を言いながら、家路を急いだ。。。



2006年10月29日 神のご加護がありますように  ホームレスと天使

金曜日は、彼女と夜遊びをする日と決めているので、
僕は、サンディエゴの仕事を無理矢理調整し、木曜の夜の夜行便に乗り、
金曜日の日の出前にニューヨークに戻って来た。

日が昇りきる前に、家に帰り、2時間程仮眠を取って、
ニューヨークの仕事場に向かった。

彼女は、午前中にヘアーカットの予約を入れてあった。 
彼女のヘアーカットが終わった頃に、彼女から僕の仕事場に電話があった。
髪の毛を切りすぎてしまったようで、彼女は、ちょっと不満足の様子だった。
少し彼女と話をして、電話を切り、僕は仕事に戻った。

夜8時に彼女のバイド先に迎えに行き、彼女のアパートにまず車を走らせた。 
僕は、夜の10時にチェルシーにできたホテルの一階に
オープンした日本料理のOnoを予約した。 

僕の格好を見てから、彼女は、自分の洋服を考え始めた。
まだ時間は十分あったので、僕は、ソファに座り、彼女の話し相手をしながら、
彼女の着ていく洋服が決まるのを待った。

彼女は3着の洋服の中からどれを着ていくかを迷っていた。 
どの服を着るかによって、それにあわせて下着も替えないといけないので、
僕は、彼女のファッションショーとストリップを何回かソファで見る事になった。

たまに彼女は、申し訳なさそうな顔をして、”なかなか決まらなくてごめんね。”と言った。 
僕は、黙ったまま笑って、ソファから立ち上がり、彼女を抱きしめてキスをした。
僕は、ただただ彼女が、着ていく服を考えているのを見ているのが、微笑ましく、愛おしかった。 

だから彼女は、そんな事を申し訳なく思う必要は全くなかったのだが、
それを説明するのも野暮なので、僕は、ただ微笑んで彼女を抱きしめる事にした。

彼女の着ていくドレスがやっと決まり、僕らは、
雨の中を小さな傘に二人の体を何とかおさめて、
通りに停めてある車に飛び乗り、レストランに向かった。

Onoは、日本料理と言っても、それは名ばかりで、ニューヨーク独特の
Japanese Tasteの無国籍料理だ。 内装も豪華で、流石に流行っているだけあって、
予約を入れて行ったが、暫くバーで待たされる程だった。 
キャンドルライトに照らされた一際美しく見える彼女を前にして、
僕は、食事と、酒と、会話と、雰囲気を十分楽しんだ。

彼女も楽しかったようで、僕らは、キャンドル越しに手をつないだまま、
色々な料理と酒に舌鼓をうって楽しい時間を過ごした。

二人がレストランを後にした時には、既に夜中を回っていた。 
まだ小雨が降る中を、小さな折り畳み傘で二人は雨を避け、駐車場まで歩いて行った。

食べきれなかった料理をドギーバックにして持ち帰った。 
駐車場に行く途中のストリートの片隅に、
小雨に濡れながら地面に座っているホームレスが一人いた。

彼女は、何を思ったのか、そのホームレスの前で膝を曲げ、
彼と視線を同じ高さに合わせた上で、持っていたドギーバックの袋を微笑んで、
そのホームレスに手渡した。

ホームレスは、象のような小さく窪んだ目を彼女に向け、
料理の入ったバッグを受け取り、
”神様のご加護がありますように。”と彼女に告げた。

彼女は、また微笑んで、立ち上がり、また僕の腕に手を回し、駐車場に歩き始めた。
駐車場で車を受け取り、小雨の中を僕らは、彼女のアパートに車を走らせた。

途中で渋滞した事もあり、
彼女は、僕の右手を握りしめたまま助手席で可愛い寝息をたて始めた。

僕は、小さな声で、あのホームレスと同じように、
彼女に対して、”神のご加護がありますように。”と呟いた。。。

彼女の病気は確実に進行している。 食事もあまりできなくなり、かなり痩せてしまった。
僕は、小雨で曇りがちのフロントガラスを睨みながら、彼女の手を握り、彼女の事を考えた。。。

こんなに心の綺麗な人に僕は、いままで会った事がない。 
彼女と一緒にいる事で僕の心が何度浄化され、何度生き返った事だろう。。。 
でも、彼女の体の中の病魔は、確実に彼女の体を蝕みつつある。。 
いつまで、僕は、彼女とこうやっていることができるのだろうか。

そんな事を考えていると、彼女の幸せそうな寝息が、なによりも哀しく聞こえ、
僕は、彼女が寝ているのを良い事に、泣きながら車を運転した。。。 
雨でフロントグラスが霞んでいるのか、
僕が泣いているから涙で霞んでいるのか、わからなかった。。。


でも、今は、僕一人だから、そんな事を心配する必要はない。
僕は、彼女のアパートに車が着くまで、涙を流しながら車を走らせた。。

彼女のアパートの前に車が着く頃に、
まるでわかっていたかのように彼女は、目を醒ました。 
車を停め、二人で小雨の中を寄り添うように歩き、彼女のアパートに帰った。。

アパートのスチームがちょっと暑すぎたので、ベッドの脇の窓を少し開け、
僕らは、小さいベッドの中に体を横たえた。

僕は、彼女を抱きかかえ、彼女におやすみのキスをした。

彼女は、目をつむりながら、”今日は、本当にありがとう。”と言った。 
彼女の顔は僕の胸に埋められていたが、
僕は、胸に冷たい涙の滴が落ちたのを感じた。。 
僕は、それには気づかない振りをして、もう一度彼女の額にキスをした。。




  僕は、黒い光沢のあるパンツに、暗い紫色のシャツを着て、
  膝丈の黒い皮のコートに、マフラーを着ていくことになっている。 
  彼女は、まだ何を着ていくか決めていないので、また彼女の家に戻ったときに、
  色々洋服を着たり脱いだりするのだろう。(笑)


  服って本当に決まらないんだよね。(笑) それでね、
  アナタが着てるものでアタシの着てるものを変えなきゃいけないって言うから、
  僕が最初に着替える訳。 それを見てから、彼女は、色々考え始める訳。
  昨日も3回着替えた。(笑) それで、夜遊びだから結構露出度高い服着るじゃない。 
  だから、キャミソールとかも見える服着るから、下着から全部着替える訳。 
  だから、すごーく待たされるんだよ。 でも、そこで、”まだ〜?”とか言うと
  絶対喧嘩になるから、ずーっとにこにこしながら、”それ、良いじゃない。”とか言って
  座って待ってる訳。(笑)


  幸せな時間とか楽しい時間を持つってどんな状況でも絶対必要だと思います。 
  辛い時に、辛いですって思ってると、どんどん辛くなって行くだけのような気がします。 
  やっぱり、どんな時でも、どんな小さい事でも、
  楽しいなとか綺麗だなとか思う事って、大事だと思います。  



2006年10月30日  映画

今日も、朝から天気はよかったが、生憎、風が強かったので、思った以上に寒い一日になった。

彼女は、ガールフレンドとブランチがあり、
僕は、朝は、トレーナーが家に来てトレーニングの日だったので、
午後2時過ぎにダウンタウンで彼女と待ち合わせをした。

彼女と電話をした時に、彼女は、5th Avenueで買い物をしている所だった。 
丁度、キャッシャーで支払いをしている所だったので、
彼女は、店の前で僕を待っていると言った。

店の場所を大体覚えていたのだが、どのStreetだったかちょっと怪しかったので、
20th Streetを下ったあたりから、左右をきょろきょろしながら車を走らせたが、
丁度16th Streetの交差点の近くに、黒い革のジャケットを着て、
赤いマフラーをしめた彼女を見つけた。 

彼女も僕の車を見つけたようで、僕の方を見て、笑って手を振った。
僕も笑って彼女に手を振った。。

彼女を車に乗せ、僕は、彼女のアパートまで車を走らせた。
本当は、ダウンタウンに車を停めて、そのまま、ダウンタウンをぶらぶらしようと思ったが、
風が強すぎて、彼女の手が氷のように冷たかったので、
彼女の無理をさせないように家に帰る事にした。

彼女のアパートに帰り、6時に近くの映画館でジャック ニコルソンのデカプリオの
新しい映画を見る事にして、それまで、彼女のアパートのソファで休む事にした。

彼女は、僕の体の上に、覆いかぶさるように自分の体をのせ、
僕の手を握ったままの姿勢で眠ってしまった。

僕は、彼女の睡眠の邪魔にならないように、体を動かさないようにして、
自由になっている左手で、テレビのリモコンを操作し、テレビを見ていた。。

小一時間程して、彼女は目を醒まし、僕の体の上で猫のように伸びをして、
あくびをした。。 そのカッコが、何とも言えず愛らしかったので、
僕は、思わず笑ってしまった。。

このまま二人でゴロゴロしていても良かったのだが、折角なので、
最初の予定通り映画を見に行く事にした。 映画は、まだ日本で公開されていないので、
多くを語らない方が良いが、流石に、マーティン スコセッシだけあり、
非常に力の入った面白い映画だった。 同じデカプリオの映画で、
Blood Diamondも面白そうだったので、12月に封切られたらそちらも行こうと彼女と話をした。。

僕らは、最近は、もっぱら家でDVDを見る事が多かったのだが、
たまには、二人で映画館に行くのも悪くないなと思った。。

映画が終わり、映画館から家までの5ブロック程の道のりを
二人で手を繋ぎながら帰った。 風が相変わらず強かったので
彼女は僕にしがみつくような格好で、風を避けながら二人で歩いた。。

帰りに、近くのイタリアンレストランで食事をして、僕らはアパートに帰り、
僕は、彼女を先に寝かせ、今、明日の仕事の準備をしている。。 

今週の水曜日は、彼女の誕生日だ。

誕生プレゼントは用意したし、ディナーの場所も3つ予約して、
これからどこに行くか絞り込みをするだけだ。。。 

来週は日本なので、今週は、彼女の為に最大限に時間を使いたい。 
今は、何も知らずに、子供のような寝息をたてているが、
僕が必死で探したプレゼントを喜んでくれるかな? レストランを気に入ってくれるかな?
楽しい時を過ごせるといいな。。。と思いは尽きない。

僕は、彼女の寝顔を見ながら、
こんな素敵な人と時間を共有できる幸せを、誰にともなく感謝をした。。



2006年10月31日   Jazzな気持

今日は、昨日とうってかわって風もなく素晴らしい秋日和になった。
気温も20度近くまであがり、殆ど東京とわからない陽気だったと思う。

今日もいつもと同じように、仕事場で同じような仕事をし、
一日を過ごした。 途中、彼女と何度か電話やメールで会話をしたが、
いつもの月曜日と言った感じで時間が過ぎて行った。

夜の8時に彼女のバイト先に、彼女を迎えに行き、
いつもの通りに家に帰る途中で何処かのレストランで寄り道をして、
二人で食事をする。 本当に、いつも通りの代わり映えしないけれど、
なによりも幸せな時間が過ぎて行く。。

今日は、彼女のアパートの近くの古いイタリアレストランに出かけた。 
そこに行くと、いつもお客さんよりもウェイターの数の方が多くて、
ウェイター全員が、僕らの親の年代のような年寄りばかりで、
彼女はいつもそれがおかしくて一人で肩を震わせて笑っている店だ。

値段もべらぼうに高いけど、料理は素晴らしくおいしい。。 
いつ行っても、僕ら以外には、お客さんがおらず、客がいてもせいぜい、
3−4人しかいない。 店とは無関係のこちらの方が、
客の入りを心配してしまうような、そんな無頓着の店だ。。

今日もその店に入り、いつもと同じ料理を二人で注文した。 
店のウェイターを全員僕らの顔を覚えているので、
僕らが店に入るといつもと同じ、店の奥の角のテーブルに案内してくれる。 
そういうちょっとした心使いが、なんとも嬉しい。

流行の店や、若者が行くtrendyな所も良いけれど、たまには、
こういった、ニューヨークのローカルの連中が何十年も大事にして
来た古い場所に行くのも楽しい。。

いつも、流行の曲を聴いていて、たまに、トラディショナルなジャズが
聞きたくなるような感じだと思う。

二人で料理を堪能し、手を繋ぎ、楽しく話をしながら、家路についた。 
店の中で聞いていたジャズが、ストリートを歩いている時も
耳の中で鳴っているようで、ストリートに照らされた、
オレンジ色のナトリウム電気の光と、浮かび上がったレンガ色の低層住宅、
人通りの少なくなって来たストリートに、客待ちのイエローキャブが止まっている。。
ニューヨークが、ジャズを感じさせる一瞬だ。。

僕らは、家に帰って、暖炉に今年初めて火を入れ、ワインを注いで、
Archie SheppとMal Waldronの古いジャズのアルバムに針を降ろした。。
暖炉のオレンジ色の光に彼女の横顔が照らされた。。
暖炉の炎が揺れるたびに、彼女の横顔に作られた陰が揺れた。。

僕らは、ニューヨークにほんの僅かの間だけやってくる、
黄金の時とでも言うべき、ニューヨークの秋を、僕らなりの方法で満喫していた。 
たまには、こんなクールでセンチメンタルな夜も良いもんだなあと、
彼女の横顔を眺めながら、僕は思った。。







2006年11月01日   ハロウィン

今日は、彼女は、女の子達だけで集まってハロウィンパーティがあり、
僕は、例のゲイの友達にパーティに呼ばれているので、お互い別行動になる。
夜一緒にいられないので、彼女が学校に行く前に会おうということになり、
3時過ぎに6th Avenueのスターバックスで待ち合わせをした。

僕は、仕事場を途中で抜け出し、ハロウィンで浮かれ気味の街を歩いて、
待ち合わせ場所のスターバックスへ急いだ。

スターバックスに近づくと、既に彼女は、スターバックスでTeaを買って、
通りに立って僕が来るのを待ちながらTeaを飲んでいた。
路上で彼女を抱きしめ、キスをして、二人は、
セントラルパークの方向に手を繋いで歩き始めた。 彼女の授業の時間が迫っていたので、
二人でゆっくりするわけにも行かず、僕は、
彼女と一緒に学校まで10ブロックほどの道のりを一緒に歩いていく事にした。
手を繋いで、一杯のTeaを分け合い、たまに立ち止まって彼女を抱きしめた。

セントラルパークには、季節柄沢山の観光客がおり、
信号待ちの間にハグをしている僕達をみて、道の反対側に立っていた観光客は、
それをみて微笑み、写真を撮った。 

セントラルパークに入ると、沢山の観光用の馬車が客待ちをしており、
馬丁が、僕らに、馬車に乗らないか?と盛んに誘った。 
彼女は、馬車に乗って、学校に行こうか?と冗談を飛ばした。

僕らは、笑いながら、落ち葉を蹴っ飛ばしながら、歩き続けた。。。 
どこまでも彼女とあるいて行きたかった。。。 
このまま地球の果てまで歩いていきたかった。。。。

でも、そういうわけにも行かないので、半分ほど歩いたところで、
彼女と別れ、僕は、自分の仕事場に戻った。

彼女は、West Villageのハロウィンパーティに女友達と連れ立って、
出かけた。 僕は、ゲイの友達に拉致され、いつものとおり、
East Villageのゲイのハロウィンパーティに付き合わさせられた。

パーティーはオールナイトで続くが、僕は、
明日の仕事が早かったので夜中前に帰ることにした。 

丁度深夜の0時になった。 今日は、彼女の誕生日だ。 
僕は、彼女の携帯にショートメッセージを送った。

”誕生日おめでとう。僕は、最愛の人の誕生日を一緒に祝う事が出来て最高に幸せです。 
本当に沢山の愛をいつもありがとう。 

君の誕生日は、僕にとってとっても重要な日です。 
なぜならば、今日は、僕がこの世の中で一番愛している人が
この世に生を受けた日だからです。
この日がなければ、今の僕はいなかったし、
今日のこの日をこんな最高な気持ちで過ごせてはいなかったでしょう。

僕は、貴方を何よりも強く愛しています。
そして、その愛が決して変わらないことを約束します。”

と書いた。
すぐに彼女から返事があった。

”メッセージありがとう。 私も貴方をなによりも愛しています。 
その愛の深さは、貴方が想像している以上に遥かに深く強いものです。”

と書いてあった。

僕は、East Villageの雑踏を歩きながら、
携帯に光る彼女のメッセージを何度も読み返した。。。
照れ笑いを隠せないまま、僕は、彼女に電話をした


  ゲイのパーティーは当然全員女装!!
  みんな180以上あるのに、さらに20センチくらいのハイヒール履いて
  ダイアナロスみたいなでかいアフロのかつらかぶってるから
  全員2メートル以上あります。


  僕の事リアルで知ってるから、わかると思うけど、
  おっさんは、身長180あるから決して小さくないでしょ? 
  それでもねえ、奴らに囲まれると子供のように見えるのよ。 
  良い奴らなんだけど、昨日は、疲れました。。。(爆



2006年11月02日   誕生日

今日は、彼女の誕生日だ。

朝早く起きて、ジムに行き、トレーナーと2時間汗を流し、
まずは鈍った体を覚醒させた。

熱いシャワーを浴びて、いつもアメリカでは、硬い格好はしないのだけれども、
今日は、彼女の誕生日なので、久しぶりに背広を着てネクタイをしめた。

午前中は、ダウンタウンでミーティングがあったので、
先ずはそちらに向かって会議を行った。 普段ラフな格好でしか現れない僕が、
突然スーツで現れたので、ただそれだけで結構皆緊張してしまい、
かえって、会議の主導権を取れ、思いがけない利点があった。 

会議が終わり次第、車に乗り、仕事場に戻った。 
いつも使っている駐車場とは別の駐車場に車を止めた。 
その駐車場の前に有名な花やがあり、そこで誕生日用の花束を作ってもらう為だ。 
ただそこは、夕方の5時に店じまいしてしまうので、その前に車を止め、
花屋に花束のアレンジメントを頼み、弊店直前の5時にピックアップに行って、
そのまま花束を車に積み込み、いつもの駐車場まで車を移動させることにした。

面倒といえば、面倒だが、花束なんか持って仕事場をうろうろしていたら、
皆煩くてしょうがないので、花束を持ち歩かないですむように、
車の中にしまっておく事にしたのだ。

僕は、仕事場では一切のプライベートの話をしないので、誰も彼女の事を知らない。 
別に隠しているわけではないけれど、
仕事は仕事でプライベートはプライベートと言うのが、僕の主義なのだ。。

車を止めて、花屋に入り、誕生日用の花束のアレンジをお願いした。 
基本的には、薔薇なのだが、紅葉した楓を入れたり、秋の装いをアレンジしてもらった。

5時にピックアップする旨、花屋に告げ、僕は仕事場に急いだ。 
丁度、仕事場に着くと彼女から電話があった。 彼女と少し話をして仕事に戻った。

午後の仕事をこなし、5時ちょっと前に、仕事場を抜け出し、
花屋に花束をピックアップしに出かけた。 花束を受け取り、
花屋の前の駐車場に車を取りに行った。 駐車場で、車が出てくるのを待っていると、
僕の前で車を待っている女の人がずっと花束を見つめていた。 
僕が、車のリアシートに花束を置くと、彼女は、”素敵な花束ね。”と褒めてくれた。。 
その女性にウインクをして僕は、車に乗り込んだ。 その女性も微笑んだ。

夕方の渋滞の中を、いつもの駐車場に車を預けなおし、また仕事場に戻った。
彼女とその後も何度かメールのやり取りをしながら、
できるだけ仕事を片付けるべく真面目に働いた。
後、小一時間で、僕は、バイト先に彼女を迎えに行く。 
結局ダウンタウンの落ち着いた店に行く事に決めた。プレゼントも持った。
楽しい夜になると良いな。



2006年11月03日  彼女の笑顔を見るのは、何より嬉しい  黒いバッグ

昨日は、色々準備した甲斐があって、彼女も喜んでくれた。

8時前にバイト先に彼女を迎に行き、そのままトライベッカにある、
Hipな中華料理のMr.Chowに出かけた。Mr.Chowは、
一応中華料理ではあるけれども、それは所謂ニューヨーク流にアレンジされたもので、
なかなか面白い料理を出す。また一般的な中華料理と違って、
ここの料理の量が少ないので、二人で行っても色々なものを食べられる。

僕は、店の奥のほうのテーブルを予約しておいた。 いつもそうなのだが、
僕は、あまりドアの近くや、隣の席が近いところには座りたくないので、
いつも一番奥のテーブルを予約する。

彼女は、僕の性格を知り尽くしているので、奥のテーブルに案内されながら、
また僕の方を向いて笑っていた。 

僕は、キャンドル越しに一際眩しく見える彼女の手を取って、
席についた。 段取りは事前にレストランに指示をしてあるので、
僕らは席についても自分たちの会話を邪魔される事はない。 
こういう気遣いをするニューヨークのレストランは、非常に大人だなと言うか、
客の要望にProfessionalに対応するところは流石だと思う。

先ずは、ピンクシャンパンで、彼女の誕生日を祝して乾杯をした。 
彼女は、バイト先の同僚から誕生日の花束を沢山貰った事、
午後にカップケーキでちょっとしたBirthday Celebrationをして貰った事、
フロリダの兄弟から誕生日を祝った電話を貰った事などを、僕に教えてくれた。

ちょうどHalloweenの翌日だったので、
フロリダにいる彼女の姪っ子のHalloweenの仮装の写真などを見せてくれ、
昨日のハロウィンでの出来事など、色々な話で盛り上がった。

料理にあわせて白ワインを頼み、料理とワインを楽しみながら、
僕らは、ゆっくりとした時間を過ごした。最後に小さなケーキでまた乾杯をした。
彼女は、料理が一杯でもう食べられないと言っていたが、
笑いながら、またケーキに口をつけた。

ようやく食事も終わり、レストランを後にし、僕らはトライベッカの街並みを少し歩いた。
アスファルトの舗装ではなく、石畳の道に、ナトリウム電気の黄色い光が差し、
ストリートに立ちならぶレンガ造りの建物の窓からこぼれる灯りが、僕らを優しく照らした。

僕らは、彼女のハイヒールが石畳の隙間に挟まらないように、
ゆっくりと歩いた。 彼女は、僕の肩にもたれかかりながら、
”今日は、本当にありがとう。 でも、アタシは、あなたとだったら、
近くのダイナーでサンドイッチを食べるだけでも幸せなのよ。”と言って笑った。 
僕も笑った。僕は、彼女のそういった拘らない気さくなところも大好きだ。

暫くトライベッカを散策した後、僕は助手席のドアを開け、
彼女を車に乗せて、彼女のアパートを目指した。

彼女の右手を握り、この前の金曜日の夜と同じコースを走った。 
今日は、彼女も元気なようで、車の中でも色々な話を続けた。 
兎に角、僕たちは、良く会話をするカップルだ。 と言うか、
彼女の話を僕が聞くというのが基本だけれども、
よくもこれだけ話題が出てくるなと思うほど、彼女の話は、尽きない。

アパートに到着し、リアシートに隠していた花束を彼女にあげ、
もう一度Happy Birthdayと言った。 彼女は、
大きく手を広げて僕にハグをくれ、とっても素敵な花束だと喜んでくれた。

花瓶付きの花束で、結構大きいものなので、僕が花束を持って、
彼女の後をついていくような形で、二人で家に戻った。 
家の中に入りキッチンに花束を置いて、僕は、
隠していたもう一つのプレゼントを彼女に渡した。

それは、彼女が欲しがっていたバッグだった。 
彼女の好みはなかなか難しいし、彼女を連れて行って彼女の入る前で
プレゼントを買うのは野暮なので、なにか言い方法がないかとずっと考えていた。

その結果、僕はある方法を思いついて、それを1ヶ月前に実行した。
その方法とは、彼女に、日本に住んでいる僕の姪っ子の
大学入学祝いにバッグをプレゼントしなければいけないので、
バッグ選びを一緒にやってくれと頼んだのだ。

彼女と有名なバッグの店を何件も回り、
彼女は色々と僕の姪っ子の為にバッグを探してくれた。 
バッグを彼女に選んでもらう中で、彼女が自分で使うのだったら
どれが良いかとか色々さりげなく聞いてみた。 彼女と僕の姪は歳が違うので、
彼女は、姪っ子には、もっと若めのバックを選ぶが、
”アタシが使うんだったら、こっちの色でこの形が良いけど、
姪っ子さんだったら、そっちの方が良いわね。”と一度だけ言った事があった。

僕は、その言葉を頼りに、彼女が気づかない間に、姪っ子用のバッグの他に、
彼女が言った別のバッグを買い、別のバッグは、
後で店に取りに来るからとそっと店員に告げ、
姪っ子用のバッグだけを持って彼女と店を出た。

僕のトリックを途中でバッグ店のゲイの店員に伝えると、
まるで大事な秘密を打ち明けられたかのように、
ゲイ独特のポーズで驚きの表情を見せ、喜んで僕のプランに協力してくれた。

そうやってやっとの思いで選んだバックだった。

彼女は、包みを開けて、中からそのバックが出てくると、
全てを理解したようで、急に笑い出した。”絶対何かやってると思ったのよ。”と彼女は言った。
でも、それがこのバックだったとは、分からなかったようだ。 
心配だったのだが、彼女は、バッグをとても気に入ってくれたようで、
もう一度大きなハグを僕にくれた。

最後にBirthday Cardを彼女に渡した。 
何を書いたかは、僕と彼女の間の秘密だ。(笑)

平日から彼女をあまり疲れさせてもいけないので、僕は、彼女を抱きかかえ、
ベッドまで連れて行き、彼女を寝かしつけた。
僕は、彼女の髪の毛を撫でながら、これから長い間、
何回も何回も彼女の誕生日を祝う事が出来たら、なんて幸せだろうと思った。

もう悪い事はしませんから、どうか、僕のこの願い事を叶えてくれますようにと、
神様にお願いをしてみた。



2006年11月04日   新たに癌が転移

彼女の誕生日から一夜明けた。
彼女は、ガールフレンドと一日遅れの誕生日パーティをする事になっていたので、
僕は、別行動で、ニューヨークに遊びに来たマイミクさんと会う事にした。

彼女は、午前中、継母の仕事場で働いていたので、
昼を一緒に食べようと約束していたが、CTスキャンをした医者から、
CTスキャンの結果、気になる部分が出てきたので、至急病院に来るように言われ、
彼女は、予定を変更して医者のところに出かけた。

医者は、72丁目にオフィスを構えているが、彼女は、57丁目から
72丁目まで天気が良かったので運動がてら歩いて出かけたようだった。

歩きながら、彼女は僕の仕事場に電話をしてきた。
僕は、彼女と一緒にいて上げられない代わりに、
彼女が72丁目に着くまで、ずっと電話で話をした。

まるで二人で肩を並べて歩いているような感じで話をした。 
もう医者に振り回されるのには、慣れっこになってきたので、
彼女も緊張はしていたが、取り乱す事はなく落ち着いて
僕に医者との会話を説明してくれた。

かなり長い間、彼女と電話で話をした。。 
暫くして、彼女は、72丁目に辿り着いた。 
彼女は、医者の診断が終わったらまた電話をすると言って、電話を切った。。

1時間ほどしてから彼女から電話があった。 
彼女の大学の講義まであまり時間がなかったが、僕らは、
58丁目と5th Avenueの角で待ち合わせをした。 
僕は、彼女がきっとのどが渇いているだろうと思って、
水のボトルを一本仕事場の冷蔵庫から取り出し、それを持って待ち合わせ場所に向かった。

待ち合わせ場所に向かうと、既に彼女は、そこに立っており、僕が来るのを待っていた。

いつものように僕は、彼女を抱きしめてキスをした後に、
水のボトルを彼女に渡した。 彼女は、僕に水を持ってきてくれるように
頼もうと思っていたようで、ボトルを見ると、
”何で私の気持ちが分かったの?”と言って笑い出した。 
僕は、”君の考えている事は、大体分かるから。”と言ってウインクをした。

僕達は、何日か前と同じように、
セントラルパークを彼女の大学に向かって一緒に歩いた。
彼女は、歩きながら、水のボトルのキャップを空け、歩きながら水を飲んだ。。。 
結局CTスキャンの結果、また新しい影が見つかったので、
その部分のサンプルを取って検査をする事になったらしい。 

思ったよりも彼女は冷静で、不愉快ではあるけれども、
仕方がないので検査を受けると言った。 
僕は、検査の日には一緒に行くからと伝えた。。 
彼女は、水をまた一口飲み、”ありがとう。”と微笑んで、話題を変えた。。。

二人で、色々な話をしながら学校まで歩いて行き、
僕は、彼女を大学の入り口で見送って、仕事場に戻った。。

仕事の終わりがけにパーティの終わった彼女から電話があった。
かなり酔っ払っているようだったので、パーティをしたレストランまで
彼女を迎えにいくといったが、タクシーで帰るから大丈夫だと彼女は言った。

彼女の家の方向に車を向けた時に、もう一度彼女から電話があった。
彼女はタクシーに乗ったのだが、丁度コロンバスサークルを走っていたらしく、
僕の居場所を聞いた途端にタクシーを飛び降り、僕のところに走ってきた。

走ってきた彼女を抱きとめ、車の助手席に座らせ、
僕は、車を彼女のアパートに走らせた。 
彼女は、久しぶりのガールフレンド達との飲み会で、非常に楽しかったらしく、
ちょっともつれた口調で、色々な話をしてくれた。。

本当は、お酒は飲まない方がよいのだが、
あんまり彼女が楽しそうだったので、僕は、何となく嬉しくなった。。 
彼女は、色々なゴシップ話を僕に教えてくれては、一人でけらけらと笑っていた。。 

彼女のアパートにつき、僕は、酔っ払った彼女を抱き上げて
いつものようにベッドに連れて行き、彼女を寝かしつけた。 
ベッドの中でも彼女は、まだけらけらと笑っていた。。 

ひとしきり笑った後で、彼女は僕に腕を回し、僕を見つめ、
”凄く楽しかったけれど、貴方に会いたいなあと思っていた。”と言って、
キスをしてくれた。。 僕も、何か気の効いた事を彼女に言おうと思ったら、
彼女は、もう可愛い寝息を立てていた。。。 
その子供のような愛おしい寝顔を見つめ、僕は、一人で照れ笑いをした。。


  やっぱりどんな時でも最愛の人が、楽しそうに笑っているのを見るのが
  一番幸せな気分になります。 人の微笑みが、自分の幸せだって
  思えるまでに結構時間がかかったけれど、今は、本当にそう思います。



2006年11月05日  明日から、また日本。  彼女との日常


AM11時前に彼女から電話があり、これからアパートに帰るので、
アパートに直接来てと言われた。 僕は、仕事を片付け、


彼女のアパートの前に車をとめ、アパートに入ると、
彼女は既に家に帰っており、青いバスローブに身を包んで、
化粧も落とした後だった。 僕は、石けんの香りがする彼女を抱きしめてキスをして、
抱き上げ、彼女を居間のソファに座らせた。。

居間のテーブルには、僕が誕生日にプレゼントした、
花束が花瓶にさされて飾られていた。 
花瓶には、僕のカードが置かれており、ちょっと恥ずかしかったけれども、嬉しかった。

ステレオで音楽を聴きながら、ソファに二人で腰を下ろし、
暖炉の火を見ながら、それぞれの一日について話をした。 
僕は、暖炉の火で赤く染まる彼女の横顔を見つめているだけで、幸せだった。。。

夜も遅くなってきたので、僕は、彼女をまた抱き上げてベッドに移し、
自分もベッドの中に入って彼女を抱き寄せ、またベッドの中で暫く話をした。。 
彼女はいつも以上に、饒舌で、自分がはじめて二日酔いになった
昔の思い出話を、おもしろおかしく始めた。 
彼女の話がお茶目でおかしかったので、僕も思わず笑ってしまい、
彼女は、僕のそんな顔をみて、また嬉しそうに笑った。。

いつの間にか、二人とも寝てしまったようだ。。。
僕は、暫くして目を醒まし、彼女が風邪をひかないように窓を閉めたり、
ブランケットをかけたりした後にTVを見ていたが、やはりそのうちに眠ってしまったようだ。。

僕が土曜の朝の9時頃に目を醒ますと、彼女は僕の隣に寝たまま、
昨日の夜に録画をしておいたTVを見ていた。 僕が、目を醒ますと、
見ていたTVを止め、”起こしちゃった? ごめんなさい。”と言って、僕にキスをした。

僕は、TVの音は邪魔にならないので、彼女に、
そのままTVを見て構わないと伝え、彼女の胸にもう一度顔を埋め、
彼女が僕の頭を撫でている間に、また眠りに落ちた。

結局、僕はAM11時近くまで寝てしまったようで、目を醒ました時には、
彼女は、もうシャワーを浴びた後だった。 
彼女は、12時15分から大学の授業があるので、
僕も、ベッドから出て、シャワーを浴びて、準備をした。

彼女が簡単な食事を準備してくれたので、二人でそれを食べ、
僕も急いでシャワーを浴びて着替えをし、彼女を大学まで車で送って行く事にした。 

二人で素晴らしい秋日和のニューヨークの街並をあるいて近くのスタバに行き、
ChaiTeaを二つ買って、車に乗り、大学に向かった。車の中でも色々と話をした。

来週の土曜日には彼女は大きな試験があるので、
来週は、学校の方も忙しくなり、僕が日本に行っていた方が、
勉強に集中できてよいと思うが、それでも、暫くして彼女は、ぽつりと、
”明日からまたいなくなっちゃうんだよね。”と言った。。。

彼女は、一瞬寂しそうな顔をしたが、車から降り、白い帽子をかぶり直して、
僕の方に笑みを浮かべ、投げキスをして、大学の建物の中に消えて行った。。。



2006年11月06日  アメリカと戦争

僕は、東京行きの日曜の朝のフライトを取った。

空港に向かう車の中から、彼女に電話をした。 
彼女は、今日はニュージャージーの親戚のホームパーティに呼ばれており、
一日ニュージャージーに出かける事になっていた。 彼女と少し話をした。

彼女と話をしながら、車窓から外を眺めると、
曇り空の中を沢山の飛行機が行き交うのが見え、
ニューヨークの空港の忙しさを感じる事ができた。。

空港に着き、チェックインをし、ラウンジでメールをチェックした。 
僕のベネズエラ人の友達のロドリゲスからメールが入っていた。 
彼は、第二次大戦、朝鮮動乱、ベトナム戦争、
サラエボ事変という紛争と言う紛争には、全てアメリカ軍の尖兵として
参加している有名な101空挺師団に所属している。
空挺師団と言っても昔のようにパラシュートで降下するのではなく、
ヘリコプターに乗って移動をするので、今では、Air Assaultと呼ばれている。

彼は、2度目のイラクから帰ってきたようだ。 僕とロドリゲスは、
同じ頃に、永住権を取得した。アメリカで市民権や
永住権を取得する外国人は、強制的に、兵役の義務がある。

僕は、既に年寄りなので、兵役の免除があり、予備役にまわされたが、
ロドリゲスは、まだ若いので、徴兵され、
Air Assaultに配属され、2度もイラクに行かされた。

彼に電話をして、暫く話をした。 
自爆テロの餌食にならずに無事に帰還したことをお祝いし、
僕が日本から帰ったら飲みに行こうと話をした。

いつもどおりの明るい声だったけれども、彼の声は、やはり疲れており、
凄く年を取ったような感じがした。 やはりイラクで戦争の意義に
疑問を感じながらも、自分の生活と家族の生活を守るために
戦い続かざるを得ない彼の複雑な心境と悩みが痛いほど伝わってきた。

日本人である僕も含めて、このアメリカと言う国で、
彼や僕のようなマイノリティが生きていく事は、大変だ。 
僕は、日本人と言うマイノリティながらも恵まれた環境で、
金回りも良く、彼の心境を語る資格がないことは十分に分かっているが、
それでも、この国で生き延びていこうとする外人と言う意味では、
やはり彼の苦悩を感じることができる。

イラク戦争に国を巻き込んだ、アメリカの主導者は、間違っていても、
ロドリゲスのように、アメリカで市民権を確保し、家族を養っていくために、
強制的に徴兵され、アメリカへの忠誠心を示すために、
疑問を持ちながらもイラクに行かざるを得ない。。 
戦争の現実は、個人にとっては重過ぎる影を投げかける。

それでも僕らは、生き抜かなければならない。
 この国で生きていく以上、他にチョイスはない。これを断れば、
市民権は得られず、アメリカでの職は確保できないし、
今更ベネズエラに戻ったところで、家族を養っていく事はできない。

僕にできる事は、彼のそういった板ばさみの心境を理解し、
彼がその心境をぶちまけたい時に、そばにいて話を聞いてやる事だけだ。
友達とは、きっとそういうものなのだろう。

彼と暫く話をした。 僕のフライトの時間になったので、
彼と来週飲みに行く約束をして電話をきった。 

飛行機に乗り、キャビンドアがしまる前にもう一度彼女に電話をした。 
彼女は、もう両親の家にいて、これから家族と一緒に来るまで
ニュージャージーに出かけるところだった。

話は尽きる事がなかったが、飛行機のドアが閉まったので、
僕は、彼女に土曜日に帰る事を告げ電話を切った。

飛行機が滑走路をすべるように走り、雲の中に隠れていくマンハッタンを
右手に眺めながら、僕は、彼女の事をい、友達の事を思った。。


  アメリカには、まだ差別が色々ありますね。観光とか留学だとかだと
  目立たないけれど、市民権とか永住権とか言い出した途端に
  色々な理不尽な事が起こります。



2006年11月08日  日本での仕事

日本に着いて一日目は、新宿のパークハイアットホテルで、終日仕事があった。

朝の8時に、用意をして六本木ヒルズの仕事場を出て、
かえで坂を降り、Tsutayaの下にあるスターバックスに向かった。

歩きながら、彼女に電話をして少し話をした。 
彼女は丁度バイト先にいた。ニューヨークの様子や、
彼女の一日について話を聞いた。 ニューヨークの天気は、素晴らしいようだ。

僕は、スターバックスにいつもニューヨークで飲んでいる
ChaiTeaを買いに行くと伝えた。 
彼女は、”ChaiTeaを飲んで、アタシの事を考えなさい。”と言って笑った。

僕は、彼女と携帯で話を続けたままで、スターバックスの店員さんに
ChaiTeaを頼んだ。 彼女は、僕と店員さんの会話や、まわりの音が、
電話を通じて聞こえたらしく、東京にいるみたいだと子供のようにはしゃいでいた。

バイト先でいつまでも長話をするわけにも行かないので、
タクシーに乗り込み電話を切った。

久しぶりにパークハイアットに行った。 
このホテルは、映画のLost In Translationの舞台にもなった所だ。

ニューヨークの建物に少し形が似たNTTのビルを眺めながら、
東京の秋の景色を楽しんだ。 一日仕事を続け、合間に時間を見つけて、
彼女におやすみの電話を入れた。

日本の仕事は付き合いが多いので、一日で3回Dinnerに出た。
夜中の12時頃に最後のDinnerが終わり、僕は、またタクシーに乗り込み、六本木に戻った。

車の中でまた彼女と電話をして、今日最後の会話をした。
火曜日のニューヨークの天気も素晴らしいようだ。 
僕は、そんな素晴らしい日に彼女をニューヨークにおいて、
一人でこんなところにいることをちょっと後悔しながら、
彼女におやすみを言って、タクシーの窓からヒルズの青い光をぼーっと見ていた。



2006年11月09日  日本での仕事 彼女

今朝は、朝早くから西海岸と電話会議があったので、
朝日が出る前から、オフィスで仕事をした。

電話をしながら、ヒルズの窓から外を眺めた。 
空がだんだん明るくなってきた。。 電話会議は、延々と何時間も続いた。。

結局、電話会議が終わった時には、空はすっかり夜が明けてしまった。 
僕は、シャワーを浴び、着替えをして、朝の街に出かけ、スタバにChaiTeaを買いに行った。

ジャケットを羽織り、秋を感じながら、昨日と同じように、
けやき坂を下って、スタバに向かう途中で、彼女に電話をして、おはようを言った。

彼女は、”おはよう”と優しい声で朝の挨拶をしてくれ、
”ChaiTeaを買いに行く途中でしょ?”と、まるで僕の生活を見ているかのように言った。。
彼女には、東京にいる僕が見えるようだ。。

僕は、昨日と同じように電話を繋いだまま、ChaiTeaを注文し、
電話を繋いだまま、外に置かれたスチール椅子に腰を下ろして、
まるで彼女が僕の前の椅子に座っているかのように、話を続けた。

暫く話をして、ChaiTeaを飲み干し、僕は、仕事場に戻ることにした。 
彼女は、”東京の朝をシェアしてくれありがとう。”と言い、電話を切った。。。

仕事場に戻り、一日仕事を続けた。 結構、忙しい一日だった。 
午後には、結構来客があり、夜は、ディナーに出かけた。。。

最後に東山で蕎麦を食べ、皆と別れてタクシーにのり、彼女に電話をした。 
今日、4度目の電話だ。。 僕の一日が終わる事を告げ、
一日の出来事を彼女に伝えた。 彼女は、バイト先で仕事をしていたので、
僕と話をしているのがバレないように小声で僕と話を続けた。

その小声が囁きの様に可愛かったので、僕は、
彼女に”その話し方、可愛いね。”と伝えた。彼女は小さな声で笑った。。

後、2日でニューヨークに戻る。。 
”早く帰ってきてね。”と彼女がまた小声でつぶやいた。



2006年11月11日  日本での仕事  彼女の気持ち(かわいい)

ここ何日かの東京の天気の良さには、本当に驚いた。 
毎日、ヒルズの仕事場から見る景色は、この済んだ天気のお陰で
はるか彼方まで見渡す事ができたし、秋の色合いが本当に美しかった。。

僕は、良く仕事の合間に、
ベイブリッジから先の東の空を見つめて彼女の事を考えた。。 
今、何をしているのかな?とか、他愛のないことだが、東の空を見ると、
はるか彼方に何となく、彼女の住んでいる街を思いやる事ができるような気がした。

お陰で、6日たった今では、東の空の風景をすっかり覚えてしまった。 

彼女は、土曜日の午後に大学の試験があるので、ここ何日かは、
試験勉強に明け暮れていた。 昨日のニューヨーク時間の夜に電話をした時にも、
彼女はまだ起きていて勉強をしていた。 
”この歳になって、試験勉強で緊張するとは思わなかった。”と彼女は、
言って、笑った。。。

ニューヨーク時間の金曜日の朝の6時半に起きる事になっていたので、
僕は、彼女にWake-Up Callをする事にした。 
ちょうと東京時間の夜の8時半なので、
食事に行く時にでも彼女に電話をすればよいと思った。。

彼女にお休みを言って、僕は電話を切り、仕事に戻った。 
その後、何度か東の空を見つめ、夜になった。。。  
僕は、仕事関係の食事があったので、7時過ぎに車に乗り、
指定されたレストランに向かった。。

7時半頃、彼女から電話があった。 
僕は、彼女の電話のRing Toneを変えているので、
彼女から電話があった場合には、呼び出し音でわかるようになっている。

その聞き慣れた呼び出し音が、車の中でなった。。。 
あれ?まだ一時間早いのにと思いながら、電話を取ると、
電話の向こうから、まだ眠そうな彼女の声がした。。 
”緊張して、寝付かれない。。”とかすれた声で言い、彼女はまた小さく笑った。。

僕は、可愛いなあと思いつつ、彼女とまた少し話をして、
あと一時間ベッドで休んでいるように諭し、一時間後に電話をすると伝えた。
彼女は、”ここにいてくれれば、寝付けないなんてことは、
ないのにね。。。”と言って、また笑った。



2006年11月13日  Homecoming  飛行場 見知らぬ人の温かい言葉

日本時間の11日の午後5時のフライトで、
僕は、雨の成田を発ち、ニューヨークを目指した。

僕は、空港にいる時には、いつも独ぼっちだ。。 
雨の成田でも、僕は一人で飛行機が来るのを待っていた。。 
飛行機は、満員のようで、周りを見回すと、日本人、アメリカ人、
たくさんの雑多多様な人達が、様々の気持で、ゲートの付近に集まっていた。。 

僕が、もっとも孤独を感じる瞬間だ。。 
僕は、仕事がら毎月飛行機に乗って色々な所に出かけるが、
小さなバッグを片手にこの空間にたつ時に、それが成田であれ、何処であれ、
自分が一人である事を強く感じる。。 別に、一人が嫌だという訳ではないが、
その時の精神状態によって、寂しい気持の時には、どうしようもなく寂しくなる。。

早く帰ろう。。 そういう気持で、僕はフライトの時間を待った。

搭乗時間になり、機内に案内されると、案の定、飛行機は満員だった。 
窓際の席に座り、隣になった女性と二言三言会話をした後で、
僕は、早々に眠りに落ちた。。 結局、食事も飲み物も取らず、
僕は11時間眠り続け、目が覚めた時には、ニューヨークに到着の1時間前だった。。

今日は、このまま彼女に会うので、飛行機の中で、簡単に身繕いをした。 
飛行機が着陸し、滑走路からゲートに向かう機内から、彼女に電話をした。

彼女は、セントラルパークにいたようで、元気な声で電話を取り、
”おかえりなさい。”と言って、小さく笑った。。 
僕は、まだ滑走路を走っていると彼女につたえ、彼女の家には、
5時半くらいに着くと伝え、車の中からもう一度電話をすると伝えた。。

飛行機から降りる時に、スチュワーデスが、
搭乗客の一人一人に挨拶をしてまわるが、彼女は、僕の顔を見ると、
”あなたとは、良く一緒に飛ぶから、また近いうちに会えるわね。”と言った。
きっと、こんなに良く寝て、手間のかからない乗客はいないから、
僕の事を覚えていたのだろう。。。

僕は、出口に一番近かったので、一番最初に飛行機を降り、
入国管理局に向かって人の全くいない暗い通路を歩いた。。 
入国管理局の審査官は、僕のパスポートに帰国のスタンプを押しながら、
”おかえり。”と言って微笑んだ。。 
知らない人にでも、おかえりなさいと言われると、なぜか気持が安らぐ。。

僕は、空港を出、外で待っている運転手を見つけて、車に乗り込み、
彼女のアパートを目指した。。 車に乗ったのを見ていたかのように、
彼女からまた電話があった。 彼女と暫く話をして電話を切った。。 
彼女のアパートにつく僅か一時間程の道のりの間に、何度も彼女から電話があった。
彼女の僕を待っている気持が何となくわかるような気がして、ちょっと嬉しかった。。 

6時前に彼女のアパートに着いた。 建物のドアを開け、階段を下り、
彼女のアパートのドアを叩いた。。 
ドアが開き、中から、最愛の人が微笑んでたっていた。

僕は、彼女を思いっきり抱きしめて、1週間分の抱擁とキスをした。 
彼女は、裏庭の落ち葉を集めていたらしく、僕が部屋に入ると、
裏庭に続くドアが開いており、外から涼しい風が部屋に入って来ていた。。

二人で裏庭に出て、僕も落ち葉を集めるのを手伝った。。。

彼女とゆっくり落ち葉を片付けて、暖かい紅茶を飲み、
二人でソファに寝転がって、お互いの1週間について話し合った。 

部屋中のロウソクに灯を灯し、ロウソクを浮かべたバスにゆっくりと入り、
暖炉に灯を灯して、二人で暖かいバスロープに包まって、
僕が作ったロシアンティを二人で分け合って飲んだ。。。

ロウソクの炎が揺らぐように、ゆっくりとした時間が二人を包んでいった。。


  いいですね。知らず知らず、知り合いが増えていくって感じで。
  人間関係ってどこでどういう風に出来ていくかわからないですね。
  逆にどこにでも知り合いが出来る機会があるということですね。


  どんな人だって、昔は知らない人だった訳で、
  どんな人とも心の交流があるって言うのは、やっぱり素晴らしい事だと思います。
  ふとした時に、見知らぬ人からかけられた一言二言に、
  心を暖められた事のある僕としては、つとめて、同じ温もりを、
  たくさんの見知らぬ人に分けてあげたいと思い、日々、
  どのような状況でも心の平静を保とうと思っています。 
 


2006年11月14日   Stay You  朝にギュット  日常

昨日は、カーテンを開けたまま寝てしまったので、
朝、肌寒い湿った風に頬を撫でられて目が覚めた。。
彼女は、僕の隣で、まだ猫のように丸くなって可愛い寝息をたてており、
僕が髪の毛を撫ぜると、一瞬微笑んだように見えたが、
それは僕の気のせいのようで、またスースーと寝息をたてていた。。。

紅茶を飲みたいなと思ったが、僕がベッドから起きると
彼女を起こしてしまうので、紅茶は我慢して、そのままベッドで時間になるまで、
低い空が奏でる色々な音を聞いて時間を過ごした。。

じきに彼女が、目を覚ました。。。 ”おはよう。”と言って、
僕を見上げ、朝のキスをくれた。。 僕も彼女に、
おはようと朝の挨拶をして、シーツの中の彼女を抱きしめた。。 

彼女は、起きぬけに強く抱きしめられるのが、好きだと言っていた。
そうすると、寝覚めが良いと聞いたが、それが本当かどうかは、
未だに分からない。。 ただ、彼女にそういわれて以来、
朝目が覚めるとベッドの中で、彼女を抱きしめるのが、僕の習慣になった。。

彼女を抱きしめ、朝の挨拶をして、僕はベッドから出て、
紅茶を立てた。 ベッドに紅茶を二つ持って行き、ひとつを彼女にわたし、
もうひとつをベッドの脇に腰を下ろして一口飲んだ。

紅茶を飲みながら、二人で少し話をした。

僕は、朝早く目が覚めてしまい、空が低かったので、
色々な音を聞いたことと、紅茶が飲みたくなったが、
彼女が起きるまで我慢していた事を話した。。

彼女は、それを聞いて笑い出した。 日曜の朝は、逆で、
僕が遅くまで寝ていたが、彼女は、自分が起きる時に僕を起こして、
色々と話をした。彼女が裏庭で働いている間、僕は、
まだベッドの中にいたが、窓越しに二人で色々と話をした。

彼女は、それを思い出し、”アタシは、貴方と話がしたいからいつも起こしちゃうけれど、
貴方は、ちゃんと寝かしてくれるのにね。。”と言って笑い出した。

僕も笑って、"僕は、起こしてもらって一緒に話をする方が嬉しいから。”と答えた。。。

紅茶を飲んで、僕はシャワーを浴び、身支度をした。 
彼女は、まだベッドに入ったままで、テレビのニュースを見ていた。
僕が出かける時に、彼女は、ベッドから出て、青いバスローブを羽織り、
僕を見送ってくれた。 もう一度玄関で彼女を抱きしめて、僕は、彼女のアパートを後にした。

今日は、彼女と彼女の妹と一緒にDinnerをする約束になっている。
それまでに仕事を片付けないといけない。 

僕は、オフィスの窓から雨に濡れた街を暫く見下ろし、
仕事に戻るために、窓のシェイドを下ろした。。。 
窓に当たる雨の音が聞こえた。。



2006年11月15日  悪戯 と プライベート

昨日は、夜になって突然、強い雨が降り出した。

僕は、彼女を8時にバイト先に迎えに行くために、仕事場を出たが、
丁度その激しい雨にあたってしまい、わずか2ブロック先の駐車場に
行くまでにすっかりずぶ濡れになってしまった。

濡れ鼠になりながら、駐車場の中に駆け込み、雨の滴を落としながら、
駐車場のチケットを管理人の大柄の黒人に渡した。

彼は、ずぶ濡れの僕を見て、僕の肩を叩きながら、
愛嬌のある顔でゲラゲラと笑った。 あんなにおおっぴらに笑われると、
腹も立たないものだ。 僕も、両手を広げておどけて見せた。

彼は、僕に、”傘を持っていくか?”と聞いてくれたので、
車の後部座席のドアを開けて、”傘なら売るほど持ってるよ。
ただ、車の中にだけどね。”と言って笑った。 
車の中に置き傘が3-4本転がっているのを見て、彼は、
また笑い、”風邪なんかひくなよ。”と愛嬌のある顔で言った。

僕は、彼に、”また明日。”と手を振って駐車場を出、
彼女のバイト先に車を走らせた。

街全体が、バケツをひっくり返したようで、逃げ場を失った人達が、
雨を避けるためにあたりを走り回っていた。

今日は、彼女の妹の仕事探しを手伝うために、
彼女と彼女の妹と会って食事をしながら話をする事になっていた。

たまたま彼女の友達で、偶然、昔、僕と一緒に仕事をした事がある女友達が、
ニューヨークに仕事の面接の為にやってきており、
ホテル代を浮かすために彼女のアパートに泊めてくれとやってきた。 
彼女は、いやと言えない性格なので、その女友達を家に泊める事になり、
急遽、その子も食事に付いて来ることになった。

別に、僕は、彼女との関係を秘密にしている訳ではなく、
沢山の友達が僕達の関係を知っているが、
僕は、仕事関係で自分のプライベートを一切知られるのが嫌なので、
仕事の関係者は、ごく親しい一部の人を除いて、僕のプライベートを一切知らない。

こんな仕事をしていると過去に、逆恨みをされた脅迫を受けたり、
個人的に危ない思いをした事があるので、それ以来、僕は、
仕事の関係者には、自分の住所も電話番号も、
当然家族構成や彼女の事など一切を秘密にしている。

彼女も僕の仕事の環境を知っていて、その辺は、よく心得ているので、
僕と昔仕事をした事があるその女性がDinnerにJoinする時に、
どう振舞うのかな?と少し興味があった。

8時過ぎに彼女とその女の人は、ビルの回転ドアから姿を現した。 
大雨の中、僕はその女の人のスーツケースをトランクに入れ、
その女の人を後部座席に乗せ、彼女を助手席に乗せた。

その女の人は、僕の昔の仕事仲間の秘書をしていたが、
5年前にその仕事仲間が引退をしてハワイに引っ越して以来、
会っていなかったので、5年ぶりにその人に会った事になる。

はっきり言って、僕は、その人を全く忘れてしまっていたのだが、
車の中で昔の話をしているうちに、だんだんと昔の記憶がよみがえってきた。

彼女の妹との待ち合わせ時間にちょっと遅れてしまい、
僕らが、レストランに着いた時には、彼女の妹は、もう席に座ってビールを飲んでいた。 
彼女の妹は、彼女に良く似ている。
僕は、妹の隣に座り、正面に彼女が座って、その女の人は、彼女の隣に座った。

妹は、ビール、その女の人は、白ワイン、僕と彼女は、
日本酒とそれぞれ好みの飲み物を注文し、乾杯をして、しゃぶしゃぶをつついた。。

その女の人と彼女も久しぶりに会ったらしく、昔話に花が咲いた。
話をしながら、僕の彼女はテーブルの下が見えないのを良いことに、
自分の足を僕の足の間に入れてきたり、
自分の足で僕の足を挟んだりして悪戯をしてきた。

彼女の顔を見ると、悪戯っぽく目配せをするので、
僕は、可笑しくてたまらなくなった。

彼女の妹は、引っ込み思案であまり喋らない人なので、
彼女とその友達が、昔話をしている間、たまに二人で、別の話をした。 
もともとの食事の目的は、妹の仕事探しを手伝う事だったので、
彼女が、どんな仕事をしたいのか、場所的には何処が良いのか、
どの位の給料が欲しいのか、などを聞いて、僕にレジュメを送るように言った。

その話が終わると、妹も落ち着いたようで、
だんだんと彼女と友達の話に加わるようになり、
最後は、かなり4人で色々な話で盛り上がった。

レストランは、妹の家の近くだったので、妹の家まで歩いて行き、
その後、僕は、二人を乗せて彼女のアパートまで車を走らせた。

食事の間は、雨が止んでいたが、彼女のアパートに着く頃には、
また大粒の雨が降り出した。 僕は、友達のスーツケースを下ろし、
二人と別れた。 別れ際に、彼女が、
”直ぐに戻ってくるから、ちょっとそこで待っていて。”と耳打ちをした。

僕は、言われたとおり、車の中で待っていると、
数分後に彼女が一人で現れ、僕の車の方に小走りでやって来て、僕の車に飛び乗った。

彼女は、今日の出来事をさも可笑しそうにケラケラと笑い、
”今夜は、貴方に触れないから。”と言って、僕を力いっぱい抱きしめ、
沢山のキスをくれた。。 
”アタシの関係ばっかりの食事に付き合わせてごめんね。”と彼女が言って、
笑った。 僕は、
”君がいるだけで十分楽しいから、僕の事は心配しないで。”と彼女に言って、笑った。

彼女は、それを聞いてもう一度笑って、
僕の顔を両手でつかんで引き寄せ、またキスをした。

暫く車の中で話をして、僕は、彼女をアパートの前まで送った。
雨が降っていたので、僕のコートの中に彼女を包み、雨の中を二人で歩いた。。

彼女が、僕のコートの中で、”妹が、貴方の事をカッコいい人だって誉めていたよ。
アタシも得意になって嬉しかった。”と言って、僕のコートの中から頭を突き出し、
”ありがとう。”と言って、またキスをしてくれた。

彼女を送り届け、僕は、雨の中を車に戻り、久しぶりに自分の家に帰った。
仕事をしながら、雨の叩きつける窓から外を眺め、彼女の事を思った。。。
暫くして、彼女からショートメッセージが携帯に送られてきた。

i am going to bed. thank u 4 2night. good night. love you.

彼女からの電報のようなショートメッセージを見て、
僕は思わず微笑み、空になっていたグラスにまたウイスキーを継ぎ足した。。



2006年11月16日  Walking With You  セントラルパーク散歩

天気予報では、今週一杯、雨模様のようだ。。。
だからちょっとでも太陽の日が差し込むと、
どうしても窓から外の様子を覗ってしまう。 
やはり、人間は、太陽の光が必要な生き物らしい。。

彼女もどうやら同じ事を考えていたようで、
彼女から午後になって僕の仕事場に電話があった。

彼女の夕方の講義が始まる前に、何処かで待ち合わせて、
セントラルパークを一緒に歩かないか?と彼女は、言った。 
僕の方は、仕事が溜まっている事は溜まっていたのだが、
何とかスケジュールを都合して、僕は、
彼女と3時過ぎに57丁目の交差点で待ち合わせる事にした。。

革のジャケットを羽織り、僕は11月の街に出た。 
太陽が出ているせいかいつもより暖かく感じた。 
街は、既にクリスマスの飾り付けが始まり、観光客の数も増えてきたような気がする。

僕は、57丁目の交差点につき、彼女を待った。 57丁目の交差点は、
ティファニー、ブルガリ、ルイビトンが4つ角のうちの3つを押さえているShopping街の中心地で、
57丁目と5番街の交差点の上には、クリスマスシーズンになると
巨大なオーナメントが飾られる有名な場所だ。

僕は、その4つ角に立ち、彼女が歩いてくるのを待ちながら、
ぼーっと行き交う人達を眺めていた。。

暫くして、彼女がiPodを耳につけながら歩いてくるのが見えた。 
穴の開いたジーンズをはき、銀色のラメの入ったフード付きのパーカーの上に、
赤いバックスキンのジャケットを着た彼女は、
僕を見ると大きく手を振り、交差点で僕らは、大きなハグをした。

昨日は、友達がアパートに泊まったので良く寝られなかったらしく、
彼女は少しやつれた顔をしていた。病気なんだから、
そんなに無理をしなければ良いのに、頑張りすぎてしまうのが、彼女の悪いくせだ。。

僕らは、手を繋いで、セントラルパークサウスに向かい、公園の中を散策した。

公園の木々は、既に紅葉のピークを過ぎ、多くの木々が、葉を散らし始めていた。
 落葉が遊歩道に絨毯のように敷き詰められ、僕らは、
それを蹴飛ばしながら歩いた。。 太陽が出ているといっても、
彼女の手が冷たくなってきたので、僕は、握っていた手をほどき、
両手をジャケットのポケットの中に突っ込んだ。 
彼女も右手を自分のジャケットのポケットに突っ込み、左手を、
僕のジーンズのお尻のポケットに突っ込んできて、
”こっちの方が、暖かいや。”と言って、笑った。。

僕も笑った。

二人で、笑いながら、子供のように落ち葉を蹴っ飛ばして遊歩道を歩いた。 
反対側から歩いてくる人達は、自然に僕達に道を譲ってくれる。。 
彼女は、それが可笑しかったらしく、一人でニヤニヤとしていた。。
知らないおばあさんが、僕達とすれ違いざまに、
振り向き、僕らに微笑んだ。 僕らもおばあさんに微笑み返した。

歩きつかれたのでベンチに二人で腰を下ろした。
彼女は、週に2時間、犯罪や家庭崩壊で社会に適合できなくなった
子供たちのカウンセリングのボランティアを始めたので、
その事を夢中で僕に話をした。

”アタシは、自分の世話も出来ないのに、
犯罪を犯した子供たちの世話をしようって言うだから、どうかしてるよね。”と、
彼女は、僕の肩にもたれかかりながら呟いた。 
”でもアタシは、自分が、情熱を感じる事をしたいから。”と彼女は、続けた。。

あとどの位、生きられるかわからない彼女にとって、
自分の生きた証を感じられる対象が、社会に適合できなくなった子供の
更正にあるのだとすれば、僕は、彼女を精一杯サポートしたいと思った。 

ただ、今でさえ十分時間がないのに、更に、他人の世話までするわけだし、
真面目な彼女の事だから、人の問題をまるで自分の問題のように悩む事は、
目に見えており、それが彼女の体力を消耗する事を僕は、恐れた。。

だけれども、色々考えれば、彼女が情熱を傾けられるものに、
情熱を傾ける事が、今の彼女にとっては一番大事なことだろうと考え、
僕は、彼女に、”それは、素晴らしい事だと思うから、頑張ってやったらよい。。 
僕も、何でも手伝うし、相談にのるから。”と言って、彼女に微笑みかけた。。

暫く、その話や、家族の話をした。。 そのうち、彼女は、カバンの中から、
学校のレポートを取り出し、僕に色々と説明を始め、コメントを求めた。 
彼女は、政治学を専攻していて、国際連合とエイズの取組みが、
今回の彼女のレポートのテーマだった。 僕は、政治学は、
あんまり得意ではなかったが、できるだけ真面目に彼女の話を聞き、
コメントできる事はコメントした。。 話をしている間も、木々からは、
絶えず木の葉が落ちてきて、その一枚が、彼女が広げているノートの上に落ちた。

彼女は、話をやめ、落ち葉をつまみ、暫くそれを眺めていた。。 
そして何かを決心するような顔をした後に、僕の方を向いて微笑み、
”少し歩こうか?”と言った。

二人でまた遊歩道を歩いた。 途中で、小さい動物園のそばを通った。 
彼女がオットセイを見たいというので、暫く二人でオットセイの水槽の前に、
腰を下ろした。 丁度えさの時間だったので、えさ欲しさに、
色々な動きをするオットセイを彼女は、子供のように喜んで眺めていた。

たまに思い出したように、彼女は、頭を僕の肩に乗せ、
僕に手を回して暖をとり、暖かくなるとまた、オットセイを眺めた。。

えさの時間も終わり、二人はまた立ち上がり、遊歩道を手を繋いで歩いた。。

彼女の大学の授業の時間が近づいて来たので、
68丁目で公園の外に出て、僕は、彼女を大学まで歩いて送っていった。
時間は丁度4時をちょっと回ったところだった。 ほんの一時間ほどだったが、
急に日が傾き、あたりが暗くなってきた。

薄暗くなってきたパーク アベニューを僕は、
彼女の肩を抱きかかえるようにして歩いた。。 

彼女が、ぼそっと、”アタシ達は、いつまでこうやって
一緒に歩く事ができるのかな?”と言った。。。

僕は、それには答えずに、ただ彼女の肩を強く抱いた。。 
彼女もそれに答えるように、僕に回した手に力を込めた。。

大学の角まで来て、彼女を抱きしめキスをして、彼女は、
大学の中に消えていった。一度振り返って僕に微笑みかけ投げキスをした。。

校舎に消えていった彼女の後姿を暫く見送って、
僕は、もと来た道を、仕事場に向かった。。。

さっきまでは、二人で楽しく歩いた道のりを、一人で、
ポケットに両手を突っ込み、僕は、歩き続けた。。

さっきと全く同じ風景が、僕には全く違って見えた。。 
一人で、落ち葉を蹴っ飛ばして歩いてみた。。 

冬は、もうそこまで来てるようだ。。。



2006年11月17日  晩秋

今日もはっきりとしない天気だ。

気温が高めなのが、救いだけれども、僕としては、
すっきりとした秋の空を期待しているので、天気予報で雨だと聞いていても、
やっぱり、朝起きて、どんよりしているとちょっとガッカリする。

昨日は、彼女の具合が余り良くなかったので、アパートに連れて帰り、
彼女を早く休ませた。 大学の授業も資料作りが大変だし、
バイトも二つ掛け持ちしているし、青少年の犯罪更正のボランティアも始めたし、
その上、病気だから、所詮やりすぎといえば、やりすぎなのだが、
最近の彼女は、生き急いでいるというか、忙しそうだ。

それゆえのプレッシャーもあり、自分で自分を忙しくしておいて、
自分で苦しんでいるようにも見える。。

ただ僕が、そんな事を言っては、元も子もないし、
きっと彼女もわかっていながらやっていると思うので、僕は、ただ一歩引いて、
彼女を見守り、いたわってあげたいと思う。

できるだけ彼女の仕事を手伝って、彼女の気持ちの焦りを刺激することなく、
彼女の負荷をできるだけ減らす事が、自然に、さりげなくできないか、
色々と考えている。。 さりげなくって言うところが、重要なので、
凄く気を使うけれど、そこが恋人としての存在意義なんだと思う。。

今朝もあまり具合は良さそうではなかったが、午前中に継母の仕事を手伝いに行き、
午後に病院にバイオプシー検査の結果を聞きに行った。

バイオプシー検査で、いい結果が出ることを期待していたのだが、
また何か問題が見つかったようで、再検査になってしまった。 

今日も何度か電話で話をしたけれど、
病院を出てから大学に向かう途中に彼女から電話があった。。 
”医者は、どうだった?”と聞くと、彼女は、”あんまり良くない。 
また何か見つかったみたいで、再検査。。 電話では、
あんまり話したくないから、後で会った時にまた話すね。”と言った。

咄嗟にそんな事を聞いてしまったことをちょっと後悔しながら、
僕は、話題を変え、彼女を学校に7時半にピックアップすると伝え、電話を切った。。

今日は、Bob Dylanが久しぶりにニューヨークでライブをするので、
そのチケットを2枚手に入れていた。 彼女が疲れ気味なので、
彼女に、”無理して行く事はないから、また今度にしないか?”と聞くと、
彼女は、”気晴らしがしたいから、出かけたい。 Dylanも暫く見てないし。”と答えた。

授業は、本当は、8時半まであるのだが、コンサートが7時半から始まるので、
彼女は、”最後の授業を途中で抜け出すから、7時半に迎えに来て。”と言って、
少し笑った。。僕も笑った。

電話を切り、仕事に戻った。。。 外に用事があったので、電話の後で、
少し街に出かけた。 交差点で信号待ちをしながら、ふと向かいのビルを見ると、
ビルの窓と言う窓に、クリスマスのオーナメントが飾られているのを見つけた。

もう、クリスマスの季節がやってくるのだなあと思った。。
クリスマスの飾り付けを見ていたら、なぜか哀しくなってきて涙が出てきた。。。
周りの人に気がつかれないように上を向き、僕は、交差点を渡った。。

後で彼女をピックアップして、Dylanを少しだけ見に出かける。



2006年11月18日  Knockin' On Heaven's Door

仕事の関係で、ニューヨークでの
Bob Dylanのコンサートチケットを2枚手に入れた。

その日は、彼女の大学の授業が、夜まである日だったので、
最初は、誰かにチケットをあげようと思っていたのだが、
彼女が見たいと言い出したので、二人で行く事にした。

丁度、大学の前に、先日の検査の結果を聞きに病院に出かけていたが、
残念ながら結果は、期待していたものではなく、再検査になってしまった。。

コンサートに行くのはやめようとも思ったが、彼女が楽しみにしていた事もあり、
結局、出かけてみて体調次第で帰ろうという事にした。

彼女は、8時半までの授業を7時半に抜け出し、
小さな折り畳み傘を握り締めて、校門で待つ僕の車の方にやって来た。

彼女を乗せた途端に、雨は、大雨になった。暫くすると、雨は止んだが、
また暫くすると大雨が降るという断続的な変な天気だった。 
まだラッシュアワー中と言う事もあり、また雨のせいで、
パークアベニュは、大渋滞になっていた。

彼女は、病院の結果が、期待したものでなかったので、
少しガッカリはしていたが、努めて元気に振舞っているようで、
今日の一日について色々僕に、話をしてくれた。。 

彼女のそんな気丈さと僕に心配かけまいとしている健気さが、
痛いほど伝わって来た。。 ただ、僕は、彼女のそれに騙されたふりをして、
彼女の話に陽気に相槌を打ち、くだらない冗談を雨の中、
渋滞で行き場のなくなった車の中で飛ばしあった。

酷い雨だったので、コンサートが行われたコンチネンタルアリーナに着くまでに、
いくつもの交通事故を見た。 アメリカ人って、運転ヘタなのかな?と思いたくなるように、
ちょっと雨が降ったり、雪が降ったりすると、そこらじゅうで交通事故を見かける。

話しつかれたのか、渋滞が長かったためか、そのうち、
助手席から可愛い寝息が聞こえてきた。。 彼女を見やると、目を閉じて、
気持ち良さそうに助手席で眠っていた。。 彼女の無垢な寝顔が、
反対車線のヘッドライトの流れにあわせて光にあてられ浮かび上がった。。

僕は、彼女を起こさないように、ゆっくりと車を運転した。
8時半にコンサート会場に到着した。 コンサートの開始時間は、
7時半だったので、1時間遅れだが、こちらのコンサートは、前座があったり、
色々な準備とかで平気で遅れるので、1時間遅れで出かけても、
まだコンサートは、始まっていなかった。

駐車場に入り、Parking Spotを探している時に、彼女は、丁度、目を醒ました。
彼女は、車の中で大きく伸びをして、僕の方を向いて微笑み、
”おはよう”と言って、キスをしてくれた。

車をとめ、駐車場から会場までの50メートル程を、二人で小さい傘を持って、
大雨の中を駆け抜け、コンサート会場の中に入った。

チケットには、セクション7の0列目と書いてあったので、
どこの席だか良くわからなかったのだが、案内をされると、
0列と言うのは、最前列の事だった。

”こんな良い席だって、知らなかった。”と彼女は、僕を見て驚いていった。
僕も貰いもののチケットだったので、どうせたいした事ないだろうと思っていたので
正直、ちょっと驚いた。

コンサートは、1時間半遅れの夜の9時から始まった。 
僕らが席に着いて、ホットドックだの、クラッカーだの、飲み物だのを買い込んで、
席で腹ごしらえをし終わった頃に、明かりが暗くなり、
ディランとそのバンドのショーが始まった。

ディランと言う事もあり、客層は、比較的高めだが、ニューアルバムが、
ビルボードのNo.1を取った事もあり、若い人達の数もかなりいた。
コンサート場は、当然禁煙だが、ディランと言う事もあり、まわりでは、
相当の人が煙草を吸ったり、マリファナをふかしたりしているようで、
独特の甘いにおいが色々なところから漂ってくる。。

なにか、70年代に逆戻りしたような錯覚を覚えた。
ディランは、相当の歳なので、流石にもう自分でギターを
かき鳴らすような事はしなかったが、それでも、あのシワガレ声は、
健在で、ハーモニカを吹いたり、たまにちょっとしたポーズを観客に取るだけで、
観客は、異常に盛り上がった。。

周りの人に押されるように、僕らも席を立って、ディランの音楽を聴いた。 
彼女が僕の手を握り、僕は彼女を後ろから抱きしめるような格好で、
ディランの音楽に聞き入った。

ディラン独特にゆるいワルツでは、周りの年配のカップルが
ワルツを踊ったりしていて、いつも僕らが行くコンサートとは
ちょっと雰囲気が違うけれども、こういうのもたまには良いなと思った。
僕らも何曲かワルツを一緒に踊った。。 僕らは、お互いをまっすぐ見つめ、
微笑みながら、ワルツを踊りながら輪を描いた。。 となりのカップルが、
僕らを見て微笑んで目配せをした。 僕らもウインクを返した。。

彼女に、”疲れたら帰るから、正直に言ってくれ。”と言ったが、彼女は、
”元気が出てきたから大丈夫。”と言い、結局、コンサートの最後まで、
僕らはそこにいた。

コンサートが終わり、僕らは人ごみの流れに身を任せながら、
駐車場に戻っていった。 彼女は、僕の肩にもたれかかり、
”今日は、本当に楽しかった。 ありがとう。”と言った。 
僕は、彼女の腰に手を回して、彼女を抱きしめた。。

雨は、小降りになっていた。 
夜中の1st Avenueを滑るようにして彼女のアパートに戻った。 
車をストリートにとめ、アパートに戻った。

ベッドに入り、明かりを消した。 彼女が、もう一度”今日は有難う。”と言って、
おやすみのキスをしてくれた。 ”明日の晩も泊まって行ってくれるでしょ?”と
彼女が、聞いた。 僕は、うなずいて、彼女の額にキスをして、眠るように諭した。。。

暫くすると、闇の中で、聞きなれた寝息が聞こえてきた。。
僕も、彼女を抱きかかえたまま、目を閉じた。。



2006年11月19日  キティちゃんの指輪 子供を産めない

Bob Dylanのコンサートの後、結局、
彼女のアパートに戻った時には、夜中を回っていた。

彼女の小さいベッドに二人の体を押し込み、
彼女を寝かしつけた後、僕も知らない間に眠ってしまったようだ。

翌日、鳥のさえずりで目を醒ました。。 
バーガンディ色のカーテンを指先で開けると、
既に殆どの葉を散らしてしまった枯れ木同然の木の枝に、鳥が一羽止まっていた。
カーテンの僅かの隙間から、外の世界を眺めた。。。

彼女は、いつものようにまだ眠っていた。 夜なかなか寝られないので、
どうしても朝方に眠る習慣がついてしまったようだ。。

僕は、彼女を抱き寄せたまま、また色々と考え事をした。。 
世の中には、思い通りにならない事が多すぎる。。 
僕は、最愛の人たった一人も幸せにできず、毎日悶々として過ごしている。。 
仕事の方も、彼女の時間を優先している皺寄せが色々とあり、
周りの一部の人間は、僕が、今までのような情熱を仕事に
注いでいないのではないかと囁いているのを知っている。。。

そういった連中は、僕がキャッシュアウトして、
静かに引退でもする事を期待しているのだろう。。 
色々と上手く行かない事が多いが、僕は、彼女の為だけに生きている。。
彼女が、少しでも有意義な時間を過ごす事ができれば、
彼女が、少しでも自分の生きている証を感じられれば、
彼女の笑顔を少しでも見る事ができれば、他に僕は何もいらない。。

暫くして彼女が目を醒ました。。 いつものように子猫のように背伸びをし、
体を伸ばして僕の上に乗り、”おはよう”と言ってキスをしてくれた。。

彼女が夜眠れなくなってから、僕は、家の目覚まし時計を全て捨ててしまった。
彼女が眠れる時に眠れるようにしてあげたい。。 
鳥のさえずにで目を醒まし、よる眠くなったら寝る。。それで良いじゃないか。。 

今朝は、彼女は病院に戻る事になっていたので、二人で出かける準備をし、
僕は、彼女を病院まで車で送って行く事にした。。

いつも通り、助手席のドアを開け、彼女を車に乗せ、僕も車に乗り込み、
イグニッションキーを回して車を目覚めさせ、
ギアを右手で握りながら、彼女の手を握った。。

彼女は、指輪が嫌いで、彼女が指輪をしているのをあまり見た事がない。。
いつも通り、彼女の手を握ると、小指に小さな指輪をしているのに気がついた。
気になって、彼女の手を取ってみて見ると、それは、小さなキティちゃんの指輪だった。

”なんでこんな物してるの?”と僕が、思わず聞くと、彼女は、
笑いながら、”これは、私のラッキーリングだから。”と言った。 
彼女の姉には、一人娘がいる。 彼女の姉さんは、旦那さんと色々あって別れてから、
女で一人で一人娘を育てているが、姉さんの仕事は、ソーシャルワーカーで
収入も少ないので、彼女が、生活費のかなりの部分を助けている。

事情があって子供を産む事ができない彼女に取っては、
姪っ子は、自分の分身のようなもので、”世の中で一番大事な人は、
姪っ子で、二番目は、アナタ。”と僕は、いつも彼女に言われている。。(笑)

その姪っ子が、自分のおもちゃの宝箱を開けて、
”これをあげる。”と言われてもらったのが、
何かのおまけのおもちゃのキティちゃんのリングだった。。

もう、キティちゃんの絵柄が剥げかかっているプラスチックのリングが、
彼女の小指に不釣り合いに収まっていた。。。

彼女らしいなと思ったので、僕は、微笑み、
”なかなか似合うじゃないか。”と言って、笑った。彼女も笑った。。

彼女を病院で降ろして、僕は、自分の仕事場に向かった。。 
久しぶりに美しい天気になり、僕は、車の幌を降ろして久しぶりの太陽の光に包まれた。

今日は、彼女は、実家に戻り妹と話があったので、
僕は、夜遅くまで働き、彼女を実家まで迎えに行って、
二人で彼女のアパートまで帰った。 アパートに着いた時には、夜10時を回っていた。

彼女の具合もあまり良くなかったので、薬を飲ませて、ベッドに寝かせた。 
彼女は、まだ寝たくないと言ったので、僕もベッドに入り、
二人でベッドに横になりながらテレビを見た。 彼女は、眠くないと言っていたが、
暫くすると薬のせいもありテレビを見ながら眠りにおちた。。

ベッドから出ると、彼女を起こしてしまうかもしれないと思ったので、
僕は、ベッドの中に入ったまま、チャンネルをいくつか変えた。。。 
昔のコメディの再放送を見たり、色々時間を潰したけれど、
僕は寝つく事ができなかったので、テレビを消して、真っ暗になった部屋で風に
揺れるバーガンディのカーテンを見ながら、また考え事をした。。

彼女の今朝のキティちゃんの指輪の話を思い出し、
僕は、一人でまた思い出し笑いをした。。 いかにも彼女らしい話で、
何度思い出しても思わず微笑んでしまう。。

恋は盲目で、あばたもえくぼと言うが、僕は、
彼女程純粋な心の落ちぬしに会った事がない。。 僕にとっては、
彼女は、かけがいのない天使だ。。 僕の人生に光を照らす為に降り立った天使。 
死ぬ事だけを考えていた僕に生きる喜びを教えてくれた天使。。 
僕に取っては、彼女は、間違えなく天使なのだ。。

ベッドで横になりながら、指輪嫌いの彼女だけれども、
キティちゃんのプラスティックの指輪をはめてくれるのであれば、
僕のEngagement Ringもはめてくれるかな?とか色々と考え始めた。。

ある医者は、彼女の余命は、もっても1年かもしれないと言っている。。。 
僕は、そんな医者の言う事は信じないけれど、こんな状況で、
彼女と永久の誓いをするのは、馬鹿げているかもしれないけれど、
今日、キティちゃんのプラスティックの指輪を見ていたら、そんな事を考え始めた。。
僕のそんな気持ちを知る由もなく、
僕の天使は、僕の胸の上に頭をのせて翼を休めていた。。



2006年11月20日  Left Alone  外でのジャズ

今朝も天気が良かったが、その分気温が冷え込み、
秋の終わりを感じさせるようになった。

今日は、彼女は実家で過ごす事になっていたので、僕も自分の家に帰る事にした。
彼女のアパートを二人で出て、車の助手席のドアを開けて
彼女を助手席に乗せ、彼女の荷物をバックシートに放り込んだ。

ストリートの街路樹は、殆ど葉を落とし、
僕の車のボンネットの上に乗っていた枯れ葉が、エンジンをかけると踊りだした。。
赤いボンネットの上で、舞う枯れ葉に少し目をやり、僕は、助手席の彼女を見て微笑み、
いつものように彼女の手を取り、車を走らせた。

彼女の実家は、ダウンタウンのユニオンスクエアの近くにある。 
アパートから実家までは、渋滞がなければ20分程の道のりだ。
途中で、薬局に立ち寄り、彼女の薬を買った。

彼女は、急に”お茶飲みたい?”と僕に聞いて、車を飛び降り、
スターバックスにChaiTeaを買いに出かけた。 暫くして、彼女は、
両手にChaiTeaのカップを大事そうに抱え、寒さに顔をしかめながら、戻って来た。。
助手席に戻り、僕にとびきりの微笑みを一つくれて、ChaiTeaのカップを僕に渡してくれた。

僕は、微笑んでそれを受け取り、一口飲んで、甘いジンジャーを味わって、彼女にキスをした。

静かな昼時だったので、景気付けに、アレサ フランクリンの唄う、
Jumpin' Jack Flashをカーステレオから流した。 
StonesのKiethがギターで参加している有名なVersionで、Kiethの
ご機嫌なギターをバックにアレサのシャウトが、車の中に響いた。

彼女は、Jumpin' Jack Flashのフレーズを口ずさみ、
僕の手を握りながらリズムを取った。。

日曜の昼で道も空いていたので、ほどなく彼女の実家に到着した。 
僕は、助手席のドアを開け、彼女を助手席からおろし、彼女の荷物を取って手渡した。。

彼女は、”ありがとう。”と微笑んで、僕に大きなハグをくれた。。。 
彼女が、ビルの中に消えるまで、僕はそこに立ち尽くして彼女を見送った。。

暫くして、僕は、車に戻り、一人、ニューヨークの街を流した。。

助手席との間には、ChaiTeaのカップが二つ。。 
僕は、少しぬるくなった自分のChaiTeaを飲み干した。。 
まっすぐ家に帰ろうと思ったが、何故か車のハンドルを反対方向に切り、
僕は、イーストリバーサイドに向かった。

車を止め、僕は、イーストリバー沿いの遊歩道を歩き、
マンハッタン橋を眺めるベンチに腰を下ろした。 
手には、空になったChaiTeaのカップを持ったままだった。

煙草をやめた僕は、手持ち無沙汰に、ChaiTeaの空のカップを弄び、
大きなため息を2つばかりして、マンハッタン橋を眺めた。

暫くすると、黒人の青年が一人やって来て、サックスの練習を始めた。。
なかなか良い音を出す青年だった。。 周りには僕ら以外誰もいなかった。。

イーストリバーの川の音と、ハイウェイからこぼれる車の音、
彼のサックスと風の音だけが、僕の周りを舞っていた。。

他に人がいなかった事もあり、何となく、僕は、その青年と言葉を交わし始めた。 
彼は、僕に、どんな音楽を聴くのかとか、誰を見た事があるかとか、
色々と質問をした。 僕も彼に、同じように幾つか質問をした。

彼は、僕がジャズが好きだとわかると、嬉しくなったようで、
色々と話をしてくれるようになった。。 
彼が、どの曲が一番好きか?と聞いたので、僕は、Left Aloneだと答えた。。

そうすると、彼は、暫くして、僕に背を向け、イーストリバーを向いたまま
Left Aloneを吹き始めた。 背を向ける時に、
彼は、”人の方を向くと緊張するから、川の方を向かしてもらうよ。”と言って、笑った。
その言い草が、Robert Johnsonが、壁に向かってレコーディングをした時の
台詞と同じだったので、僕は、ちょっと笑った。。

はたして、その青年のLeft Aloneは、なかなかの物だった。。

僕は、彼のLeft Aloneを聞きながら、その歌詞を口ずさんだ。

<Left Alone ー 訳詞>

心を満たしてくれたあの愛は、どこに行ってしまったのだろう?

決して別れる事はないと言ってくれたあの人は、どこに行ってしまったのだろう?

人は、皆、私を傷つけ、そしてその場を立ち去ってしまう

私は置き去りのひとりぼっちで、他に誰もいない

私には、自分の家と呼べる家などどこにもない

私が、彷徨わない場所などどこにもない

街の雑踏もただ虚しく、私は、一人置き去りにされるだけ

他に誰もいない

探し求め見つけなさいと人は言うけれど、今まで、それが叶った事はない

きっと運命が彼を去らせたのだとするならば、

もしかしたら私が死ぬ前にもう一度彼に出会えるかもしれない

きっと彼にまたあえる時には、私の心が、放たれると願っているけれど、

その時までは、私は、ずっとひとりぼっちで、他に誰にもいない

<Left Alone>

ジャズは、夜に聞くものだと思っていたが、昼間に外で聞くジャズも悪くない。 
僕は、晩秋の風にあたりながら、イーストリバーを眺め、彼の音楽に耳を傾けた。

何曲か、彼の音楽を聴いた後、僕は、ベンチから立ち上がり、
彼にチップを払って、車に戻った。。

車に乗り、一人で、さっき彼女と二人で走った道を走った。
カーステレオのラジオチャンネルをジャズのチャンネルに変えた。
車の中には、 彼女が飲み残したChaiTeaのカップが一つ残っていた。。 



2006年11月21日   Boots on the Ground

結局、彼女の体調が優れない事もあり、
12月8日に二人でロンドンに行く事は、諦めた。

彼女は、今日もまだ諦めきれないようだったけれど、仕方がない。
少し具合が良くなったら、パリと南フランスにでも休暇に行こうと
僕は、彼女に伝えた。

僕の方も、彼女と週末をロンドンで過ごす事が、目的で、
やりたくもない講演の仕事を引き受けたので、今となっては、
一人でロンドンに行って講演をしなければならず、ちょっと頭が痛い。

僕は、遠い昔、アメリカに住む前に、暫くヨーロッパに住んでいた事がある。 
ロンドンには、まだ20代の頃に住んでいた。ロンドンの街自体は、
嫌いではないが、当時付き合っていた彼女をイギリス人の男に
寝取られた経験があるので、僕は、ロンドンがあまり好きではない。
(我ながら情けない理由だ。)

僕は、イギリス人と一緒に仕事をする時には、いつもジョークでこの話をする。
大体この話をすると仕事仲間のイギリス人は大喜びして、
皮肉の効いた冗談をひとつ二つを交えながら、この話で盛り上がる。 

自分の情けない話を、仕事の人間関係の潤滑剤に使うようでは、
僕も歳をとったものだ。。。(失笑)

12月は、ロンドンの後に、ヨーロッパを数箇所回り、
その後、東京に4-5日滞在して、ニューヨークに戻ると言う、
世界一周をまたやらないといけないようだ。 

彼女にその話をすると、流石にちょっと機嫌が悪くなった。 

ただ、ギリギリに話をするよりは、前もって話をしておいた方が良いかなと思って
伝えたのだが、彼女が、がっかりするのは、当然だ。。

かなりの強行軍で、普通のコマーシャルフライトでは、
時間のロスが多いので、今回は、プライベートジェットを使う事になった。
プライベートジェットは、乗り継ぎとか、
出発の時間を気にしないので良いのが利点だが、
当然ながら、ガス代や管理費がバカにならない。

よっぽど今度の仕事で相当の利益を上げない限り、
株主から槍玉に挙げられるのは必至だ。 昔の日本のどこかのIT企業の社長のように、
私用でガールフレンドを乗せてプライベートジェットで南の国に
バカンスに行けるほど、僕の会社は裕福ではないし、株主も寛容ではない。。

仕事上のプレッシャーと彼女と暫く離れ離れになると言う
プレッシャーの両方が、重く僕の肩にのしかかる。。

仕事のプレッシャーは、慣れているのでなんと言うことはないが、
彼女に関するプレッシャーは、ここのところ色々な事がありすぎた事もあり、
どうしてよいかまだわからない。

昔の元気な彼女だったら、それこそ一緒に連れて行く事だってできるだろう。 
日本での滞在をちょっと伸ばして、二人で週末は、
京都の料亭に泊まって、雲隠れすることだってできるのに。。。

できない事を悔やんでも仕方ないので、できるだけ仕事を詰めて、
一日でも早くニューヨークに帰ってこれるようにするしかないようだ。

ただ、一方において、最近彼女の病気がわかってから、
僕は、仕事をないがしろにしている事は、自分でも良くわかっている。

だからここ半年ほどは、仕事の進捗もあまり芳しくなく、停滞気味だ。
ここはちょっと辛いけれども、起死回生の一発勝負を仕掛けざるをえないようだ。。。 

ごめんね、Sweetie。。。でも、男には、どうしても後には引けない闘いもあるから。。



2006年11月22日  Orphans: Brawlers, Bawlers & Bastards  横領した社長

僕の大好きなミュージシャンの一人である、Tom Waitsの新譜が発売された。 
2004年のReal Gone以来の新譜だが、なんと3枚組という大作だ。

早速、CDを買い、仕事場で一日中かけ続けた。
これ、久々に腹に染みる力の入った新譜かもしれない。
”やるじゃないか、Tom。”と思わず言いたくなってしまう。

音的には、昔の時代に少し戻ったような感じがあるけど、
相変わらず、ぶっ飛んだ楽器でぶっ飛んだ唄を唄っている。

最近、ちょっと柔な自分に嫌気がさしていたので、
こういう腹の座った男に久しぶりに触れる事ができて、何故か嬉しい。 
やっぱり、これ位ぶっ飛んでないと、時代に流されず超然とは、できない。
時代をものともしない度胸が、Tomの真骨頂だと思う。

たまに、Tomの朗読みたいのも入っていて
Missing My Sonって朗読が面白い。

ネタばらしちゃいけないのかもしれないけど、

男が夜中にスーパーマーケットに行ったら、老婆がいて、
自分の子供がずっと行方知らずでその男に似ているので、
一度で良いから、”ママ さようなら。”って言ってくれって頼むんです。 
男は、その老婆が可哀想になって、そういってやることにするんです。
老婆は、まず、スーパーの買い物をすませて、スーパーの前のバス停で、
バスに乗り込む時に、男に向かって”息子や、元気でね。”って手を振るんです。 
男も、感極まって、老婆に、”お母さん! またね。”って手を振るんです。

それで、バスは去っていき、男も買い物を済ませてキャッシャーに行くと、
店員が、全部で$400です。って言うんです。 
ツナフィッシュとミルクを買っただけで、$400って事はないだろうって男は、
反論すると、店員は、貴方の前に買い物をした貴方のお母さんが、
支払いは、息子さんがするって言ってました。って言うんです。

男は、あれは、俺のお袋じゃないって言うんだけど、
店員は、さっき、大きな声で、”お母さん、さようなら。”って
言ってたじゃないですか。 って言うんです。

話には続きがあるんだけど、本当にTomは、
こういうのが上手いなあと思って思わずニヤッとしてしまいました。

午前中は、Tomの御陰で快調に仕事を続ける事ができた。

午後になって、突然、僕は、ある人の来客を受けた。 
それは、僕が創設者の一人であるとある会社を一緒に立ち上げ、
横領をして解雇をされ、逆に僕らを不当解雇で訴えた、例の元社長だった。

既に僕らは、訴訟の手続きが始まっており、立場上は、
彼が原告で、僕が被告なので、裁判外で訴訟の当事者は、
弁護士抜きであうべきではないのは、日本でもアメリカでも常識だ。

最初は、ビルの警備員に追い返すように言ったが、彼は、
外から携帯で僕の所に電話をかけてきて、
ちょっとでも良いから会って話がしたいと哀願をした。

彼に哀願されても心は、動かなかったが、ちょっと話を聞いてやろうという気になり、
僕は、彼を部屋に通して話をする事にした。

10分程して、彼は、僕の仕事場に現れた。 彼と会ったのは、もう何ヶ月も前の事だ。
僕の目の前にたっている彼は、僕が知っている時から比べると随分やつれ、
精気のない感じに見えた。

僕の仕事場の壁には、写真が沢山貼られているが、
その中に、会社を作った頃に、資金集めで立ち寄ったフィリピンのマニラのバーで撮った
二人の写真が、飾ってある。 彼は、それには、気づかなかったが、
僕は、彼とどうでも良い話をしながら、その写真にふと目をやった。

写真の中の彼は、もっと精悍で精気に満ちていた。
 二人とも若かったというのもあるのだが、今、僕の前にたつ彼は、
だらしなく太り、冬なのに汗をかきながら、僕に愛想を売っている中年男で、
昔の面影のかけらもない。

僕は、彼の話を聞きながら、この男を、このまま訴訟で潰してしまうか、
ある程度の金を掴ませて僕の前から消えて行ってもらうか、どちらにするかを考えていた。

昔の彼は、僕の良き理解者で、ともに夢を実現しようとする同士だった。
彼の方が年長という事もあり、僕は、彼を兄貴のように尊敬し、彼をたてた。
彼が、僕らの成功を全て自分の手柄にしても僕は、別に何とも思わなかったし、
自叙伝をゴーストライターに書かせ始めた時にも、僕は、別に文句を言わなかった。

僕も年長者の彼を顔として利用した事は、事実なので、
彼が、成果を自分のものにするのは、尤もな事だと思っていた。。 

ただだんだん僕らに相談をせずに勝手に自分で色々な事を決めるようになった。
昔は、毎日のように電話で連絡を取り合っていたのに、
だんだん電話の回数が減っていった。

だんだん、彼は僕らを避けるようになり、最終的には、
会社の金を横領するようになってしまった。 横領が発覚した時に、
彼は、久しぶりに僕に電話をかけてきて、横領の疑惑を彼の部下に全て負わせて、
即刻彼を解雇し、僕らとの関係を回復して事態を闇に葬ろうとした。

僕は、その時には流石に何かがおかしいと感じていたので、
会社の内偵を続けており、罪を負わされそうになった部下も
内偵をしていた僕の身内であったこともあり、事態が発覚したその日に、
当時の社長だった彼を即刻解雇した。 その時に、そのまま何処かに消えてくれれば、
僕は、過去の彼の貢献に対してそれなりの対価を支払って、
人目につかないように消えて行く段取りを考えるつもりだった。 
それが、武士の情けだと思った。

ところが、彼は、何を血迷ったのか、不当解雇を理由に僕らを裁判所に訴えた。 
僕らを訴えた事で、今回の事件が明るみに出て、
今となっては、彼は、もう再就職の道はない。

自分で闘う道を選んでおきながら、かつて僕が尊敬していたその男は、
僕に取り入ろうと、なりふり構わず脂汗を流しながら、語り続けている。。。

彼の話を上の空で聞きながら、適当な時間に彼を追い返した。。
彼が去って行った後で、僕は、壁にかけられた僕と彼の写真を暫く眺め、
それを壁から外してゴミ箱に捨てた。

それから僕の弁護士に電話をかけ、彼が、訴訟を取り下げるのであれば、
彼にある程度の金を渡して僕の前から消えさせるように指示をした。。

この男を裁判で社会的に殺すまでの価値はない。。。 
僕には、そんなことに付き合う時間もない。。。 
このまま僕の前から消えてくれればという思いが大半だったが、
裁判をして、彼を社会的に抹殺するのではなく、ここで訴訟を取り下げさせる事により、
彼にもう一度真っ当な人生を送って欲しいという気持もあった。

何となく、嫌な気持になった。。 
午前中に聞いていたTom Waitsをもう一度聞き直した。少しボリュームをあげた。。

こうやって友達をなくすのは、哀しい。
男の傷心に、Tom Waitsの唄声は、優しく響いた。 人間は、みな孤独だ。 
でも、Tom Waitsの曲のように、唯我独尊、自分の信じる道を歩んで行くしかない。 
Tomの曲を聴きながら、目を閉じると、まぶたの奥で、
Tomが、古ぼけた山高帽にステッキを振り回しながら、
一人で荒野を歩いている姿が浮かんだ。。

僕は、僕の道を行く。。。 Tomの唄を聞きながら、僕はただ当たり前にそう思った。
彼女のアパートに帰ると、彼女は、具合がまだ良くないので、もうベッドに入って寝ていた。。
そっと部屋に入ると、彼女は目を醒ました。 
僕は、だまって彼女にキスをして、服を脱ぎ、顔を洗って、彼女のベッドに滑り込んだ。。 
彼女の胸に子供のように僕は、抱きすくめられた。。

彼女は、目を閉じたまま、”何かあったの?”と小さな声で、僕に聞いた。
僕は、彼女の勘の良さに驚きながら、
”ちょっと仏心が出て、とどめを刺すのをやめた。”と答えた。。 
彼女は、僕の頭を彼女の胸に抱いたまま、
”貴方は、心の優しい人。アタシは、あなたのそういう所が好きよ。”と
目を閉じたまま言い、僕を優しく包み込んだ。。



2006年11月23日  小さいウイスキーボトル

明日は、感謝祭だ。

感謝祭から年末に向けてニューヨークでは、沢山の行事があり、
沢山の観光客が、アメリカ国内のみならず全世界から集まって来る。

僕は、ニューヨークに住んでいる人間としては、
珍しく自分で車を運転して移動をする。多くの人は、タクシーやバス、
地下鉄を使うので、僕のように自分の車を使って市内を移動する人は、少ない。

そういった人が少ない理由は、やはり交通状態の悪さと、
駐車場が異常に高いというのが主な理由だと思う。

東京の駐車場も非常に高いと聞いているので、
東京に比べるとニューヨークは、まだ安いのかもしれないが、
オフィスの多い地域では、駐車場は、月極で大体6−7万円を取られる。
ニュージャージーに行けば、月極で5千円位で駐車場を借りられるので、
それに比べれば、ニューヨークは、以上に高い。

感謝祭のパレードに備えて既に色々な場所で交通規制が始まっており、
その御陰で、今朝も仕事場に行くのに大渋滞に巻き込まれた。
僕は、渋滞の中で、Tom Waitsを大音量でかけた。 

Low Downでご機嫌なスライドギターをバックにTomのだみ声が、
車の中に響き渡った。 ハンドルを叩いてリズムを取りながら、
僕は、今にも雨が降ってきそうな灰色の空を見上げた。

彼女は、最近具合が悪いので、彼女の両親の強い要求もあり、
数日、病院がすぐ近くにある彼女の実家に帰る事になった。 
多くの会社が、明日から週末まで、感謝祭の休みになる事もあり、
街は、観光客でごった返しているものの、ローカルの人々は、
今日の午前中で仕事をやめて家に帰ったり、バケーションに出かける人が多い。

僕も早めに仕事を切り上げ、彼女のアパートに戻った。 
僕が、アパートに戻ると、彼女はベッドに横たわり、目を閉じて休んでいた。

静かにドアを開けたつもりだったが、僕がドアを開けると彼女は目を開け、
僕の方を向き、微笑んで、”おかえり。”と言った。 
僕は、コートを着たまま、ベッドサイドに向かい、横たわったままの彼女にキスをして、
ベッドの橋に腰を下ろし、僕の一日について彼女に話をした。 
彼女は、微笑みながら、僕の一日の話を聞いてくれ、
幾つか質問をしたり、コメントをしたりしてくれた。。

僕は、彼女の一日を聞くと、彼女は、殆どベッドで休んでいたが、
おきている時は、大学の本を読んだり、テレビを見たり、
窓から外の景色を見ていたと答えた。

彼女の顔が青白かったので、僕は、お湯を沸かせて、レモンを入れ、
それを彼女に飲ませた。 まだ湯気を上げているカップを彼女に渡した。
彼女は、カップを両手で持ち、お湯を冷やす為に息をかけた。。 
彼女の息で、カップから上がる湯気が揺れた。

外は、雨が降っていた。 あまり遅くならないうちに出かけた方が良いと、
僕は、彼女に言った。 彼女は、軽く頷き、起き上がり、簡単な用意を始めた。
ほんの数日の事なので、必要な物だけをバッグに詰め込み、
彼女にコートを羽織らせ、僕らは、アパートを後にした。

僕は、彼女の両親に嫌われているので、たまに彼女を実家に帰さないといけない。
彼らは、僕が、日本人だという事も気に入らないし、
婚約が破談になったのも僕のせいだと誤解しているし、
大体外人の僕がやくざな商売で羽振りが良いのも気に入らないらしい。

感謝祭は、日本で言えば、正月のようなもので、
その性格上、親戚一族が集まる事が多いので、僕のような部外者が、
彼女を隔離しているよりは、彼女を潔く家族に引き渡すべきだとも思った。
またこんな事で、彼女を板挟みにはしたくないので、
ここは、僕が引いて数日我慢すれば良いのだと自分に言い聞かせた。

車の中で、彼女は、僕の手を握り、
”アタシは、自分の病気の事よりも、貴方の事の方が心配だわ。”と僕を見つめて言った。
彼女の実家に行くまでの車の中で、僕は、酒を飲み過ぎるなとか、
ちゃんと野菜を食べろとか、珍しく彼女に一連の生活指導を受けた。。

僕は、彼女に、”大丈夫。全部ちゃんとするから心配しないで”と言って、
笑ってみせ、彼女にキスをした。 ”嘘ついちゃ駄目よ。”と彼女は、
僕の顔を両手で押さえて目を見つめて言い、彼女も微笑んで僕にキスをした。

彼女の実家に着き、雨の中を彼女を助手席から下ろし、彼女の荷物を下ろして、
ビルのドアマンに渡した。 別れ際に、彼女は、とびきり大きなハグを僕にくれた。
そして、”アタシがいない間、アタシのアパートに泊まっていてね。”と言った。

僕は、なぜ彼女がそんな事を言ったのか理解できなかったが、
言われた通りに、彼女のアパートに一人で帰った。

いつもは、彼女がいる、アパートは、がらんとしており、
僕が一人だけでいると異様に寂しく思えた。 静かすぎたので、
ステレオにTom Waitsの新譜を入れ、ステレオのスイッチを押した。 
Tomのしわがれ声が、小さいアパートにこだました。 
Sea of Loveだ。 僕は、キッチンに行き、ウイスキーを探した。。。

いつも置いてあるウイスキーの大きなボトルは、そこになく、
小さなウイスキーボトルが置いてあった。 
ボトルには、小さなカードがついていた。。。

カードをあけると、彼女の字で、”アタシが、帰って来るまでは、
あまり飲み過ぎないように、この瓶だけで我慢してね。”と書いてあった。。。

僕は、そのカードを丁寧にボトルからはがして、
ベッドサイドのテーブルの上に置いた。

いつもは、彼女と一緒にいる小さいベッドに寝そべり、
Tom Waitsを聞きながら、小さなウイスキーボトルを抱え、
窓から外の景色を眺めた。。。 

ボトルが半分程空になった頃に、彼女から、携帯メールが送られて来た。
メールを読むと、そこには、ただ”I love you."と書いてあった。 
僕は、それを読んで少し微笑み、”love you too."と返信をした。



2006年11月24日  帰還兵

昨日は、結局彼女のベッドで、Tom Waitsを聞きながら、
小さなウイスキーボトルを抱いて寝てしまったようで、
夜明け前に閉め忘れた窓から吹き込む冷気で目を醒ました。

折角の感謝祭なのに、空は暗いままで、雨が冷たい音を立てていた。
僕は、バーガンディ色のカーテンの隙間から、外を眺めた。 
裏にはに出る石造りの階段が、雨に濡れ、まとまった雨粒が、
庭木から落ちるたびに音をたてた。。

蛙が飛び込む水の音と言うのは、聞いた事があるけれど、
石段に雨水があたっても独特の音がする事に気がついた。 
そんな音が響く程、ここは静かで、僕は、何処までも孤独だった。

暫く目をつぶったまま、石段に落ちる雨音を聞いていた。 
知らない間にもう一度眠りに落ちた。

二度目に目を醒ました時には、もう夜があけていた。 
雨が降っていたが、もう石段に落ちる雨音は、聞こえなかった。 
かわりに、雨雲で低くなった空のお陰で、バスの音や、
通りを走る車の音など、街の息吹がいつもより近く聞こえた。

僕は、ベッドに入ったまま、枕を重ねて背中の後ろにおき、
テレビのスイッチを入れてニュースを見た。 
今日は、感謝祭だ。 遠い昔に、ヨーロッパから来た開拓民達が、
インディアン達をたくみに騙して、たった25ドルの金で、
マンハッタンの土地を買い取った日だ。

どこのニュースも、感謝祭のパレードについて賑やかにニュースを流していた。
生憎の雨模様だが、各州からやってきた鼓笛隊が、
綺麗な衣装をずぶ濡れにしながら、パレードの準備をしている模様が映された。
一方では、バグダッドで最大規模のテロがあり、160人が殺されたらしい。。。
この世の中は、多くの喜怒哀楽を巻き起こし、混沌としながらも確実に時を刻んでいる。。

お腹がすいて来たので、ベッドから出て、キッチンに行き、
小さなフライパンを出してソーセージを焼き、スクランブルエッグを作って、
テレビを見ながら、キッチンで立ったまま、朝食を取った。

暫くして、携帯電話がなった。 彼女かなと思って電話を取ると、
それは、ニューヨークの北の田舎町、オルタモントに住んでいる
僕の古い友達の息子からの電話だった。

前に日記に書いたが、その若者は、
オルタモントで大工をしている僕の古い友達に、引き取られ彼らに育てられた。
彼の実の親は、僕の古い友達の兄夫婦だったが、実の親が、
酷い家庭内暴力をふるい結局、家庭は崩壊し、
それを見かねた弟(=僕の友達)が、彼を引き取り、
自分の息子として育てる事にした。

僕の友達も小さな建設会社に努める大工さんで、
生活は決して裕福ではなかったので、いつも同じ大きめのTシャツを来て
走り回っていたのを良く覚えている。

彼は、育ての親を誰よりも愛している、決して裕福ではないが、
礼儀正しい若者に成長した。ただ家計が厳しかったので、
彼は、大学には行かず、高校を卒業すると軍隊に入った。
育ての親に負担をかけまいとする彼なりの配慮だったのだと思う。

そして戦争が始まり、彼はイラク戦争に先兵として駆り出された。 
一度だけではなく、彼は、二度もイラクに送られた。 その彼が、
二度目のイラクから無事に帰還し、感謝祭の休みを、
オルタモントの育ての親の家で過ごしていた。 僕らは、その昔、
よく感謝祭を一緒に祝ったので、それを思い出して、彼は電話をしてくれたようだ。。

オルタモントは、マンハッタンから車で2時間程の距離にあるが、
僕は、雨の中車にのり、久しぶりに彼らに会いに行く事にした。

マンハッタンを離れ、北に向かって車を走らせた。ハドソン川を右手に見ながら、
どこまでもどこまでもまっすぐに伸びて行く高速道路を走った。
周りの景色は、紅葉の時季は過ぎ、既に冬山の様相を呈しいており、
水墨画のように荒涼とした灰色の山々が連なっていた。

一人で車を飛ばしながら、色々な事が、僕の頭の中に浮かび、消えて行った。

オルバニーで高速を降り、曲がりくねった一般道を走って山を一つ越えると、
古びた看板が、僕が、オルタモントの街境に来た事を教えてくれた。。
更に曲がりくねった道を進み、丘の上にそびえる廃墟となった
教会跡の裏にある小さな家が、彼らの家だった。

この前ここに来たのは、もう何年も前だったのに、
その時から時間が止まっているかのように、
周りの景色や空気までもがそのままだった。

僕は、雨が降り続ける砂利道の端に車を止め、
途中で買ったビールのケースを両脇に抱えて、その小さい家のドアを叩いた。

中から懐かしい顔がドアを開け、僕を迎えてくれた。 
僕は、ビールケースをドアの所におき、彼を力一杯抱きしめた。 
”しばらくぶりだね。”と、長い抱擁の後に彼が、言った。 
”本当にしばらくぶりだ。無事に帰って来てくれて嬉しいよ。”と
僕は言って彼にビールを渡した。

暫く色々昔話をした。 彼は、イラクの話はしなかったが、イラクでの生活が、
過酷なものであった事は、彼を一目見ればすぐに分った。 
彼は、更に無口になり、時々見せるその笑顔も哀しげなものになった。。

僕は、あえて昔話に終始し、彼をつれてクラッシックカーのパレードを
見に行った話や、フロリダに遊びに行った話、一緒に鹿狩りをした話など
昔話に花を咲かせた。 彼は、ビールを飲みながら、静かに会話に加わり、
たまにボソッと話をしたり、笑い声をあげたりしてくれた。

彼らの家で、七面鳥を食べ、その後に、場末のバーに行って、
ビリヤードをして遊び、バーカウンターに座り、酒を飲みながらまた暫く話をした。

あまり遅くまでいると帰れなくなってしまうので、
僕は、何杯目かのウイスキーグラスを空けたところで、立ち上がり、
彼に別れを告げた。 別れ際に、もう一度、彼を抱きしめて、
”何か、あったら相談に乗るから、電話をして来て欲しい。”と告げた。

彼は、寂しげな顔を微笑んで、”ありがとう、おじさん。電話をするよ。”と言った。
僕は、彼を彼の家の前で降ろし、雨の中を一人、マンハッタンに戻った。

帰りの車の中でも、色々な思いがよぎった。 

この世の中は、沢山の喜怒哀楽をのせて、混沌としたまま動いている。。
そして、誰の為に立ち止まる事もせず、時間は、
誰に対しても無情にその時を刻んで行く。。 全ての人には、
それなりの喜怒哀楽があり、それぞれの問題と向かい合って、
なんとか生き続けようと努力をしている。。 
そこには、正しいとか間違っているとかは、存在しない。
ただ、皆、目の前の問題をなんとかしようと必死に生きているだけだ。

車のラジオが、今日のバグダットのテロで
160人死んだ事に関してまた論調を加えていた。。 
共和党の敗北で、イラク戦争の終結が、早まる事を皆が期待している。。 

民主党の議員は、政府が、間違った戦争をなかなかやめようとしないのは、
戦争を貧困層や少数民族に押し付けて、議員の家族や、
議員の選挙地盤の支持層の子供達が、
戦争に駆り出されて死ぬ危険性がないからだと指摘し、
徴兵制を復活させれば、不用意な戦争はしなくなるはずだと主張していた。。

乱暴な主張だとは思ったけれど、そういう側面もあるのかもしれない。 
彼のように、真面目に生きていても日々を生きるのが精一杯で、
彼を救ってくれた育ての親に負担をかけない為にやむを得ず志願をした者もいる。 

そういった人達が、実際には、戦地に送られ、議員の子供達が、
志願をしてイラクに行った等という話は、聞いた事がない。。

僕は、この国の政治には、興味がないが、ただ彼のような境遇にいて、
必死に生きている人達が、少しでも報われ、
普通で静かな生活を送る事ができるように祈るだけだ。。。

マンハッタンに近くなった頃に、彼女から、今日何度目かの電話があった。 
僕は、彼女に今日の出来事を伝えて、オルタモントまで車を飛ばして、
帰還した彼を見舞った事を伝えた。

雨は相変わらず降り続き、対向車のヘッドライトを
イルミネーションのように輝かせていた。。。 僕は、彼女と話を続けながら、
闇のように暗い一本道の高速を、南に走り続けた。。


  戦争は、良い事は一つもないよね。
  一番哀しいのは、良い事ないって分っているのに、
  一般の人達が、こうやってやむを得ない理由で巻き込まれて、
  生き残っても心に傷を負ってしまうって言う事だと思んだ。


  僕は、人生の大半を外国で生きて来て思ったんだけど、
  つまらない話なんだけど、やっぱり若い人には、もっと外国に出て、
  色々の異なる文化の人達と触れ合って、友達になって欲しいと思います。
  やっぱり異文化を知って、異文化の友達を作ることによって、
  世の中で起こっている色々な哀しい出来事を、
  もっと個人のレベルで考える事ができるかな?って思います。


  簡単な事なんだけど、知らない人だったら殺せるけど、
  知ってる人だったら殺せないと思うんだ。 
  難しい政治の話は別にして、個人レベルでは、そういう事なんだと思う。 
  他人を理解できなかったり、他人を理解していないと、躊躇なくできることも、
  他人を知っていたり、理解できていると、躊躇すると思うんだ。
  でも、それって自分自身を板挟みにしてしまうから結局、
  自分が苦労するんだけどね。
  だから、”知らない事は、幸せだ。”って言うんだよね。 皮肉だと思う。
  でも僕は、知らないで幸せだと思うより、知って苦労をしたいと思います。
  ニューヨークに来たら、沢山友達できると思う。 
  ニューヨークは、人種のるつぼだから、純粋なアメリカ人の方が少ないから、
  色んな友達ができると色んな文化が吸収できて楽しいと思います。
  その時に、僕は、日本から来て、日本はこういう文化で、
  僕は、日本のこういう所に誇りを持っているんだ!って言えた方が、
  ニューヨークでは、友達を作り易いと思う。


  自分の目で見る、自分で体験する、自分で調べるって言う事が、
  一番大事だと思うんだ。
  前に別の日記で書いたけど、イラクの戦争に関しては、
  前に面白いドキュメンタリーがあって、異なった環境の3人の生活を
  追ったドキュメンタリーなんだよね。 

  一人目は、イラク戦争に駆り出されたアメリカの青年で、
  イラクで戦争に疑問を抱いて、脱走をして、カナダに逃げ込んだ人。 
  アメリカからは、脱走兵として手配されていて、カナダ政府が、
  政治難民として保護してくれないと、その人は、犯罪者として強制送還されるんだ。 
  その人が、自分のした事は正しかったのかどうか?って悩んでいる。 

  二人目は、イラクから脱出してアメリカに政治亡命してアラブ人の家族。
  自分たちは、アメリカに逃げ込んだんだけど、ここでも色々な問題や差別があって、
  イラクに残した親族を助ける事もできないで、自分たちだけが逃げた事が
  間違っていたんじゃないかって悩む人達。 

  最後が、アメリカ人でイラクに志願していったんだけど、
  負傷して、両手、両足を失って帰って来た若者。 
  自分の判断が正しかったのかって病院で毎日泣いている人。

  そこには、幸せな人は、一人もいない。 
  ちょっと厳しすぎる現実だけど、そういった末端の人達の真実に
  目を向けるって言う事が、まず必要なんだと僕は、思います。


  以前、災害が起き、ニュースで見て、被災者をかわいそうだと感じ、
  心配していたつもりだったけど、自分の友人が地震で被災者になった時、
  初めて、災害のこわさを、本当に大変で辛い事なんだとわかった気がしました。
  やはり自分が体験したり、自分の関係のあるところでそういったことが
  起きないとわからない、どこか他人事でいたんだなとその時気づいたんですよね。

  やっぱり自分で体験したり、身内がいると、全然考え方が変わってしまいますよね。



2006年11月25日  旅の終わり トシさんの過去の人生

オルタモントから帰って来ても、色々と考え事を続け僕は眠る事ができなかった。

彼女のベッドに一人で潜りこみ、電気を消したまま色々な事を考え続けた。 
彼女の事、友達の事、仕事の事、僕の過去に起こった様々な事、
次から次へと頭に浮かんでは、消えた。。

僕は、今度の誕生日で44歳になる。 若い頃は、音楽で生きて行こうとした。
最初の彼女と出会い、二人で音楽を目指し、
僕は、才能のある彼女の夢を潰さない為に自分は音楽から身を引いた。

彼女は、ほそぼそと音楽の仕事を続け夢をつないだ。 
彼女の夢が、僕の夢だった。 ただ、彼女は、僕を成田に迎えに来てくれた帰りに、
交通事故を起こし、車を運転していた彼女は、僕の目の前で焼け死んでしまい、
助手席に乗っていた僕は、生き残った。病院で、彼女が、妊娠していた事を聞いた。。

僕は、薬に溺れ、手首を切り、何度も死の衝動にかられた。。 
それでも死ぬ事ができず、結局僕は、日本を捨て、海外に逃げた。。 
海外に移り住んでからも、僕は、その思いから逃げ出す事ができず、
いつも危ない仕事だけを引き受け、死ぬ事を望んでいた。。。

彼女を失い、子供を失った事から、自分が生きている間に、
何か罪滅ぼしをしたいと思い、東南アジアから来るジャパ行きさんが、
日本に来て日本人の男に騙され、日本人とハーフの子供を生んでしまい、
途方に暮れる人達の、里親になった。子供にちゃんとした国籍を与え、
保険の手当をして、ちゃんとした義務教育を受けさせるのが、
僕のボランティアの内容だった。

いざ始めると僕は、のめり込む方なので、そういった子供達が、
他の日本人の子供に学校で苛められないように、
子供達に満足な教育を施したいと思い、自分の私財を投げ打った。
自分の助けている子供達が、何の苦労も知らない、
生意気で心ない日本人の子供達に差別するのが、許せなかった。

その子供達のプライドは、僕のプライドだった。

その子供達は、僕をアメリカの伯父さんと呼び、
学校で書いた絵や、手紙を未だに僕に送って来てくれる。

僕は、人を助ける事で自分が、生きて来た意味をなんとか見つけようとした。 
そして、死んでしまった、彼女と自分の子供への償いをしようとした。

その後にも何度か恋愛をして、出会いと別れを繰り返したが、
僕の心が一度も満たされる事はなかった。

2001年にアラブ人の友達と命をかけた大ばくちをうち、
血を吐き、地べたをのたうち回るような死闘を3年続けた。 
そのアラブ人の友達は、僕に、”男が男に惚れた。”と言い、
二人は義兄弟になった。3年の死闘の末、その事業は、2004年に大当たりをし、
会社は、一生使いきれない程の富を得た。他の役員が全員相当の配当を受けたが、
僕は、自分の配当分を放棄し、僕がいなくなっても従業員が生きて行けるように、
従業員40人に、その金を均等に分け与えた。 

2004年に、その会社の実権は、アラブ人の義兄弟に譲り、
僕は、別の会社を幾つか買って、それらの会社の更正の為に、
命を削る事にした。 それが、僕が、生き残る理由だと信じようとした。。

そして僕は、運命の女性と恋に落ちた。。 今の彼女だ。。

彼女を知れば知る程、その心の美しさ、純粋さに胸を打たれた。 
こういう人に、自分もなりたいと思った。。 彼女と生きて行く事で、
僕の心から、死亡願望が、無くなっていった。。 僕は、彼女の為に、
彼女と一緒に生きたいと思った。 そうする事で、僕の魂も、彼女のそれのように、
純粋に美しいものになるかもしれないと思った。。 

そうなりたいと思った。。

彼女の癌が、発覚したのが、今年の7月だった。。 
それから4ヶ月、坂を転がり落ちるような毎日だったが、
運命を凛として受け入れ、それでも、無垢で純粋な心を持ち続け、
周りの人に愛を与える彼女の生き方を目の当たりにした。。

僕は、この人と添い遂げようと思った。 彼女の命が尽きるまで、
僕は、彼女の傍にいて、彼女を守ろうと思った。 
そして、彼女の命が尽きた時に、僕のこの世での使命も終わると思った。

そんな事を、延々と考えていたら、結局一睡もする事ができなくなった。。 
僕は、カーテンの隙間から、夜明け前の澄んだ空を見つめていた。。。

気がついた時には、ベッドから出て、身支度をして、
銀色のヘルメットを手に取り、彼女のアパートを後にしていた。。

感謝祭の翌日で、街は、まだ死んだように眠りについていた。 
僕は、闇の中で、一人、 鉄の馬にまたがりハイウェイで西を目指した。 
別に行くあてなどなかった。 

その昔、開拓民が西を目指したように、僕も、一人鉄の馬にのり、
西を目指した。このままカリフォルニアまで走って行けそうな気がした。

ニューヨークを抜け、ニュージャージーを横断し、ペンシルバニアに入った。。 
ニュージャージーを横断している間に、日が昇ってきた。。

このまま全てを忘れて、カリフォルニアまで走ったら、
どんなに気持いいだろうと思った。。。。


  世の中には、僕より沢山の苦労をした人は、山ほどいると思います。 
  みんな頑張って生きている訳で、そういった人を見ると、
  やっぱり人間って素晴らしいなと思います。

  ただ僕は、もう力を出し切ってしまったので、彼女との時間を過ごす事で、
  残っている最後の力を出し切りたいと思っているだけです。
  僕の最愛の人に、残りの全てを捧げたいと思っています。

  僕が、戸籍を取り、学費や生活費を出したり、
  洋服やランドセルを送っている子供達は、確かに驚くかもしれない。 
  でも、彼らの本当の父親は、彼らに何もせずに、
  まだ日本のどこかでのうのうと暮らしているのです。

  それをまた片親だと苛める子供達がたくさんいるのです。
  僕は、日本で時間がある時には、それらの子供達の授業参観日に
  父親として学校に行きます。 学校では、やくざが来たと思い、
  子供達や親までも静かになります。 でも、その時に、父親でもないのに、
  体を張ってわざわざ学校まで来る僕を見て得意げに
  胸をはる子供達の目を忘れる事はできません。。

  彼らは、数少ないそういった場面を経験する事で、本当の優しさとは何かのか、
  強さとは何なのかを、学び取り、理解していると僕は信じたいです。
  それは、並大抵の事ではないのです。 そして極限を知る事で、
  その子供達も、本物と偽物を見分ける目を経験を通じて養っていければ、
  そして彼ら自身も強く、優しくなっていければと願っています。

  それが理解できれば、僕が、途中で力つきたとしても、
  彼らには、そのうち理解できる時期が来ると思っています。



2006年11月26日  パリでパン屋

今朝もまた美しい日になった。

僕は、前の晩、ペンシルベニアのモーテルに泊まった。 
今や、ちゃちなモーテルでもインターネットがあるのには、驚いた。 
一晩$40のハイウェイ沿いの小さなモーテルだった。 
赤い蛍光灯のイルミネーションが、所々切れていて、
誘蛾灯のようにブーン、ブーンという独特の音をたてていた。。

僕の荷物と言えば、バイクのサイドバックに、12インチのPowerBookとiPod、
それに着替えを幾つかを詰めた、身軽な出で立ちだった。
モーテルにつき、サイドバックをバイクから外して、肩にかけ、
僕は、モーテルのオフィスに行き、金を払い、大きなキーチェーンについた鍵を貰った。

その晩も、寝られなかったので、翌朝、夜があける前に、
またモーテルを引き払い、ハイウェイに戻った。。

前方にそびえる山脈を見ると、山の頂の方は、
既に雪化粧をして、白くなっていた。。 山に入る前に、
ハイウェイ沿いのダイナーに入り、紅茶を頼んだ。。 

紅茶をすすっていると、携帯がなった。 電話を取ると、僕の彼女だった。 
彼女には、何も言っていなかったのだが、いつもの彼女の感で、
開口一番、”今は、どの辺を走っているの?”と彼女は、言った。

僕は、笑いながら、ペンシルバニアを抜ける所で、
山は、もう雪化粧をして美しい事を、彼女に伝えた。彼女は、
空気が澄んでいて美味しいのかとか、山の気温は、冷たいのかとか、
2−3僕に質問をして、”それで、貴方は、何をしてるの?”と聞いた。

僕は、また笑って、彼女に、”西部劇のまねごと。”と答えた。。 
彼女もその答えは、結構予想外だったらしく、久しぶりに、
ケラケラと声を立てて笑った。僕も彼女の笑い声を聞いて、久しぶりに声をたてて笑った。

暫く冗談を飛ばしあったが、急に彼女の声が真面目になり、
どうしても会って話がしたいので、ニューヨークまで戻って来てくれないかと言われた。
彼女も具合が良くないので、長い間一緒にいる事はできないけれど、
1時間でも良いから会って、話がしたいと、彼女は言った。

最初は、山を越えてウエスト バージニアからケンタッキー位までは
行きたいと思っていたが、彼女の話を聞く為に、反転をしてニューヨークを目指した。

ニューヨークが近くになってから、彼女の携帯に電話をし、
実家の近くの小さなカフェで待ち合わせる事にした。 そのカフェは、小さく、
暗いので、ローカルの人以外は、殆ど立ち寄る事もなく、片隅に暖炉と
座り心地のよいソファがあるので、僕らが良く隠れ家として使っているカフェだった。。

僕は、待ち合わせの時間より少し遅れてカフェの前につき、
単車をカフェの前にとめ、サイドバックを外して肩にかけ、カフェのドアを開け、
暗い室内に入った。 僕の最愛の人は、暖炉の前のソファに腰を下ろし、紅茶を飲んでいた。。

彼女は、ドアの音で、こちらに振り向き、僕を見つけると、
微笑んで立ち上がり、僕を出迎えてくれた。。 僕をハグしながら、彼女は、
”カウボーイがヒロインを助けに来てくれたのね。”と言って笑った。。 僕も笑った。。

僕と彼女は、ソファに一緒に腰を下ろし、暖炉を見ながら、二人で紅茶を飲み、話をした。

彼女は、治療の方法に関して、医者から提案を受け、
僕がどう思うかを聞きたいようだった。 
僕は、医者の提案する方法を、もしも彼女が試してみたいのであれば、
僕もそれに賛成すると答えた。

彼女は、暫く考えて、”もしも上手く行かなかったら、どうしよう?”と僕に聞いた。 
僕は、彼女に、”そうしたら、僕も仕事をやめて引退し、
二人だけでパリにでも引っ越して、小さなパン屋でもやって余生を送ろう。”と言った。 

彼女は、僕の答えが気に入ったようで、何度か、僕が言った言葉を繰り返して呟いた。
”パリでパン屋さん”、、”パリでパン屋さん”、、と繰り返して呟き、
そのうち、彼女は、決心がついたようで、小さく笑い出した。。 
そして、”アタシは、貴方のそういう所が、好き。”と言って、キスをしてくれた。

あまり長い時間、彼女を外に出しておく訳にもいかないので、
後、もう一杯紅茶を飲んだら、帰ろうと彼女を諭した。。

その後も、二人で、色々な話をした。 カフェは、感謝祭あけという事もあり、
他に客は、おらず閑散としていた。。 
僕らは、暖炉の火を眺めながら、いつものとおり、色々と話をした。。

彼女が、ふと、”このまま、アタシを何処かにさらってくれないかな?”と呟いた。。 
”どこに行きたい?”と僕が、聞くと、彼女は、僕を見つめて、
小さな声で、”天国に行きたい。”と呟いた。。

僕は、”あそこは、こっちから行きたいと思っても、
迎えが来ないと行けない所だからね。”と答え、”でも、
もしも君に迎えが来たとしても、君一人では行かせないから、僕も一緒について行くよ。 
でも、その前に、まず、パリでパン屋だ。”と言って、微笑んだ。

彼女も微笑んで、”ありがとう”。と言った。 
そして、”まずは、パリでパン屋さんね。”と呟いた。

夜になると冷えるので、僕は、彼女の肩を抱いて、すぐ近くの実家まで彼女と一緒に歩いた。
ビルの入り口で、彼女に別れを告げた。 

店の前にとめてあった、バイクにサイドバックを取り付け、
またがろうとしたら、彼女から携帯メールが届いた。。

メールには、ただ、”ありがとう。”と書いてあった。。


  人の数だけ、それぞれちがった現実があると思います。 
  どれが良いとか、悪いとかじゃなくて、どれが正しいとか、
  間違っているとかじゃなくて、
  自分に与えられた現実をただただ生き抜くしかないんですよね。
  間違っているかもしれないけど、今の僕には、自分の人生のゴール、
  目的が、はっきり見えている気がするので、迷いや、悩みはありません。
  結末は、辛いかもしれないけれども、
  どこまでもそのゴールに向かって力を振り絞っていくだろうと思います。



2006年11月27日  クリスマスの買い物

ここ何日か、一人で色々と考え抜き、大体、
今後の自分の身の振り方について考えをまとめて来た。

また昨日、思いがけず彼女と会って話をして、彼女の会話のはしはしから、
大体彼女の気持を察する事もできた。 彼女の気持も、
僕の気持とずれはない気がしたので、短い時間ではあったけど、
やはり彼女と時間を共有できたのは、嬉しかった。

これで僕の心に、曇りはなくなった。 あとは、今までのように、
目標に向かって突き進むだけだ。 僕には、それをやり遂げる自信が有る。
今までそうやって生きて来たから。 

一夜明けて、今日は、また素晴らしい天気になった。
僕は、彼女に電話をして、午後まだ暖かい時間に
1時間程外に出て来れないか聞いてみた。 
それは、彼女に子供服の見立てをしてもらう為だった。

彼女は、過去にある事情があり、子供を産む事ができない。 
その為も有り、姉の一人娘を自分の子供のように可愛がっている。

彼女の姉さんは、ソーシャルワーカーというボランティアのような仕事をしており、
離婚した旦那さんは、彼女に仕送りを拒否しているので、
実際は、僕の彼女が、生活費を送っている。 
その一人娘が、ちゃんと成長できるように見守るのが、彼女の役目だ。 

僕にも、何日か前の日記で書いたけれども、
里親ならびに保証人になっている子供が、東京に何人もいる。 
彼女とあってから、僕のその子供達へのクリスマスプレゼントは、
彼女が見立てた洋服と決めている。 結構、彼女の見立てた洋服は、
子供達に評判が良く、クリスマスが終わると、
彼女の見立てた洋服を着た笑顔の子供達の写真などが、送られて来る事がある。

そうすると、彼女は、さも嬉しそうに、”やっぱりアタシのセンスが良いからね。”と
自画自賛をしながら、写真を冷蔵庫に貼って嬉しそうに眺めている。

今年もそんな季節がやって来た。 彼女の具合を考えて、
今年は、自分で適当にプレゼントを選ぼうかなとも思ったが、
そうすると彼女の楽しみが一つ減るような気がして、彼女に電話をして聞いてみた。

彼女に電話をすると、”確かに貴方が見立てをしたら、
子供達から写真は、送られてこないだろうからね。”と
憎まれ口を聞いて、小さく笑った。。 僕も笑った。。

彼女は、何か言い逃れを作って、その為に1時間程外に出て来てくれた。。 
彼女を遠くに引っ張り回す訳には行かないので、
近くのユニオンスクエアの子供服屋に二人で出かけた。。

そこで、僕達は、彼女の姪っ子の服と、僕が里親をしている子供達の服を沢山買った。 
去年の写真を見ながら、どのくらい大きくなったかを適当に想像して、
サイズを選び、洋服を選んでいった。

自分の子供に洋服を選んでいるように、彼女は、幸せそうな顔をして、
服を選び、僕にコメントを求めた。。 とても幸せな時間が過ぎた。。 
僕を幸せにするのは、とても簡単だ。。 ただ最愛の人と、当たり前な事をする。。

どんなに沢山お金をだしても買えない幸せ。。 
できる事なら、時間を止めてしまいたい程の、人から見れば何でもない時間だが、
僕にとっては、かけがえのない幸せな時間だった。。。

プレゼントを買い、今度は、クリスマスカードを買う為に、
僕らは、近くのカード屋さんに向かった。。 

店の中は、すっかりクリスマスモードで、
緑や赤のリボンがいたるところに飾られていた。。 
何か、店の中に入るのが気恥ずかしいくらいに、華やかな感じがした。。。

彼女は、散々迷った挙げ句、まず彼女の姉さんと、彼女の姪っ子にカードを選んだ。
それから、姪っ子から、姪っ子のお母さん(彼女のお姉さん)に渡させるカードを選んだ。

それが終わって、僕が里親をしている子供達にカードをそれぞれ選んだ。

わずか一時間ちょっとだったけれど、僕達は、目的の買い物を大急ぎで済ませてしまった。。
大きな紙袋を僕は両手に抱え、彼女は、僕の腕を掴み、
二人でゆっくりとユニオンスクウェアを抜けて、帰路についた。

建物の前で、彼女と別れた。 彼女は、別れ際に、
”楽しかった。 どうもありがとう。”と言って、小さく笑った。。 
僕も、”今日は、手伝ってくれてどうも有り難う。 
おかげでまたセンスの良い服が選べたよ。”と言って、僕も笑った。

そして、別れ際に、僕は、彼女に飛行機のチケットを二枚渡した。 
それは、彼女のお姉さんとその娘の、ニューヨークの往復チケットだった。
僕は、彼女に、”僕は、暫く仕事で外国に行かないといけないから、
その時に寂しいと困るから、お姉さんと姪っ子をニューヨークに招待したら?”と言った。

彼女は、暫くそのチケットをしげしげと見つめていたが、
目に一杯涙を浮かべて、僕を見てまた微笑み、ただありがとうと言って、
僕にまた大きなハグをした。 微笑んだので、目に一杯溜まった涙が、
堰を切ったように彼女の目からこぼれた。 

彼女は、僕をハグしたままで、ただ、”ありがとう”だけを何度も繰り返した。。

彼女と別れ、僕は、車にたくさんの紙袋を詰め込み、彼女のアパートに戻った。 
いつもは、クリスマスプレゼントのラッピングは、彼女と二人でやるが、
今年は、僕一人でラッピングをした。

子供達に配るクリスマスカード、ひとつひとつに、
それぞれの顔を思い浮かべながら丁寧に、
”お母さんに感謝をして、心の優しい人になってください。メリークリスマス。”と書いた。

やっとラッピングが、終わった時には、もう外は、暗くなっていた。 
赤や緑、銀や金のきれいなラッピングペーパーに包まれたプレゼントで、
彼女の小さいアパートは、一杯になった。。

僕も少し心が温かくなった。 僕は、子供達を助けているつもりでいるけれど、
結局助けられているのは、僕の方かもしれないなと思い、少し照れくさくなった。。

彼女と一緒にプレゼントを選べるのは、今年で最後かもしれない。。 
でも、その時は、その時だ。 今この瞬間を精一杯生きていれば、
この先何が起こっても、きっと分ってくれる人は、分ってくれるだろう。。
僕は、まだ二つ、彼女に言っていないサプライズがある。。
これから僕は、また忙しくなる。



2006年11月28日  神にすがる時  天使の指輪 のアイデア

今日もまた素晴らしい日だった。

僕は、朝早くから仕事場に行き、仕事をこなした。

僕には、時間がない。 だから仕事にもより厳しい姿勢で望むようになった。
この半年くらいは、ちょっと仕事もメリハリがなかったのだが、
週末に彼女に会って色々話をして、僕も今後の方向に関して確信が持てた。 
そうとなれば、僕の行動は、早い。

午前中の仕事をこなし、午後の仕事が始まる前に、
僕は、街を散歩する事にした。

観光客でごったがえす、5番街を僕は、一人で歩いた。

街に出た理由の一つは、彼女のクリスマスプレゼントを探す事だった。 
僕が、ストーカーだったら、完璧なストーカーになれると思うのだが、
僕は、彼女と立ち寄った店は、全て覚えていて、全ての店の店員を覚えている。

僕も、割と一度会ったら忘れない外見なので、
今回、彼女が通っている店の中から4件選び、それぞれの店の店員をひとりづつ捕まえて、
彼らにチップをはずみ、僕の彼女が最近手に取った商品や、
探していたものに関する情報を全部集めた。

そういった店の店員は、男女間のプレゼントが日常茶飯事なので、
そういった中でも、イベント性の高いものには、喜んで協力してくれるような気がする。 

前回、彼女の誕生日で活躍した、Gucciのゲイの店員のピーターを始め、
今回も各店舗からひとリづつピックアップして、彼女の欲しがっているものをリサーチした。

面白いのは、それぞれの店員は、
当然自分の店の品物を推薦するだろうと思っていたのだが、ピーターを始め、
各店舗の店員さんは、本当に、僕と彼女の為に、店の売り上げを別にして、
色々情報を提供してくれた。 なかでもGucciのピーターは、
最高の協力者で、彼女が、彼の選んだバッグを大変気に入った事を、
彼に伝えると、ゲイ独特の両手を胸の前であわせた大げさなジェスチャーで、
”役にたてて感激!”と言ってくれた。

今回も彼女を驚かす準備は、着々と進んでいる。
彼女は、誕生日に”貴方は、色んな所にスパイを隠しているのね。”と冗談で言っていたが、
それは、なまじ冗談ではない。 

どうやって情報を正確に早く掴むかは、この街で生きて行く、重要なSkillの一つだ。 
僕をみくびって貰っては困る。 僕は日本人の一匹狼で、ここまで生き残っているのだ。(笑)

ピーターの店を出て、何となく、僕の足は、セントパトリック大聖堂に向かっていた。

僕は、信心深くないので、普段教会などに足を止めた事はないが、
10年に一度位の頻度で、教会やお寺、神社に足を向ける事がある。。。

前に教会に行ったのは、今から5年前の9.11の後だったと思う。。
あの時に、僕は、6人の友達を一度に失った。 ボストン発で、
最初にWTCに突っ込んだ飛行機に2人の友達が乗っており、
残りの4人は、WTCの倒壊と一緒に命を落とした。。

あの時に、沢山の人間が、空から降って来るのをこの目で見た。 
僕のアパートは、WTCから50メートルと離れていなかったので、
僕自身も、あれから暫く自分のアパートに帰る事ができなかった。

一日で、何百という死体を見た。 また体の部分を見た。 

きっと、阪神大震災も似たような状況だったのかもしれないが、
あれだけたくさんの死骸を見ると、やはり、神を信じない僕でも、
自然と足が教会に向いていた。。

でもそれから僕が教会に足を向ける事はなかった。。 
あれから5年経って、最愛の人が、病魔と闘っている時に、
僕の足は、自に教会に向かっていた。。

開け放たれていた教会のドアをくぐり、暗い聖堂の中に入り、
そうそくに火を灯して、僕は、彼女の事を祈った。。。

周りにいる人は、まばらで、皆、お互いに有る程度の距離を保ち、
お互いに干渉をしないように、それぞれに祈りを捧げていた。。。

僕も見よう見まねで、教会の椅子にひざまずき、
手を合わせて、彼女の事を祈った。。。

暫く、教会の中で時間を過ごし、丁度昼の1時になって、
賛美歌が流れ始めた時に、僕は、教会を後にした。

前に、日記で、彼女にEngagement Ringを渡そうかどうかで
悩んでいると書いた事がある。。
彼女が、キティちゃんの指輪をしているのを見つけた時だ。

あの時は、僕には、迷いがあった。 
僕が、Engamenet Ringを彼女に渡す事で、彼女が、
病気の自分に求婚をする僕に、彼女が、死んだ後の事を考え、
僕を不憫に思って、僕のEngagement Ringを
受け取らないのではないかと思った。

あと、彼女の親が、僕を嫌いなので、僕がEngagement Ringを渡す事で、
彼女に、不必要な親との軋轢を与える事にならないかと心配した。。

僕にとっては、彼女に求婚するのは、当然の事で、彼女がいなくなった後の、
僕の人生などを考える必要はない。 彼女があっての僕で、
僕は、今までで十分幸せな時間を彼女から貰った。。 
僕には、彼女がいなくなった後の事などを考える必要はない。。

その点について彼女が、僕と同じ考えかどうかが、わからなかったので
結構悩んでいたのだが、週末に彼女と会って話をして、
二人とも考え方に違いがない事がわかったので、僕の悩みも解消した。。

Engagement Ringを渡すタイミングを色々考えたが、
クリスマスには、他のサプライズをもう仕込んであるので、
バレンタインに、彼女に渡そうと、今は考えている。

Engegement Ringは、ダイアモンドと相場が決まっているようだが、
僕の彼女のイメージは、エメラルドなので、
彼女には、エメラルドの指輪を渡したいと思った。。 
そして友達に相談した時に、ダイアの脇に、
エメラルドを入れるというアイディアを教えて貰った。。 
そのアイディアをベースに、これからリングのデザインをするところだ。 
友達にはジュエリーのプロもいるから、色々な人の意見を聞いて、
僕ならではの、Engagement Ringを作るつもりだ。。。
それまでは、彼女に元気でいてもらわないとね。



2006年11月29日   スノーフレーク

僕は、今度の日曜日から、ロスアンゼルスを皮切りに、
ヨーロッパと日本を回る世界一周の仕事があり、またプライベートでも
色々準備をしなければいけない事が多いので、急に色々と忙しくなった。

今週は、例年より気温が高めだったので、本格的な冬が始まる前に、
僕は、バイクとの名残を惜しむように、今日はバイクにまたがって仕事場に向かった。

午前中、何組かの来客が有りそのあと幾つかのミーティングをこなした。 

午後に彼女に頼まれていた、彼女の分のクリスマスプレゼントを郵便局に出しに行った。 
いつもは、二人で郵便局に行くが、今年は、一人で行った。 
窓口に並ぶと、顔見知りの黒人の職員が、僕を見つけて顔一杯の笑顔を浮かべてくれた。。

彼女は、”今日は、彼女は一緒じゃないの?”と僕に聞いた。 
”今日は、一人なんだ。”と僕も、彼女に笑みを浮かべながら答えた。
その職員は、鼻歌を歌いながら、手続きをすませ、”彼女によろしくね。”と言って、
また満面の笑みを浮かべた。。

僕は、その職員に手を振りながら、表通りに戻った。。。
僕は、日曜日からでかけてしまうので、土曜日までに、
全ての小包の発送を済ませてしまわないといけない。

仕事場に戻り、彼女に電話をして、彼女の分の郵送が終わった事を告げた。 
そして、”具合はどう?”とか、とりとめのない話を続けた。 

彼女は兄弟でクリスマスプレゼントの欲しいものリストを交換したという話をしてくれた。 

彼女の兄弟は、みな、特別裕福という訳ではないので、
彼女は、兄弟に遠慮をして、スターバックスのプレイペイドカードだとか、
薬局で売っているような$10もしない化粧ポーチだとか、そんなものをリストにあげていた。

”僕には、そんなに遠慮をしなくていいから、
欲しいもののクリスマスプレゼントのリストを送ってくれないか?”と聞いてみた。

彼女は、電話口で笑って、”アタシは、貴方と一緒にいるだけで
毎日クリスマスみたいに楽しいから、プレゼントは、いらない。”と言った。 
そして、”アタシは、貴方と一緒になってから、毎日幸せよ。”と言ってくれた。。。

僕は、”それじゃあ、プレゼントを考えるヒントには全然ならないな。”と文句を言った。 
彼女は、それを聞いて小さな声で笑った。。 

その後も、二人の会話は、続いた。 彼女は、
犯罪を犯した少年達のカウンセリングのボランティアの件を気にしていた。
ボランティアに参加した途端に、彼女の病状が悪くなって、
結局何もできていない事に、後ろめたさを感じているようだった。。

僕は、彼女がきっとその事を気にしているだろうと思ったので、
数日前に、更生施設に出向き、彼女がカウンセリングをできない間、
僕がかわりにカウンセリングのボランティアをやる手配をした。 
僕は今、彼女のかわりに、週に2時間、更生施設に行きカウンセリングを手伝っている。

僕は、彼女にその旨を伝えて、心配しないように彼女に言った。 
彼女は、其の話を聞くと、”全く貴方って人は、、”と言って、言葉を詰まらせた。。

”君の具合が良くなるまで、君ができない事は、僕がやるから。”と言って、
僕は小さく笑った。 彼女も、”ありがとう。”と言って、小さく笑った。。

あまり長い間、話をすると彼女も疲れるだろうと思い、
適当な所で会話を切り上げ、電話を切った。

受話器を下ろした後も、暫く彼女の事を考えた。。 
彼女の事が、頭から離れなかった。。 色々考えだすと、
気持が萎えてしまいそうになるが、何とか自分を奮い立たせ僕は、仕事に戻った。

今日は、夜遅くまで仕事場で、仕事を続けなければいけない。 

夜になって、お腹がすいたので、夕食を調達しに、ビルの外に出た。。 
街は、もうすっかりクリスマス気分で、観光客や買い物客が、街にあふれていた。
僕は、ジャンバーの襟をたて、楽しそうで幸せそうな人々の間を抜け、
近くのデリにサンドイッチを買いに出かけた。

途中で5番街と57丁目の交差点に飾られた、
大きな雪の結晶のオーナメントを見上げた。。 その巨大な、スノーフレークは、
白と青に輝く、クリスマス前の夜空を美しく飾っていた。。

僕は、彼女の事を思い、ちょっと悲しい気分になった。。



2006年11月30日  もう一度病院生活に・・・

今日も、11月末にしては、暖かい一日だった。 

今朝も早めに起きて、仕事場に向かった。 
薄い雲が一面に張っていたが雲の隙間から、朝日の帯がこぼれていた。

エンパイアステートビルは、雲の中に隠れ、僕は、ハドソン川沿いの
ハイウェイを走りながら、まるで北欧の街に来ているようだと思った。

今日は、ロックフェラープラザのクリスマスツリーの点灯式があるので、
ミッドタウンは、朝から交通規制で混雑していた。
ニューヨークで最大のクリスマスツリーなだけに、観光客が朝から群がり、
交差点を渡るのも一苦労だった。

人の海を何とか泳ぎきり、僕は、仕事場にたどり着いた。

昼時に、彼女から電話があった。

彼女の声は、思ったより元気そうになったので、僕は、少し嬉しくなった。
 ”具合はどう?”とか、”ちゃんとご飯食べてるの?”とか、
ありきたりの会話をした後に、彼女は、姪っ子がニューヨークに来た時に
どこに姪っ子を連れて行くかと言う話を始めた。

姪っ子は、フロリダで生まれ、フロリダで育ったので、
彼女は、姪っ子を、アイススケートに連れて行きたいと、嬉しそうに語った。

僕が、ニューヨークにいれば、姪っ子を好きなところに連れて行ってあげられるが、
僕は、生憎、仕事でヨーロッパにいるので、彼女を助ける事はできない。。

”それまでに、元気にならないとね。”と彼女は、言って、小さく笑った。 僕も、笑った。。

彼女は、結局、もう一度病院に戻ることになってしまった。 

覚悟は、していたけれど、それを聞いたときは、正直、少しショックだった。 
でも、彼女には、それを悟られないように平静を装い、
”入院すれば、僕も見舞いにいけるから、今よりもっと会えるね。”とだけ言った。

今は、彼女は、実家にいるので、彼女の両親に嫌われている僕は、
彼女を見舞う事ができない。 それに比べれば、病院の方が、彼女に会うことが出来る。。

彼女は、”そうね。”と頷き、
"毎日、見舞いに来てくれないと怒るからね。”と言って、悪戯っぽく笑った。

彼女は、病院に戻る前に、アパートに戻って何日か僕と一緒に過ごしたいと言った。 
彼女の親もその位の情けは、あるようだった。

これが、最後になるかもしれないなと思いつつ、
僕は、”それじゃあ、部屋を慌てて掃除しなきゃ。 
空のウイスキーボトルも隠さないといけないし。”とおどけて見せた。。 
彼女は、それを聞いて、”アタシの部屋なんだから、綺麗にしてね。”と言って、笑った。。

彼女との電話を切り、僕は、仕事に戻った。

今夜は、サンフランシスコから仕事でニューヨークに来ていた友達と
食事をする事になっていた。

彼は、ポーランド人と日本人の混血のアメリカ人で、
ツアーギタリストをしていたなかなかのイケメン中年だ。

何年か前に、アイルランド人の彼女と結婚をして、
ようやく落ち着きを見せてきたが、相変わらず、
子供のようなヤンチャ中年だ。

久しぶりだったので、お互いに積もり話が沢山あった。。
レストランで食事をした後、ミートパッキングエリアに行き、バーを2軒はしごした。

家に帰り、ステレオをつけた。 トム ウェイツのオーファンズが流れた。 
僕は、彼女のベッドに横になり、窓から冬の景色を眺めながら、色々な事を考え始めた。。

今夜も眠れない夜になりそうだ。。


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